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【永楽和全 古赤絵七宝手茶碗(汲出)6客】 [幕末京焼]

永楽善五郎、でも代ごとに得意とする分野が有ります。

中でも『和全』は様々な写しなどを、保全とはまた異なったアプローチで製作しておりましたが・・・

『磁器』については、和全の技を頼って・・・大聖寺藩や、岡崎藩が自身の藩窯へと招聘致しました。


大聖寺藩の目的は・・・九谷焼の復興であり、万延元(1860)年に宮本窯を買い、春日山窯の縁で京和全を山代に招いたのです。

和全は自身の窯の陶工全員を上げて赴き、慶応元(1865)年に九谷本窯(永楽窯)として開窯しました。


明治2(1869)年に、 永楽和全が京都に帰ることになり廃窯となりましたが、地元の陶工たちには確かな金襴手・赤絵などの技術が伝わり、また数々の優品も北陸地方に伝世することになるのです。

そんな、見込まれるほどの・・・磁器の技、を発揮した、和全の京都・善五郎時代の作品です。



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【永楽和全 古赤絵七宝手茶碗(汲出)6客】


幅     7.8cm(各)

高さ    4.2cm(各)

製作年代  嘉永6(1853)~慶応2(1866)年頃

共箱



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一客を、ズームアップしてみましょう。


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和全では、箔塗の金絵付けが確立されたのですが、この作品では旧来の金塗りの手法にて風合いを出しております。


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緑と黄を使い、七宝紋様をやわらかく・・そして華やかに描いており、赤絵にて引き締めております。


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内側は、染付です。


サイズ感も良く、煎茶にも、待合の香煎にも。


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共箱です。


和全以降の永楽では、堅い感じの金襴や赤絵に移行していきます。

それは、需要に対する製作量のせいか、確立されすぎた技法のせいか・・・何かを得た半面、失われたものたちも多かったのだと、思います。


『感性』 を感じられる優品なのです。



※御成約済みです。



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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》


      藤井香雲堂
 

TEL 090-8578-5732

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【保土田 横浜薩摩焼 輪花皿】 [明治工芸]

当店で、ライフワークとしております『眞葛焼』ですが、それ以外にも、明治時代には・・・いわゆる『ハマ焼』(横浜焼)というものが、存在しました。

横浜という所は・・・元々、農業と漁業をほどほどに、している片田舎の地域でした。


『開港』、というイノベーションで、世界との扉を開くニッポンの入り口として一気に開花したのです。


幕末期に万博へと薩摩藩が出展したことによって『薩摩焼』というものが世界に認知され、人気を博したことにより多大な需要が生まれたのです。


『本』薩摩焼だけでなく、『京』薩摩焼や、『神戸薩摩』、『大阪薩摩』などといった他地方でも『薩摩手』が大量に製作されることになりました。


海外からは、いづれも・・金をふんだんに使用した豪華絢爛なジャパンメイドのやきものとして同じに見えたのかもしれませんが、実際には産地による従事陶工・画工による各地の特性が発揮され、コレクターには面白いバリエーションへと進化したという面もあったのです。


『宮川香山』の『眞葛窯』は、薩摩手からの脱却と早期から図り・・・『高浮き彫り』や、『釉下彩』といったものにシフトしたのですが、今回ご紹介する作品は、明治後期に独自の進化を果たした『横浜焼』なのです。



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【保土田 横浜薩摩焼 輪花皿】


幅    19.5cm

高さ    4cm

製作年代 明治20年~30年代

箱    無地箱



とても、緻密に描かれた作品です。


輪花形に形成された、皿に安定した上質な生地と施釉。


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『扇』を中心に、『団扇』、『千鳥』、『雪輪』、『巻物』、『貝』、『葉』の窓に・・・それぞれ、人物風景図が描かれております。


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輪花の内側には、祥瑞文様が施され・・・合間の余白には、びっしりと、『桜』と『蝶』に金描が。



