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加藤春岱 織部手付 鉢 [おもろいで!幕末尾張陶]

サントリー美術館で11月迄開催されておりました、美濃焼の一大展観・・・タイトルの「しびれるぜ!桃山」、大人気の内に閉幕したらしいです。

私も出張の合間に駆け足で覗いてまいりましたが・・それはもうすごい物量とクォリティでした。

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とはいえ、その価値は高まる一方で、もはや一般の茶人様方のみならず我々一般の美術商でも扱えない価格帯です。(+_+)

そんな中で、私なんかが常々申し上げておりますのが・・・「おもろいで!幕末尾張陶」

幕末京焼ほど高価でなく、尾張徳川藩により非常に高品質(または味わい深い)な作品のバリエーションが茶陶を中心に揃っているのです。

今回は、瀬戸の近世屈指の名工と云われる、「加藤春岱」作品の御紹介です。

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加藤春岱 織部手付 鉢

幅(対角最大)29㎝ (面幅)23㎝ 高さ(取っ手含む) 19.3㎝

19世紀後半

江戸時代、尾張藩の御用品を焼成した御窯屋として御三家・・・「加藤唐三郎」「加藤仁兵衛」「加藤太兵衛」がありました。

そのうちの、赤津の仁兵衛家で享和2年に誕生したのが春岱です。

15歳で十二代として仁兵衛家を継ぎ、名古屋城内の御深井焼にも従事しました。

その技術力でおおいに活躍し、嘉永3年(1850)に十四代尾張藩主 慶勝から春岱の号を賜りましたが、翌年に藩の咎めを受けて家督を息子へ譲り隠居。美濃国今尾にて開窯。
この時期にのびのびとした環境の元、さらなる制作活動に邁進します。

安政2年(1855)に許しを得て再度家督を継いで仁兵衛家十三代となり、御深井焼へ奉仕しました。

平澤九朗の元にも長らく滞在し、一緒に作陶活動もしており九朗作といわれるものの中にも春岱の手による作品が多いといわれます。

あらゆる作風に長け、その作品は瀬戸近世屈指の名工と云われました。

廃藩後も作品を遺しましたが、明治10年3月18日76歳にて永眠し、それを以て仁兵衛家は絶えてしまう事になりました。


作品紹介に戻ります。

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古織部を思わせる格調のある、堂々とした作行です。

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取っ手やその付け根の造形も中々です。

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反対側の意匠は、また異なります。

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上から。

たっぷりとしたサイズですが、手付きでありますのでこのくらいの方がお菓子やお料理を取り上げしやすいのです。

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「春岱」銘です。

春岱窯跡出土例の印です。

春岱は、明治期でもかなり人気が高く、当時より贋作が横行しておりました。
ですので、中には100年近く経ってるものもあり、それなりに時代感も出てしまっております。
しかし、作行はもちろん印影ははっきりと異なりますので、現在では判別可能となっておりますが、過去には書付物などで曖昧なものが多数流通してしまっております。

今のようにはっきり資料などが揃っていない時ですから仕方が有りませんね。(^^;


菓子器はもちろん、懐石の預け鉢にも最適です。

※御成約済みです。

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