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【仁阿弥道八 茶碗考③】~高麗写し~ [幕末京焼]

さて、次は『高麗系統』です。


『仁阿弥道八』のお茶碗の中では、一番主力作品といっても過言ではないでしょう。


『書院茶』から、『侘び茶』へと移行する中、お道具も『唐物』から『高麗物』へと嗜好が変わってきました。

当初は、現地で存在した『飯茶碗』等の「見立て」転用であったようですが・・・桃山時代末期から江戸時代初期には、日本からの「注文品」を現地で製作し日本へ送らせたので「茶陶」を意識されたものになっております。


天文6(1537年)に開かれた、『十四屋宗伍』という珠光の弟子であった茶人の茶会記に於いて、「高ライ茶碗」という記述が最初といわれます。


『唐物』ほどでは無いものの・・・今風にいう所の、『オーダー輸入品』ですから、国内に於いておいそれと、手に入る物では有りません。

江戸時代も後期になりますと、町衆にまで茶の湯が広まってくる中で・・・『高麗写し』の需要が高まってくるのは当然なのです。


江戸後期では、『青木木米』も高麗写しを作っておりますが、基本的に京焼界では『清水六兵衛』が初代から二代へと継承された頃です。


同時代としては、『永樂保全』『眞葛長造』が存在しております。

『仁阿弥道八』と併せて、幕末京焼の三大名工と称されます。(『茶陶』中心として)


『高麗写し』という側面から見ますと・・・


『永樂保全』は全体の中で僅かにしか、存在しません。


『御本写し』『唐津写し』の『2シリーズ』です。


また、さらに希少なものでは『雲鶴青磁』が在ります。


『眞葛長造』はさらに少なくなり・・・同じく、『雲鶴青磁』と他には『三島』位でしょうか。



その点、『仁阿弥道八』は高麗茶碗のうつし、ほぼフルラインナップと云っても過言では有りません。


『三島』『刷毛目』は数が多く、凡作も多数存在しますが、他は概ね素晴らしい出来栄えです。


この辺は、『建仁寺』との深い縁関係が影響しています。


建仁寺に伝世している作品群を手にし、研究出来たであろうことは大きなアドバンテージでしょう。


しかし、それ以前に仁阿弥の精神性の高さが作品たちに反映されていると思います。



仁阿弥 伊羅保茶碗 (3)-1.jpg


【仁阿弥道八 黄伊羅保 茶碗】


幅   14.6cm

高さ  6.7cm

高台径 5.1cm

製作年代 文政9(1826)~天保13(1842)年頃

箱   共箱



『黄伊羅保』のうつしになります。


仁阿弥 伊羅保茶碗 (5)-1.jpg


目跡、も再現されております。


仁阿弥 伊羅保茶碗 (6)-1.jpg

きちんと、石が混じり込んで作られておりますが、イライラする感じはなく・・・上品な作行きです。


仁阿弥 伊羅保茶碗 (7)-1.jpg


仁阿弥 伊羅保茶碗 (8)-1.jpg


丁寧な轆轤形成のあと、高台周りは箆で丁寧に削り出してます。


仁阿弥 伊羅保茶碗 (9)-1.jpg


高台内に『仁阿弥』三文字小印が押されております。


仁阿弥 伊羅保茶碗 (1)-1.jpg


仁阿弥 伊羅保茶碗 (2)-1.jpg


共箱です。


仁阿弥 伊羅保茶碗 (4)-1.jpg


この作品と同じ時期の製作になるものが、『東京国立博物館』にも所蔵されております。

展示されることもあります。



重量は「237g」であり、こちらもまた重すぎず・・・良い感じなのです。


仁阿弥の伊羅保は、伝世数というより・・・流通量としましては珍しい部類に入ります。


しかし、このお茶碗はそれらの中でもさらに出来映えは「上」と云いましょう☆





長くなりましたが、『仁阿弥道八 茶碗考』シリーズは新しく道八茶碗が手に入りましたら続きます。


※御成約済みです。





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【仁阿弥道八 茶碗考②】~『道八樂』の魅力~ [幕末京焼]

『道八樂』、は大きく3種に分類して良いでしょう。


まずは、『利休好み写し』


これらは、『写し』を意識するあまり・・・形状にどことなく、道八の力量を制限された感じで、受ける印象は「端正」ではありますが、面白みには欠けるように思えます。


次に、『道八様式』


『樂焼』というキーワードで存分に腕を奮った作品です。

『富岳文』は朧な雪景色のようでもあり、発色も含めて絶品です。

また、『朱釉』の茶碗は・・・近年、あまりに『一入』作品が多すぎるというのが実は『玉水焼』であったものが混入している可能を指摘されており、その朱釉の技法は『一入』の子であった『一元』が一時、本樂にて従事していたからこそ、と云われます。

しかし、仁阿弥もなかなかの発色具合なのです。


三つ目は、『追慕、注文』系統です。


『乾山』を意識した『立鶴絵』や文字入りなどの作品にあたります。



それでは、『道八様式』の『道八樂』をご紹介致します。




仁阿弥道八 黒平茶碗 (5)-1.jpg


【仁阿弥道八 黒 茶碗】


幅   12.1cm

高さ  6.2cm

高台径 4.6cm


製作年代 文政9(1826)~天保13(1842)年頃

箱   共箱




形状も発色も見事なお茶碗です。


反対側もこのように・・・


仁阿弥道八 黒平茶碗 (7)-1.jpg



仁阿弥道八 黒平茶碗 (9)-1.jpg


重量、薄さなど・・・お茶碗としての用に適ったものであります。


仁阿弥道八 黒平茶碗 (10)-1.jpg


高台周りも巧く出来上がっております。


仁阿弥道八 黒平茶碗 (11)-1.jpg


『仁阿』の2文字印です。


仁阿弥道八 黒平茶碗 (1)-1.jpg


仁阿弥道八 黒平茶碗 (4)-1.jpg


共箱です。


仁阿弥道八 黒平茶碗 (2)-1.jpg


大阪、心斎橋の『小大丸』の旧蔵品です。 優品の表流道具類と共に蔵出しされました。

平茶碗、のように見えますが深さもあり・・・蔵の貼り紙には『冬』とも分類されております。


「使う方」の「使い方」、ですね!



