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【平澤九朗 瀬戸一重口 水指】 六十七翁

『藤井香雲堂 好み物集』・・・などというものがあるならば、外せないのが『平澤九朗』です。


九朗は、禄高400石の尾張徳川家の藩士でした。

御目付、美濃高須藩 番頭等を歴任したあと・・・文化11(1814)年に隠居し、茶の湯と作陶に没頭します。

有楽流の茶を嗜み、名古屋市内の『養老園』に『今昔庵』『舊庵』(きゅうあん)と名付けた茶室にて茶事を愉しむ一方、作陶用の窯も築いておりました。

知己の茶人の用に応えた作品を多く送り出し、その人気から『九朗焼』として珍重されることとなるのです。

(それには、加藤春岱の存在も欠かせないのですが・・・それはまた、別のお話です。)

その実力は高く評価され、徳川斎荘公率いる『御深井焼』にも深く携わりました。


九朗の代表作のひとつ、がこの『一重口水指』です。



九朗 瀬戸一重口水指 (5)-1.JPG



【平澤九朗 瀬戸一重口 水指】



幅  15.3cm

高さ 14.9cm

製作年代 天保8(1838)年頃

共箱 六十七翁 




『瀬戸』というのは『六古窯』の中でも筆頭に挙げられる窯です。


平安・鎌倉より現代まで継続している窯を、『六古窯』と称されており・・・瀬戸は鎌倉時代に北条家の庇護の元、高級なやきものとして扱われてきました。


中世では、唯一の『施釉』のやきものであるのも特徴です。


『国内施釉水指の原点』として基本の水指となっているのが『瀬戸一重口水指』なのです。

九朗 瀬戸一重口水指 (6)-1.JPG



九朗水指の中でも、非常に端正な上がり、となっております。

瀬戸の釉薬は、酸化鉄の割合や焼成温度により、様々な顔を魅せるのです。


九朗 瀬戸一重口水指 (7)-1.JPG


こちらは、反対側の景色です。


九朗 瀬戸一重口水指 (8)-1.JPG


口造りです。


塗蓋、は後年に作り直されております。


九朗 瀬戸一重口水指 (9)-1.JPG


内側もしっかり造られておりますね。


九朗 瀬戸一重口水指 (10)-1.JPG


『く』の箆による銘です。


九朗の本名は『一貞』といい、通称として『清九朗』と呼ばれておりました。

作陶の号が、『九朗』なのです。


九朗 瀬戸一重口水指 (1)-1.JPG


九朗 瀬戸一重口水指 (2)-1.JPG

共箱 (甲)


九朗 瀬戸一重口水指 (3)-1.JPG


共箱 (裏)


六十七翁、と記されておりますので、天保8年頃というのが分かります。


1838年・・・『大塩平八郎の乱』が起こった年で、のちの徳川家最後の将軍となった・・・『一橋慶喜』が生まれた年でもあります。


比較的、永らく平穏であった…江戸時代にも暗雲が垂れ込めてきた時代背景でありました。



九朗 瀬戸一重口水指 (5)-1.JPG



裏千家流では、行台子に必ず使われる水指でもあります。

『運び』の水指として・・・『置き』にも『棚』にも合わせやすい水指なのです。






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      藤井香雲堂
 

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