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【2022年8月のベーススケジュール】 [BASE215]


先月下旬より・・・あまりに色んなことが有りすぎて?浦島太郎のような?夢うつつのままジェットコースター状態で、お盆休みに突入しました。(-_-;)

1週間、お休み頂戴しております。


ベースのスケジュールだけ、先にお知らせ申し上げます☆


8月

17日(水) 午後より

18日(木)

19日(金) ×

~21日 名古屋・京都 美術倶楽部オークション出張

22日(月)
25日(木) ×
26日(金)
27日(土)


28~29日 金沢 美術俱楽部オークション出張


9月2日(金)~4日(日) 大美特別展2022 @大阪美術倶楽部

2016年以来、実に・・・6年ぶりの開催です!

当店としては、3年ぶりの眞葛香山展 やります。

『香山式4 ~遊華祭~』


10月の東美アートフェア(3年ぶり開催)と連続企画展となります。

ご高覧の程、宜しくお願い申し上げます。



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『丸善日本橋 はんなり骨董楽市2022』 [催事]

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丸善日本橋店 恒例・・・年に1度のイベント、『はんなり骨董楽市2022』開催中です!



遅ればせながら・・・途中より合流しております。


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昨日は、まるで初日のような?賑わいでした。


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一日開けて・・・今日、土曜日。


暑さもなく、過ごしやすい気温と晴れ模様・・お出ましやすい、気候でしたが人は少なめでした。。


さっそく、展示を少々入れ替えました。


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入札コーナーは、本日より『後期』となります。 こちらは月曜日迄となります。

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ちょっと、展示作品を減らしたりして、新たなものも展示しております!


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8月9日(火)15時閉場です。

残り3日間・・・皆様のご来訪、心よりお待ち申し上げております。


※所用にて、明日(日)は、夕方より会場不在となります。ご迷惑をお掛け致します。



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【堀内不識斎 茶杓二本入『松風』『村雨』】 [茶道具]

あまり、『茶杓』を手に入れることの少ない私です。

工芸的な魅力を感じないもので・・・[あせあせ(飛び散る汗)]

しかし、道具としての茶道具全般を普通に扱っていた時期から、変わらず好きな『字』を書かれるお茶人さんとして、良い出会いがあると扱わせて頂いておりますのが、『不識斎』です。


堀内家 五代目です。


保全との関りもあることから、余計に親近感もあります。


なにより・・・『筆』がかっこいいのです。


ということで、良いお茶杓が出ましたので、これは是非に・・・と思いまして☆



不識斎 茶杓 (5)-1.JPG


【堀内不識斎 茶杓二本入】


『松風』 竹 

『村雨』 煤竹


制作年代 弘化年間末~嘉永七年頃


共箱 利斎箱


2本入りです。

筒は別にしつらえられております。






不識斎 茶杓 (6)-1.JPG


『松風』の方です。


いいですねぇ・・・『河濱焼』の時に、絵付けされてた時期とほぼ同じでしょう。

この、真ん中の『節』に景色がありますのが、まるで『鶴』を彷彿させます。


不識斎 茶杓 (7)-1.JPG


『村雨』 です。

煤竹となっております。村雨が短時間にまとまって強く降る雨・・・・『群れる雨』からの意ともいいます。

その際に空が暗くなる様を現しているようです。

こちらの方は、メジャーな方の花押の変型判の方です。




堀内家五代目 不識斎 宗完 のちに、鶴叟と称します。

安永9年(1780)~嘉永7年(1854)

四代目、方合斎宗心の長男として生まれ、若い時期からから茶湯を修め、父を継いで摂津・高槻藩主『永井家』の茶頭を務めました。

七十五年の人生の間に、道具への関与も深く・・・好み物なども多く、高槻藩の縁でしょうか・・最晩年には『永樂保全』と共に『河濱焼』に参画し、絵付けを担当したりもします。

『絵』も能くします。


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これは、表千家に遺されている、不識斎筆による表千家の図です。

本物はカラーで、大和絵風の着色となっております。

堀内家は代々、表千家とも深く・・・表千家 八代の啐啄斎より茶の湯を学んだあと、九代了々斎に出仕しました。

了々斎が早世された後、幼くして家元を継ぐことになった十代 吸江斎を住山揚甫らと補佐し、千家を支えたのです。


茶道・歌・書とマルチな才能をいかんなく発揮し、堀内家の中興の祖といわれます。


不識斎 茶杓 (1)-1.JPG


不識斎 茶杓 (2)-1.JPG


共箱です。

拙作 茶杓

松風 村雨

ふしき






不識斎 茶杓 (4)-1.JPG

箱と杓は利斎の手を借りております。

不識斎 茶杓 (3)-1.JPG

当時の受け取りも遺されております。



さて、『松風』と『村雨』の組み合わせ・・・なんでしょう?


