SSブログ

《ウィズコロナモード》  [BASE215]

全国で自粛解禁がスタートしており、東京などでも6月1日より再開のことろも多いことと存じます。

しかし、早くも第2派の足音も迫ってきている報道もあり・・・果たして?というところです。

美術業界も、暴れん坊なところは5月もオークションをしていたようですが、ほとんどがクローズしておりました。

しかし、6月上旬より徐々に・・・対策を講じての開催に踏み切る動きが大半です。

大阪美術倶楽部でも、臨時理事会が何度も開催され・・・おそらく、リアル競り市としては一番大層な対策を行っての再開を目指して居るところです。

さて、当ベースの方ですが。


preview (1)_copy_439x614.png

4月8日~の対策としてこのようなご案内をお出ししましたが、その4月8日から”全国緊急事態宣言”発令となってしまい、それどころではなくなってしまいました。

4月8日~5月31日迄、ほとんどベースではオンライン活動を中心とした、事務作業や撮影、梱包発送等に追われておりました。

7月下旬迄、店外催事が無いことが確実となっておりますので・・・あと2カ月弱はベースを中心とした活動となります。


◎ベースは、今後もオンライン活動中心となり、『事前予約制』でのみの御来客を承ります。

(6月よりオークション出張も11日間程予定しております)

但し、入居させて頂いております大阪南美術会館の方針に準拠して以下のコロナ対策をお願いすることとなります。



1:必ず、ご来訪の際には事前のご連絡をお願い申し上げます。

ベースはお部屋での”個別応対”ですので、お客様が”重複することを避ける”のと、時間や日の間隔を取ることも”モノ感染”対策としての対処を講じる方向でございます。



2:お客様の”検温”と、”マスク着用”のお願い。

当方の方でも極力の除菌や換気は行いますが、不特定人数の往来のあるビルであることと、モノ媒介の感染も可能性がありますので、持病のおありになる方や御高齢の方は、くれぐれもご自身の健康を大事にお考えいただければ幸いです。



3:呈茶でのおもてなしについて

大変心苦しいのですが・・・お客様からのご意見も伺いまして、当面は呈茶でのおもてなしは控えさせていただきたく思います。



4:デリバリー(?)のご案内

ご興味のおありになる作品を、ご自宅やご指定の場所にてご覧頂くことも可能ですのでご気軽にお申し出くださいませ。



まだまだ、予断を許さない状況ではありますが、出来る限りの範囲で楽しんで頂けるように続けてまいりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


Yahoo!オークションでも、常時15点程の出品をしておりますので、そちらからもお求め頂けるようにご紹介しております。

基本的には、当ブログ・・・JFKの方が情報発信は先行致しますので、こちらの方も変わらずご贔屓にお願いいたします☆



nice!(0)  コメント(0) 

《古赤膚焼》【隅切四方 手塩皿】10枚×3組 [食の器]

シンプルながらも・・・嫌いな人が居ないという珍しいやきもののひとつに、赤膚焼というものがあります。

奈良絵を施されたものがイメージされますが、釉薬だけのものも人気があります。

やや赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛けた、どこか寛永の京焼の繋がりを思わせるものです。

今回は、赤膚焼の約150年程前の作品の器です。


DSC02664-1.jpg

古赤膚焼 隅切四方 手塩皿 幅7.8㎝ 高さ2.8㎝


やわらかい赤膚釉で、四隅をくにゅっと曲げてアクセントを付けたものです。

しかし底面はきちんと取られており、いろんな使い方が出来ますね。

DSC02663-1.jpg

DSC02665-1.jpg

全然、使われてない状態で綺麗なまま伝世しております。


DSC02668-1.jpg


10枚組 で3組ご用意ございます。 


DSC02673-1.jpg

全部並べると壮観です。。。


赤膚焼は天明6年(1786)大和郡山藩主・柳沢保光の保護を受け、信楽の陶工である弥右衛門により4年間作陶されました。

そして、住吉屋により本格窯として、寛政元年(1789年)五条村赤膚山に藩窯の登り窯が作られ、京都の五条坂より陶工・丸屋治兵衛が呼ばれて焼成され、その功績から・・・保光から名字「井上」と「赤膚山」の窯号と「赤ハタ」の銅印を与えられ、赤膚焼が確立されました。
しかし、保光の没後は民窯に戻ってしまします。

