【永楽即全 仁清写東山 色紙皿 十之内 即中斎 箱】 [京焼]
【2022年4月6日追記】
今年は、気温の関係でしょうか・・・若干、遅めの開花状況だったようですが、まさに、今、『満開』☆のようで、各地の桜名所は見物される方で賑わっているようですね。
残念なことに・・・わたくしは、仕事など諸事情で、全く桜見物に出かける機会がなく、移動途中の景色で『桜チラ見』だけで日が過ぎていきます。。。
そんな、中。
『散らない桜』
は、現在手元で目を楽しませて頂いております。ご紹介致しましょう。
【永楽即全 仁清写東山 色紙皿 十之内】
幅 21cm 四方
高さ 3cm
製作年代 昭和15年頃
箱 共箱 即中斎 書付
見事な、描きっぷりの『色紙皿』です。
サイズも、ジャストサイズです。
これより大きいと、お飾り専用になりますもので。
作品を見てまいりましょう。
『色紙皿』というのは、色紙を模した『やきもの』で、側面を打ち立てた大きな『角皿』の平面に展開される『意匠』を楽しむアイテムです。
サイズは色々、ありますが、寸法によって『菓子器』として、お料理の『平鉢』としてお使いになられたり、そのもの自体での『飾り物』としても好まれるものです。
意匠をズームアップしましょう。
京都の東山、の情景を遠景として描いております。
清水寺ですね。
高台寺の方を臨んでおります。
実際の風景も見てみましょう。
綺麗な風景です。
さて、桜といえば・・・ピンク色がこのように、浮かびます。
この作品の方は。
ピンクは無いです。
これは、この作品は『古清水』をモチーフにしているからなのです。
『粟田焼』での古清水に使われる、緑と青とクリーム色、そして・・・金彩を基調としており、赤だけは仁清からのテイストとして使われております。
側面は、『御室焼』での野々村仁清特有のデザインですね。
能装束をモチーフにしたと云われます。
『鱗紋』は、鶴にも見立てられます。
さらに、ちょっとしたアクセントとして・・・
『折り返し』が意匠として作られております。
これが有るのと、無いのでは、またお洒落度が変わるのですから、すごいものです。
即全の印です。
共箱
即中斎により、『十の内』であることが記されております。
この作品は・・・永楽善五郎歴代展でも、展示された『正全』作の写し、かと思っておりましたところ…
当、ブログを御覧いただいております、某学芸員先生から有難いご指摘と情報が
伝野々村仁清 作で、このまんま…のものが、『香雪美術館』にて、平成22年に展示されておりました。
さらに、香雪翁の所蔵に『妙全』作のものもあるそうで。
伝野々村仁清、として初期京焼の時代にこのようなモダンデザインが有り、それが伝わったところからのご縁で大正時代~昭和前期にかけて、永楽家にて少数製作で写されていたのは素晴らしいことです。
京焼の伝統としての『写し文化』ではありますが、それも『ご縁』が有ってのことです。
モノの伝わり方によっては、知られないままで終わることもあるのですから…
書付より、年代が特定出来ますが、即全が襲名した初期の作品となります。
襲名後、大磯の『城山窯』に、戦後になるまで従事しましたがその前に、先代を偲んで・・・特別制作された少数製作作品ということでしょう。
14歳という若さにして、襲名することになった即全が20歳前後という時期に・・・
既にこのような『京焼』の伝統と見事に生かした作品を作れたことは、戦時下における『伝統的な工芸技術を保存する人』に資材と提供するための制度、『工芸技術資格者』に昭和18(1943)年に即全が認定されましたことからも、いかに評価されていたかということの証ですね☆
今回は、JFKでの『お花見』をお愉しみ下さいませ。
※ご成約済みです。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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今年は、気温の関係でしょうか・・・若干、遅めの開花状況だったようですが、まさに、今、『満開』☆のようで、各地の桜名所は見物される方で賑わっているようですね。
残念なことに・・・わたくしは、仕事など諸事情で、全く桜見物に出かける機会がなく、移動途中の景色で『桜チラ見』だけで日が過ぎていきます。。。
そんな、中。
『散らない桜』
は、現在手元で目を楽しませて頂いております。ご紹介致しましょう。
【永楽即全 仁清写東山 色紙皿 十之内】
幅 21cm 四方
高さ 3cm
製作年代 昭和15年頃
箱 共箱 即中斎 書付
見事な、描きっぷりの『色紙皿』です。
サイズも、ジャストサイズです。
これより大きいと、お飾り専用になりますもので。
作品を見てまいりましょう。
『色紙皿』というのは、色紙を模した『やきもの』で、側面を打ち立てた大きな『角皿』の平面に展開される『意匠』を楽しむアイテムです。
サイズは色々、ありますが、寸法によって『菓子器』として、お料理の『平鉢』としてお使いになられたり、そのもの自体での『飾り物』としても好まれるものです。
意匠をズームアップしましょう。
京都の東山、の情景を遠景として描いております。
清水寺ですね。
高台寺の方を臨んでおります。
実際の風景も見てみましょう。
綺麗な風景です。
さて、桜といえば・・・ピンク色がこのように、浮かびます。
この作品の方は。
ピンクは無いです。
これは、この作品は『古清水』をモチーフにしているからなのです。
『粟田焼』での古清水に使われる、緑と青とクリーム色、そして・・・金彩を基調としており、赤だけは仁清からのテイストとして使われております。