『古今和歌集』の、第八巻、で在原行平の詠んだ『離別』


 『立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む』


平安時代の『須磨』に住んでいたという『松風』『村雨』の二人の女性とのお別れの歌とされているものです。


須磨で伝わる伝説では、この2人は姉妹で、多井畑の村長の娘達でした。

本来の名は『もしほ』と『こふじ』といいます。


須磨に『汐汲み』に出たところ・・・天皇の勘気を蒙ったことで、須磨に流罪とされていた『在原行平』と出会い、『松風』『村雨』と名付けられ寵愛されました。

のち、行平は赦免されて都に帰ることになります。

その際・・・『松の木』に形見の『烏帽子』と『狩衣』を掛けて残し・・・


『立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば いま帰り来む』

この時に詠んだ別れ歌です。


『松風』『村雨』の姉妹は尼となり、行平の旧居に庵を結び、彼を偲んだといわれております。


松花雨堂.jpg

『松風村雨堂』 これが、今も残るその庵の跡です。



この物語は室町時代に謡曲『松風』として知られるようになり、浄瑠璃や歌舞伎などにも波及したそうです。


・・といった題材を2本入りに取り入れた、不識斎。深いですね!


さてさて、上記のご説明の中に・・・茶道具にまつわるあれやこれや、が散りばめられております。

これは、席中で遊び放題ですよ~






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【三代 古曽部焼 五十嵐信平 兎香合】惺斎 箱 [国焼(地方窯)]

今回は、レアでファニーな香合のご紹介です。

ただ・・・色と照明と、カメラ・・・なにより、私の写真の技術不足で、本来の魅力の半分も画像に反映されてない、ということを先にお断りしておきます。(^^;




遠州七窯のひとつ、に数えられている『古曽部焼』です。


江戸時代中期の茶人である、小堀遠州(1579~1647年)の好みの物を製作する国焼き窯として、指導を行った窯を七つ数えられており、現代に伝わっております。


〇志戸呂焼(遠江:遠州)

〇膳所焼(近江)

〇朝日焼(山城)

〇赤膚焼(大和)

〇古曽部焼(摂津)

〇上野焼(豊前)

〇高取焼(筑前)



しかし! これらのうち、『赤膚焼』と『古曽部焼』のふたつは、遠州没後の窯ですので、遠州の選定でないことは、歴史的に自明しております。

どうやら、『陶器考』という1854年に田内梅軒(米三郎),によって書かれた書物で言及されたものから、広がった言い方のようです。


『遠州の好みそうな』ものを作っている『窯』という意味であったのでしょう。


赤膚焼と同じく、当時のニーズであった遠方である国焼諸窯の写し物の需要に応えて、古曽部でも高麗風のものなどもありました。


しかし、元々そういう茶道具を中心とした窯ではないのです。

そして、他の窯と一番違う点は・・・・


『古曽部地方のやきもの』でなく、『五十嵐家』の窯のみであったことです。



初代である新平(1750~1829年)は、現在の大阪府高槻市である、『古曽部村』の農家である『五十嵐家』の出身です。

京都にて製陶技術を学び、寛政2(1790)~3(1791)年頃に開窯しました。


基本的には一般庶民に使用される、日常食器を大量に作る為の窯で、わずかに茶人用の茶器製作も行っていたのです。


しかし、全体の内の量は僅かであるにもかかわらず、茶人の中では『古曽部焼』は広く知られ、求められるようになっており、のちには贋物も多く作られるほどであったのです。

先述の遠州七窯としての紹介の影響であったのかもしれませんね。


さて、作品のご紹介です。


古曽部焼 兎香合 (3)-1.JPG


【三代 古曽部焼 五十嵐信平 兎香合】


幅    3.2cm×4.1cm

高さ   4.2cm

製作年代 明治初期頃

箱    惺斎書付  駒沢利斎 箱



よく、茶道具の兎香合でみられるものと・・・全然違いますね。(^^;


まず、白色でない。


次に、立っている。ピーターラビットです。


ピーターラビットもそうですが、野兎で灰色や茶色は別に、ふつうです。

日本ではなぜだか、白のイメージが強いだけです。



古曽部焼 兎香合 (4)-1.JPG


ちゃんと、かわいい口もあります。

まんまるお目目・・・古曽部焼は基本的に、単色釉と鉄絵です。

ここを彫りでの目にしたことで、お目目くりくり感を出しているのです。

鼻の穴まであります。


古曽部焼 兎香合 (5)-1.JPG


『香合』、といえば型物で作られることが多いのですが・・・当作品はそうではありません。


『てびねり』からの削り出しで造形されております。



蓋を開けるとさらに珍しいです。



古曽部焼 兎香合 (6)-1.JPG


鉄絵にて、『松』のような絵付けがされているのです。

古曽部焼 兎香合 (7)-1.JPG



新年のおめでたい意匠に通じます。


このことから、この『兎香合』はおそらく干支の時に、一点ものに近い少量オーダー作品であることが推測されます。


明治8(1875)年ですね。


古曽部焼 兎香合 (8)-1.JPG

絵付けに交じって、『丸に二』のような字が見えるのです。

これは、納め先の屋号であったか、もしくは製作番号であったか・・


古曽部焼 兎香合 (9)-1.JPG


この辺の造りと印は、古曽部焼らしいところです。

三代の印です。


三代五十嵐信平(1833~1882)年

天保4年に二代の子として生まれます。家業をつぎ,古曾部焼を製作した。釉薬を研究し,中国の辰砂風の小器など,各地の陶磁器を模した種々の製品をつくりだした。明治15年10月に50歳にて亡くなられました。

