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2021年8月最後の催し、と9月最初の催し、のお知らせです☆ [催事]

年に3度のペースとなりつつあります・・・大阪美術倶楽部での大美正札会ですが、今回も新館2階フロアで本日より開催中です。

当店も厳選の30点を出品致しております☆


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ちょっと、新型コロナの状況もありますので、積極的には来てください!とは言いつらい面もございますが、本日は多数のご来場を頂いております。

みなさま、ご無理のない範囲でお愉しみ頂ければ幸いです。


そして、当店のフォーメーションの頭を悩ますのが、この正札会と1日開けてすぐに始まる・・・東京・日本橋丸善書店での、年に一度の恒例催事がございまして。

荷造りの段取りや、展示商品の段取りなどでなかなか準備が難しい面がありましたが、なんとか~。


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《当店 広告掲載品》  ※右から2番目


日本古来より、色の表現は基本的に四つしかない。

「明(あか)」「暗(くろ)」「顕(しろ)」…そして、「漠(あお)」

赤黒白、に分類されない色は…全て「青」なのです。

青、碧、蒼…色んな表現がありますが、「間」から「あお」といい何者でもない中間ともいう話もあります。

そして、生命の源である「海」の青、不可欠な「空」の青、全てを構成する「宇宙」も青…

自然とヒトは青色を求めます。

やきものも同じく。

呉須を混ぜ混んでより深く魅せた「瑠璃」色は、やきものの歴史において尊ばれ、好まれるカラー。

ラピスラズリから名付けられたこの色を体現したこの作品は説明は要らずとも見るヒトを魅了するのです。

青は藍より出でて藍より青し[ぴかぴか(新しい)]


【川瀬満之 瑠璃面取詩入 香炉】


中国唐代の詩人による、ひたすらお酒を愛する歌が白抜きで記されております。




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「はんなり骨董樂市2021」


期間:2021年9月1日(水)~ 2021年9月7日(火)

場所:丸善・日本橋店

https://honto.jp/store/detail.html?shcd=75100&shgcd=HB310&extSiteId=maruzen

住所:〒103-8245 東京都中央区日本橋2-3-10



日本橋店 3階ギャラリー 

2021年9月1 (水)~9月7日(火)  

9:30~20:30 (※最終日は15時閉場)

<入場無料>

年に一度のはんなり骨董楽市も、おかげさまで9回目となります。
今回は、「小京都・金沢」からの新しい蔵出しや関西からもさらにボリュームアップしてお届けいたします。是非ご高覧下さいませ。


この催事内で、当店陳列エリアに於きまして、企画展示『ちっちゃいもん倶楽部』を行います☆


ちいさいけど、小憎い、おすすめの逸品を取り揃えてお届けいたします~

(もちろん、おっきい子も連れていきますが)


是非、ご高覧下さいませ☆




<おまけ>


ご報告遅くなりましたが・・・・8月16日発売の「目の眼」の記事内に、ちょこっと載りました。


顔は出てませんが。。。 ご機会がございましたらご覧下さいませ。






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【樂 旦入 赤菊 小皿】 20枚揃 [幕末京焼]

歴代の樂さんの中でも・・・個人的に好きなベスト3(現実的な分で、ですよ)のひとつが、樂家の十代目となる『旦入』です。


それは、当方がこの辺の時代感のものを・・・大事に想っていることもありますが、紀州徳川藩へお庭焼きへ招聘された三名工(旦入・仁阿弥・保全)のひとりであることも無意識のうちなのかもしれません。

なにより、そのへら使いの妙技にうっとりすることが多いのです。


今回は、『食の器』です。



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【樂 旦入 赤菊 小皿】  二十枚揃


幅  約10cm(各)

高さ 約2.2cm(各)


製作年代 弘化2(1845)~安政元(1854)年頃

共箱



作品を詳しく見てまいりましょう。


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単なる円、ではなく・・少し歪ませてアクセントをつけております。


