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2020年10月29日~30日の新入荷情報です。 [新入荷]

先週に続いて、再び名古屋での出張から夕方戻り・・即準備を済ませて、翌朝に金沢へ向けて発ちました。

しかし、世間は・・・連休初日の土曜日だったようで。。。

あちこちで多発する渋滞。


私のルートも”事故”渋滞と”工事”渋滞で、動きません。


結局、渋滞回避策と15時からの昼食も含め・・・・8:40出発、金沢美術倶楽部着は16:10でした。(涙)


ゆっくり、市内から30分程の温泉(銭湯みたいな)に寄る計画も消え・・・お気に入りのパン屋も売り消れ(しかも明日から3連休)、身体も疲れ切っての夜は、数日前に入会したばかりのネットフリックスで”スタートレック”と話題の”鬼滅の刃”を見て過ごしました。(^-^;

明日は、金美正札会の展示準備です。



では、先日の名古屋での新入荷情報です☆



♢加藤春岱 芦に千鳥 志野茶碗 銘千代の陰 不仙斎箱

♢永楽保全 於高槻 瓢形捻祥瑞 酒次 共箱・17代極め外箱

♢永楽保全(善一郎) 珠光青磁 酒盃

♢永楽即全 仁清布目絵変 色紙皿 【10客】※ご成約済み

♢幸衛 三友棗 井口海仙 好み ※ご成約済み

♢錦光山 京薩摩 花瓶 【一対】

♢永楽保全 安南焼 饅頭蒸 ※ご成約済み



はい、全てがレアモノでございます。(笑)


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【楽 旦入 志野写 皿(向付)】 5客組 [楽]



室町時代、茶の湯の中心であったのは将軍家です。

故に珍重される高価な”唐物”を中心とした道具での茶の湯でありました。



しかし、桃山時代に入り・・・利休による茶道の体系化、そして信長や秀吉による武人による茶の湯、さらには町衆への広がるを見せる中、圧倒的にお道具が不足する事態となりました。

そこで、”国焼”とよばれる”和物”茶陶が生まれることとなるのです。



なかでも、今では”国焼”のうちに含まれますが・・・当時は”国焼”とは呼ぶことを許されなかったのが瀬戸焼です。

瀬戸は、本窯とよばれ和物の中でも中心の位置づけでありました。


そして過去は瀬戸という分類に含まれておりました”美濃焼”もまたしかり。

国焼の一躍エースとなるのです。



しかし、それらは桃山期~江戸初期という期間のみであり、以降は途絶えたといっても過言ではありません。

手に入りにくい唐物から和物へ移行したのに、またしても手に入れにくくなるという状況になったのです。


江戸後期になると、そういったやきもののもつ魅力を求める声に応えるべく・・・楽家でも美濃焼の写しを製作しております。


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【楽 旦入 志野写 皿(向付)】 5客組


幅  16.3㎝×12.5㎝ (各客)

高さ 3.8㎝ (各客)

時代 文化8年(1811)~弘化2年(1845)頃




なかなか、目にすることのない楽の器です。

楽家では有名な手として認知されているようで、後世に寄せ向付としての作品の中に含まれたりもしておりますが、過去の楽焼の器の展観では紹介されておらず、また・・他の代でも作られていないことからも希少さがうかがえます。



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5客、状態も良く現存しております。



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共箱です。

では、各客の詳細画像をご覧くださいませ☆




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楽家でも初期から存在する、香炉釉の技法を使い、そこに赤楽の釉薬を使って絵付けをすることで疑似的に志野焼風の意匠を再現しているようです。

そこには、”写し”とはまた違ったリ・イマジネーションを感じます。

形状もやさしさと造形のダイナミックさが混在し、盛り付け面の広さや、重ねやすさといった使いやすさも非常に考えられております。


作品自体の、雰囲気は写真よりも実物の方がはるかに風合いがよく、時代を超えた取り合わせにも対応する逸品作と思います。

なかなかも珍品であることと、状態の良さから値は少し張ってしまいましたが、久々に扱いたくなった楽の器です☆


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楽 旦入


江戸後期の茶碗師。楽家十代。九代了入の次男。

幼名は市三郎・惣治郎、名は吉左衛門、別号に秀人がある。

了入に師事し、文化8年(1811)17才で家督を継ぎ襲名した。千宗旦から一字を贈られ、旦入と号する。

箆使いの名手と言われた。

嘉永7年(1854)歿、60才。



※売却済みです。
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【幹山伝七 祥瑞水指】 [幕末京焼]