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銘『保土田造』


横浜の『保土田商店』の『保土田太吉』が、明治22年頃から製作を始めた横浜焼で、素地は薩摩から取り寄せていたものを横浜で絵付けした作品です。

明治30年頃から、海外へも輸出されるようになったようです。


この作品も、里帰り品となります。



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絵のストーリーは、じっくり見ながらあれやこれや、と思いを巡らせて楽しめるのです☆


※ご成約済みです。



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【2022年2月】の新入荷情報&スケジュールです。 [BASE215]

【2022年2月24日 新入荷情報の画像、アップしました。】


なんやかんやと・・・マニアックな、新入荷がございました。これでも、セーブしたのです。。。

来月はちょっと危険な予感が致しますもので。(^-^;



次は、展示会のお知らせです。 ⇒ 下の、別ページ にて御紹介中です☆


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2月23日(水)~3月1日(火)

近鉄百貨店 上本町店 8階イベントスペース

『骨董まつり』


10:00~18:30


近々の、新入荷も展示致します☆




【新入荷情報】


◎加藤孝俊 蓼冷汁手 酒盃


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※御成約済みです。


◎加藤孝俊 油滴銀星斑 酒盃


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※御成約済みです。



◎加藤孝俊 油滴金星斑 酒盃


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※御成約済みです。

◎明治~大正期 赤膚焼 ミルクピッチャー 【15客】


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◎江戸後期 眞葛長造 仁清写眞葛窯 雁香合 共箱 香斎極め外箱


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※ご成約済みです。





◎文政9(1826)~天保13(1842)頃 仁阿弥道八 絵高麗 菓子入


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これは、なかなかのミドコロ作品です。


※ご成約済みです。


◎文化8(1811)~文政9(1826)頃 仁阿弥道八 乾山写菊図 鉢 三浦竹軒極め箱


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こちらも、あまり出ない逸品です。


※御成約済みです。


◎昭和19(1944)年 永楽即全(城山窯) 稲穂の絵賛 茶碗 三井高棟・苞子賛


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三井家の大磯でのお庭窯はかねてよりの悲願でした。得全からの約束を即全が果たしたのです。

※御成約済みです。


◎17~18世紀頃 デルフト タイル(平皿として)