赤膚焼で有名な奥田木白は、元は保光の周辺に集まった文化人たちのひとりでありましたが、陶工へと転身し、天保7年(1836年)西大寺奉納楽焼茶碗を製作。
嘉永3年(1850年)頃には名工として知られ、幕末期に赤膚焼の名前を広めました。
京焼の技術を取り入れ発展させ、現在へ繋がる赤膚焼の礎を確立しました。

赤膚焼は遠州七窯の一つであり、確固たる人気がありましたが・・・「東の窯」「中の窯」「西の窯」と呼ばれる3つの窯に分かれ、盛んになりましたが・・結局、3つとも明治の終わりまでには途絶してしまいました。
その後、昭和期に古瀬家が「中の窯」を復興させ、そこから再び赤膚焼が広がることとなります。

今回の作品は、中絶前の最後の時期の赤膚焼となります。

赤土・萩釉・「赤ハタ」勾玉印と3拍子揃った優品です。

お値打ち価格ですので、是非お問い合わせくださいませ☆

DSC02675-1.jpg



※ご成約済みです。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

nice!(0)  コメント(0) 

3代藤井香雲堂作 乾山意・・? YF-23 [ひとりごと。]

コロナ自粛?期間中・・・ベースでのひたすら、撮影と作文とパソコン作業といったデスクワークのさなか・・・気分転換に、この25年の間に2度目の(前回は5年前)、模型製作なんぞをしてみました。(^^;

外国産のプラモデルであったことでの苦労と、老眼や動かない手、に苦労しました。。。


DSC02695-1.jpg

YF-23

1990年に初飛行した、テスト機で・・・のちに米軍の主力機となったF-22ラプターとの開発競争に敗れたことで、2機のみが存在します。

ラプターは、実験演習でたった1機で144機を仮想撃墜するといった世界最強の戦闘機で知られますが、このYF-23はそれよりも性能が上回っていたそうです。

DSC02699-1.jpg

整備性等の問題で正式採用がされなかったようですが、ステルス性も速度力も優れた機体の美しさは30年経った今でも色褪せません。


今日のブログはこんなので、すみません。(^^;

nice!(0)  コメント(0) 

眞葛香山(宮川香山)二代作 【乾山意牽牛花 四方鉢】 [眞葛香山]

緊急事態宣言が、ようやく全国解除になりました。

自粛期間中に・・・季節は春から初夏へ移り変わり、ひきこもりからいきなり外出となった私たちと同じように気候もいきなり、で体調を崩しがちです。

皆様、熱中症対策はくれぐれも。(^^;

6月~8月使いの香山作品の御紹介です。


DSC01118-1.jpg


二代 眞葛香山 乾山意牽牛花 四方鉢

サイズ 幅 18.5㎝ 口径 16㎝ 高さ 8.3㎝



牽牛花・・・・けんぎゅうか。


アサガオのことを指すコトバです。


その昔、朝顔の種は生薬として重宝されておりました。

高価なものだったらしく、中国では生活にとって一番大事とされる”牛”と交換されていたそうです。

牛を牽いて薬をもらいにいったことから、アサガオの種は牽牛子(けにごし、けんごし)と呼ばれ、ひいては、朝顔の花を牽牛花と呼ぶようになったというとで。

初代や2代の香山が活きていた時代は、まだまだ文人的な趣向が重んじられておりましたので、ネーミングも意匠の取り方も、味わいがあり・・・受け取る側の教養も求められます。(苦労してます)