その後、四代へ継承されますが・・・五代のとき、明治末~大正元年頃に廃窯となってしまうのです。


古曽部焼 兎香合 (1)-1.JPG


三代古曽部の頃は、共箱というものはほとんど存在しません。

上記のように、日用品が多かったことと、茶道具はすぐに千家等の箱に仕立てられたため、と推察されます。


この箱は、千家十職である、『駒沢利斎』により作られ、表千家へと送られました。

古曽部焼 兎香合 (2)-1.JPG


表千家家元十二代の惺斎による箱書きです。

筆跡より、明治26年頃と推察されます。


これは手に入れた茶人さんが、香合を大切にする為に後年、書付を求められたものです。


来年・・・2023年の御題が『友』と発表されております。


そして、干支は『兎』でございます。


このかわいい兎をお傍に置いて頂きとぅございます☆




古曽部焼 兎香合 (3)-1.JPG


この、香合の味わい・・を当ブログにて、伝えきれないのが非常に残念、です!

スマートフォンにて撮影した方がまだ色合いが良く映ってるかもです…

コチラ


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是非、実際に手に取ってみて頂きたいと思います。


最初の展示は、明日より開催の丸善書店 日本橋店 3階ギャラリー はんなり骨董楽市となります。


そうぞ、ご高覧下さいませ。





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【はんなり骨董楽市2022】のおしらせ。 [催事]

先日の大美正札会では、お越しいただきました皆様方には大変ご手間&ご迷惑をお掛け致しました。

また、お話出来ず充分なご説明を出来なくて作品のご紹介が至らなかったことは大変残念なことでした。

次は、『十翔会 特別開催版』が9月22(木)・23(金)祝日にございますので、その時にまたお目に掛かれましたら嬉しく思います。



では、次の催事のおしらせです。



はんなりDM表.jpg


『はんなり骨董楽市 2022』


日本橋店 3階ギャラリー 

2022年8月3 (水)~8月9日(火)  
9:30~20:30 (※最終日は15時閉場)

<入場無料>

『京都』『大阪』『金沢』より多数の名品・珍品を御用意しております。
『はんなり骨董楽市』も、今年で第10回目を迎えました。年に一度の『五感』に響く、夏の骨董祭り、皆様のご来訪を心よりお待ち申し上げております。
今回は、特別企画として【特選 入札~涼を感じる骨董~】(前後期入替)コーナーを設けます。こちらもお楽しみに。


はんなりDM裏面.jpg



です!

私は『後期日程』で滞在予定です。

詳しくは直接、メール・お電話を頂けると幸いです。

今回は、当店展示エリアにて皆様へお勧めできる逸品を約50点ご用意しております。

(会場全体では、400点以上でございます)


皆様のご来訪を心よりお待ち申し上げております☆






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【2022年7月】新入荷情報&スケジュールです。 [新入荷]

【7月25日更新 スケジュール追記】



☆6月末からの新入荷情報です☆


続々、新入荷続いております!




◎ 高麗青磁 茶碗

⇒商談中です。



◎江戸前期頃 尾張藩窯 御深井焼 蔓付 茶入 小堀宗慶 箱


※ご成約済みです。



◎江戸後期 三代 豊楽焼 萩釉 鉢 直し有


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萩釉、というより・・・『鵜の斑釉』です。瀬戸釉の窯変で生まれるとてもやわらかで上品な色合いなのです。



◎明時代 交趾 蓮 香合 原尚庵旧蔵

交趾蓮 香合 (5)-2.JPG


※ご成約済みです。




◎明時代末期 芙蓉手 兜鉢

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大変、素晴らしい上がりです! 意匠もけっこう珍しいのです。