①~④ バラ売り可




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古オランダです。特徴的な釉薬がなんともいえません。

お洒落な銘々皿としてどうぞ☆




◎四代 清風与平 伊羅保 茶碗


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作品の魅力は・・・値段では無いのです。

※御成約済みです。


◎三浦篤 御本立鶴写 茶碗

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さすがの三浦家です。使いやすく出来ております。

※御成約済みです。


◎江戸時代後期 青木木米 交趾手 軸端  二 伝世箱


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※御成約済みです。


◎江戸時代後期 奥田潁川 赤絵蟹 墨床 伝世箱



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※ご成約済みです。


◎江戸時代後期 奥田潁川 白磁蟹 墨台 竹軒極め箱


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※ご成約済みです。



◎昭和15年 七代 高橋道八 青磁 箸瓶


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※売却済みです。



◎文化8(1811)~文政9(1826)頃 仁阿弥道八 瓶筋筒


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※御成約済みです。


◎嘉永6(1853)~慶応2(1866)年頃 永楽和全 古赤絵七宝手茶碗(汲出) 【6客】



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※御成約済みです。


◎樂 覚入 子 香合


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※ご成約済みです。



◎藤田喬平 手吹金彩 茶入 銘 金閣


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※ご成約済みです。



◎川瀬竹志 白磁 花器



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※売却済みです。


◎西岡小十 絵唐津 沓茶碗



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※売却済みです。


◎昭和13(1938)年頃 河井寛次郎 呉洲 盒子


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※ご成約済みです。



◎十一代 三輪休雪 萩 割高台茶碗 鵬雲斎 箱



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※ご成約済みです。



◎幕末~明治初期頃 村瀬美香(初代不二見焼) 筒茶碗 銘 鶏鳴 堀内不仙斎 箱



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※ご成約済みです。




今回の新入荷の半数以上は、同じ『蔵』からの出物です。

展示会、用としての入荷が多めです。


洒落た感じのものを揃えております~





次は・・・スケジュールのお知らせです。



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<現在のベース展示より>



【2022年2月】


2月 2日(水) ベース営業日

   3日(木) ベース営業日  全日×

   4日(金) ベース営業日  14時半~×


   6日    オークション@大阪南美術会館
   7日    オークション@大阪美術倶楽部


   9日(水) ベース営業日  15時~×



  11日(金)祝 ・12日(土) 『十翔会 特別開催版』@大阪美術倶楽部 本館3階



  14日(月) ベース営業日 午前 ×

  15日(火) ベース営業日  ○

  16日(水) ベース営業日  9時過ぎ予約有
 
  17日(木) ベース営業日

  18日(金) ベース営業日  午後 × 



  19日    オークション@大阪美術俱楽部
  20日    オークション@名古屋美術俱楽部
  21日    オークション@京都美術俱楽部



  22日(火) ベース営業日         <搬出>



  23日(水)祝~3月1日(火) 『骨董まつり』@近鉄百貨店 上本町店8階イベントスペース




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☆コロナ禍における、お客様の重複を避ける為にも、ベースご来訪の節には、事前のご連絡を頂戴したく存じます。




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上本町近鉄百貨店 『骨董まつり』開催中です☆ [催事]

2月23日(水)から、恒例の『上本町近鉄 骨董まつり』が開催中です。


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22日は、新入荷の手入れと、荷造り・・・からのベース搬出して、の百貨店搬入・陳列でしたので、ちょっとお疲れでした。(-_-)


しかし、事前から図面とにらめっこして、の展示計画を立てておりましたので作業はスムーズに21時には完了しました。


では、当店ブースの様子をご覧下さいませ☆


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通路面の『ちっちゃいもん倶楽部』です。


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お勧め、書付モノなど。


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側面の通路側です。


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『眞葛香山』 特集ケース。


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お値頃品、もごさいます☆


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毎日、『~18:30』迄、開催中です!


最終日は、『3月1日(火)』の16~17時頃迄、となります。


どうぞ、お立ち寄り下さいませ~





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【大橋秋二 瀬戸黒 小筒茶碗】 [おもろいで!幕末尾張陶]

今日、はとても寒いのです・・・。

近畿でも大雪、だとかゆうておりますが、都会(まち)の中はまだその気配は見せず・・・ただ、ただ寒いだけなのです。


2月といえば、筒茶碗。

お雛さんはまだ少し早いですが・・・『ちいさな』筒茶碗をご紹介したくなりましたのです。




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【大橋秋二 瀬戸黒 小筒茶碗】


幅    7.3cm

高さ   8.8cm

高台径  3.8cm


製作年代 江戸時代後期

箱    合わせ箱





・・・・これは、ちっちゃいながらも、とても味わい深い作品なのです。

かなりの、お気に入りです。



関西で知られる、『尾張幕末 三大名工』のひとり・・・『大橋秋二』の作です。


【大橋秋二】

寛永7(1795)~安政4(1857)年

元来、医者とも薬種商であったともいわれ、生来の風流人・茶道・歌道の他に陶芸に入れ込み、京都へ出て陶芸を尾形周平に絵を小島老鉄に学びます。

瀬戸系のみならず、和漢の写し物にも巧みで名工の誉れも高く、尾張徳川家へ14点上納もしているのです。

無欲な為、藩主より陶器師の列へ招かれるが辞する。名利を嫌い45歳で早くも剃髪し入道となる。



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この作品は、『瀬戸黒』です。


『瀬戸』の『黒』で・・・美濃地方のものも昔は瀬戸にひとくくりに分類されていたのです。



この釉薬は、『鉄釉』が熔ける高温帯、およそ1,200℃前後の状態から、作品を外に取り出し・・・水に浸けて一気に急冷すると、釉薬に含まれる鉄分が黒く発色するのです。

これを『引き出し黒』とよび、その他では『黒楽』・『織部黒』・『黒織部』等で使用される技法です。


この・・・たっぷりとした、釉薬がぬるっとした黒光と、するっとした手触りで、手取りが堪りません!