DSC01119-1.jpg


口は四方ですが、下部は丸となっており、轆轤による形成からの歪みと、箆削りの仕上げで、なかなかの見所です。

DSC01120-1.jpg

反対側より。

DSC01121-1.jpg

乾山の意識した書き銘と、鉢以上の大きさの物に使用される押し印の瓢箪大印です。

土、も良いですね。 しっかりと精製されてます。

DSC02692-1.jpg



DSC01114-1.jpg

DSC01116-1.jpg

大正時代後期の作品です。

しかし、この箱書きと作品は初代時代晩年からの重複・継続となり、二代の関与が大きかった技法でもあります。

香山の乾山釉は本当に良く・・・飽きが来ません。


朝顔、牽牛花・・・は、もうひとつ繋げられるものがございます。


七夕、です。

彦星と織姫が年に一度だけ、天の川を渡って1日だけ会えるお話。

中国の物語から由来するのですが、”彦星”は牛を飼う若者=牽牛から取られております。

旧暦では七夕は8月、となり朝顔の時節ともぴったり、なのです。


色んな趣向で楽しめそうです。


DSC02691-1.jpg


5つ、盛りが出来るように底面がフラットに広くとられておりましたが、3つだけ盛ってみました☆

朝顔をイメージするような色合いのお菓子も良かったのですが、まだ自粛解除後は生菓子も店頭に豊富ではなく・・・たねやさんのよもぎ饅頭にしてみました。


5つ盛り用として6つ買ってきましたので早速食べちゃいましょう~




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
nice!(0)  コメント(0) 

《OL:05》 【石田陶春 丹波茶入】 三ツ入り箱 替仕覆付 [ONEGORO LINE]


六古窯の丹波焼 茶入です。

陶春の作でも、千家系書付を予定された作品は出来栄えと、設えが別格となります。

DSC02449-1.jpg


石田陶春 丹波茶入 三ツ入り箱 替仕覆付 サイズ 口径 2.5㎝ 胴径 6.9㎝ 高さ 9㎝ (蓋含まず)


DSC02450-1.jpg


DSC02451-1.jpg

扱いやすい、口径と形状です。


DSC02452-1.jpg


反対側です。

DSC02453-1.jpg


底を拝見いたしますと、丹波焼の特徴である赤土がみえます。



丹波焼、は平安時代末期から鎌倉時代が発祥といわれる『六古窯』のひとつに含まれます。

最高温度約1300度で50~70時間を登り窯で焼成されるため、降りかかる松の薪の灰が釉薬と化合して、”窯変”、”灰被り”と呼ばれる味わい深い発色となります。

元は、赤土の堅い焼き上がりが頑丈であったことから、すり鉢の需要にてその名を広めましたが、江戸時代には京焼や美濃焼の影響からか、上品な茶陶作品も生まれました。

この作品は丹波焼のもつ特徴を保ちつつ、洗練された仕上がりを追及した茶道具として生まれております。


DSC02448-1.jpg

仕覆は3つございます。

点前用として二つ。

『二重蔓牡丹唐草』 ・ 『鶏頭大燈金襴』

仕舞用のものも、かなり上質なものが付属します。

DSC02447-1.jpg


通常の陶春作品では、眼鏡箱で仕覆が2つです。

これは、上記のように3つと、2重箱になっております。

元は而妙斎宗匠や久田宗匠の書付を依頼するように、作家から出る時に設えられたシリーズのものです。

もちろん、流儀関係無くお使いください。

個展価格では30万程しております作品で、未使用のまま、眠っていたものが出て参りました。



DSC02682-1.jpg

5人様分でも対応できる容量ですが、大きすぎず・・・お点前するにも、大変使いやすい形状・重量です。

”茶入”は、見た目の映えも大事ですが、用としての良さも兼ね備えられていると尚良し、です。

昨今、茶入がお値打ちで良く出ておりますが、このクラスでお持ちいただくと、茶事にもお稽古にも使えて重宝しますよ☆




【石田陶春】

1944年 兵庫県で生まれる。1965年 各陶郷を巡学後、森本陶谷に師事。

1970年 三田市上相野に窯を築き独立。1974年 穴窯を築く。

1978年 東京日本橋三越本店で個展を開催。(以後、定期的に開催) 1984年 大穴窯を築く。

1992年 小登り窯を築く。1999年 大阪梅田阪急百貨店で個展を開催。

2012年5月 逝去。






+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
nice!(0)  コメント(0) 