※ご成約済みです。



◎大西清右衛門(浄中) 朝鮮風炉 真形切合釜 即中斎 箱


浄中 朝鮮風炉釜 (1)-2.JPG


お客様からのお預かり品です。堂々とした作品です。

丁寧にお使いになられております。 窯の内側は漆と鳴りの修繕を施しましたので、これから永らくお使いいただけます。



◎昭和8(1933)年頃 河井寛次郎 海鼠 六方皿


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釉薬の美しさに、惹かれました。




◎初代 諏訪蘇山 青磁袴腰 大香炉 銀穂屋添


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大きい!のです。幅は14.5cm有ります。



◎村瀬治兵衛 独楽 銘々盆 【10客】


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◎二代 眞葛香山 仁清意雉 香合

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◎大垣昌訓 柿 香合


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質感、抜群です。 内梨子地です。


※ご成約済みです。



◎坂田泥華 萩灰被 瓢花入

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個展作品です。程よい小ささ、なのです。


※ご成約済みです。



◎SONY  ラジカセ CF-1980

こちらは・・・あまり、触れないでください。出来心です。(^^;



◎九代 中川浄益 南鐐 小皿 【10枚】

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幅 9.2cmのちいさな、お皿です。 浄益の花押も刻印されております。



◎北出塔次郎 色絵瓢更紗図 小向 【10客】

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なかなか、のお洒落な器・・・なのです。



◎春秋時代 青銅 鏃(やじり) 【3点】


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約、2500年前(!)のアイテムです。 ちいさくて・・・エッジが効いたフォルムがかわいカッコいいのです☆

⇒はんなり骨董楽市 入札コーナーにて



◎永楽妙全 染付麦藁四方 向付 【9客】


妙全 麦藁向付9 (1)-2.JPG

お得な、九客揃いです。

昨今、値上がりしてしまいましたので・・・[あせあせ(飛び散る汗)]


※売却済み



◎鈴木表朔 花籠蒔絵 黒中棗 鵬雲斎 箱

表朔 花籠蒔絵中棗 (3)-2.JPG


⇒ はんなり骨董楽市 入札コーナーにて。



◎九代 大樋長左衛門 掛分数印 平茶碗 『水月』 即中斎 箱

大樋 掛分平茶碗 即中斎 (3)-2.JPG


出来映え、良しです。数印です。



◎平澤九朗 瀬戸一重口 水指 六十七翁

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久々に、出ました。形状・釉調、申し分なし。しかも共箱です。




◎中山胡民 小倉山 硯箱 狩野栄信 画

胡民 硯箱 (7)-2.JPG


※御成約済みです。




◎古染付 唄 向付 【五客】


古染付 向付 (3)-2.JPG


上がり、も状態、も最高のものです。

ようやく、手に入れることが出来ました。近年では古染付全般の値上がりが続いております。




◎眞葛長造 模礼寶三嶌 馬上盃 共箱 香斎極め外箱

長造 三嶋馬上杯 (5)-2.JPG


※御成約済みです。



◎堂本印象 額 春陽 堂本尚郎極めシール


やや、小さ目の額です。 価格はかわいいものです☆



◎文政元(1818)年 萬古焼 萩写 数茶碗 【10客】

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大変、珍しいものです。作品としても良く・・・今の時代の各服点の濃茶にも最適です。




◎大正時代 川合漆仙 倣交趾臺牛 香合


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※ご成約済みです。


◎幕末期 平澤九朗 瀬戸筒 茶碗 銘 小槌 即中斎 箱

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九朗にしてはめずらしく端正極まりない、お茶碗です。

その半筒形状からの銘でしょうか?


※御成約済みです。


◎長岡空味 古代手 大海茶入 共・十二代極め箱

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これは、珍しい上に・・・なかなか良い作品です。

古楽山の釉薬を模したものです。




◎明治時代 永楽和全(菊谷焼) 団扇形 蓋物 共箱・即全極め箱


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これまた珍しい(このフレーズ、何度目でしょうか[あせあせ(飛び散る汗)])、菊谷焼で焼かれた喰籠です。

団扇形なのもお洒落です。


※ご成約済みです。



◎昭和後期頃 二代 湯浅華暁 桐竹真塗 大棗 而妙斎 箱

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蒔絵の意匠がとても上品です。内側にも『霞』の蒔絵紋様が散りばめられており・・・お洒落なのです。




◎江戸中期頃 任土斎 朱釉 黒茶碗 『稲づま』 不仙斎 箱

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朱釉がとても綺麗に発色した、玉水焼です。直しが1か所と小ほつれがありますが、お茶碗の魅力と希少性が遙かに上回ります。




