【大橋秋二 織部 香合】 [おもろいで!幕末尾張陶]
さて、『伊部』の次は・・・『織部』をご紹介致します。
まもなく『炉開き』です。
その時の取り合わせとして・・・『三部』が揃うと良いとされております。
『伊部』・『織部』・『瓢(ふくべ)』
揃いやすいものとしては、『備前水指』に『ふくべ炭斗』と『織部香合』の組み合わせです。
大寄せ茶会等、お薄のみの場合は『瓢花入』にすることも多いようです。
どこかの文献で見ましたが・・・江戸時代後期、『道具商』がモノを売る為に発案したお約束という説ですのが、ここは話のタネとして慣習に乗っかって愉しめば良いかと~(^^;
さて、作品です。
【大橋秋二 織部 香合】
幅 5cm
高さ 3.7cm
製作年代 1825~1857年頃
箱 共箱
瀬戸・美濃の写しは、『尾張陶』としては正統なワークスタイルです。
釉薬のレシピの共通性か、別の作者であっても(尾張陶に関しては陶工で無い名人たちも多い為、作者と称します)、似た風合いのものになることもあります。
そんな中でも、やはり・・・個性というものは明らかに出るものです。
関西では、幕末の名古屋のやきもの三大名工(これも名人というのが良いのやら)、平澤九朗・加藤春岱・大橋秋二として知られます。
『はじき』香合と呼ばれる形状です。
把手の形状が弦を張った形であることから、ハジキ(弾)の名で呼ばれます。
織部の意匠は、抽象的でありますのでいかようにも解釈が出来ますが・・・
これは『干し柿』でしょうか?
秋二は、その性格的なものが作品性に反映されている気がします。
『大橋秋二』は寛永7(1795)年に生まれ、安政4(1857)年に没します。
大橋家へ婿養子に入り薬種商を営んでおりましたが、生来の風流人・茶道・歌道の他に陶芸に入れ込み、京都へ出て陶芸を『尾形周平』に絵を尾張画壇の『小島老鉄』に学びます。
三十才を過ぎてから陶芸の世界に入ったようです。
陶芸にのめり込んだ末、家業を傾けたという話もあったような。
師となった『尾形周平』は、『仁阿弥道八』の弟です。
道八家の助けをしながらも、独自の活動も始めます。
摂津の『桜井焼』や播磨の『東山焼』、淡路の賀集珉平が『珉平焼』を始めたのは尾形周平の影響によるものであり、周平自身も開窯に尽力しました。
姓が『尾形』なのは、『尾形乾山』に私淑したからだそうです。
秋二の作品は、とかく品の良さを感じます。
瀬戸系のみならず、和漢の写し物にも巧みで名工の誉れも高く、尾張徳川家へ14点上納もしているのです。
無欲な為、藩主より陶器師の列へ招かれるが辞する。名利を嫌い45歳で早くも剃髪し入道となる。
『二』 と彫り銘があります。『秋二』の『二』ですね。
共箱です。
『をりへ香合 秋二牧翁つくる』
『牧翁』は秋二の別号です。
端正に造られた作行きで、炭点前でも使いやすそうです。
お値打ち価格です~
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スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・
ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
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揃いやすいものとしては、『備前水指』に『ふくべ炭斗』と『織部香合』の組み合わせです。
大寄せ茶会等、お薄のみの場合は『瓢花入』にすることも多いようです。
どこかの文献で見ましたが・・・江戸時代後期、『道具商』がモノを売る為に発案したお約束という説ですのが、ここは話のタネとして慣習に乗っかって愉しめば良いかと~(^^;
さて、作品です。
【大橋秋二 織部 香合】
幅 5cm
高さ 3.7cm
製作年代 1825~1857年頃
箱 共箱
瀬戸・美濃の写しは、『尾張陶』としては正統なワークスタイルです。
釉薬のレシピの共通性か、別の作者であっても(尾張陶に関しては陶工で無い名人たちも多い為、作者と称します)、似た風合いのものになることもあります。
そんな中でも、やはり・・・個性というものは明らかに出るものです。
関西では、幕末の名古屋のやきもの三大名工(これも名人というのが良いのやら)、平澤九朗・加藤春岱・大橋秋二として知られます。
『はじき』香合と呼ばれる形状です。
把手の形状が弦を張った形であることから、ハジキ(弾)の名で呼ばれます。
織部の意匠は、抽象的でありますのでいかようにも解釈が出来ますが・・・
これは『干し柿』でしょうか?
秋二は、その性格的なものが作品性に反映されている気がします。
『大橋秋二』は寛永7(1795)年に生まれ、安政4(1857)年に没します。
大橋家へ婿養子に入り薬種商を営んでおりましたが、生来の風流人・茶道・歌道の他に陶芸に入れ込み、京都へ出て陶芸を『尾形周平』に絵を尾張画壇の『小島老鉄』に学びます。
三十才を過ぎてから陶芸の世界に入ったようです。
陶芸にのめり込んだ末、家業を傾けたという話もあったような。
師となった『尾形周平』は、『仁阿弥道八』の弟です。
道八家の助けをしながらも、独自の活動も始めます。
摂津の『桜井焼』や播磨の『東山焼』、淡路の賀集珉平が『珉平焼』を始めたのは尾形周平の影響によるものであり、周平自身も開窯に尽力しました。
姓が『尾形』なのは、『尾形乾山』に私淑したからだそうです。
秋二の作品は、とかく品の良さを感じます。
瀬戸系のみならず、和漢の写し物にも巧みで名工の誉れも高く、尾張徳川家へ14点上納もしているのです。
無欲な為、藩主より陶器師の列へ招かれるが辞する。名利を嫌い45歳で早くも剃髪し入道となる。
『二』 と彫り銘があります。『秋二』の『二』ですね。
共箱です。
『をりへ香合 秋二牧翁つくる』
『牧翁』は秋二の別号です。
端正に造られた作行きで、炭点前でも使いやすそうです。
お値打ち価格です~
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2023-10-05 11:19
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