幹山伝七(かんざんでんしち)、茶道具ではあまり耳にしないかもしれませんが幕末明治の京焼の中では知られる名前です。

1821年(文政4年)生まれ。

近江彦根藩の御用窯である”湖東焼”に召し抱えられ、廃窯まで従事しました。

その後、文久2年に京都に移り・・清水に窯を築きました。

明治維新後は西洋絵具の使用法をゴッドフリートワグネルにまなび,洋風磁器を製作。

明治5年以降は”乾山伝七”を名のり,6年のウィーン万国博などに出品し活躍しました。



さて、今回の作品は江戸時代末期頃の作品です。

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幹山伝七 祥瑞水指

幅  16.3㎝

高さ 15.3㎝

幕末期




京焼での染付焼は、初代清風与平や道八等が始めた後・・和気亀亭や宮田亀寿などが五条坂で活躍します。

永楽家でも保全や和全によっても制作され、もちろん眞葛窯では長造も優品を生み出します。


幹山伝七の特徴は、やはり湖東焼での染付作品の流れを汲んだ味わいでしょう。

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形状の取り方、色目などは独自のセンスを感じさせます。


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この染付の発色の安定さは染付磁器王国である、瀬戸出身ならではでしょう。


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成精軒 幹山造

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作行を見る限り、過去に扱いました三代六兵衛の湖東作品に通じるところがあります。


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京都に出てきた頃で、おそらく湖東焼の雰囲気を継承した作品と思われます。


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希少な共箱も現存します。


幹山伝七・・・実は、尾張は瀬戸の出身で本姓は加藤なのです。


加藤孝兵衛の第三子。

幼名繁次郎、のち襲名して孝兵衛と称した製陶のことに関しては伝七を用いました。

1863年(文久三)幹山または松雲亭と号し加藤幹山としてか、1872年(明治五)これを廃し幹山伝七を姓名としました。

初め彦根藩窯湖東焼に招かれその廃窯に至るまで勤務しましたが、1862年(文久二)9月京都霊山(東山区)に移って磁器製造の業を起こしました。

京都におけるこの専業は幹山がはじめであります。

当時幹山は寺尾市四郎の養子となり市四郎もここで従業していましたが、理由あって別離しました。

1867年(慶応三)頃から次第に頭角を現し、1870年(明治三)には京都府庁内で特にワグネルの教えを受け十三種の西洋絵の具の試用に成功。

1871年宮内省御用品を調製。

1872年の京都博覧会の際には明治天皇より御買い上げの栄を賜りました。

1873年オーストリア大博覧会に銀牌賞受賞。

同年、宮内省御接待用洋食器の注文を受け、彦根風の丸窯を築いてついに成功。

1873年~1887年頃、その名声は内外に広まり、窯場には貴人大官も来訪したようです。

政治家の後押しもさることながら、窯には有能な人材が多数揃っていたことも名声の元となったのです。

蹴琥櫨   若林喜作・井上清二

彫物・型物 加藤林蔵、袋物の高木徳平、その他古河陽三郎・明山初太郎

絵付け師 有職模様  九谷庄蔵
     花烏    上原孝染・横田虎次
     人物花烏  水野香圃
     染付御所物 岩月捨吉
     模様物   伊東陶山・中野庄蔵・石田作太郎・山本雪堂・八木利助

門人には山添為次郎・辻外吉・加藤弥十郎・藤田定七・大塚駒吉・中田米次郎らがいました。

幹山は金銭に目をくれず、寡黙に製作に勤しんだ方と伝わります。


1885~6年(明治18~19)頃幹山陶器株式会社と組織を変更。

しかし内部に種々の支障がありついに1889年(同22)会社を解散、工場売却の悲運に陥りました。

幹山はその後自宅で製作しましたが、翌年明治23年、七十歳で没しました。


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仕事を共にした、三代六兵衛の影響も感じさせる・・・湖東風の優品です。

その後、五条坂では磁器製作が盛んになるのですが、磁器王国の瀬戸に生まれ、京焼では磁器専門として初となった伝七の珍しい作品のご紹介でした。


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出張を控えて。 [BASE215]


明後日からは名古屋へ3日間、一旦帰阪して・・・金沢へ4日間の出張です。


名古屋はオークションの仕入れなのですが・・・

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こちら、2年に1度の秋の金沢美術倶楽部の正札会です。

7月には4月から延期になった春の正札会が開催されたところで、間がそんなに開いてませんが・・・

新入荷を多めに持参したいと思います。


『金美正札会』


〈会 期〉  2020年11月2日(月) 9:30~17:00
          3日(火祝) 9:30~17:00

〈会 場〉  金沢美術倶楽部 金沢市上近江町61

〈入場料〉  無料

〈支払方法〉 現金、クレジットカード
       Admission Free. Please Pay by cash or credit card.

