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仁阿弥道八 唐物模扇 向付 【10客】 共箱・九代箱 [幕末京焼]

明日より、大阪・名古屋・京都美術倶楽部で・・そのまま東京へ出張と続きます。(^^;

その合間を縫って、ちょこちょこと作品のご紹介をしたいと思います。

まずは仁阿弥シリーズから。


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仁阿弥道八 唐物模扇 向付 【10客】 共箱・九代箱


これは、仁阿弥作品の中でも大変珍しい物です。

同時期では、保全や了入が懐石道具を作っているのに対して、仁阿弥は鉢類が多いだけです。

古染付で有名な『半開扇』と呼ばれるタイプで、十客揃いで作られているというのも当時としては珍しいものです。

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深い作りで、造形のよさが引き立ちます。銘は側面に描かれております。

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文人的な図柄です。

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裏側です。

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共箱 甲側

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共箱 裏側

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外箱に九代の極め箱が添います。

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10客並べると壮観です。

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仁阿弥 道八 天明3年(1783年) - 安政2年5月26日(1855年7月9日)


仁阿弥道八は、高橋道八家の二代目で、兄の早世により29歳で家督相続し、五条坂に開窯。

奥田頴川、宝山文蔵らのもとで修行を積み、青木木米らと共に京焼の名手として知られます。

仁和寺宮より「仁」、醍醐寺三宝院宮より「阿弥」の号を賜り、出家名「仁阿弥」を称する。

カチッとした作風とクオリティの保全に対して、ざっくりとしたものも含み・・・温かみのある作品とユーモアさも包括しているのが道八の魅力であります。

その裏付けとして、確かな技術力と見識眼があるのは間違いなく、各地の御庭焼に招聘されているのがその証です。

45歳の時に紀州藩御庭焼(偕楽園焼)立ち上げに参画、以後、高松藩御庭焼(賛窯)、薩摩藩御庭焼(磯御庭焼)、角倉家御庭焼(一方堂焼)、西本願寺御庭焼(露山焼)などに協力。

天保13年(1842年)、伏見に隠居し「桃山窯」を開窯、作陶を続けた。

建仁寺とのゆかりが深く、おそらく寺所持の名品の多くに触れていたと思われ、その事が自身の作品へ反映されています。

建仁寺にも同時期の京焼陶工の中で最多の数が所蔵され、現存しております。

仁阿弥作品の魅力は、バラエティの中に一貫して通じるポリシーとセンスでしょう。

次も仁阿弥作品の御紹介となります。


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