『道八樂』の印象は、『吉左衛門樂』に比して・・・やや華奢、であり、またどことなくアーティスティックであります。

千家に直接通じる、『茶陶』窯としての樂家の「造り」との違いがここに出ていると思います。


仁阿弥道八 黒平茶碗 (6)-1.jpg




次は、「高麗系」になります。


※商談中です。


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【仁阿弥道八 茶碗考①】~展観にみる、分布から~ [幕末京焼]

現在、『仁阿弥』のお茶碗が現在2碗、手元にありまして、アレコレと思いに耽る中・・・

ちょっと「仁阿弥 茶碗考」なぞ、していようと思います。

いつもでしたら、作品紹介に付随しての記載なのですが、ちょっと長くなりますのでお茶碗の紹介と併せて3部構成で参ります。(^^;



『仁阿弥道八』は、その高名さは幕末陶工の中では群を抜いてメジャーです。

もちろん、「技」の凄さはもちろんではあるのですが、寺社・宮門跡等からのご縁で、各地へ招聘されたりしたことで評価が広範囲に渡り、その効果でしょうか・・・日本各地に作品が伝播しておりますのが要因でしょう。

東京国立を始め・・美術館にも、あちこちに道八作品が所蔵されていることも、現代ではプラスに働いております。

しかしながら、『仁阿弥道八』単体での展観、というのは「安政2(1855)年」に仁阿弥が没してからの約170年の間に「2度」開催されたのみのようなのです。


◎昭和3(1928)年 5月12日~16日 (短ッ!)

 京都帝室博物館   『陶工 仁阿弥道八 作品展』


◎平成26(2014)年 12月20日~平成27(2015)年3月1日

 サントリー美術館  『天才陶工 仁阿弥道八』


他に、昭和13(1938)年に大阪市立博物館で、『一方堂』を中心にした展観が在ったという話ですが、内容は未確認です。


そもそも、当店が深く興味を抱いております、「幕末京焼」は近年に至るまで美術館の展観としてはスポットが当たってこなかったのです。

200年といった、年月の経過と共にようやく最近では表舞台に立ちだした感が在ります。


さて、先述の「2度」の展観の出品目録の中から・・・「お茶碗」に絞って調べてみます。



◎京都帝室博物館   『陶工 仁阿弥道八 作品展』

《茶碗出品総数 39点》


仁清・色絵   8

乾山      2

樂  黒    3
   赤    4

瀬戸黒     1

高麗 井戸   1
   三嶋   5
   蕎麦   2
   伊羅保  3
   珠光青磁 2
   御本   1
   半使   1
   刷毛目  2

桃山      1

他       2




この、数の分布は・・・私の経験上、近年の伝世品の流通状況に非常に近似したバランスに思えます。

「没後73年」といった当時ならではの、多岐に渡る所蔵者・・・おそらくは1次もしくは2次所有以内であることから、優品が揃ったことでしょう。



次に、10年前の方です。


◎サントリー美術館  『天才陶工 仁阿弥道八』

《茶碗出品総数 38点》


仁清 色絵   9

樂  黒    12
   赤    5

高麗 三嶋   1
   蕎麦   1
   伊羅保  2
   珠光青磁 1
   御本   1
   トトヤ  1
   絵高麗  1

桃山      1
暦手      2
朝日      1
 

前者に比して、見当たらない技法もある代わりに、新たな技法のものの見られます。

『国焼写し』が登場しております。


京都の茶人・茶道具商の間で、永らく高い評価を受けてきたのは、この内で『志野 永井信斎所持 年男 暦手 写し』でしょう。

幕末期は、特に人気だったのか・・・樂了入や、他の陶工での写しも確認しております。


しかし、やはり『仁清写し系』『樂』『高麗写し系』

この3種が道八の真骨頂と云えます。


仁清系は、当時の「絵師」とのコラボレーション作品も、道八作としてはポピュラーです。

それらは、大概にして・・・「侘びた」様相で「雅味」のあるものです。

しかし、本人による「色絵」は・・・ちょっと、評価が分かれるところでしょう。

実の弟であります、『尾形周平』にも共通する感じも在ります。


また、私自身も扱ったことが在りますが、「丸々」仁清写し・・・という作品が、確認されております。

それは、「仁清」印を用いており、共箱が無ければ道八作品とは確認し難いものです。

所有時は、最後まで腑に落ちず・・・しかし、作行きはどうにも道八であるのでした。

どうやら、この僅かに存在する「仁清写し」は、それ専用に「高橋家」が用意した「印」が用いられてるという説もようやく知りえました。

引き続き、今後も調査しますがここに記しておきます。



さて、『樂』系統です。


本樂(という呼び方で良いのかどうかですが)、が近所に存在しておりますのに、何故??

しかも、特に黒樂に至っては・・・仁阿弥は特に巧い!のです。


国焼研究家で知られました、故・保田憲司氏は道八の樂を高く評価しておりました。


近年、『樂直入』さんによる『玉水焼』の研究発表が為されました。

そこに至るには、過去・・・孤軍奮闘された『保田憲司』氏の『玉水焼』研究もベースにあったようですが、その・・・愛するあまりに私見が私情と紙一重な内容が、私個人は共感を覚えるところでは有りましたが、直入さんはあまり快く思われなかったようです。(^^;


しかし、その中の文面から・・・推察されることが在りました。


『本樂』というものの世間での「立ち位置」です。

もちろん、確実な評価とレベルで存在はしておりましたが、その流通範囲は、「金額的」もしくは「生産数」的な面で限定的であったかもしれません。

「脇窯」と簡単な紹介で現代に伝わる『玉水焼』が、実は京都市 ⇒ 京都府 という範囲で見た際には『南樂家』として「双璧」として認識され、一般人にはより身近な楽焼あったという可能性があります。

それでなければ、3千家の書付が当時より存在するのも、また中断期を挟んで幕末期に復興窯(と呼んで良いのか分かりませんが)迄稼働していたこと・求められていたことの説明が付かないのです。


そこで、『道八樂』(と称してみましょう)。

明治に入ってからの三代では見られなくなる「楽焼」ですが、初代・二代では主力作品であります。

ここには、上記のような世相・流通状況の中で・・・『樂焼』の需要が確実に存在したからということの裏付けとなります。


保田氏はノンカウに匹敵するともおっしゃられておりましたが、いいものは確かに良いのです!