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しかし、あくまで基本は「端正」に。


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窯変の黒っぽい部分もアクセントになります。

一枚一枚、丁寧に形成したうえに自画で、丁寧な白い菊を描いております。


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高台側も丁寧に。


「隠居印」と呼ばれるものが押印されております。


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樂焼の器というものは、独自の世界があります。


艶やか過ぎず、地味すぎず、軽すぎず、重すぎず。


全ての絶妙な感じが、長い歴史を背負った名家の伝統と代ごとに生まれる独創性とせめぎあって生まれるデザインの中にこもっているのです。


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20枚もあると、壮観なのです!


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共箱です。


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付属して伝世している落ち札です。



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お茶碗で見られる旦入の赤の技法・・・窯変の景色変化、父譲りのへら削りの造形表現法をあますことなくこの小皿に凝縮されております。



これは、もう…使い手の自由にお愉しみ頂きたいです☆







樂旦入 寛政7(1795)年~安政元(1854)年

了入の次男として生まれ、文化8(1811)年、十代吉左衞門を襲名しました。

弘化2(1845)年に剃髪隠居して旦入と号す。

文政2(1819)年より数度にわたって紀州へ赴き、徳川治寶侯・斉順侯によるお庭焼きである「偕楽園焼」、「清寧軒焼」を行いました。
 
 



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【七代 白井半七 雲華焼 都鳥蓋置】即中斎朱書 箱 [茶道具]

ちっちゃいもん俱楽部、ちょこちょこご紹介して参りましょう☆




「半七焼」、は大きく2つに分けられます。


関東の「隅田川焼」・・もうひとつの名でいう「今戸焼」時代


そして、大正後期から、伊丹・宝塚へ移窯したあとの「乾山焼」時代


関西の財界人や、料亭「吉兆」のひきたてにより「乾山焼」時代の作品をイメージされる方、が多いこと思います。

しかし、今戸焼作品の味わいは、また異なる魅力に溢れているのです。


「隅田川焼」というものは、文政2(1819)年頃に・・・骨董商であったといわれる佐原菊鳩が、向島の百花園にて始めたものと伝わります。

隅田川中州の土を使って、都鳥の香合や、都鳥の絵付けのものを製作しております。

文人画壇らとの親交もあり、有名となった隅田川焼は人気を博したようです。

同じ地域に、今戸焼として元は土風炉師として製作をしていたのが半七家です。

初代はさかのぼること江戸中期に京焼での修行を得て始めたようです。


土風炉や伏見人形等の製作にて、代を重ね・・・六代頃に茶陶として頭角を現しだしました。


明治期には表千家の碌々斎との親交も深かったことも要因でしょう。


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【七代 白井半七 雲華焼 都鳥蓋置】即中斎朱書 箱


幅  4.6cm

高さ 4.8cm

大正時代 初期頃



土風炉師であったルーツから、雲華焼の技法は手慣れたものです。

土の良質な精製さ、や色合いの侘びさ、なども秀逸です。



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この彫刻の良さは見るべきものがあります。

川に浮かぶ都鳥です。



都鳥といえば・・・在原業平がモデルといわれる・・・伊勢物語の「東下り・隅田川」の中にこういう風に登場いたします。


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なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。

それをすみだ河といふ。


(さらに進んで行くと、武蔵の国と下総の国の間に、たいそう大きな川があります。)

(それを隅田川と言います。)



その河のほとりにむれゐて、思ひやればかぎりなく遠くも来にけるかなと、わびあへるに、

渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」


(その川のほとりで群がり座って、(都へと)はるかに思いをはせると、果てしなく遠くまできたものだなあと、(皆で)一緒に気弱になっているところ)

(川の渡し舟の船頭が、「はやく船に乗れ。日も暮れてしまう。)



といふに、乗りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、京に、思ふ人なきにしもあらず。


(と言うので、(船に)乗って渡ろうとするのですが、皆なんとなく悲しくて、都に恋しく思う人がないわけではないのです。)