近況報告&新入荷情報です☆ [BASE215]

大阪では、一昨日・・・緊急事態宣言が”一応”解除となりまして、あちこちが営業再開となってきてるようです。

クルマや人は少し前から仕事の方で非常に多いようにお見受けしておりますが、単なる遊びの外出や外食・・・といったものは、まだまだ自粛並びに警戒ということで、少な目のようです。

当方も、4月8日からもずっと週5日間仕事を続けておりますが、お蔭様で・・・暇なく、働き続けられております。

DSC_6662.JPG


電波の関係で、外(ビルのエントランス)に出張ってます。(^^;

BASEも、通常営業をスタートするのは、まだ時期尚早という思いもあり、まだまだWEB並びにお電話でのデリバリー専門で活動しております☆

DSC_6781.JPG

合間に、老眼と闘いながら・・・ちょっと気分転換の製作してみたりも。

先日、当ビルにおいてのオークションは再開し、6月からは各美術倶楽部もオークション再開の方向であり新入荷等も多くなると思います。

ですので、今月はもう少し様子見しながら、今後の方向性を見据えたいと思います。

しかしながら、大規模展示会は一応・・・・7月分まで全てが中止となっており、全国の緊急事態宣言解除後のニューノーマル(新常態)がどうなるか、まだ不確定要素が多すぎます。

ベースもこれまでのような、月に1週間程度の展示会サロン形式というスタイルは見直すこととなりそうです。


ひとます、大阪の緊急事態宣言解除と共に・・・JFKで4月・5月と行ってまいりました価格表示でのご紹介スタイルは終了と致します。

当ブログでのお問い合わせ並びに、ヤフオクでのオンライン販売は継続ですので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。



では、少しの新入荷情報をどうぞ。

明治時代 古赤膚焼 隅切四方 手塩皿 【10枚】 箱無し

明治時代 古赤膚焼 隅切四方 手塩皿 【10枚】 箱無し

明治時代 古赤膚焼 隅切四方 手塩皿 【10枚】7枚上 箱無し

昭和初期 二代 眞葛香山 青磁釉牡丹獅子 置物

明治時代 瀬戸染付 民吉写 祥瑞模様葵紋 水指 堀田宗達 箱



nice!(0)  コメント(0) 

眞葛香山(宮川香山)二代作 【 染付牡丹唐草文 汲出し】 5客揃 [宮川香山 眞葛焼]

DSC02647-1.jpg


さて、通い盆にて”待合”へ持ち出されたるは・・・


DSC02214-1.jpg


二代 眞葛香山 染付牡丹唐草文 汲出し 5客

昭和時代 初期 (1926~40年)




DSC02217-1.jpg

サイズ 幅8.7㎝ 高さ5.6㎝ です。

各客により微小の誤差は御座います。


DSC02218-1.jpg

反対側より。

DSC02219-1.jpg

書き銘です。


牡丹を中心に、蔓草が丸みのある汲出しの形状に合わせて全面を覆うように広がっております。

マクズウェアは絵付けが形状と融合させているのも特徴のひとつです。

呉須(コバルト)は輸入に頼らず自家製を丁寧に生産し使用していたという記録があります。

その成果か、香山の染付の発色は抜群に良く、また白も薄いブルー調で併せてマクズブルーという
べき魅惑の色となっています。

DSC02215-1.jpg

DSC02216-1.jpg


当方にて、京都真葛 六代目香斎の極め箱を仕立てました。

DSC02213-1.jpg


二代 宮川香山

MAKUZU KOZAN Ⅱ

1859(安政6年)~1940(昭和15年)