側面は、『御室焼』での野々村仁清特有のデザインですね。
能装束をモチーフにしたと云われます。
『鱗紋』は、鶴にも見立てられます。
さらに、ちょっとしたアクセントとして・・・
『折り返し』が意匠として作られております。
これが有るのと、無いのでは、またお洒落度が変わるのですから、すごいものです。
即全の印です。
共箱
即中斎により、『十の内』であることが記されております。
この作品は・・・永楽善五郎歴代展でも、展示された『正全』作の写し、かと思っておりましたところ…
当、ブログを御覧いただいております、某学芸員先生から有難いご指摘と情報が
伝野々村仁清 作で、このまんま…のものが、『香雪美術館』にて、平成22年に展示されておりました。
さらに、香雪翁の所蔵に『妙全』作のものもあるそうで。
伝野々村仁清、として初期京焼の時代にこのようなモダンデザインが有り、それが伝わったところからのご縁で大正時代~昭和前期にかけて、永楽家にて少数製作で写されていたのは素晴らしいことです。
京焼の伝統としての『写し文化』ではありますが、それも『ご縁』が有ってのことです。
モノの伝わり方によっては、知られないままで終わることもあるのですから…
書付より、年代が特定出来ますが、即全が襲名した初期の作品となります。
襲名後、大磯の『城山窯』に、戦後になるまで従事しましたがその前に、先代を偲んで・・・特別制作された少数製作作品ということでしょう。
14歳という若さにして、襲名することになった即全が20歳前後という時期に・・・
既にこのような『京焼』の伝統と見事に生かした作品を作れたことは、戦時下における『伝統的な工芸技術を保存する人』に資材と提供するための制度、『工芸技術資格者』に昭和18(1943)年に即全が認定されましたことからも、いかに評価されていたかということの証ですね☆
今回は、JFKでの『お花見』をお愉しみ下さいませ。
※ご成約済みです。
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藤井香雲堂
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【二代 眞清水蔵六 印章茶碗】 [京焼]
今回の出張では、色々と仕入れが出来ました。
ちと、偏ってる気がしますが・・・(^-^;
昨日はベースで、それらの整理と撮影等に追われておりました。
そろそろ、こちらのブログでのWEB展示会も再開したいと思います。
眞清水蔵六といえば、二代が名工として知られます。
今回、ご紹介いたしますのは・・・少し変わり種、のお茶碗です。
二代 眞清水蔵六 印章茶碗
幅 11.5㎝
高さ 8㎝
高台径 4.8㎝
時代 明治期
眞清水家は、初代である清水太三郎が13歳の頃、叔父である京染付で有名な和気亀亭に陶法を学んだ後、五条坂にて開窯、名を蔵六と改め、さらに妙法院宮から「真」の一字を賜り「真清水蔵六」と号したのが初めとされます。
玄々斎に茶道を学び、江戸幕府時代最後の天皇である孝名天皇への献茶を行う際の茶器を製作しました。
二代は文久元年5月生まれで、初代が明治10年に没した後、明治15年2代蔵六を襲名します。
日本各地および朝鮮,中国の窯場をめぐって研究。それが故に作品も多岐に渡り・・・概ね古窯風のものが多いです。
また、古陶の鑑識にも長けていたようです。
大正6年に京都山科に開窯し『眞清水様式』を確立しました。
さて、お茶碗に戻りましょう。
形状や重さ、などはとても扱い易いバランスです。
この作品は、印章尽くし、と呼ばれるものです。
初代の年忌に合わせて、初代と二代の使用した様々な『印』を前面にちりばめた、先人をしのびつつも面白さもある造りです。
では、ぐるっと見回してみましょう。
本当に、いろんな形状の印があります。
共箱です。
この作品は、昔から人気が高く高値で流通しておりました。
今回は、とてもお値打ち価格となっております☆
BASE215 10月の特集 ~ちょっと、お茶碗展~
③【二代 眞清水蔵六 印章茶碗】
※ご成約済み
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Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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ちと、偏ってる気がしますが・・・(^-^;
昨日はベースで、それらの整理と撮影等に追われておりました。
そろそろ、こちらのブログでのWEB展示会も再開したいと思います。
眞清水蔵六といえば、二代が名工として知られます。
今回、ご紹介いたしますのは・・・少し変わり種、のお茶碗です。
二代 眞清水蔵六 印章茶碗
幅 11.5㎝
高さ 8㎝
高台径 4.8㎝
時代 明治期
眞清水家は、初代である清水太三郎が13歳の頃、叔父である京染付で有名な和気亀亭に陶法を学んだ後、五条坂にて開窯、名を蔵六と改め、さらに妙法院宮から「真」の一字を賜り「真清水蔵六」と号したのが初めとされます。
玄々斎に茶道を学び、江戸幕府時代最後の天皇である孝名天皇への献茶を行う際の茶器を製作しました。
二代は文久元年5月生まれで、初代が明治10年に没した後、明治15年2代蔵六を襲名します。
日本各地および朝鮮,中国の窯場をめぐって研究。それが故に作品も多岐に渡り・・・概ね古窯風のものが多いです。