◎幕末期 堀内不識斎 茶杓二本入『松風』『村雨』

不識斎 茶杓 (5)-2.JPG





◎明治初期頃 三代 五十嵐信平 古曽部焼 兎香合 惺斎 箱

古曽部焼 兎香合 (3)-2.JPG

遠州七窯に数えられる古曽部焼ですが、それはあくまで遠州が好きそうな?やきものの窯であることからの幕末期のカウントとされます。

うつわ系や茶碗などが多いのですが、香合はとても珍しいです。

野兎のようで、かわいいですよ。




◎村瀬玄之 青漆爪紅亀甲 銘々菓子器 【10枚】

玄之 銘々盆 (4)-2.JPG

これまた・・・(自粛)、裏面までおしゃれなのです。張貫師として知られる名古屋の名工です。



◎大正~昭和初期頃 永楽正全 黄交趾 百合鉢

正全 百合鉢 (6)-2.JPG

マイブーム、の小ぶりの鉢シリーズです。この頃の黄交趾の落ち着きのある色がとても良いのです。



◎加藤鈔 黄瀬戸 茶碗 個展出展作

加藤〓 黄瀬戸茶碗 (3)-2.JPG

※丸善のはんなり骨董樂市にて


◎加藤鈔 黒織部 茶碗 個展出展作

加藤〓 黒織部茶碗 (2)-2.JPG

※丸善のはんなり骨董樂市にて



◎永楽即全 乾山写兎草花 平茶碗 鵬雲斎 箱

即全 兎草花平茶碗 (4)-2.JPG

秋にも、そして来年にも☆ お値打ち価格でしょう。

※ご成約済みです。


◎昭和47(1972)年 大仲翠月 達磨 蓋置 七十九翁

翠月 達磨蓋置 (2)-2.JPG

宝漆陶、やきものに蒔絵を施すことで名を馳せた初代の翠月晩年の漆遊びです。

三つ人形・・・でもないのです。


※ご成約済みです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『ベース』は、催事も、新入荷も、多くて…それらをさばくので手一杯の状態です。[冷や汗2]

出張が多いのも…時間が足りない要因ではありますが。


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展示台のひとつは、仕立て済みの新入荷ストック場になっております。


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『豊楽』『九朗』『任土斎』


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『寛次郎』『浄益』



7月のスケジュールです。


  2(土)3(日) 『東美正札会 70周年記念』 @ 東京美術倶楽部

5(火) ベース搬入&外回り

  6 大阪南美術会館 オークション
  7 大阪美術倶楽部 オークション

    午後~ベース営業日

  9~11 名古屋 オークション出張

12  ベース営業日
13 ベース営業日(午前のみ)


  13~14 京都美術倶楽部 オークション 出張

  15(金) ベース営業日

  19 大阪美術倶楽部 オークション
  20 名古屋美術倶楽部 オークション
  21 京都美術倶楽部 オークション

  24(日) ベース営業日 

  26(火) ベース営業日
10時 ご予約(外) 16時 ご予約有

  27(水) ベース営業日
10時半~ご予約有 午後 ×

  28(木) ベース営業日 ご予約有り×

  30(土)31(日)『大美正札会』 
@大阪美術倶楽部


◎来月の予告

8月3(水)~9(火)『はんなり骨董樂市』 @東京日本橋 丸善書店3階ギャラリー

17日 ベース営業日
18日 ベース営業日
19日 ベース営業日 ×予定有り

~名古屋・京都 美術倶楽部オークション出張

22日 ベース営業日

25日 ベース営業日 ×予定有り
26日 ベース営業日
27日 ベース営業日

28~29 金沢美術倶楽部オークション出張

9月2日~4日 『大美特別展』
~香山式4 『遊・華・祭』







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【永楽和全(菊谷焼) 団扇形 蓋物】 [幕末京焼]

永樂和全といえば、激動の江戸から明治への過渡期に、京焼の中心にて活躍した陶工であり、それは近年でいわれるところの・・・『千家十職』という茶道具製作家としてでの『枠』ではなく『京焼』を代表する立ち位置であったのです。

