先月に赴きました、MIHO MUSEUMの『懐石の器』の興奮も冷めやらぬ今日この頃・・(まだ、開催中ですが。)


久しぶりに、尾張陶の懐石の良い器が、入りました!






【平澤九朗 織部 向付】 5客


幅  約11.8cm × 約10.8cm(各)

高さ 約6.7cm(各)

江戸時代後期(1800年台前半頃)

合わせ箱









本歌となる、桃山陶器は・・・お茶碗等も有名では有りますが、やはり『懐石の器』が華であったと思います。

織部、志野、黄瀬戸・・といったもの、そろぞれに味わいや独創性がありますが、なんといっても『織部焼』の面白さは群を抜いております。


以前に人気であった古田織部を主人公とした漫画、『ひょうげもの』のタイトル通り、まさにひょうげてるとしか言いようの無い、形状と意匠。


現代の眼で見ても、それはモダニズムを感じさせるものであります。


そういった、美濃や瀬戸の歴史、伝統は受け継がれてきたようで、そうでなく?・・・江戸中期や後期には、それほどパッとしない様相を感じます。

おそらくは、大阪城落城の後、切腹させられたことにより・・・『織部』自体の美意識や存在を否定する流れになったことが影響していると思われます。

その頃までに京三条などで織部焼を取り扱っていたやきもの屋なども、埋めてしまって表に出さなかったようです。


ゆえに、同じ流れの作品は断絶し・・・また、所持者もしばらくは大手を振って使うことも出来なく、人々の目からも消えてしまったのかと思います。

そうなると、写し物の需要も生まれません。



それが、尾張藩士やお庭焼きを中心とした、写し物、やそれらを基にしたオリジナリティ溢れる製作が花開く、尾張陶磁器の黄金期といったものが幕末期に訪れるのです。


その一端を担った、『平澤九朗』の逸品です。





5客が良い状態で伝世しております。



『上がり』も良いのものです。


本歌の織部向付と同じく、轆轤では為しえない型押し成型を元にして、作られております。





それぞれに、『く』の彫り銘が入っております。

九朗は数モノでも、押し印ではなくこのような手印となります。


それでは、1客づつクローズアップして参ります。



【1客目】























【2客目】

















【3客目】













【4客目】

















【5客目】


















収納箱はこんな感じでございます。















10年程前に5客を扱った以来、のご縁です。

その後・・・江戸前期の織部(といったものがあるのかは分かりませんが)と混同されて、異様に高く競られた個体を見たことが一度ありましたが。。

なかなかレアなアイテムなのです。




平澤九朗

安永元年~天保11年(1772~1840)

尾張藩士で屋敷内に窯を築き本格的に作陶する。

その作品は評価が高く当時より九朗焼として珍重された。

その技術・センスにより御深井焼にも招聘される。

文化11年に病のために家督を息子の平澤陶斎に譲る。その後、次男の二代目まで九朗焼は続いた。

尾張の余技作家の中では最も有名であり、春岱、秋二と共に三大名工として、茶席にても珍重されております。






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