さるをりしも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。

(そんな折も折、白い鳥で、くちばしと脚が赤い、鴨ぐらいの大きさであるのが、水面を気ままに動きまわりながら魚を食べています。)


京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。

渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、


(都では目にしない鳥なので、皆(この鳥のことを)知りません。船頭に尋ねてみると「これは都鳥です。」)



名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。


(と言うのを聞いて、「都」という名を持っているのなら、(都の事情に詳しいであろうから)さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのか・・・と詠んだので、船に乗っている人は一人残らず泣いてしまいました。)


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胸に染み入る、お話です。

コトバ遊びのようでもありますが、風情があります。



さて、作品に戻りましょう。


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上から。


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「隅田川焼」の印銘です。

まるで、川に流れるかのような押印もまた、風情。


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即中斎による主書きがございます。 これは後年に書きつけられたものです。

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箱書きに際して箱を新調されておりますので、七代半七の共箱(大体が側面にあるのです)はございません。


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都鳥、です。


見ているうちに・・・この都鳥の羽根の灰色と、作品の雲華が重なってくるようにも感じますね。


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大正12(1923)年の関東大震災は、今戸焼の窯をも全崩壊してしまいました。

その機に、碌々斎の招きにより兵庫県伊丹市へと移窯し、半七は新たなステージへと進むことになったのです。


※御成約済みです。


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【2021年8月】の新入荷情報 & ベース営業スケジュール ※随時更新いたします。 [新入荷]

2つ催事が続く上、今回はトラック便を使用するもので荷造りが非常に難しいのです。。。

頭を悩ませてる内に、一日早く・・・荷造り済ませてしまいました。[あせあせ(飛び散る汗)]


そんなわけで、お掃除もすっかり済ませた殺風景なベースで、PC作業に勤しんでおります。





【BASE215 スケジュールです】


 26日     夕方~搬出
  
   28日・29日  大美正札会 @大阪美術倶楽部 新館2階

   31日~8月7日 東京日本橋 丸善催事の為 出張



☆ご来場の節は、出来ましたら前日迄のご連絡を頂戴出来ますと幸いです。




新入荷情報をお知らせいたします。

お客様からのお預かり作品も併せてお知らせいたしますので、ご興味のある作品のお問い合わせお待ちしております!




◎大正初期 初代 眞葛香山 依南蛮意 花瓶 帝室技芸員印


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幅 31センチ 高さ 31.5センチ と大きな花瓶です。 なかなかこの手のこのサイズの初代作は 
珍しいのです。







◎明治期  永楽得全 染付瓜形 皿  而全極め箱【10枚】



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むっちゃ、珍しい作品です。 形状と大きさはもちろん、呉須の絵付けも魅力なのです。


※ご成約済みです。




◎奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩 【10枚】


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高取釉で六角形の手塩皿」(小皿)になっております。 シックにおしゃれです。

共箱あります。


※ご成約済みです。


◎横石臥牛 現川焼 水指


九州仁清といわれた、現川です。秋草の図柄が上品なのです。

※売却済みです。



◎幕末~明治期 江戸ガラス 型吹き菊形捻 小皿 【5枚】


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江戸時代も終わりころ・・・このようなお洒落なデザインでガラスの作品が量産され、輸出されていたのです。

幅 9.8cm

※売却済みです。



◎江戸ガラス 型吹き菊形捻 小皿 【15枚】


※ご成約済みです。



◎樂 旦入 赤菊 小皿 【20枚】


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小皿、と侮るなかれ・・・なかなか小憎い造りです。

一見したときには、うーんと思いましたが見直してみると、おおっと思わされたので突っ込んで仕入れてみました。

※ご成約済みです。



◎三木表悦 秋草 雪吹

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青貝を使い、萩の文様を描いております。その光は月の照らす夜の光景にも。