その製作時期は以下のように4期に分類出来ます。

京焼の代表格でありながら・・・明治維新の苦節の中で、京都以外へ招聘され、腕を振るい続けた人生であったことがうかがえます。



【御室窯】時代 嘉永6(1853)~慶応2(1866)年

仁清窯跡の地に、永樂家初の本窯を持つに至る。義弟の宗三郎と共に活動。


【九谷窯】時代 慶応2(1866)~明治3(1870)年

大聖寺にて、金襴手や赤絵を中心とした磁器製作技法の改良に招聘される。


~帰京、姓を『永樂』に改姓。明治4年に善一郎を名乗り家督を得全に譲る。



【岡崎窯】時代 明治5(1872)~明治10(1877)年


赤絵の技術を伝える為だといわれますが、良質な作品の製作に及ばず、また永樂家自身の困窮の時代でもありました。

~帰京時代 油小路一条に居す。


【菊谷窯】時代 明治15(1882)~明治29(1896)年

東山高台寺近くに移転し、新たに開窯。



和全の特徴といえば、金襴手磁器と侘びた仁清・菊谷につきます。


特に、晩年の『菊谷焼』にはみるべきものが多いと感じるのです。


そんな、希少な菊谷焼の中でも・・珍しい一品です。



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【永楽和全(菊谷焼) 団扇形 蓋物】


幅    16.4cm 

高さ   7.8cm

高台径  8.7cm

製作年代 明治15(1882)~29(1896)年頃

共箱 永樂即全極め外箱




菊谷焼は、下河原町鷲尾街にて、和全が居と共に築いた窯です。


岡崎より帰京後は、三井家との交流が深まり・・・永樂家の困窮状態から脱したようです。


明治16年頃より耳が遠くなった和全に『三井高朗』が『耳聾軒目通』の号を送られております。

この頃、再び三井家の注文による製作が多くなります。


菊谷焼 団扇蓋物 (6)-1.JPG


円形の喰籠(蓋物)です。


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片口のようになってる部分は、実は意匠です。


菊谷焼 団扇蓋物 (8)-1.JPG


真上から見ると・・・『団扇』です。


描かれているのは・・・尾形光琳の描いた紋様でいうところの、『光琳菊』です。


菊谷焼 団扇蓋物 (13)-1.JPG


光琳菊は万寿菊、饅頭菊ともいい、菊の花を饅頭のように丸い形に簡略化して描いたものです。

別名として長寿を意味する「万寿」を呼ばれます。


菊谷焼 団扇蓋物 (12)-1.JPG



連日、夏のうだるような暑さが続いております・・旧暦ではまだ6月、『水無月』です。

やはり旧暦の方がしっくりきますね。(^^;

団扇は、まだまだ必要な気候です。



菊谷焼 団扇蓋物 (9)-1.JPG


外の荒い味わいに対して、内側は白く綺麗に仕上がっており、お菓子等が映えるようになっております。


菊谷焼 団扇蓋物 (10)-1.JPG


菊谷焼に押される、『菊谷 (繭印)』は『三井高福』の書といわれております。

菊谷焼そのものの、誕生とコンセプトには三井家の関与が大いにあったことと推察されております。


それ故にか、茶碗などよりも・・・懐石道具に類するものが中心に製作されていた節、がございます。


菊谷焼 団扇蓋物 (4)-1.JPG


共箱


菊谷焼 団扇蓋物 (2)-1.JPG

菊谷焼 団扇蓋物 (3)-1.JPG


極め外箱は、16代の即全によるものです。

菊谷焼は、三井家を中心とし顧客層を限定して伝世していたようで・・・かなり珍重されるやきものでありました。

それが関係しているのでしょうか、かつては現在ほどは作品を目にすることも、共箱もあまり知られておらず・・・即全時代に、世に出る際には極め箱を作られたケースが多くなっております。


菊谷焼 団扇蓋物 (5)-1.JPG


菊谷焼の特徴である、荒い胎土に乾山・光琳を強く意識した意匠を、民芸風との絶妙な境目を漂いつつ・・・あくまで、京焼の雅さを忘れない、という作風は見る者に等しく好感をもたらします。



旧暦7月は、2022年の新暦では7月29日~8月26日にあたります。

文月(ふづき、ふみづき)と呼ばれ・・・7月7日(今年の新暦では8月4日です。)の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝したりする風習があるからと伝わります。

七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので元来の日本のものではなく、その月の名の由来としては稲の穂を含む月(8月末~9月)であることから「含み月」「穂含み月」(ふみづき)となったのでは?とも云われるようです。


『七夕に、団扇を仰ぎながら・・・文に興じ、菊の花が見えだす時節』・・と旧暦だとバッチリな意匠なのです。


古代中国で生まれ、7世紀頃から日本で使われていた『太陽太陰暦』(旧暦)は改良が続けられ・・・天保15年からは『天保暦』が普及しておりました。

明治6年には海外を意識して、準備期間もなく・・いきなり、『グレゴリオ暦』(新暦)に移行されてしまうのです。

人々の感覚、そして実際の気候も含めて、やはり日本人には旧暦が合ってるような気がしてなりません。

お道具、はその生まれた『時代背景』も一緒に考えると、また一興なのです。




(私も今年から『旧暦カレンダー』なるものを使っておりますが、なかなか勉強になって面白いですよ☆)



※ご成約済みです。



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【平澤九朗 瀬戸一重口 水指】 六十七翁

『藤井香雲堂 好み物集』・・・などというものがあるならば、外せないのが『平澤九朗』です。


九朗は、禄高400石の尾張徳川家の藩士でした。

御目付、美濃高須藩 番頭等を歴任したあと・・・文化11(1814)年に隠居し、茶の湯と作陶に没頭します。

有楽流の茶を嗜み、名古屋市内の『養老園』に『今昔庵』『舊庵』(きゅうあん)と名付けた茶室にて茶事を愉しむ一方、作陶用の窯も築いておりました。

知己の茶人の用に応えた作品を多く送り出し、その人気から『九朗焼』として珍重されることとなるのです。

(それには、加藤春岱の存在も欠かせないのですが・・・それはまた、別のお話です。)