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内側、も非常に・・・いい!


星がまたたき、行く先には渦状が・・・まるで、宇宙でワープに入る様、です。



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反対側より。


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高台脇の形状も、いい!


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銘、は秋二の別号であります『収翁』作、と釘彫りされております。



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小ぶり、で筒、ですので抹茶を点てるのは・・・ちと、苦労致します。

しかし、それ以上に愉しいお茶碗なのです。


茶箱でも、お雛様の趣向の小茶碗でも、良いのですが・・・・抹茶を、何度も点てている内に・・・


(お酒が、実は一番愉しいのではないか?)


という、心の声が聞こえてきます。(^^;



いやいやいや、もうコレクション、で良いのでは無いですか~



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※ご成約済みです。


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【赤膚焼 ミルクピッチャー】 [食の器]

ちょっと、変わり種、のご紹介です☆


奈良の『赤膚焼』といえば・・・『遠州七窯』のひとつとして小堀遠州に認められた古窯です。

遠州が指導した、あるいは切型を送り、自身の美意識に適う『やきもの』を製作させた、と伝わります。



静岡 『志戸呂焼』

滋賀 『膳所焼』

京都 『朝日焼』

大坂 『古曽部焼』

奈良 『赤膚焼』

福岡 『上野焼』『高取焼』



たしかに、いずれも・・地味な釉調ながら、『凛』とした空気感を醸し出す、上品なやきものが多いです。


しかし、この七窯には、”七”不思議ならぬ、”二”不思議があります。


『赤膚焼』と『古曽部焼』について、です。


いずれも、遠州没後かなり経ってから開窯したもので、つじつまが合わないのです。


どうやら幕末の美術商であった『田内梅軒』が安政元年(1854)に刊行した『陶器考』という書物に記されたことが、元になってるという・・・特に根拠の無いものだったのです。(^^;


実際に遠州とのやりとり、が遺されているのは『膳所焼』と『高取焼』のみであったようです。


しかし、ある意味・・・一定の美意識での選定であったのは認められるところでもあり、現代へと知れ渡っているのです。



さて、そこで『赤膚焼』です。

18世紀に藩窯としてスタートし、途中の中断を挟んで・・・幕末期の『奥田木白』の登場により、茶陶窯として人気が高まったようです。


『萩釉』というクリーム色の醸し出す柔らかな雰囲気が一番特徴的です。


今回、ご紹介致しますのは、その釉薬の良さが小品の中に発揮された作品です。



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【赤膚焼 ミルクピッチャー】



幅  3.6cm (各)

高さ 4.2cm (各)


製作年代 大正~昭和初期頃


箱無 〈5客組 × 3セットございます〉



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いわゆる、『海軍型』といわれる形状のミルクピッチャーです。

台形で、底が安定することによりこぼれにくいことから採用されたとか。


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なかなか、の可愛さなのです。


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近代の、量産窯モノとは造り、が違います。

たっぷり、釉薬もかかり・・・きちんと発色しております。


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ドレッシングや、ソース・シロップなどを各人にお出しするのは、このご時世では大き目のものを取り回しするより、個々への提供が推奨されるご時世です。

そういう用にも適います。


おそらく、大正~昭和初期頃の時代背景から、諸外国との戦争が広がる中、貴重な資材としての『金属製』で無い、やきものへの求めがあったことと推測されます。


しかし、時代の流れとは不思議なもので。。。平和で豊かになった現代、このようなものがやきもので、お洒落なアイテムとして製作されたりすることが増えてきて、逆にモダンなモノとして活きてくるのです。



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いつも、ご紹介致しますラインナップとは少し異なりますので、今商品は価格提示を致しました。


① 5客組  ¥15000(税込・送料込)

② 5客組  ¥15000(税込・送料込)

③ 5客組  ¥15000(税込・送料込)




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【永楽保全(善一郎) 金襴手 酒飲】 [幕末京焼]