〈主 催〉  金沢美術商協同組合

〈併 設〉  チャリティー入札コーナー
 
無料駐車場あり 

 *満車の場合は近隣のコインパーキングをご利用ください。
  隣に近江町ふれあい館駐車場ができました。(割引券等はございません)




BASEでは、明日迄10月のお茶碗展開催中です。


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先日までご紹介しておりましたお値打ち5点、に加えまして・・・尾張陶の俵茶碗 3点も展示中です☆


26日 午後一、ご予約有

27日 昼過ぎ、ご予約有

    16時~撤収作業に入ります。







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【黒織部 茶碗  瀬戸赤津焼】 [尾張陶磁器]

赤津焼とは瀬戸焼の中でも赤津地区で焼かれる伝統的な釉薬を使った陶器の事です。


徳川幕府が開き、江戸時代には名古屋城を中心とした尾張徳川藩が出来ました。

この尾張藩への陶器の供給源や御用窯などを目的として、徳川幕府により美濃から陶工が呼び戻され瀬

戸村、赤津村、下品野村に窯を開きます。この後、赤津焼は尾張藩の御用窯と高級茶器から日常品までを作っていくことになります。

瀬戸黒、黄瀬戸など・・・桃山陶器の有名どころの名前に瀬戸と入っているのも、元は瀬戸が中心であった為にそこで作られていたと考えられていたのです。

しかし、粗製乱造を防ぎ、それぞれの家業を守るため、藩の命により・・・瀬戸では、一家の長男、ただ一人しか陶家をもつことが許されず、それが故に広がりもなく閉塞していくことになります。

その中、新たに”本業”と別に”新製”瀬戸が生まれるのは江戸も後期、それも磁器製造によって新たな時代を迎えることになるのですが、それはまた別の話としまして・・・



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黒織部 茶碗  瀬戸赤津焼

幅  11㎝

高さ 7.8㎝

時代 幕末~明治期


大きさ、がお茶碗として優等生な黒織部はなかなかありません。

このお茶碗は、赤津陶工の製作による特徴を備え、土も釉も良い作品です。


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見込み。

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高台径 5.3㎝


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反対側は、七宝文が描かれております。


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伝世の箱には、祖母懐茶碗、となっておりますが、普通に春岱~春仙辺りの作の赤津焼でしょう。

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高台脇、のおそらく印のあたりが削られております。

、ので、作者は特定出来ませんが、お茶碗としてはいたって良いモノでしたので、扱うことにいたしました。


瀬戸、といえば・・・このような話があります。

陶(トウ・すえ)と言う字は中国では窯の事を指します。

瀬戸は「すえ(陶)のところ(所)」が「すえと」になり「せと」に繋がったといわれております。


瀬戸の赤津焼も、今では多数の窯が稼働しておりますが、幕末から明治への変革期には大変な状況にあったようです。

藩の御用であったため、藩が無くなってしまうという事態にはどうしていけばよいのか?

その頃に完成していた『新製瀬戸焼』である『染付磁器』は、いち早く・・・輸出用として、また国内向けの西洋風磁器作品へと変革と海外への万博などに打って出て成功を収めるのですが、このような伝統的な日本の茶陶の作品は、日が差すことのない時代を耐え忍びつつ・・・伝統の技法を守り抜くのに力を注いでいたのでしょう。

そういう、時代背景の中の、作品なのです。




BASE215 10月の特集  ~ちょっと、お茶碗展~


⑤【黒織部 茶碗  瀬戸赤津焼】


※ご成約済み

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【井上陶源堂 倣仁清焼 茶碗】 [茶道具]

さて、今回の企画展の4番目です。

ちなみに・・・今回の特集企画、5点ご紹介となりますが・・全てヒトケタ万円です。

この機会に是非☆

さて、作品のご紹介です。



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井上陶源堂 倣仁清焼 茶碗


幅  13.2㎝

高さ  5.4㎝



陶源、といえば昭和後期の汲出し、あたりがよく目にする作品ですので・・・あまりイメージが無い方も多いことと思います。


井上商店 屋号「陶源堂」

元は陶器商であり、優れた陶工や画工を擁して優品を世に送り出した工房です。

明治10年(1877)に開業されました。

初代 井上勝作(天保13年(1842)~明治42年(1909)歿)は、藩政の末期から江沼地方の産物である、山中の漆器を中心にこの地方の産物を商っていましたが、明治10年(1877)頃に陶磁器専門の商人となり、井上商店の基礎を築き上げました。