その実力は高く評価され、徳川斎荘公率いる『御深井焼』にも深く携わりました。


九朗の代表作のひとつ、がこの『一重口水指』です。



九朗 瀬戸一重口水指 (5)-1.JPG



【平澤九朗 瀬戸一重口 水指】



幅  15.3cm

高さ 14.9cm

製作年代 天保8(1838)年頃

共箱 六十七翁 




『瀬戸』というのは『六古窯』の中でも筆頭に挙げられる窯です。


平安・鎌倉より現代まで継続している窯を、『六古窯』と称されており・・・瀬戸は鎌倉時代に北条家の庇護の元、高級なやきものとして扱われてきました。


中世では、唯一の『施釉』のやきものであるのも特徴です。


『国内施釉水指の原点』として基本の水指となっているのが『瀬戸一重口水指』なのです。

九朗 瀬戸一重口水指 (6)-1.JPG



九朗水指の中でも、非常に端正な上がり、となっております。

瀬戸の釉薬は、酸化鉄の割合や焼成温度により、様々な顔を魅せるのです。


九朗 瀬戸一重口水指 (7)-1.JPG


こちらは、反対側の景色です。


九朗 瀬戸一重口水指 (8)-1.JPG


口造りです。


塗蓋、は後年に作り直されております。


九朗 瀬戸一重口水指 (9)-1.JPG


内側もしっかり造られておりますね。


九朗 瀬戸一重口水指 (10)-1.JPG


『く』の箆による銘です。


九朗の本名は『一貞』といい、通称として『清九朗』と呼ばれておりました。

作陶の号が、『九朗』なのです。


九朗 瀬戸一重口水指 (1)-1.JPG


九朗 瀬戸一重口水指 (2)-1.JPG

共箱 (甲)


九朗 瀬戸一重口水指 (3)-1.JPG


共箱 (裏)


六十七翁、と記されておりますので、天保8年頃というのが分かります。


1838年・・・『大塩平八郎の乱』が起こった年で、のちの徳川家最後の将軍となった・・・『一橋慶喜』が生まれた年でもあります。


比較的、永らく平穏であった…江戸時代にも暗雲が垂れ込めてきた時代背景でありました。



九朗 瀬戸一重口水指 (5)-1.JPG



裏千家流では、行台子に必ず使われる水指でもあります。

『運び』の水指として・・・『置き』にも『棚』にも合わせやすい水指なのです。






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【眞葛長造 模礼寶三嶌 馬上盃】 共箱 香斎極め外箱 [幕末京焼]

『長造』の酒器は久しぶりかもしれません。


しかも、時代の主流に反して?たっぷりサイズの盃。

これは、『飾り応え』も『呑み応え』もばっちりの作品です。


では、ご紹介致しましょう。


長造 三嶋馬上杯 (5)-1.JPG



【眞葛長造 模礼寶三嶌 馬上盃】


幅  8.2cm 

高さ 6.5cm

製作年代 1800年代前半頃

共箱 香斎極め外箱





『礼寶三嶌』(れいひんみしま)を模して造られております。


朝鮮半島へ日本の使いとして渡った際に、朝廷への献上物として賜った器物に礼寶三嶌があります。

そういうものですから、大変上質なやきものであったうようです。


長造 三嶋馬上杯 (6)-1.JPG



長造 三嶋馬上杯 (7)-1.JPG


茶碗等が多い礼寶三嶌を盃として作品に落とし込んでおります。


長造 三嶋馬上杯 (8)-1.JPG

白土にて緻密な象嵌が為されております。


この頃・・・他の京焼名工たちも、三島に挑戦しておりますが、やはりそれぞれの個性というものは出るもので。

見慣れてきますと、区別が付いて参ります。

長造のは、やはり元が仁清等の艶やかなものが中心であったせいか・・・侘びの中に綺麗なすっきりな印象があるような気がするのです。


長造 三嶋馬上杯 (9)-1.JPG

サイズがたっぷりなのですが、『持ち手』もしっかり作られており・・・また、絶妙な重量感にて、置いてもしっかり安定します。


長造 三嶋馬上杯 (10)-1.JPG


後期になると、印は高台内に押される事も多いのですが・・・長造の初期作品であるこれには、ちょっと凝った『ひねり』がございます。


長造 三嶋馬上杯 (11)-1.JPG


見えにくいのですが、高台脇に・・・象嵌にて、印があるのです!


仁阿弥なんかが、よくやる手法ですね。


長造 三嶋馬上杯 (3)-1.JPG


長造が独自に開窯して、製作し始めた初期の作品です。


長造 三嶋馬上杯 (4)-1.JPG


長造 三嶋馬上杯 (2)-1.JPG

共箱の他に、5代目の京都 真葛香斎の極め外箱も添います。


長造 三嶋馬上杯 (5)-1.JPG


『馬』は、江戸時代迄は・・・今でいうとことの『車』と同じく、男性のあこがれのアイテムです。

馬上杯茶碗は、実際に馬上で喫する為に生まれたものですが・・・盃は、その形状自体を愉しんだり、馬への想いを募らせて大いに語ったり、したのでしょう。


その形状は、奇しくも・・・長造が世を去った数年後に訪れる、『明治』の世で…日本でも、広まっていく『ワイン』等の洋酒のうつわとして、馴染まれていくフォルムなのです。