今回は、天保時代(1830~1843年)のお話になります。


天保の大飢饉により、世の中はとんでもない餓死者が発生しました。

一揆も多発し、『地方の米』による収入が柱となっていた幕府の財政基盤は、危機に瀕していたのです。


12代将軍『家慶(いえよし)』に代を譲り『大御所』として君臨していた11代の『家斉(いえなり)』が天保12年に没した後、かねてより様々な施策を上げるものの阻まれ続けていた『老中 水野忠邦』がついに実行したのが『天保の改革』です。


改革の主な内容は、『財政の引き締め』『物価の抑制』『農村の復興のための人返の法』でした。



1841年 倹約令の発令、歌舞伎3座を浅草へ移動、株仲間の解散

1843年 人返しの法 上知令


この他、通貨の質を下げて倹約したりもありましたが、さらなるインフレを起こし・・全ての施策は・もはや、根本的な体制や、出来上がった世の中の仕組みに対しての『対処療法』でしかなく、全てが裏目に出てしまった為、失敗に終わってしまうのです。

その中でも『大塩平八郎の乱』は、世の中に衝撃を与えました。

後世からは、明らかな失策であることは自明の理なのですが、その時代、その責務を担った当人たちが、いかに追い込まれていたか、もうどうすることも出来なかった中で最善を尽くそうとした、というのは理解できなくは無いのです。


多大な反発の中、水野忠邦が失脚し・・・天保の改革は天保時代と共に終焉を迎えました。

(反したひとり・・・遠山景元は、のちに遠山の金さんとして語り継がれます)


その時に、廃止となったひとつに『奢侈禁止令』というものがあります。


このことで、制限を受けていた製作活動が、ようやく自由となって、生み出された・・・まさに開放の美ともいうべき作品をご紹介致します。




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【永楽保全(善一郎) 金襴手 酒飲】


幅   6.2cm

高さ  4cm

製作年代 天保14(1843)~弘化4(1847)年頃

共箱



大変、上質に造られたものです。


薄造りな上部に対して、腰に至るあたりから徐々に肉厚が増していくことで、重量バランスの良さ・・・手に取った時のバランスが絶妙です。


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外側は、『鳳凰文』です。


金箔を貼りつける『和全』に対して、『金泥』により緻密に描かれているのが保全です。


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口は輪花形が意匠を引き立ててますね。


内側は、『蓮文』になっており、極楽浄土を現しております。


この内外の組み合わせ・・・平等院のようです。


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内側底には、『染付』にて『小禽』が三匹。


江戸期には『盃』型が多い中、このように『ぐい呑み』形状は少なめです。

そして、描きにくい内側まできちんと筆が入っているのがすごいです。


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『大日本永楽造』



この作品は、永楽保全の中でも『中期』にあたる『善一郎』時代です。


天保12年に養父である『了全』が没した後であることと、和全へ家督を譲ったことでの『家』からの解放、そして、紀州徳川家偕楽園焼からの流れを利用したことからの『土風炉師』からの脱却、『奢侈禁止令』の廃止による製作制限の撤廃・・・という、3つの呪縛から解放されたことにより、保全が自由に最高傑作を作れた保全の黄金時代と言われます。



その頃の資料でこのようなものが遺されております。


『天保十四年七月二十二日  善五郎病気に付、町内のみ隠居致度、千家御聞済の由。善五郎事、善一郎。仙太郎事、善五郎・・・』


和全へ家督をお譲り、町内では隠居となりますが他で善一郎という名で仕事を続けます。これは千家の認可を得たことです。

ということを書かれており、のちに長く続く和全との不仲の原因となる、『善一郎家』を並立させることの宣言書でありました。


それはさておき・・・善一郎時代には三井家にも豪華絢爛な優品が遺されているのです。



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この作品も、かなりの名家に収まっていたようで、箱も保全の共紐もあるきちんとしたもの、そして包布も蔵家の朱印まであります。


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普通に、今、目にし・・・手に取ることのできる作品たちは、それぞれが歴史の様々な背景の元に生み出されたものであり、奇跡のタイムマシーンで現在、ここに存在するのです。


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※御成約済みです。


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【初代 三浦竹泉 倣祥瑞紋様 石蓋茶碗(蓋物)】10客 [幕末京焼]