次のブログでは樂焼作品をご紹介致します。


⇒ 続く



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【三代 清水六兵衛 萩写寿文字 大綱和尚筆八十翁】 即中斎 箱 [幕末京焼]

六代 六兵衛さんのご紹介の次は・・・ちょっと、遡りまして。

三代のご紹介でございます!


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (6)-1.jpg


【三代 清水六兵衛 萩写寿文字 大綱和尚筆八十翁】


幅    11.8cm

高さ   11.1cm

高台径  5.5cm

製作年代 嘉永5(1852)年頃

箱   大綱和尚 箱、即中斎 箱 眼鏡外箱




三代六兵衞は、1820(文政3)年に、二代の次男として生まれました。

1838(天保9)年に18歳で三代を襲名します。

この時、二代六兵衛はまだ、48歳と隠居にはまだ若い年でありましたので、二代・三代は現役状態で両輪を回すことで『六兵衛』家を盛り立てたのです。


初代の後に、若干の中断期を経て二代が再興したのですが、三代が中興の祖と言っても過言ではありません。


嘉永元(1848)年に、五条坂の登窯を買い取ることになり、『清水家』はついに『窯元』となりました。

江戸時代、『窯』は限られた数の決まったものでした存在が許されなかったため、既存の『窯元』で焼成をしてもらうのが大半でありました。

それは、交流と技術伝播の場でもあったので、京焼発展の元となるのですが、やはり『窯元』になることはひとつのステータスであったのです。


嘉永6(1853)年に禁裏御所内に陶製雪見大燈籠を納め、また、彦根藩主・井伊直弼や将軍・徳川慶喜を輩出した一橋家、京都所司代など、諸家の注文を受けました。

元治2(1865)年、天皇の行幸の天皇の鳳輦をかつぐ駕輿丁にも任じられるなどの栄誉にも預かります。

幕末から、明治維新にかけて・・・ 文人、画家との交流が深くし、文人趣味に適した煎茶器を製作しましたが、他方では・・新しい時代に即した新様式の作品にも積極的に取り組みます。

これは、後代にも受け継がれる六兵衛家の家風でもあり、三代の時に『六兵衛様式』が整ったのです。


明治6(1873)年、『京都府勧業御用掛』となり,染付の洋食器を造り,伊羅保や織部釉のタイルなども製造。

明治8年『第4回京都博覧会』で新設された制度の審査員となり,あわせて銅牌も受賞。

明治11年のパリ万国博覧会と明治12年のシドニー万国博覧会では銅牌を,16年にはアムステルダム万国博覧会で銀牌を受賞します。

まさに、時代と共に発展していったのです。


さて、時代を少し戻しましょう。



時は、嘉永5(1852)年頃。



大徳寺の435世である、『大綱和尚』の「80歳」の記念に製作されたのが、この作品です。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (7)-1.jpg


側面に、大綱和尚の筆による『八十翁 (花押)』と描かれております。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (8)-1.jpg

内側にも、大綱和尚にゆる『寿』の字が。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (9)-1.jpg


優しい、色調とフォルムです。

樂長入を思わせるような赤色ですが、薄い鼠色のような感じもまじりあってます。


側面に少し、「窪み」をつけております。

これにより、「笑み」というような感じとなり・・・元気な老僧がにやり、としたようにも感じてしまいます。(^^;




これは、『萩写し』として製作されました。


『萩焼』は、当時・・・茶陶においては民間での需要が増大しており、藩庁は文化12(1815)年と天保3(1832)年の二度にわたって、『松本焼』の「濃茶々碗」に紛らわしい茶碗の製造と御用窯以外での『大道土』使用の禁令を出しています。

それは、萩焼の粗製乱造による混乱と、藩窯としての厳しい統制という締め付けという歴史の中、良い萩焼が手に入りにくい世相でもありました。

また、幕末期は『萩焼』の写しのニーズも高く、『赤膚焼』での『木白』や尾張でも『萩写』の作品が多く見られます。

もちろん、京焼でもしかり。

それらは、『写し』というより『テイスト』を持ち込んでそれぞれの諸窯での製作による『別のモノ』
として生まれ、伝世することになるのです。


この作品も、むしろ云われないと、萩焼の写しといは分かりません。

胴締めの形状、大きく貫入の入った景色位です。

しかし、高台側を見てみましょう。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (10)-1.jpg

この、割高台の形状や、土の感じ。

三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (11)-1.jpg


所謂、六兵衛っぽさはその作行きのベースではしっかり見られるものの、作品としては大変珍しいものです。


『大綱宗彦』(だいこうそうげん)安永1(1772)年~万延元(1860)年

大徳寺435世であり、大徳寺塔頭黄梅院第14世住職でした。


6歳で黄梅院に入り、大徳寺409世で梅院第13世住職である融谷宗通に師事し、文政3(1820)年に大徳寺435世に就任しました。


和歌や茶の湯に深く親しみ、裏千家11代『玄々斎』、表千家10代『吸江斎』、武者小路千家7代『以心斎』と交流しました。

公家等にも広く交友があり、当時の文化サロンの主のような存在であった節が在ります。

喝喰として自身が面倒を見ていた後の『永樂保全』の才能を見抜き、了全に養子にするように段取りしたことも有名です。

そんな、大綱和尚ですが、没時88歳と当時としては長命であり・・・まだ人生の途中であった『80歳』の祝いとして製作されたのが、このお茶碗です。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (3)-1.jpg


『清水六兵衛 萩寫 寿之字 拙筆 八十翁 大綱』


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (4)-1.jpg

別箱として、即中斎の箱書きも添います。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (5)-1.jpg

このような、仕覆も大切に誂えられております。

三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (1)-1.jpg

眼鏡箱の外箱になります。


三代六衛衛 萩写茶碗 大綱和尚筆 (6)-1.jpg


京焼の珍しいものとしても、また国焼のコレクションとしても、そして・・千家道具の組み合わせとしても愉しめる作品となっております。

造り手の技により、薄い造りや凝った造形に、適度な重量感が下部の方に配置することで樂茶碗とはまた異なる、風格として『主茶碗』としてお使いいただきたく思います!