また、古陶の鑑識にも長けていたようです。
大正6年に京都山科に開窯し『眞清水様式』を確立しました。
さて、お茶碗に戻りましょう。
形状や重さ、などはとても扱い易いバランスです。
この作品は、印章尽くし、と呼ばれるものです。
初代の年忌に合わせて、初代と二代の使用した様々な『印』を前面にちりばめた、先人をしのびつつも面白さもある造りです。
では、ぐるっと見回してみましょう。
本当に、いろんな形状の印があります。
共箱です。
この作品は、昔から人気が高く高値で流通しておりました。
今回は、とてもお値打ち価格となっております☆
BASE215 10月の特集 ~ちょっと、お茶碗展~
③【二代 眞清水蔵六 印章茶碗】
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【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】 [京焼]
東の波山、西の六兵衛・・・と言われた時代、五代六兵衛の名は戦前期の日本の陶芸界に轟いておりました。
【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】
幅 15.1㎝
高さ 6.8㎝
高台径 5.7㎝
1913~1945年頃
端正な伊羅保茶碗です。 釉調も大きさも全て過不足なし・・・というのはなかなか見つからないものです。
伊羅保は、江戸時代初期に日本からの注文に応じて高麗に依頼された茶碗です。
今でも高麗茶碗の中では井戸茶碗を除けば、高値の部類に入るものです。
本歌からそう年月が経たない1600年代後半には、松江藩窯として倉崎権兵衛が権兵衛焼として伊羅保を製作しております。
大切に使われてきた様子がうかがえます。
高台回りです。
印
共箱
五代清水六兵衛
1875年~ 1959年
四代目六兵衛の長男として生まれる。
1887年幸野楳嶺に師事ののち京都府立画学校修了、陶法を父に学ぶ。
1895年楳嶺没後、谷口香嶠に師事。1903年京都市立陶磁器試験場が設立され同所で科学的釉薬、製陶法を研究、1912年同志と京都遊陶園を結成し東京にて展覧会を開く。のち京都佳都美会結成。
1913年5代六兵衛を襲名し1922年フランス・サロン会員、1927年帝展審査委員、1928年マヨリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章、1930年帝国美術院会員、1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章授与、1937年帝国芸術院会員、1945年六和と改名、長男に6代六兵衛を譲る。
なにより、釉薬のバリエーションを生み出したことと、大正時代のモダンさも併せ持った歴代六兵衛の中でも一番面白い代かもしれません。
BASE215 10月の特集 ~ちょっと、お茶碗展~
② 【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】
※ご成約済み
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Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》
TEL 090-8578-5732
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【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】
幅 15.1㎝
高さ 6.8㎝
高台径 5.7㎝
1913~1945年頃
端正な伊羅保茶碗です。 釉調も大きさも全て過不足なし・・・というのはなかなか見つからないものです。
伊羅保は、江戸時代初期に日本からの注文に応じて高麗に依頼された茶碗です。
今でも高麗茶碗の中では井戸茶碗を除けば、高値の部類に入るものです。
本歌からそう年月が経たない1600年代後半には、松江藩窯として倉崎権兵衛が権兵衛焼として伊羅保を製作しております。
大切に使われてきた様子がうかがえます。
高台回りです。
印
共箱
五代清水六兵衛
1875年~ 1959年
四代目六兵衛の長男として生まれる。
1887年幸野楳嶺に師事ののち京都府立画学校修了、陶法を父に学ぶ。
1895年楳嶺没後、谷口香嶠に師事。1903年京都市立陶磁器試験場が設立され同所で科学的釉薬、製陶法を研究、1912年同志と京都遊陶園を結成し東京にて展覧会を開く。のち京都佳都美会結成。
1913年5代六兵衛を襲名し1922年フランス・サロン会員、1927年帝展審査委員、1928年マヨリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章、1930年帝国美術院会員、1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章授与、1937年帝国芸術院会員、1945年六和と改名、長男に6代六兵衛を譲る。
なにより、釉薬のバリエーションを生み出したことと、大正時代のモダンさも併せ持った歴代六兵衛の中でも一番面白い代かもしれません。
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② 【五代 清水六兵衛 黄伊羅保 茶碗】
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