馬上杯としては縦横比がおかしく、『盃としての用』を狙って作られた作品が、新時代への流れに合致したというのも、面白い、のです。





眞葛長造 

寛政9年(1797)~万延元年(1860)

青木木米の弟子で後、真葛ヶ原にて窯を開く。観勝寺安井門跡より「真葛」の号を賜り晩年華頂宮より「香山」の号を頂く。

江戸後期において仁清・乾山の再来というべき京焼伝統の継承者であり、特に藁灰釉によるといわれる独特の風合は長造特有であり、雅味溢れる作風で京焼の代表格の一端を担う。

眞葛焼の祖。



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【抱桶 水指】 [茶道具]


新暦の7月・・・ちょっとまだ梅雨?というような雨も挟みつつ・・・大変湿度・気温の高い日が続いております。旧暦では、未だ『水無月』です。


2022年は6月29日~7月28日が水無月の旧暦6月にあたります。


水無月の『無』は『の』を指しまして、『水の月』という意味にもあたるようです。


田植えの時期でもあり・・・『水』というのもが様々なものに命を与え、また様々なことが生み出され、始まる・・・という風に感じられるものなのです。

とはいえ、実際の気候としては、梅雨が終わって日照りが続いて『水が無いな~』というシンプルな感じ方も、またしかり、ですね。(^^;


今回、ご紹介するお道具ですが、『水』をとても感じられるものです。



抱桶水指 (10)-1.JPG


【抱桶 水指】


幅  16.5cm

高さ 19.5cm

製作年代 江戸時代後期頃





抱桶・・・『だきおけ』と読みます。



抱桶というものは、水を入れて手許に置い暑さをしのぐために、抱いたものであるといいます。

確かに、涼しい感じがします!


本歌・・・・というか、元の有名なものは、『書院茶道』が中心であった、鎌倉時代の足利義政が所持し、転用・使用して台子に合わせたものです。

南蛮毛織で、産地であるインドのムガール帝国の名をモールと訛ったことによるといわれ、染織品の名称であったものでしたが、金属を使用したものでも毛織(モール)と称するようになりました。


この有名なものは、足利義政が所持したものと伝えられ、のちに三条西実隆が藪内宗把にこれを譲り、その後、子が居なかった為、利休へと伝わります。

利休から再び藪内家の剣仲が引き継ぎ、燕庵名物として六代比老斎まで伝来したが、西本願寺文如上人に贈られ、以後は本願寺に伝えらましたが、のちに売り立てにより世に出てしまうことになりました。


さて・・その後、『草庵茶』へと移行し、台子中心から変化を遂げていった茶道の中で、抱桶水指は『涼』を感じさせるお道具として、マニアックながらも伝わり続けたのです。


抱桶水指 (4)-1.JPG

『モール』のお道具らしく、『打ち出し』により丁寧に形成されております。


抱桶水指 (5)-1.JPG


ディティールも、非常に端正に。


抱桶水指 (6)-1.JPG


蓋との合口もしっかりしており、軽やかながらも『ぴっちり』、合体します。


抱桶水指 (7)-1.JPG


状態は、大変良い方です。


抱桶水指 (9)-1.JPG


底部です。


抱桶水指 (1)-1.JPG

伝世箱


抱桶水指 (2)-1.JPG




古代中国の端を発するの『五行説』というものがあります。

『相生』と『相剋』という二つ関係性があり・・・よく『相性がいい』といいますが、それは五行『相生』のことです。


『五行相性』をみてまいりましょう。


◎『木生火』(木は火を生ず)

木が燃えて火となり、木と木が擦り合わされて火となって燃えさかるという関係 (木→火)


◎『火生土』(火は土を生ず)

火が燃えたあとには必ず灰が残る。灰とはすなわち土のことです。
漢民族 が住みついた黄河流域は、文字通り一面の黄土と黄塵と黄色の濁流です。その黄土とグレイの灰とを同一視し、灰を土と考えたのです。(火→土)



◎『土生金』(土は金を生ず)

土が集まって山となり、山から鉱物(金属)が産出するという関係 (土→金)


◎『金生水』(金は水を生ず)

鉱物(金属)は腐蝕して水に帰り、また溶融すれば液体(水)になるという関係 (金→水)


◎水は木を生ず 『水生木』(水は木を生ず)

水を養分として木が生育する姿を示す (水→木)




この中からも、『金属』と『水』というのは深い関係にあり、相性がいいものなのです。


抱桶水指 (3)-1.JPG



古(いにしえ)、の見立て道具というのも、深い意味も含めて大切に使われてきたものなのでしょう。


7月7日の『小暑』も過ぎ、『暑中』になりました。


涼しげなお道具にて、『暑中見舞い』申し上げます☆





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