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【六代 清水六兵衛 イラボ 梅香合】 [近代工芸]

昨日あたりから・・・ここ数日は、暖かい日和が続くようです。

さっそく、「梅の開花」が始まってるというニュースが聞かれてきました。


ということで、「梅」の作品のご初回です。



六代六兵衛 イラボ梅香合 (3)-1.jpg


【六代 清水六兵衛 イラボ 梅香合】


幅 6.5cm  高さ3.2 cm

製作年代 1950~60年代頃


戦前の、西日本の巨匠といえば・・・『五代 清水六兵衛』です。


『東の波山、西の六兵衛』と称されたほどです。


そういった、先代から「代」を継承するのはとても大変なことであり・・・

ましてや、『六兵衛家』といえば、京焼の於いては、江戸の中後期から続く名門です。

名が知られる名工たちは多数居れど、続いてる窯元・・・というのは、京都の長い歴史の中でも稀有な存在であります。

18代目を数える『永楽善五郎』は、元は奈良が発祥で、堺を経て京都へ移り『了全』からです。



『竹内栖鳳』『山本春擧』などといった、京都画壇から日本画を学んだ六代六兵衛ですが、が・・・、兵役を経た後の大正14年から、五代に師事して製陶全般を学びました。


昭和20(1945)年に『六代 清水六兵衛』を襲名し、様々な新しい釉薬技法を開発しました。


それらは、偉大な五代の古典的な京焼からの、飛躍・・・昭和モダンともいうべき新解釈であったのです。


1947年 唐三彩釉完成。

1953年 新釉を創案、「銹泑」(しゅうよう)

1955年 新焼成法を創案「玄窯」(げんよう)

1971年 六代清水六兵衛「古希記念回顧展」に際して『古希彩』が発表となります。




今回、ご紹介する作品は、「銹泑」(しゅうよう)の技法を使って高麗の『伊羅保』を再解釈したものです。


六代六兵衛 イラボ梅香合 (5)-1.jpg


開花した「槍梅」を見事に表現しております。


梅 開花.jpg

梅.jpg


六代六兵衛 イラボ梅香合 (6)-1.jpg


内側は金彩です。



六代六兵衛 イラボ梅香合 (7)-1.jpg


個展の際の貼り紙が残っております。



六代六兵衛 イラボ梅香合 (4)-1.jpg


『伊羅保』といった、重厚な作風を・・・・絵画的なアプローチと、近代の色彩感覚で新たなモノへと生まれ変わらされております。


六代六兵衛 イラボ梅香合 (1)-1.jpg

六代六兵衛 イラボ梅香合 (2)-1.jpg


共箱です。


『六代 清水六兵衛』は、晩年までパワフルに突っ走りました。


1972年  勲三等旭日中綬章受章。

1974年 「六代清水六兵衛作陶五十年記念新作展」を開催。

1976年 文化功労者となる。

1978年 東京、京都、大阪、岡山にて「清水六兵衛歴代名陶展」開催。
     
しかし・・・


この東京日本橋の高島屋での歴代展の開会セレモニーで、登壇し挨拶をしてる最中に倒れ、そのまま還らぬ人となってしまったのです・・・。


1978年4月17日のことでした。


没後、「正四位」に叙せられ、「勲二等瑞宝章」が贈られました。


六兵衛は、その後・・・・七代、八代と代は重ねますが、もうかつてのような輝きは失ってしまったのです。

名門陶家、の継承とはいかに難しいか、ということでしょう。。



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【二代 眞葛香山 仁清意結文 香合】惺斎 箱 [宮川香山 眞葛焼]

お正月、初詣の際に「お御籤」を引かれた方も多いことと思います。

私も、おみくじしたのですが・・・・『半吉』。

????

中吉?末吉よりも上?

ゴーゴー検索してみます。

「吉の半分」説と、「吉と小吉の間」「小吉と末吉の間」などと、神社によってバラバラです!


う~ん。。。


「商い」面は、「良し」しかし「利薄し」と。


確かに、今年はそんな感じでスタートしております。(^^;