※売却済みです。



◎十四代 亀井味楽 高取丸壺 茶入


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なかなかの、逸品作です。箱も3つ入り眼鏡で仕覆も。



◎五代 清水六兵衛 倣仁清翁作扇流し 茶碗

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先日に続き、また手に入ってしまいました。好きなんです。。。

今回は、訳アリ・・にて特価です。


※ご成約済みです。


◎久世久宝 仁清藤ノ絵 香炉 村田耕閑火屋

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ちいさい、香炉ですが・・・見たことのない洒落加減です。箱も必見。


※ご成約済みです。


◎二代 眞葛香山 呉祥瑞意松竹梅図 菓子器

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なかなか端正に出来ている作品なのです。仁清のような輪花口を染付で。

松・竹・梅・柘榴を交互に描いております。

※売却済みです。



◎江戸ガラス 型吹き菊形捻 小皿 【6枚】

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上記のものよりわずかに大き目です。幅10.4cm


※ご成約済みです。


◎永楽保全 染付網ノ画 小短ヒ(匙) 共箱 即全極め

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過去にも、安南手で匙を扱ったことがあります。

が。

これは・・・・とにかくちっちゃいのです! この夏の「ちっちゃいもん倶楽部」入会決定です☆


※入会前に・・・ご成約済み、です。










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【奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩皿】 10枚 [食の器]

最近は、こだわりモノでしか「食の器」をご紹介しておりませんので点数がしぼられてしまい、楽しみにしていただいてる皆様にはご迷惑をおかけしております。


さて、どうしても京焼が多い・・・当店の「食の器」ですが、出ました出ました。


遠州七窯のひとつ、「赤膚焼」の中興の祖として知られる・・・・「奥田木白」作品です☆



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【奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩皿】 10枚


幅  10.7cm×9.5cm

高さ 2.5cm


状態 数客に微小ホツ有

共箱 



赤膚焼は、、天正時代(1573~1592年)に常滑焼の陶工である与九郎を招聘したとか、正保時代(1644~1648年)に野々村仁清が開窯に関与したとか・・・所説伝わり、遠州七窯のひとつとして数えられております。

しかし、僅かな期間で中断となり・・・時は江戸初期から江戸後期へと飛びます。



それが、赤膚焼の中興の祖と称される名工、「奥田木白」です。



「諸国模物處」(しょこくうつしものどころ)の看板を掲げており、その釉薬精製の技術や造形力の高さから一気に「赤膚焼」の名を広めたのです。


今回ご紹介の作品は、同じ遠州七窯のひとつである、「高取焼」の釉薬を写した作品です。


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その実力に、多方面からの依頼が舞い込んだ制作に応えた奥田木白は様々なアイテムの優品を遺しております。


この作品も、江戸時代末期頃のものですが・・・なんともいえないデザイン感覚です。


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手塩皿なのに、足付きなのです。

その足の作りは美濃の古窯のやきものをイメージさせるものです。


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全体のフォルムはうってかわって、6角形のシャープなデザインです。


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片木目のような波の彫りに、12枚羽の「菊」を2つ散らし「桐」を重ねております。

それが立ち上がりに合わせて絶妙のバランスで配置されているのです。

高取釉の「溜まり」が効果的に折り目の節を強調させ、より造形感を増しています☆


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土もよい土を丁寧に精製している感じです。


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勾玉形の「赤ハタ」印が、各客丁寧に向きをそろえて押されております。


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共箱です。


木白は奈良の郡山藩御用の小間物商である「柏屋」の生まれであり、「柏」の字を分解して「木白」の号を名乗りました。


元が商家ですので、藩の上級藩士や寺院、豪商との交流で美術観の経験が積まれたようです。

幕末期は京焼の名工たちもそうですが、研鑽の眼と予断無く続けた努力により独自の世界を持ちえたのです。。。


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※ご成約済みです。




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【二代 宮川香山(眞葛香山)呉祥瑞写上吉 茶碗】 [宮川香山 眞葛焼]

