保全、長造とご紹介してまいりましたが・・・そのさらに半世紀程前に活躍した、京焼茶陶の名工の作品のご紹介です。

こちらも、さらに稀少な作品です。




初代 清水六兵衛  御本模水指 一閑蓋  所載品 碌々斎 即中斎 箱


六兵衛家の家祖である初代の作品は、少ない上に優品はさらに限られます。

この巧みな轆轤からの成形、そして釉薬の発色加減・・・



反対側からもご覧ください。


初代六兵衛は、1738年(元文3年)大阪の高槻の農家に生まれ、寛延年間に五条坂にて海老屋清兵衛に師事し陶業を学ました。

1771年(明治8年)頃、独立し粟太郎から「六兵衛」と改称し開窯する。

師である清兵衛に「きよ水」の印を授けられたことから「清水」の姓を名乗ことに。

天竜寺の住職で茶人としても名高い桂州和尚より六角「清」の大小印を授かり、常用。
「愚斎」の号を贈られる。


初代は主に茶陶制作を行い、轆轤形成の後、鉋目、箆目を効果的に活かす特徴的な表現を得意としました。作域は広く・・・信楽写、瀬戸釉(鉄釉)、御本、染付など多岐にわたります。

妙法院宮眞仁法親王の命により、黒楽茶碗を造り、”六目”の印を授かりました。これによって親王の文化サロンに加わり、圓山応挙や呉春、上田秋成、村瀬栲亭らと交遊し親睦を深めた。
晩年は煎茶道具の制作でも高く評価され、1799年(寛政11年)亡くなります。


作品に戻りましょう。




この作品は、1985年に開催された『清水六兵衛茶陶展』の展示作品№1を飾った作品です。

その後、近年まで数回行われた六兵衛展で展示された初代作品を併せてみても・・・おそらく水指しては3本の指に入ると思います。

長らく見ることのなかったものですが、1年前に出まして・・・熱望したのですが、手に入らず・・そこから1年経ってようやくご縁があり、当方の元へ参りました。




塗蓋は11代の飛来一閑の作です。





底から。




明治期の表千家家元、碌々斎の箱書です。



堂々とした花押もあります。



さらに、即中斎の替え箱書があります。






七代六兵衛の極めです。

即中斎箱とこの極めは、1985年に展観の際に加えられたものです。




お気に入りの逸品です!

※ご成約済です。