江沼地方を販売基盤にして京阪方面にも多くの顧客、小売店を得て、明治38年(1905)頃には江沼地方随一の陶器商人となりました。

初代は金沢から陶画工を招いて、地元の北出窯、蘇川窯などの素地に絵付をした製品を自家生産しました。

三代 井上隆平(明治18年(1885)~大正11年(1922)歿)は、若死にした二代 隆平の後を継いで、すでに江沼随一の陶器商人として精力的に製品を開発しました。素地を北出窯、松田窯、寿楽窯、八幡の窯元などから仕入れ、専属の陶画工が絵付して、関西を主として全国の陶器商、貿易業者に卸売りしました。

特に井上商店を有名にさせた製品は、伊万里、京焼を中心に国内各地の色絵の名品を研究して、その特色を取り入れた製品です。中でも伊万里風や柿右衛門風の作品は本歌を凌いだといわれ、大聖寺伊万里と呼ばれた製品の名声は欧米まで広がったといわれます。

また、明治45年(1911)、九谷村の旧窯を復興するために巨資を投じ、製品を開発しました。九谷村の原石を用い、山代の大蔵寿楽の高弟 宮崎作松ら熟練の陶工数名を招いて素地を作り、福山虎松らをして古九谷風の絵付をさせ、古九谷に類似した製品を作りました。このほかも、吉田屋窯、永楽風などの倣古品を作り、盛んに販売をしました。


この作品は京焼の仁清を模した、作品です。

初代の末期か、三代の作かは特定出来ませんが、おそらく大正期のようです。


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見込み、も施釉されているのは珍しいですね。

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長年、大事に使われていたようです。


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高台

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上品な天目形で、永楽にも劣らない仁清黒に、七宝紋も良い絵付けにて施されております。


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BASE215 10月の特集  ~ちょっと、お茶碗展~


④【井上陶源堂 倣仁清焼 茶碗】

※ご成約済み


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【二代 眞清水蔵六 印章茶碗】 [京焼]

今回の出張では、色々と仕入れが出来ました。

ちと、偏ってる気がしますが・・・(^-^;

昨日はベースで、それらの整理と撮影等に追われておりました。


そろそろ、こちらのブログでのWEB展示会も再開したいと思います。




眞清水蔵六といえば、二代が名工として知られます。

今回、ご紹介いたしますのは・・・少し変わり種、のお茶碗です。





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二代 眞清水蔵六 印章茶碗


幅   11.5㎝

高さ  8㎝

高台径 4.8㎝

時代 明治期


眞清水家は、初代である清水太三郎が13歳の頃、叔父である京染付で有名な和気亀亭に陶法を学んだ後、五条坂にて開窯、名を蔵六と改め、さらに妙法院宮から「真」の一字を賜り「真清水蔵六」と号したのが初めとされます。

玄々斎に茶道を学び、江戸幕府時代最後の天皇である孝名天皇への献茶を行う際の茶器を製作しました。

二代は文久元年5月生まれで、初代が明治10年に没した後、明治15年2代蔵六を襲名します。

日本各地および朝鮮,中国の窯場をめぐって研究。それが故に作品も多岐に渡り・・・概ね古窯風のものが多いです。

また、古陶の鑑識にも長けていたようです。

大正6年に京都山科に開窯し『眞清水様式』を確立しました。


さて、お茶碗に戻りましょう。


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形状や重さ、などはとても扱い易いバランスです。

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この作品は、印章尽くし、と呼ばれるものです。

初代の年忌に合わせて、初代と二代の使用した様々な『印』を前面にちりばめた、先人をしのびつつも面白さもある造りです。

では、ぐるっと見回してみましょう。


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本当に、いろんな形状の印があります。


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共箱です。


この作品は、昔から人気が高く高値で流通しておりました。

今回は、とてもお値打ち価格となっております☆




BASE215 10月の特集  ~ちょっと、お茶碗展~


③【二代 眞清水蔵六 印章茶碗】



※ご成約済み


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【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】 [京焼]

東の波山、西の六兵衛・・・と言われた時代、五代六兵衛の名は戦前期の日本の陶芸界に轟いておりました。


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【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】


幅   15.1㎝ 

高さ   6.8㎝

高台径  5.7㎝

1913~1945年頃



端正な伊羅保茶碗です。 釉調も大きさも全て過不足なし・・・というのはなかなか見つからないものです。

伊羅保は、江戸時代初期に日本からの注文に応じて高麗に依頼された茶碗です。

今でも高麗茶碗の中では井戸茶碗を除けば、高値の部類に入るものです。

本歌からそう年月が経たない1600年代後半には、松江藩窯として倉崎権兵衛が権兵衛焼として伊羅保を製作しております。


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大切に使われてきた様子がうかがえます。

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高台回りです。

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共箱





五代清水六兵衛

1875年~ 1959年

四代目六兵衛の長男として生まれる。

1887年幸野楳嶺に師事ののち京都府立画学校修了、陶法を父に学ぶ。

1895年楳嶺没後、谷口香嶠に師事。1903年京都市立陶磁器試験場が設立され同所で科学的釉薬、製陶法を研究、1912年同志と京都遊陶園を結成し東京にて展覧会を開く。のち京都佳都美会結成。