今日、二度目のファイザーワクチン接種してきました。


頭痛だとか、発熱だとかは未だ現れておりませんが・・・接種一時間後に、猛烈な眠気やその後数時間にわたって欠伸が30回も出たというのは、副反応では無い気がする、腕が背中に回らない夜です。(+_+)


さて、立秋も過ぎて・・・ちょっと、大変な悪天候のせいでもあり、「気温」としては過ごし日々ですが、まだまだ夏であります。

そんなことで、昨日に続き・・「祥瑞」手の作品のご紹介です。



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【二代 宮川香山(眞葛香山)呉祥瑞写上吉 茶碗】


幅    12.1cm

高さ    7.3cm

製作年代 大正後期頃




香山作品では、表記としまして「意」と「写」では意味合いが異なります。


「意」とした場合は、香山のオリジナルの意匠となります。


今回の作品は「写」ですので、本歌が存在するものを香山式でブラッシュアップしたものとなるのです。


この優しいフォルム。


周りを見てみましょう。


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「上吉」と題されているのは祥瑞作品でよくある、丸紋の文字に「上」と「吉」があることからです。


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3月に発見した文献によりますと、二代香山は「茶道具」に関しては職工任せにせず、全て自身の手で製作したとあります。


轆轤についてもかなりのこだわりがあるようで、この茶碗もそのフォルムの端正さもさることながら、重みの加減が秀逸なのです。

近世の京焼の染付・祥瑞とは一線を画する品格を感じます。


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眞葛窯における、染付は自家製の志那呉須を長期間かけて精製した、かなり上質なものを使用致します。

そのことで、生地の薄いブルーと合わさる呉須の発色が抜群となるのです。


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内側、見込みがこのように内はがしになっているのは、染付茶碗が元は香炉の転用から始まったということに因みます。


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高台側です。書き銘です。



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二代香山の頃には抹茶茶道が復権し、茶道具の需要が高まりつつある時期です。

しかし、その頃の日本は外国との戦争の影により、決して平安で景気が良いという訳ではないのです。

もちろん、輸出需要も消失しております。


そんな中、自己のこだわりを持ちつつ国内最大規模の窯を維持すべく奔走した二代宮川香山は、のちに板谷波山と並んで関東陶芸界の重鎮として君臨することとなるのです・・・・。


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【永楽和全 祥瑞四方入角重 喰籠】 (※加筆修正しました。) [幕末京焼]

皆様、お盆休み、いかがお過ごしでしょうか。

この時期には見たことのない悪天候続きと、コロナの状況悪化の中・・・おこもり、で自粛されてる方も多いと存じ上げます。

かくいう、私もそんな感じではありますが。


いつもは、文章が閃いて!からしかご紹介いたしませんのですが、たまには「ストイックな商品紹介」もしてみましょう。(⇒と、思いましたが・・・我慢しきれず、書き直しました。(-_-;) )



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幕末期の「染付」のおすすめです。



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【永楽和全 祥瑞四方入角重 喰籠】


幅    12.5cm 

高さ   20cm


製作年代 1852年(嘉永5年)~1865年(慶応元年)頃


共箱




大変、珍しい作品です。

いわゆる、縁高のサイズより小ぶり、な感じですが・・・その染付の具合と、角なのにどこでも合わせられる程の端正な焼成は見事としか言いようがありません。



「小ぶり」、ではありますが盛り付け面が狭くなるだけで、「高さ」は有るのです。


お菓子の高さは変わりませんからネ。


そこで、そのタワーを和全がどう「料理」したのか、見てまいりましょう☆


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側面からみると・・・その祥瑞手による濃い呉須により、描かれている文様は・・・

天から地へと順になっているのが見て取れます。


個人的には古い洋画等で描かれている宗教画のようにも感じます。


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真四角、であれば「段重」は「漆器」と同じになってしまいます。