初代と共に作品を製作。

初代香山の長兄(長平)の子である。

それが故に年齢差は17歳しかなく、その技術力は初代より確実に継承されている。

海外へのマクズウェアの紹介と、加えて国内へのフィードバックに努め、眞葛の名声を揺ぎ無いものにした。

初代没後は、自身の新たな感性も取り入れ時代の変遷に対応し、焼けない物は無いと言われる。

途絶えていた古伊賀釉の復活、千家の茶陶作製等も行い、板谷波山と共に関東陶芸界の重鎮であった。



DSC02649-1.jpg


今回、撮影にあたって・・・自分で、お茶、飲んでみました。

『・・!』

口当たりのやさしさ、軽すぎず重すぎない重量感と、肉厚の重量配分。


今更ながら・・・さすが、香山、と思わされる小品でした。(^^;




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++


nice!(0)  コメント(0) 

【御深井焼(おふけやき)古瀬戸釉 茶碗】 [おもろいで!幕末尾張陶]

稀少な、御深井焼(おふけやき)作品です。

ニューカラー印刷パンフレット用 (5)-1.jpg


古瀬戸釉 茶碗


径 12cm 高さ 6.5cm



DSC_2227_6803-1.jpg

端正な轆轤引きに一カ所口造りを歪ませることで、緊張と緩和を合わせた造りになっている。

DSC_2229_6805-1.jpg


窯変も趣き深い。当時、百両を上納した者への下賜品であったと伝わる。


DSC_2232_6808-1.jpg


「御深井製」印「賞賜」印


DSC_2226_6802-1.jpg

名古屋の一大コレクターであった、村木國次郎氏旧蔵です。




御深井焼(おふけやき)

徳川御三家の筆頭である、尾張徳川家の御庭焼。濫堀を禁じられ、城に秘蔵されていた祖母懐の土を使い、尾張徳川家の初代義直が御庭焼として名古屋城・外御深井御庭に寛永年間(1622~1644)に開窯。

次の光友の時代は前期の最盛期で、尾張では御深井焼以外にも横須賀御殿で、江戸では戸山御殿でそれぞれ新たに御庭焼が始められた。

その後八代宗勝まで断続的に続けられたが、九代宗睦の代で緊縮財政の為一時中断。

十代斉朝の文政年間(1818~1829)頃に再稼働し、茶の湯に熱心だった十二代斉荘公時代に最盛期を迎える。

斉荘は裏千家11代玄々斎に出仕させ茶事を学び、伝来の名品や贈答用の御庭焼への箱書をさせて重用した。

これは玄々斎が三河奥殿藩主松平家から裏千家へ養子入りしており、尾張藩家老の渡辺規綱は実兄であること、斉荘が藩主に就任したとき(天保10年1839)規綱の長男寧綱が家老になっていたことに関係する。

斉荘の没後は江戸藩邸のやきものは廃窯になり、御深井焼・萩山焼も断続的に焼成されるのみで、
明治4年に全て廃窯となる。

「前期」御深井焼では藩主及び、藩の献上品・贈答品・城内調度品などが制作され、
「後期」御深井焼ではそれに加えて、藩主自らの手造りや家臣・有力商人等への下賜品が作られるようになる。

出仕したのは、前期は瀬戸の御窯屋三人衆である加藤唐三郎・仁兵衛・太兵衛家と御焼物師 加藤新右衛門・三右衛門家で、義直が美濃より招聘し瀬戸の再建の為に擁護した家である。

「後期」御深井焼ではこれらの加藤家と新たに新製染付焼の加藤唐左門・川本半介らが参加し、さらに藩士平沢九朗や正木惣三郎、大橋秋二など医師・文化人などによる余技陶工として名を馳せた者たちも参加する。

これは大窯業地を控えた名古屋城下独自の様相である。

尾張徳川家の数ある名品の数々を写すために尾張陶工界のトップレベルの技術の投入され、作品の質や趣きの深さは他地方には見られない独自の魅力に溢れている。


DSC02569-1.jpg


DSC02570-1.jpg


当店発行の、ミニ図録掲載です。


DSC02562-1.jpg


一服、どうぞ☆






+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
nice!(0)  コメント(0) 