1913年5代六兵衛を襲名し1922年フランス・サロン会員、1927年帝展審査委員、1928年マヨリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章、1930年帝国美術院会員、1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章授与、1937年帝国芸術院会員、1945年六和と改名、長男に6代六兵衛を譲る。


なにより、釉薬のバリエーションを生み出したことと、大正時代のモダンさも併せ持った歴代六兵衛の中でも一番面白い代かもしれません。


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BASE215 10月の特集  ~ちょっと、お茶碗展~



② 【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】


※ご成約済み


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【初代 伊東陶山 すすき絵 茶碗 鏡山窯】 [帝室技芸員]

薄がきれいに茂る季節です。

一度行ってみたいのが曽爾高原 のすすきです。

黄金色に光る一面の芒、見てみたいですね~。


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そんな、時候の風情を表現したお茶碗のご紹介です。



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【初代 伊東陶山 すすき絵 茶碗 鏡山窯】


幅 13.2㎝~13.4㎝  

高さ 5.8㎝ 

高台 4.2㎝


制作年 大正9年



初代伊東陶山のお茶碗、久々に入りました☆


いつもながら、やわらかい絵付けとやさしい形状・・・粟田のクリーム色はとても上品です。


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口造りのてひねり感も良いですね。


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少し、小さ目なのも陶山のお茶碗ならではです。


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かがみ 陶山


初代伊東陶山が最晩年の大正9年、京都の鏡山窯に新たに築窯した際の作品です。

しかし、この窯の完成を見た後・・・陶山は、その生涯を終えてしまうのです。



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1846年(弘化3)~1920年(大正9) 


名は重太郎,のちに幸右衛門。

明治28(1895)年より陶山を名乗る。

京都粟田口に生まれ,絵を円山派の画家小泉東岳に師事するが、陶芸に転向。

文久3(1863)年,京都五条坂の陶工亀屋旭亭に師事し陶技を学ぶ。さらに3代高橋道八,幹山伝七,9代帯山与兵衛らの指導を受け,各地の窯場を巡った。

慶応3(1867)年,京都粟田白川畔に開窯。宇治朝日焼の復興,粟田焼の振興に尽力。

京焼の改良を志し,明治24年には本焼絵付の技法を完成,同29年には京都に陶磁器試験場と伝習所を開設した。


明治17年から粟田陶磁器組合長をつとめ,技法の改良や輸出面に貢献した。

さらに36年には浅井忠,宮永東山らと陶器研究団体「遊陶園」を結成するなど京都陶芸界の発展に尽くした。

大正6年、陶芸4人目の帝室技芸員に任命される。

大正9年9月24日死去。75歳。京都出身。前名は幸右衛門。




本日より、ベースではちょっとした、お茶碗展がスタートです。

お値ごろ作品が幾つか、そろいましたので・・・WEB上と併せてご紹介することに致します。



BASE215 10月の特集  ~ちょっと、お茶碗展~


①【初代 伊東陶山 すすき絵 茶碗 鏡山窯】



※ご成約済みです。


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2020年10月14日の新入荷情報です。 [新入荷]

京都出張行ってまいりました。

天気も気温も過ごしやすい日々ですね~

ようやく、体調も戻り・・(肩がまだ痛みますが)、ここからフル稼働で来月上旬まで突っ走ります。

さて、昨日の新入荷情報です。



♢楽 旦入 志野写 皿(向付) 【5客】


大変、珍しい作品です。 後世の楽の寄向付にも写されておりますので、楽家では有名な種類ではあるのでしょうが、過去の楽家が協力した懐石展には展示が叶っておりません。
伝世数も少なそうで、我々も目にすることがほぼございません。
状態も良く、現存しておりました。




♢二代 諏訪蘇山 青磁 鉢 桜鯉


青磁、の中内側に・・・釉裏紅を合わせた絵付けをするのは二代の女性らしさのある上品な技法です。

その中でも少し珍しく桜が描かれており、見ごたえのある作品に仕上がっております。




♢杉本貞光 赤 茶碗


少しこぶりな、かわいい赤楽茶碗です。   ※ご成約済み





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