さて・・・おみくじは、持ち帰る場合と、境内に結んでいく場合がございます。


「文」を「結ぶ」。




二代香山 結文香合 惺斎 (6)-1.jpg


【二代 眞葛香山 仁清意結文 香合】


サイズ  幅 7.7cm

     高さ2.3cm

製作年代 大正後期

箱    共箱 惺斎書付



二代目香山の真骨頂、ともいうべき「茶道具」の優品です。


『結び文』は・・・『玉章(たまずさ)』とも呼ばれます。

古くは「寛永年間」の『野々村仁清』の作品で見られた、ひとひねりした雅味ある意匠です。



『玉章』・・・『たまあずさ』は元は、『たまあずさ』から変化したものです。


便りを運ぶ使者の持つ梓(あずさ)の杖のことであり、転じて、その杖を持つ人(使者)を指します。

『万葉集』

「こもりくの 泊瀬の山に 神さびに いつきいますと 玉梓(たまづさ)の 人そ言ひつる」


『古今集』

「秋風にはつかりがねぞきこゆなるたがたまづさをかけてきつらん〈紀友則〉」


『太平記』

「書置きし君が玉章(タマヅサ)身に副へて」


これらから、転じて・・・『文』のことも指すコトバとなります。


余談ですが・・・


烏瓜の種.jpg


『烏瓜(からすうり)』の種の名前も、この形状に似ておりますことから『玉章』と称されます。



二代香山 結文香合 惺斎 (5)-1.jpg


赤色、は少し落ち着いた赤で眞葛窯では長造時代に、侘びた風合いをうまく表現するのに大いに寄与している釉薬です。

そこに、二代香山の得意とする・・・『極彩色』の色絵で「花散し」が幾何学的に展開し、しっとりさと華やかさを対比させております。


二代香山 結文香合 惺斎 (7)-1.jpg


「朱書き」にて花押されております。

これは、香山作品では、ほぼ惺斎時代しか有りません。


表千家の『生形宗匠』のご縁により、香山は二代目の時に「表千家」との知遇を得ます。


そして、「好み物」や、それに近い少数の「書付物」が生まれます。


他の陶工の例とは異なり、なんでも「書付」したのではなく・・・あくまで少数の優品にのみ、という傾向があるのです。

そして、それらはいづれも・・・独創性を加えたオンリーワンなものたちです。



二代香山 結文香合 惺斎 (8)-1.jpg


香山の『結文香合』は、複数個体が流通しております。


眞葛窯の例により・・・同じ様な意匠でも、それぞれ意匠や作行きを変化させているのです。


二代香山 結文香合 惺斎 (3)-1.jpg


書付です。


二代香山 結文香合 惺斎 (2)-1.jpg


こちらは、仕上がった作品になってからの書付、となりました。

二代香山 結文香合 惺斎 (4)-1.jpg


二代香山 結文香合 惺斎 (1)-1.jpg


二重箱です。



二代香山 結文香合 惺斎 (6)-1.jpg


『結文』・・・は「縁を結ぶ」という意により、大切なお客様をお迎えする時はもちろん、新たに迎えるときにも活躍致します。

そして、『結び文』の元来の意味は・・・・『恋文』でもあります。


2月、現代では「想いを込めたメッセージ」を贈る習慣があります。

(昨今では「チョコイベント」となってしまっておりますが)


香山作品のコレクションとしてはもちろんのこと、1月や2月、重宝するアイテムなのです☆



※御成約済みです。



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【ゆく年、くる年、きた年】 [BASE215]

【2024年1月24日 雑記 アップしました】



今年に入り、『保全』研究家の方から数冊頂いた古書の資料を基に・・・入手困難な古書の存在をピックアップし、「3冊」見事手に入れることが出来ました。

なかなかの資料です。


昨年はたまたま、短い期間に複数点のご縁が在りましたことから、『湖南焼』『河濱焼』についての研究熱が再燃しております☆


一昨年の『三井寺門跡』、昨年の『石山寺』に続きまして・・・・

「保全の足跡を感じる旅」の第3弾。


『唐崎神社』へ。


云わずと知れた、『近江八景』の内でございます。


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遠くには、『近江富士』が見えます。(本名は『三上山』だそうです)


婦人病に霊験ありとして広く信仰を集めた、『唐崎神社』からの景色です。


近江八景の内、『唐崎夜雨(からさきのやう)』として有名で、平安時代より歌に詠まれてきました。


中国の『瀟湘八景(しょうしょうはっけい)』の内、『瀟湘夜雨』に由来します。

そもそも、『瀟湘八景』は中国の『湖南』地域の情景のことを指しており、

学に深かった保全が、この辺の絡みも有って・・・・と推察したくなります。


さて、江戸時代後期には『歌川広重』の浮世絵でも有名となりますが・・・・


唐崎夜雨.jpg

『唐崎夜雨(からさきのやう)』


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描かれていたのは2代目の松で枯れてしまい・・・現在では、三代目の松はこのようになってます。

余談ですが、金沢の『兼六園』にある『唐崎の松』は、ここの名前から由来します。




琵琶湖畔の名所はどの地も・・・・澄んだ空気感、が独特の心境にさせてくれます。


保全の晩年の状況を想い、そして心境を考えると、湖南地域に住を定めた気持ちもなんとなく理解出来そうなのです。


20240121_134213.jpg


センチメンタルジャーニーの最後は、『みたらし団子』。

実は、この地は『みたらし団子』発祥の地なのでした!

個人的にはベスト1です☆



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



☆『謹賀新年』☆


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旧年中皆々様方には、ご厚誼を賜り誠にありがとうございました。

本年も、より一層・・・「K・T・K」(好奇心・探求心・向上心)の三つの心構えを忘れず臨みたいと思います!


上は、1月1日の初詣の際に撮影しました、『岸和田城』です。


その時、お堀を『鴨』たちが大挙して泳いでくるという不思議な光景を見ました。


時に、1時10分。


歩いていて全く気付かなかったのです。


被災に遭われた皆様のご無事と、生活の安定を祈念してやみません。





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【御深井焼 藤袴写 茶碗】 六つの内 村木國次郎旧蔵



昨年は、ようやく東美アートフェアにて3年超しの企画「御深井焼」展が出来ました☆

このお茶碗を始め、多数のご興味を頂戴し感激したのでした。

今年も、なにか面白企画が出来たら良いのですが・・・なかなか、モノが揃わないかな~
                  




【新入荷情報】



〇大正後期 二代 眞葛香山 黄釉青華菊の図花瓶 香斎極め箱


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なんてことでしょう。数か月内に「黄釉」に2点目のご縁がありました。




※ご成約済みです。




〇大西清右衛門(浄心) 円相竹梅 乙御前釜 銀摘み 即中斎 箱

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なかなか、造形的にもミドコロのあるフォルムで風格があります。

浄心らしい、戦後の大西釜のテイストが良く出ております☆



〇永楽即全 御本写立鶴 茶碗 而妙斎 箱

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こちら、展観用の特別作品となります。

通常のサイズよりさらに大きく。 

御本立鶴の永樂さんの写しは、意外と即全作品しか無いようですが、小ぶりだったり・・・数を作られた梅のものだったりと、比較的・・即全の中では下位に分類される作品が多くなります。

この作品は、なかなかグッとくるものです。

箱も特別な仕立てとなっているのです。


※ご成約済みです。


〇五代 真葛香斎 倣古赤絵唐子遊び 水指 菓子鉢にも

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いい、色合いです。永楽さんの古赤絵写しと近い感じです。

伝世品としては、少ない部類に入る物です。

サイズ感も良く・・香斎さん自身により、「菓子鉢にも」と記されております。


※御成約済みです。



〇明治後期 初代 眞葛香山 依仁清意眞葛窯梅月 茶碗 村瀬玄中 箱

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希少な明治後期の香山のお茶碗です。

梅月、のこのアプローチは香山歴代を見渡しても、この時期でしか無いものです。


※御成約済みです。



〇大正後期 二代 眞葛香山 仁清意雪中竹ノ画 茶碗

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小ぶりのお茶碗です。

さらっとした作行きですが、逆に使いやすさを感じさせるものです。

眞葛窯のお家芸であります、藁灰釉の色もほんのり綺麗なのです。



※ご成約済みです。



〇大正後期 二代 眞葛香山 仁清意結文 香合 惺斎 箱

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文句なしのクオリティです!