ここは、自由に形状を表現できる「やきもの」の利点を活かした工夫がなされております。


「入り角」という手法で、四隅をアクセントつけており、このことでデザインの印象がより造形的に、そして実際よりも「小さく」見せる効果が出ております。


小ささ、を売り物にしつつ「用」をも得る為に必要な面積も確保しないといけないわけですが、どうぜならもっと小さく見せたほうが『おもろい』のです。


蓋面は「円相に碁打ち図」となっております。


これは『爛柯(らんか)』と呼ばれ・・・囲碁のことを意味します。

中国の複数の故事には、仙人が碁を打っていると、実際には数十年・数百年の年月が流れていた、という話が伝わっております。

このことから、この意匠というのはおそらく、「長寿」や「仙人の徳」を現すものとして認識されているのでしょう。

染付の香合でも存在しますね。


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蓋裏には、『河濱支流』印があります。 やはり逸品の証です。



ぐるっと、見回してみましょう。


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この時代の永楽で、「染付」でなく「祥瑞」と記されるのはかなりの自信作です。

呉須の発色はもちろん、絵付けについても。

碁打ち人物、龍、柘榴・・など、祥瑞文様の代表的なものが。


縁起・吉祥・子孫繁栄・不老長寿、が込められております。

一番下の段の絵付けでは、経を詠む人、蛙を捕まえる人など4人の人物が描かれております。


「蛙」は「金運」を現しており・・どうやら、この段の絵付けにも何やら、意味が込められているようですが、まだ全部を解明出来ておりません。(*_*;


こういう、謎かけを主客で語り合う、楽しみというものがこの作品が生まれた時代背景にある、文人墨客というものです。

現代でのわかりやすい絵付け、季節の絵付け、とは異なる思想の元に生まれているのです。







では、段重を展開してみましょう。


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4つのパーツから、構成されます。



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なんと、順番を入れ替えてもぴっちり合わさります。

角形でもやきものできれいに焼成するのが、難しいのに入り角でここまで端正に造るのはなかなかです。

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主菓子、を盛り付けるのであれば各段に1つづつ、という縁高のような盛り方がカッコいいかと思いますが、小ぶりの主菓子を3つ盛りにしてみたり、段ごとに異なる菓子での演出なども楽しそうです。

また、最近のコロナ禍の手法として・・・完全消毒済みの「亭主」がみなさまの前で、段を展開して「取り分け」るというのも、席中でのひとつの点前の流れとしても面白いかも、です。



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一番下の底部に書き銘があります。




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共箱です。側面から出し入れする「差し込み蓋」です。

底に引き出し台でせり出すようになっております。


これは、とても深い蔵からの出物で・・・お使い用としても愉しめるモノですが、コレクションアイテムとしてもナカナカなのです。



※御成約済みです。



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【市江鳳造 織部 組重 七十九翁】

道具屋、というか美術商というのは、ある意味セレクトショップみたいなものです。

(もちろん、総合的に扱ったり、自身の好みより売れ筋を優先するスタイルもあります)

近年では・・・自身のこだわりに合致したもだけを仕入れるように心がけてはおりますが、稀に・・「ご縁」で「手に入ってしまう」というものがございます。


そういうものの中で、少し時間を置いてみて俯瞰してみると・・別の見え方がしてきて、面白く思えるモノ、というのがあるのです。

今回、ご紹介するのは・・・まさにそういう類のもので、1か月間・・・眺めているうちに「かわいく」なってきた作品です。



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【市江鳳造 織部 組重 七十九翁作】


幅 15.6cm×12cm 

高さ 14.3cm

製作年代 弘化3(1846)年

共箱



市江鳳造、当店でもたまに入るものですが・・・どうしてもお茶碗、だけでした。

というのは、元が茶道具の価値観をベースに見てしまうと、尾張陶磁器の中でもそういう面に合ったモノを選びがちになってしまいます。


しかし、本当の面白さというのは、もっと文人的、趣味的であったりするのです。


この作品は「組重」、というものです。


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このように展開致します。


まず、市江鳳造についてのご説明から。


尾張藩士である、鳳造は若年の頃から作陶を好み、仕事の傍らで平澤九朗に学びます。


明和5(1768)年生まれ、なので九朗より・・・4歳程年齢は上になるのですが、尾張藩士でありながら雅味あふれる作陶を行っている姿は、学ぶべきものは多かったと思われます。


