歴代楽の中でも人気の高い、慶入作の三つ人形蓋置です。

通常の三つ人形は唐子が外向きに手をつないでる意匠ですが、こちらは三賢人が内側に向かって楽しそうにしています。



さて、なんなんでしょう?

その意匠は有名な故事から来ております。

”虎渓三笑”

虎渓とは江西省 の盧山にある谷の名称です。

晋の慧遠(えおん)法師は、廬山に隠棲して二度と虎渓の石橋を越えまいと誓ったが、訪ねてきた陶淵明(とうえんめい)・陸修静を送って行きながら話に夢中になって不覚にも石橋を渡ってしまい、三人で大笑いして別れたという、「廬山記」の故事があります。

それを楽が意匠化して蓋置にいたしました。

後年の楽吉左衛門も同じ意匠を作品にしておりますが、初出は慶入作でしょう。



こちらも。



こちらも楽しそうです。


虎渓三笑とは、学問や芸術の話に夢中になって時を忘れる・・という意味もあります。

絡ませ方で、様々なシーンの茶会で生きそうですね。




箱は覚入の極め箱と淡々斎書附です。

書附を頂く際に、共箱がおそらく蓋の甲に在った為、作り替えて当時の楽であった覚入に極めてもらい、裏千家へ持ち込まれたのでしょう。




虎渓三笑の楽蓋置、意外と何年経っても出てこないものです・・・。


楽慶入

1817 ( 文化14 )~ 1902 ( 明治35 )

京都の人 師、10代旦入
丹波酒造屋小川直八の子
丹波酒造屋小川直八の子として生まれ、のちに旦入の婿養子として楽家に入る。
1845年28歳の頃に12代楽吉左衛門として家督を襲名し、西本願寺御庭焼露山窯に従事し同寺明和光尊より号・雲亭を賜る。のち、1871年の隠居後慶入と名乗った。
また京都府の御用に従事、博物館の御用掛けなど主に京都中心の活躍となった。慶入の時代は幕末~明治にかけての動乱期にあたり茶や伝統文化の廃れた時代であったが茶碗のほかに立体的な置物などを作り、作陶に多様性を加えた。