※御成約済みです。


〇嘉永5(1852)年頃 三代 清水六兵衛 萩写 寿文字 大綱和尚筆八十翁 即中斎 箱

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以前は見かけたものですが、近年では流通が少なくなりました。

六兵衛による「萩」へのアプローチが興味深いところです。

三代六兵衛さんの印は、実は大綱和尚が授けたものなのです。

今回はパッケージングもスカッとしておりましたので手に入れました。


※御成約済みです。


〇江戸時代後期 平澤九朗 織部分銅 手鉢

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サイズ感、と造形がなかなかの手鉢です。



※ご成約済みです。


〇江戸時代後期 眞葛長造 仁清写眞葛窯 向付 【5客】

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珍しい作品です。長造の後期のものになります。


※ご成約済みです。



〇濱田庄司 鐵砂 角鉢

浜田庄司 角鉢 (5)-2.jpg

なんといいましょうか・・・サイズ感、と角の造形の良さに惹かれました!

お菓子、三つ盛りでお出ししたい☆


※ご成約済みです。


〇安政年間 堺 田久阿蘭陀焼 四方入角鶏画 香合 即中斎 箱

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当店ではおなじみの(?)、堺オランダです。

今回は珍しく、即中斎の箱なのです。


※ご成約済みです。



〇六代 清水六兵衛 イラボ 梅香合

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『禄晴』の秀逸な作品です! 伝統京焼から、様々な新表現釉薬技法を新たに生み出した六代さんなのです。






〇加藤芳右衛門 黒織部 茶碗

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個展用作品とおぼしき、佳品なのです。


※ご成約済みです。


〇1994~2004年頃 松林猶香庵(十四代) 朝日焼鹿背 茶碗

朝日猶香庵 鹿背茶碗 (3)-2.jpg


十四代の隠居後の丁寧に作られた作品です。こちらも個展用ですね。

※ご成約済みです。



〇天保3(1832)~明治初期頃 森 千秋(陽楓軒) 有節萬古焼 数印急須 共箱

森千秋 急須 (3)-2.jpg

古萬古焼の弄山没後から、半世紀後・・・森有節・千秋の兄弟により萬古焼の復興が為されました。

千秋は開発担当であり、その技術力は特筆に値するものが。

この数印は、有節萬古のあらゆる印を使い、さらに七宝透かしやら・・・そして、”内側”に”龍”が彫られているのです!


※御成約済みです。


〇明治12(1879)~大正9(1920)年 辻鉦次郎(凌古堂) 夜寒焼丸三宝 蓋置 惺斎 箱

夜寒焼 丸三宝蓋置 (4)-2.jpg

『千秋万歳』の文字があります。1月の季語であり、長寿を祝う言葉でもあるのです。


※御成約済みです。


【2024年1月のスケジュールです】


9日~11日 オークション出張 名古屋

12日 ベース  11時 ご予約有 
13日 ベース  13時 ご予約有 15時 ご予約有

15日 ベース
16日 ベース 
17日 ベース 10時ご予約有  
18日 ベース  午前 × 

19日 オークション 大阪美術倶楽部
20日 オークション 名古屋美術倶楽部
21日 オークション 京都美術倶楽部

22日 ベース
23日 ベース
24日 ベース 
25日 ベース △
26日 ベース

30・31日 オークション出張 東京美術俱楽部


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2024年のベース始めは・・・スッキリと!



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ちょっと、立礼的なお迎えにて☆



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お花が無いのは、愛嬌です。利休の故事に倣って・・ということにして下さい。(笑)



<催事予告>

◎2月23日~25日 大美アートギャラリー(大阪美術倶楽部)

 第3回目となります。美術商のショーケース的なイベントです。


◎3月23日・24日 大美正札会(大阪美術俱楽部)

 年2回の予定でしたが・・・3回になったようです。次週の催事の都合上、食の器中心の展示になる予 
 定です。


◎3月29日~31日 十翔会(大阪美術倶楽部)

昨年、臨時参加頂いた金沢の2社をレギュラーでお迎えいたしまして、今年より定期「年3回」とし    て十翔会が生まれ変わります!

元は5月・11月の定例開催に加えまして、2回程の不定期特別開催であったのを整理いたしまして、「3月」「7月」「11月」の4か月おきの固定開催となります。

それぞれ、「最終土日」の日程でございます。




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【辻鉦次郎(凌古堂) 夜寒焼丸三宝 蓋置】 惺斎 箱 [おもろいで!幕末尾張陶]

『夜寒焼』、千家流の茶会に於きましても登場することのある、名古屋の国焼です。


「やかんやき」?と尋ねられる方もたまにいらっしゃいますが、「よさむやき」でございます。


夜寒焼、は『辻鉦二郎』によって、明治12年ごろ名古屋の古渡夜寒の里(現在の名古屋市中区金山)に窯を築いて茶器を製造したのが始まりです。

『辻鉦二郎』は嘉永元年に酔雪焼を創始した酔雪楼主人・辻宗衛(惣兵衛)の子として生まれました。

最初の頃は名品の茶道具の写しを製作していましたが、次第に日用品としての陶器や染付なども製作するようになりました。


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【辻鉦次郎(凌古堂) 夜寒焼丸三宝 蓋置】


サイズ 幅  5.5cm

    高さ 4.3cm


製作年代 明治12(1879)~大正9(1920)年

箱   惺斎 書付




表千家流では、『碌々斎』も『夜寒焼』を訪れ、自筆の茶道具を残しております。


『夜寒焼』は染付磁器の茶器を当初製作していたようであり、碌々斎の訪問もその頃のようです。

明治29年には、『辻陶器工場』を設立、磁器以外の、黒釉・鉄釉のものや、『夜寒焼』としては伝世品を見ることの多い『乾山写』のものなど多岐に広げていました。

この作品も、『乾山写』の部類に入ります。



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得てして、やわらかい感じの作風が特徴の『夜寒焼』でありますが、このフォルムはとても「流線形」が素敵なのです。