どちらかというと、陶工職人気質というより、文人的な品と雅味あふれる作風に富んでおり、製作された茶道具や雑器は、「鳳造焼」として愛玩されたといいます。

嘉永年間には、初代不二見焼となる、村瀬美香を指導し「尾張藩士焼」的な流れを後進へと繋ぎました。


さて、今回の作品に戻りましょう。


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「組重」というのは本来は、塗物で江戸期によくあったアイテムに近いものです。


提げていって、出先で愉しむ為の菓子などを入れる器ですね。


現代的にいうと、ランチボックスというかピクニックギアというか。

それを、鳳造は「やきもの」として作り上げました。


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下段には鉄絵にて「松」を描いており、上段には「山間名月」という文字の彫りと「梨棗(りそう)」瓢箪小印があります。


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斜めから見ると、達磨のようですね。


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上段は「江上清風」の文字彫りと、「梨」の丸印が押されております。



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下段にはこちらも鉄絵でより大きな「松」の絵と、同じく鉄絵にて「梨棗」の書き銘が。


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蓋を開けてみましょう。


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一段目は、仕切りがあります。小さいほうには金平糖なども入りそうです。


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一段目の裏側には、「弘化丙午」と」彫られてます。

これは、弘化3年 1846年のことです。


よっつの足がありますが、これにより上段だけでの使用も可能となっております。

この足は、下段との合わせ爪の用途にもなっております。


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下段の内側です。窯切れがありますが一応・・漆で押さえられております。

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底部です。


「七十九翁 鳳造 (梨棗)瓢箪印 推敲(すいこう)両作也」


とあります。こちらは箱書きにもあるものと関連します。


内底の窯切れ部分がこちらで見えますね。


次に箱に参ります。


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さすがに、やきものを手提げ出来ませんので、箱に手提げがあります。

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少々イタミが。。。


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先ほどの底部のものとほぼ同じです。

「梨棗園 推敲亭鳳棲 両作也 八十翁鳳造」


作品が七十九翁でしたので、焼いた後の箱書きですね。


さて・・・ここから、謎解きです。


こういう文人的な、楽しみ(苦しみ)を求められるのも幕末のやきものに付き物なのです。(-_-;)



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【江上清風】


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【山間名月】


宋の詩人である蘇軾(そしょく)の「赤壁の賦(ふ)」の一節に以下のものがございます。


惟江上之清風    (ただ江上の清風と) 

与山間之名月    (山間の名月とは)

耳得之而為声    (耳これを得て声を為し)

目遇之而成色    (目これにあいて色を成す)

取之無禁      (これを取れども禁ずるなく)

用之不尽      (これを用うれども尽きず)

是造物者之無尽蔵也 (これ造物者の無尽蔵なり)