昨日に続きまして・・・今度は、明治時代の京焼染付作品、のご紹介です。


江戸時代の18世紀頃には、元は「音羽窯」しか存在しなかった窯元も複数登場し、『五条坂』と『清水坂』とで分かれていた陶業家の流れが統一して五条坂として盛んにりました。

明治初期には20基もの『登り窯』が五条坂近辺に稼働しており、一大窯業地となっていたのです。


そんな中、13歳の時に『三代 高橋道八』に弟子入りしたのが『初代 三浦竹泉』です。

30歳となる明治16(1883)年に独立、五条坂に築窯しました。

文人との交流と基に、様々な雅智溢れる作品と、洋風のテイストをも取り込み、新たな京焼の流れの一端を担うことになるのです。


今回の作品は、初代竹泉が54歳の歳に特注で製作した『懐石のうつわ』のご紹介です。



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【初代 三浦竹泉 倣祥瑞紋様 石蓋茶碗(蓋物)】10客


幅  12cm (蓋の径は12.7cm)

高さ 6.5cm (8.5cm 蓋を含む)


製作年代 明治40(1907)年8月


共箱




大変、上質に仕上がった染付です。


この濃い目の色、そして丸紋などの意匠は・・・・『祥瑞写し』といわれるものです。


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祥瑞とは、染磁器の一種で、素地、釉薬、青料ともに精選された上質のものを指します。

景徳鎮窯に、かつて日本の茶人の用に適う磁器作品が注文にて作られ伝世したのですが、その人気と制限された作品数により、一般人には手の届かないものでした。


幕末から、明治の京焼というのは・・・無いなら、作ってしまおう!的な感じであったように思えます。

初代竹泉は、腕もさることながら・・・和漢のあらゆる美術にも造詣が深いようでした。


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丸紋と、茶色の同紐が作品を引き締めております。

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縁も施釉されておりますので、蓋無しでも向付としても使えそうです。


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底の銘部分です。


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共箱です。



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作品としてもよく、使い勝手も、さらに良し、な器です。



※ご成約済みです。



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【亀屋旭亭 染付松竹梅絵 茶碗】 [幕末京焼]

大変、珍しい陶工の作品です。


江戸時代後期・・・京都の地に於いて、ようやく『染付』の技術が完成致しました。

その先駆けとなったのは『仁阿弥道八』です。


その道八の染付完成に力添えしたのが、『塩野熊吉朗』という陶工です。



天保時代に、有田の陶家に入り込み・・・苦労の末、『染付陶磁器技術』を学び京へ持ち帰り、高橋道八家へ伝えたといわれております。


しかし、作品はもう少し前には有りますので、『天保時代』というのは誤りで『文化・文政時代』であったでしょう。

それでも、瀬戸の磁祖である加藤民吉より少し遅れを取っております。


道八以降、幕末の京都・・・五条坂の陶家にて染付が普及します。




仁阿弥の弟子であった・・・『初代清風与平』(活動時期 文政10~文久3)

のちに京都府の勧業場御用掛となり、万博でも活躍した『和気亀亭』(活動時期 文久~明治初期)