2020年4月度の新入荷情報です。。。 [新入荷]

緊急事態宣言からはや1ヶ月と1週間が過ぎました。

多くの府県では、明日より解除の方向のようですね。

しかしながら、全く予断を許さない状況であるのは変わりなく、ということろです。

私共の、業界も現在・・・流通経路のほとんどが自粛中で、6月より対策を講じての再開が模索されておりますが、4月・5月は新入荷はほとんど無く、在庫の見直しを皆様されているようです。

私も、うっかり?先月の僅かな新入荷をご紹介するのを失念しておりました。(^^;

ということで、4月”度”の新入荷情報です。


史上・・・最少点数です(苦笑)

ですので、ちっちゃく画像付きで。


各務満 ななこ切子模様 深鉢 塗蓋添 水指にも

DSC02437-2.jpg

※ご成約済です。


石田陶春 丹波茶入 眼鏡箱 二重箱

DSC02449-2.jpg



初代 眞葛香山 仁清写雉子 香合 香斎極め箱

DSC02425-2.jpg



詳しいご紹介は、また追々アップいたしたいと思います☆

nice!(0)  コメント(0) 

③永楽保全 染付 酢猪口 [永楽保全  Blue&White]

当店では、力を入れてご紹介を続けております、『幕末名工』たち。

それぞれ個性のある工人が切磋琢磨に、技術を高め合った黄金時代、それが江戸後期の京焼であります。

その中でも茶陶として一際、名を馳せておりましたのが永楽保全です。

過日、保全研究家のお客様より・・・貴重な資料類を多数頂戴し、新しく知ることなどもあって面白く読み進めているところです。

このシリーズ、『永楽保全 Blue&White』の中でも織り込めたら・・と思います。



DSC00473-1.jpg

永楽保全 染付 酢猪口

幅 7.4㎝(片口部分7.6㎝) 高さ9.1㎝


製作年代:弘化4年(1847年)~嘉永7年(1854年)頃

その中で1847~1850年まで狭めてもよいかとも推測致します。

この作品は酢猪口と呼ばれる、江戸後期に見られる作品です。

DSC00474-1.jpg

もっと小さい物もありますが、酢を入れ、注ぐ為の容器であったようです。

『酢』は、人類最古の製造調味料といわれ高貴なものでありました。

江戸時代になってから、庶民にも普及し独自の器が生れたのです。

(酢は、大量に使いものではありませんので調整しやすい器が求められたのでしょう)


DSC00476-1.jpg

現代では、そのまま”焼酎カップ”として、または”徳利”として楽しめるほどよい大きさです。

DSC00477-1.jpg


DSC00478-1.jpg


DSC00479-1.jpg


共箱

DSC00480-1.jpg


保全は、若い頃より非常に勤勉な研究家であり、常に技術を研鑚し続けました。

幼年より大綱和尚から禅学と禅道の指導を受け、陶技は父(義父)である了全より仕込まれ、書道は松波流を習い、画は狩野永岳に従い、和歌は香川景樹に学び、舎密究理(科学化学)は医家、新宮涼庭、日野鼎斎(シーボルトの門人)、蘭学は廣瀬玄恭などについております。

その時代の文化人の第1級人物たちを師としており、現代の大学院卒業生以上の学識・知見があったといえます。

その上、苦労をしておりましたので、精力的な政治営業力を以て・・・高い技術力を、きちんろ世に知らしめる努力をも怠りませんでした。
(晩年、その精力的な性格により足元をすくわれることとなりますが)


保全作品のもつ、文化的な匂い・・・それはその出自や人生、文人たちとの交友によるものが作用しているのは間違いないのだと思います。

その手業だけではない何かが作品に篭もることがあるのです。


ニューカラー印刷パンフレット用 (18)-1.jpg


先日の盃と共に。







+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++


※過去のご紹介作品を新たなご紹介記事にて掲載致しました。
nice!(1)  コメント(0)