台部分の側面には、『早蕨』のような絵付けが在ります。


夜寒焼 丸三宝蓋置 (5)-1.jpg


『丸三宝』形というのは、元は『墨台』から発展したものです。

角の『三宝』形に対して『丸三宝』となります。

「輪」の形状が多い、「蓋置」の中では天板が平の形状なのがこの部類の特徴です。

釜の蓋の安定性は、輪形とは変わりませんが、棚に飾った時の見栄えや、天面の意匠で愉しめるという側面があるのです。

こちらも『千秋萬歳』の文字が記されております。



「せんしゅうばんざい」とは、長い年月の意で、特に永年の繁栄や長寿を祝う言葉として古く中国からもたらされ、単に幾久しいの意で用いたり、非常に嬉しい気持などを表わす語として用いたりしました。


しかし、そこから日本独自の意味も広がっていきました。

日本古代の信仰に根ざす、正月の祝福芸能の一つとして、中世陰陽師の流れをくむ唱門師が、正月の吉例として諸家の門に立ち、家運・長寿のほめことばなどをとなえて舞う人たちのことを指すようになりました。

この場合は、「せんずまんざい」、というようです。


中世の頃には、小松をかざす仙人ぶりの装束が、後には『風折烏帽子』に『素袍(すおう)』姿になり、扇を持ったシテ(太夫)がワキ(才蔵)の鼓に合わせて舞い、かけ合いで祝言を述べるというものも現れます。

そちらは、「せんしゅうまんざい」、だそうで。


いずれにせよ、「新春」や「めでたい」ということですね。(^^;




夜寒焼 丸三宝蓋置 惺斎 (7)-1.jpg


『夜寒焼』の乾山写、は京焼の琳派風とはまた違う風合いとなります。


グレーの釉薬はより明るめの柔らかい感じに、そしてやさしいタッチの鉄絵にて意匠付けがされます。

この作品は無銘のタイプですが、夜寒焼では有銘・無銘どちらも存在致します。

表千家家元が最初から注文した場合には無銘の傾向があると、みております。


夜寒焼 丸三宝蓋置 (3)-1.jpg


『惺斎』の箱になります。


辻鉦次郎は大正9年8月10日に亡くなられました。

夜寒焼の末期頃の、惺斎による注文品として一定数製作された作品でしょう。


夜寒焼 丸三宝蓋置 (2)-1.jpg

夜寒焼 丸三宝蓋置 (1)-1.jpg



幕末期の尾張陶の味わい深さから、明治に入っての・・・貿易を目指した「瀬戸焼」の緊張感あふれる展開や、国内の茶陶や民間用の陶磁器を目指した「夜寒焼」「東雲焼」「豊楽焼」「不二見焼」などの諸窯の・・・身近になったやきもの群の面白さ、というのもまた注目すべきところなのです。


夜寒焼 丸三宝蓋置 (4)-1.jpg


※ご成約済みです。

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【二代 眞葛香山 仁清意雪中竹ノ画 茶碗】 [宮川香山 眞葛焼]

ここ数日・・・かなりの寒さが続いてます。。。

もちろん、この度の能登半島地震での被災地の方々のことを、思いますと・・この程度で不平を言っていてはなりませんのですが、それでも・・


こういう時は、こういうお茶碗に一服点ててみて、寒中を愉しんでみましょう。




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【二代 眞葛香山 仁清意雪中竹ノ画 茶碗】


幅    12.1cm

高さ   7.4cm

高台径  4.7cm

製作年代 大正後期

箱    共箱




香山のお茶碗では、意外と・・・冬の題材が少ないように感じます。

『勅題』の初代作品では有るのですが。


抹茶茶道の復権により、二代時代は茶道具が多く製作されます。

また、他のアイテムに比して・・・「茶道具」は、比較的他のやきものに対して、大事に伝世される傾向にありましたので、太平洋戦争の戦禍を経ても伝世している作品が多いのです。


さて、この作品です。

大正5年5月20日、初代が没します。

初代時代より、一緒に製作をしておりました二代は大正7年には、三越呉服店にて大きな襲名披露展を行いました。


その際には、あまりのラインナップの広さに・・・主催者側が、これは記録に遺さないと、ということで和綴じの作品集が刊行されたほど。

実際には、大正5年から昭和15年まで製作していた香山ですが、大正後期は『表千家』への繋がりなど千家茶道界へと活躍の場を広げた時期です。


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一見、さらっとした絵付けのように見えるお茶碗ですが、『眞葛焼』の特徴に溢れたものです。

『松』の茶碗は、他の香山作品や他窯では「緑色」の松として描かれることが多いです。

しかし、この作品は笹、竹に積もる白雪がふかっと盛り上がり・・・

前夜から降り積もった新雪の明るさを感じさせます。

「金彩」を効果的に入れることで、水墨調の渋さとの対比を「琳派風」に表現しています。

それは、まるで・・夜の闇に月の光を浴びて浮かび上がる雪中の情景にも思えます。


二代は、京都画壇の画風のみならず、「大和絵」のテイストも嗜んでいます。

その合わせ技を持つ画人として・・・「狩野探幽」がいます。

17世紀に活躍しました。

狩野探幽.jpg

《雪中梅竹鳥図 名古屋城障壁画(上洛殿三之間)》


「余白の美」で知られる探幽の、こちらも積もりたての雪を金屏風に描いて、余白をもたせることでシン!としたその場の音までも感じる逸品です。

このお茶碗にも通じるものがあると感じます。


二代香山 雪中の竹茶碗 (8)-1.jpg

このお茶碗も余白部分があります。

『眞葛窯』の御家芸である『藁灰釉』により・・・仁清色よりやや青みがかった柔らかい色調になっております。


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高台の形状は、『仁清意』とあってキリっと切り立たせております。


二代香山 雪中の竹茶碗.jpg


アップしてみます。

この「銹絵」による絵付けの感じは・・・祖父である『眞葛長造』のテイストそのものです。


二代香山、『半之助』の父は・・・早くに亡くなった『長平』であり、初代香山『寅之助』の長兄であります。

早世されたあと、寅之助の妻子として迎えられたのです。


そして、初代香山は長造の四男であった為、二代香山をは17歳しか年が離れておりませんでした。

そのことが、明治期の海外での眞葛窯の活躍と、窯の消滅迄・・・技術力の維持に大いに寄することとなるのです。




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【蒟醤 亀 香合 (啐啄斎 判) 吸江斎 箱】 [茶道具]

