【眞葛長造 模礼寶三嶌 馬上盃】 共箱 香斎極め外箱 [幕末京焼]
『長造』の酒器は久しぶりかもしれません。
しかも、時代の主流に反して?たっぷりサイズの盃。
これは、『飾り応え』も『呑み応え』もばっちりの作品です。
では、ご紹介致しましょう。
【眞葛長造 模礼寶三嶌 馬上盃】
幅 8.2cm
高さ 6.5cm
製作年代 1800年代前半頃
共箱 香斎極め外箱
『礼寶三嶌』(れいひんみしま)を模して造られております。
朝鮮半島へ日本の使いとして渡った際に、朝廷への献上物として賜った器物に礼寶三嶌があります。
そういうものですから、大変上質なやきものであったうようです。
茶碗等が多い礼寶三嶌を盃として作品に落とし込んでおります。
白土にて緻密な象嵌が為されております。
この頃・・・他の京焼名工たちも、三島に挑戦しておりますが、やはりそれぞれの個性というものは出るもので。
見慣れてきますと、区別が付いて参ります。
長造のは、やはり元が仁清等の艶やかなものが中心であったせいか・・・侘びの中に綺麗なすっきりな印象があるような気がするのです。
サイズがたっぷりなのですが、『持ち手』もしっかり作られており・・・また、絶妙な重量感にて、置いてもしっかり安定します。
後期になると、印は高台内に押される事も多いのですが・・・長造の初期作品であるこれには、ちょっと凝った『ひねり』がございます。
見えにくいのですが、高台脇に・・・象嵌にて、印があるのです!
仁阿弥なんかが、よくやる手法ですね。
長造が独自に開窯して、製作し始めた初期の作品です。
共箱の他に、5代目の京都 真葛香斎の極め外箱も添います。
『馬』は、江戸時代迄は・・・今でいうとことの『車』と同じく、男性のあこがれのアイテムです。
馬上杯茶碗は、実際に馬上で喫する為に生まれたものですが・・・盃は、その形状自体を愉しんだり、馬への想いを募らせて大いに語ったり、したのでしょう。
その形状は、奇しくも・・・長造が世を去った数年後に訪れる、『明治』の世で…日本でも、広まっていく『ワイン』等の洋酒のうつわとして、馴染まれていくフォルムなのです。
馬上杯としては縦横比がおかしく、『盃としての用』を狙って作られた作品が、新時代への流れに合致したというのも、面白い、のです。
眞葛長造
寛政9年(1797)~万延元年(1860)
青木木米の弟子で後、真葛ヶ原にて窯を開く。観勝寺安井門跡より「真葛」の号を賜り晩年華頂宮より「香山」の号を頂く。
江戸後期において仁清・乾山の再来というべき京焼伝統の継承者であり、特に藁灰釉によるといわれる独特の風合は長造特有であり、雅味溢れる作風で京焼の代表格の一端を担う。
眞葛焼の祖。
※御成約済みです。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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しかも、時代の主流に反して?たっぷりサイズの盃。
これは、『飾り応え』も『呑み応え』もばっちりの作品です。
では、ご紹介致しましょう。
【眞葛長造 模礼寶三嶌 馬上盃】
幅 8.2cm
高さ 6.5cm
製作年代 1800年代前半頃
共箱 香斎極め外箱
『礼寶三嶌』(れいひんみしま)を模して造られております。
朝鮮半島へ日本の使いとして渡った際に、朝廷への献上物として賜った器物に礼寶三嶌があります。
そういうものですから、大変上質なやきものであったうようです。
茶碗等が多い礼寶三嶌を盃として作品に落とし込んでおります。
白土にて緻密な象嵌が為されております。
この頃・・・他の京焼名工たちも、三島に挑戦しておりますが、やはりそれぞれの個性というものは出るもので。
見慣れてきますと、区別が付いて参ります。
長造のは、やはり元が仁清等の艶やかなものが中心であったせいか・・・侘びの中に綺麗なすっきりな印象があるような気がするのです。
サイズがたっぷりなのですが、『持ち手』もしっかり作られており・・・また、絶妙な重量感にて、置いてもしっかり安定します。
後期になると、印は高台内に押される事も多いのですが・・・長造の初期作品であるこれには、ちょっと凝った『ひねり』がございます。
見えにくいのですが、高台脇に・・・象嵌にて、印があるのです!
仁阿弥なんかが、よくやる手法ですね。
長造が独自に開窯して、製作し始めた初期の作品です。
共箱の他に、5代目の京都 真葛香斎の極め外箱も添います。
『馬』は、江戸時代迄は・・・今でいうとことの『車』と同じく、男性のあこがれのアイテムです。
馬上杯茶碗は、実際に馬上で喫する為に生まれたものですが・・・盃は、その形状自体を愉しんだり、馬への想いを募らせて大いに語ったり、したのでしょう。
その形状は、奇しくも・・・長造が世を去った数年後に訪れる、『明治』の世で…日本でも、広まっていく『ワイン』等の洋酒のうつわとして、馴染まれていくフォルムなのです。
馬上杯としては縦横比がおかしく、『盃としての用』を狙って作られた作品が、新時代への流れに合致したというのも、面白い、のです。
眞葛長造
寛政9年(1797)~万延元年(1860)
青木木米の弟子で後、真葛ヶ原にて窯を開く。観勝寺安井門跡より「真葛」の号を賜り晩年華頂宮より「香山」の号を頂く。
江戸後期において仁清・乾山の再来というべき京焼伝統の継承者であり、特に藁灰釉によるといわれる独特の風合は長造特有であり、雅味溢れる作風で京焼の代表格の一端を担う。
眞葛焼の祖。
※御成約済みです。
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2022-07-15 22:50
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