続きまして、仁阿弥作品のご紹介です。

仁阿弥道八は様々な作品を作りましたが、やはり主軸を置置いていたのは「茶道具」でありました。

江戸時代には、美術館も無ければTV勿論のこと、写真もないわけで…古来よりの名器や美術は作品に触れること、知ることはなかなか困難なことです。

そこで、教養人や文化人、豪商や武家などが美術に接することが出来る機会としてメインステージとなったのが、「茶室」なわけです。

なので、腕に覚えのある陶工が茶道具を制作するというのは必然ともいえるわけです。

現代のように、使う「道具」として茶道具があり、コレクションするだけ、飾るだけの作品を作るという意識とはまた異なるものであったわけです。

京都には、桃山時代より続く「楽家」が存在し、確固たる地位と技術が周知されております。

家元や茶人、数奇者による手造り作品を別として、楽茶碗というものは江戸時代には、脇楽や「神楽岡文山」以外には見受けられないのはそういうことであり、現代作家では楽茶碗お写しが多数製作されているよう…あくまで道具としての需要に応じて発展したのとは違って、手を出しにくいものでもあったのです。

仁阿弥は黒楽・赤楽共に果敢にチャレンジします。

左入の七種茶碗にも触れ、その写しにも挑戦致しました。

しかしながら、伝世品には出来映えのばらつきが多く、なかなか佳品に出逢えることも少ないのです。

今回、過去の美術館出品作品などにも見られない抜群の作品を手にすることが出来ました。



仁阿弥道八 黒茶碗

形状、重さ、申し分無い出来映えです。

一入より確立された、朱釉も見事に再現されております。



反対側より。



見込みも端正に仕上がっております。



高台。 印は「仁阿」丸印です。



共箱です。仁阿弥号を賜って以降の作品であります。



淡々斎の箱があります。

銘は「飛火の原」

飛火野の原ことですね。


奈良市、春日山のふもと、春日野の一部。また、春日野の別名。元明天皇のころに烽火(のろし)台が置かれたことに由来する名です。

古くは「とぶひの」ともいわれ、鹿島大明神が春日の地にお着きになられたとき、八代尊様が光明のため口から火を吐かれ、その炎がいつまでも消えず飛んでいる様に見えたことからこの名がついたとも、飛火が古代の通信施設「烽火(のろし)」の意味であるからだといわれています。

この黒茶碗の朱釉から連想された銘と思われますが、近年では見られない銘付けであり、やはり昔の方が情緒や文化的イマジネーションがありますね。



ですが、もっと解りやすいのも・・・ということでしょうか、元の所有者である茶人様により、追銘も依頼されております。

鵬雲斎大宗匠箱 「山家」



このような、外箱に仕込まれます。


私としても、、これだけの仁阿弥の黒茶碗に出会うことは多分この先もなかなか無いと感じ、張り込んで入手してみました。(^.^)

※御成約済みです。