【2024年1月17日加筆】



「贔屓(ひいき)」というコトバ・・・普段から、何気なく使っているものです。

しかし、案外と由来は知られておりません。


それは、『贔屓亀(ひきがめ)』という『神獣』の存在から来ているのです。


その辺りの事情は後述するとしまして・・・


今回は、その『贔屓亀』を模した作品のご紹介です。



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【蒟醤 亀 香合 (啐啄斎 判)】 


幅    6.5cm x 6cm 

高さ   3.8cm

製作年代 江戸時代

箱    吸江斎 箱   駒沢利斎 作



とても、品の良い作品です。


『蒟醤(きんま)』により製作されております。



中国の『填漆(てんしつ)』技法が、中国の南方(四川・雲南地方)より・・タイやミャンマーに伝わり、現地の民工芸品として発展し、普及したものが『蒟醤(きんま)』と云われます。

その後、室町時代末期頃に日本に伝来し人気を博したのです。

日本に於きましては、そこから数百年の長き時の流れのあと・・・江戸時代後期に『玉楮 象谷(たまかじぞうこく)』により他の漆技術と共に完成され、以降「讃岐」のお家芸となり知られるようになりました。



竹や木、乾漆などで形成した器物の上に、漆を塗り重ね・・・『蒟醤剣』にて文様を彫り込みます。

その後、彫溝に色漆を埋め込み、表面を研ぎ出すことで文様を表現する技法です。

研ぎ出し方によりハッキリとも、味わい深くとも自在に表現出来ます。


語源は、タイ語の「キン・マーク」であり、噛むという意味の「キン」+「マーク」は檳榔樹(びんろうじゅ)の実を意味します。

現地では、清涼剤として檳榔樹の実と貝灰を混ぜ草の葉に巻いて噛む風習があり、

それらを入れる容器に施された線刻文様も『キンマ』と呼ぶようになったと言われております。


この作品は、そういった現地の実用美術品の渡来ではなく、江戸期に『盒子』として作られたものが渡来したものと思われます。



キンマ亀香合 (5)-1.jpg


愛らしいフォルムです。

キンマ亀香合 (7)-1.jpg

甲羅の紋様もイイ感じです。


「角」が生えております。「神獣」を模しております。


キンマ亀香合 (6)-1.jpg

平べったく作られております。

これには、意味があるのです。



『竜生九子(りゅうせいきゅうし)』という、中国の伝説上の生物があります。

それは・・・竜が生んだ九匹の子で、それぞれ姿形も性格も異なっているといいます。

各々の性格で、様々な場所で各々の活躍を見せますが・・決して、竜になることは出来ませんでした。

これを『竜生九子不成竜』といいます。


いくつか、それを解した書物が伝わっておりますが少しづつ違いもあるようで・・今回は以下の文献を引用致します。


『升庵外集』(楊慎, 1488~1559年)『天禄識余』の説


1. 贔屓(ひき)

形状は亀に似ている。重きを負うことを好む。


2. 螭吻(ちふん)

形状は獣に似ている。遠きを望むことを好む。


3. 蒲牢(ほろう)

形状は竜に似ている。吼えることを好む。


4. 狴犴(へいかん)

形状は虎に似ている。力を好む。または悪人を裁くを好む。


5. 饕餮(とうてつ)

形状は獣に似ている。飲食を好む。


6. (はか)

形状は魚に似ている。水を好む。


7. (がいさい)

形状は竜に似ている。殺すことを好む。


8. (さんげい)

形状は獅子に似ている。煙や火を好む。


9. (しょうず)

形状は貝にも蛙にも似ている。閉じることを好む。



(※6~9の漢字が、入力投稿するとエラーを起こしましたので、平仮名で申し訳ございません。)


今回の作品のモチーフは、『贔屓亀』なのです。


中国では、『贔屓亀』の石像が各地で設置されております。その後、朝鮮半島や日本にも広まったようです。

それらは『重たい柱』を背負った様子になっているのです。


hiikigame.jpg

各地に存在しますが、こちらが一番今回の作品に近いでしょうか?




『贔屓』は古くは・・『贔屭』という文字でした。

「贔」は「貝」が三つで、これは財貨が多くあることを表します。

「屭」はその「贔」を「尸」の下に置いたものであろ、財貨を多く抱えることを表します。

「この財貨を多く抱える」ということが、「大きな荷物を背負う」ということに繋がり・・・石像などでその様子が表され、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになったそうです。

「ひき」の音は、中国語で力んだ時の擬音語からきております。


長くなりましたが・・・なので、「重たいもの」を背負っているので平べったいのです。


そして、「龍の子」であったことから、頭に「耳」が生えているのです。



キンマ亀香合 (11)-1.jpg


「鱗」の紋様らしき意匠もありますね。


キンマ亀香合 (9)-1.jpg


この作品の蓋裏には、『啐啄斎(そったくさい)』の花押が在ります。


表千家8代目、『件翁宗左 啐啄斎(そったくさい)』 (1744生~1808年没)


寛政~文化年間頃です。


贔屓亀の文献が現れるのは1500年代前半になります。

作品の造りの丁寧さからも・・おそらく江戸時代前期頃に渡来、ないし注文したものと推測されます。


キンマ亀香合 (3)-1.jpg


箱は、表千家十代『祥翁 吸江斎(きゅうこうさい)』です。

おそらく35歳頃の筆でしょう。

キンマ亀香合 (12)-1.jpg

型取って仕立てられた『仕覆』が添います。


キンマ亀香合 (1)-1.jpg

キンマ亀香合 (2)-1.jpg


利斎は九代目でしょう。



キンマ亀香合 (4)-1.jpg


最後に・・・・「贔屓の引き倒し」という諺がございます。

「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者の不利となって、為にはならない」

という意味であり・・・それは、『贔屓亀』の上に載っている柱の土台となる『贔屓』を引っぱると、柱が倒れるいうことから来ているのです!



さて、色んなキーワードが含まれたこの作品、如何様にもお愉しみ下さいませ☆



※ご成約済みです。


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