そして・・・『塩野熊吉朗』の子であった『宮田亀寿』


宮田亀寿の頃には、かなり安定した染付作品が作れるようになったようです。


その亀寿に師事し、初期京染付の魅力を遺した最後の名工といわれますのが、『亀屋旭亭』です。


今回はその旭亭作品の逸品のご紹介です。




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【亀屋旭亭 染付松竹梅絵 茶碗】



幅    12cm

高さ   8cm

高台径  5.2cm



製作年代 嘉永3(1850)~明治7(1874)年頃

箱  伝世箱  銘 阿さ日 と在り





まさに、初代清風や、亀寿の感じそのままです。


とても、丁寧に・・・そして呉須なども良質感が溢れております。



DSC06580-1.JPG


轆轤形成のあと、少し歪ませております。


『松竹梅と山水』ですが、それは決して写実的ではなく・・・


また、中国風のままでもなく。


びっしり、と茶碗というキャンバスに描き込んでおります。


DSC06581-1.JPG



茶碗に描く、絵付けというのはもはや装飾であり、絵というよりグラデーションと展開の美学でもあります。


茶陶としては、豪華すぎるこの染付は・・・京染付のテクニックの見本市ともいうべきものでしょう。



DSC06582-1.JPG


染付茶碗、の由来に則って・・・見込みの内剥がしとなっております。



DSC06583-1.JPG


高台脇は、たっぷりと土の肉厚が取られ・・・低重心による安定感がフォルムだけでなく、お茶を点てる際にもアドバンテージとなっております。


DSC06585-1.JPG



『旭亭』の丸印です。



『亀屋旭亭』は、文政8(1825)年に五条坂の陶家『桜木清吉』の子として生まれ、成長ののち・・・宮田亀寿に師事しました。


嘉永3(1850)年、25歳のときに独立し『東光山』と号し、染付作品を製作するようになります。

特に『祥瑞写し』に長けていたといわれ・・・まさに、この作品は旭亭の代表的な作風なのです。


DSC06577-1.JPG


しまわれていた合わせ箱からは・・・旧蔵者が、大切にしてきた様子がうかがえます。


DSC06578-1.JPG



まぼろしの、京染付アルチザン、『亀屋旭亭』。


その技術を見込んで・・・『画家』であった『初代 伊東陶山』が陶工へと転向するに際して、旭亭に入門します。

初代伊東陶山は、のちに・・・陶芸では5名しか任じられなかった『帝室技芸員』の一人となります。



その高い技術は明治の時代の激動の中・・・残念ながら、幕を下ろすことになります。


廃窯は、明治7(1874)年のことでした。


周りが人手を使い、大きく製作を広げる中で・・・約25年の間、ストイックに造り続けた旭亭ですが、果たしてどれだけの作品が遺されているのでしょうか。



※売却済みです。



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【十翔会 特別開催版】のお知らせです。 [催事]

【2022年2月10日追記】


もう20年近く開催しております『十翔会』ですが・・・新型コロナウィルスの感染拡大状況による『中止』や『延期』などがございました。

その節は愉しみにして頂いております皆様には、ご迷惑をおかけいたしました。

その後、『大阪府が緊急事態宣言下』であれば『中止』、という統一方針を定め、お客様ならびに出展者の皆様への混乱を避けるように致しました。


ですので、通常の『5月』と『11月』が、必ずしも開催出来るとも読めないこともあり・・・・

通常開催とは異なる時期に、有志の出展者による『特別開催版』をスケジュールすることで、開催機会や、お客様方のご都合や心情的な面にご対応させていただこうというのを昨年よりスタートさせていただいております。


大阪美術倶楽部の設備施設を活用し、また会場レイアウトや換気などの新型コロナ対策を万全に施した上で開催する所存です。


ご無理のない程度で・・・ご高覧頂ければ幸いです。



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今回は、祝日がございますので・・・・11日(金)祝・12日(土)という、変則的な開催となりますのでご注意ください。


ご来場の際には、受付にて『検温』『消毒』の上・・『藤井香雲堂』のお名前にて記帳手続をよろしくお願い申し上げます。


【追記】


準備完了致しました!


今回は、バーゲンコーナー・・・と、呼べるものは僅かしかございませんが、いつもと異なるアプローチは、まさに『特別開催版』の名に恥じぬ内容です!


DSC_6242_copy_600x450.jpg


手前の部屋は、いつもと同じレイアウトの展示ですが・・・奥の部屋は、アートフェア的な展示になっております☆


DSC_6243_copy_600x450.jpg


当店、出品エリアです。


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今回は、新たな試みとして・・・・作品のプライスカードの横に、『QRコード』が提示されているものが御座います。

読み取っていただければ、当ブログの当該作品の紹介ページが開くようになっております!


是非、実物をご覧になりながら・・・解説を併せてお愉しみ下さいませ。


それでは、明日からの2日間、どうぞよろしくお願いいたします!




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