赤壁は、三国志でも有名な地です。

そこで蘇軾(そしょく)が舟遊びをしたときの歌の中の一節です。

その歌の始まりは以下のような感じです。。。。

1082年の秋、7月16日、私は客人とともに舟を浮かべて赤壁の辺りで遊びました。

すがすがしい風がゆっくりと吹いてきましたが、水面には波がたっていません。

酒をあげて客人に勧め、「名月」の詩を唱えて、「窈窕」の詩を歌いました。

しばらくして、次が東の山の上に出て、射手座と山羊座の間を動いていきます。

きらきらと光る露が川面に広がり、水面の輝きは(水平線の彼方で)天と接しています。

一艘の舟が(川の流れの)ゆく所に従って、果てしなく広々としたその先まで進んでいきます。

(その様は)どこまでも限りなく続く大空で風に乗ってとどまるところを知らないかのようであり、ふ

わふわと浮かんで世俗のことを忘れてただ一人で、羽が映えて天に登って仙人になったかのように感じられます。



さて、ここまで来ますと・・・この組重の形状が、まるで「舟」のようにも感じてくるものです。


このような歌を詠みたくなるような、舟が似合うロケーション・・・市江鳳造が、このとき居たであろうと推察出来るヒントがあります。

「推敲亭」

原叟が作ったとされる、桑名にある草庵です。


「推敲亭鳳棲」

とありますので、滞在したであろうとも思えます。


桑名となれば、昨年・・・初めて桑名を訪れた時の風景を、ふと、思い出したのです。


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桑名には、きれいな松原が続く木曽川に面した風景があるのです。


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下段の3面に松原が続くように描かれているのです☆


やわらかい織部釉が、まるでこのやさしい風景の緑とも相まって見える気がするのです。


この作品が生まれた江戸時代というのは、国内ですら自由に行き来することもままならない時代です。

このように、かの地に思いを馳せて・・・普段居る、場所などでいかに楽しむ、というのはまるで今のコロナ禍の楽しみ方に通じるヒントかもしれません。


※売却済みです。




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永楽和全 鉄絵 千鳥絵片口盃  【5客】 即全箱 [幕末京焼]

当店の、夏ツアーもいよいよ後半戦です。

6月からのこのツアー・・・ひそかにピックアップテーマがございます。


「ちっちゃいもん倶楽部」


はい、そのまんまです。

当店セレクトの小さいもの・・・を特集してご紹介しております。


また、不思議と・・・ご縁があるもので、この2か月ほどの間にちっちゃいもん、色々と入りました。

ちーむを卒業したメンバーも居ますが、続々と増えつつあります。


今月末に、少し「大美正札会」にて展示するのと、本格的には9月1日からの東京日本橋 丸善での「はんなり骨董楽市」でフルメンバー登場する予定です。


それでは、結成初期メンバー(といっても6月下旬ですが[あせあせ(飛び散る汗)])から、ぼつぼつご紹介いたしましょう。




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【永楽和全 鉄絵 千鳥絵片口盃 5客揃】 


幅  5.5センチ(各) 

高さ 3.2センチ(各)


明治時代 前期頃

即全極め箱





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なんとも、かわいいフォルムなのです。


そのほんわり・・したカタチ、片口がくちばしのようで・・・全体で「千鳥」を現しております。


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内側も轆轤目がきれいに魅せられております。


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高台側です。


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鉄絵により、千鳥の絵も。


盃と名うってますが、ぐい呑み形状ですね☆


幕末期に、九谷焼の改良に窯を上げて赴き・・・岡崎時代を経て、ふたたび京の地で製作をする頃は明治時代です。


これまでとはうって変わった世情の中、三井家との繋がりが深かったこともあり、この頃には注文品として用の器を多数手がけました。


仁清や金襴、染付などを全て完璧にこなした上で和全の到達した境地が・・・菊谷焼といった、侘びさの中に造形や、意匠の愉しさを込めた作品群です。


この作品は、小印だけなので判別はできませんが、釉調や土の感じから・・・明治10年代以降の和全の作品と推察できます。

故に、この頃は使うことを前提として納められた作品が多く、共箱無しで伝世していてもおかしくないのです。


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この作品には、先々代の永楽善五郎であります、「即全」による極め箱となっております。



磯千鳥、は群れて海辺を飛んでいきます。



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・・・のイメージで。( `ー´)ノ


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日の出に波をバックにも飛ぶのです!



ちっちゃいもん倶楽部、トップバッターの五人組のご紹介でした☆



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