五代 清水六兵衛は歴代の中でも、釉薬の研究を進めた代として知られます。
そしてその技は東の波山、西の六兵衛とまで称され時代の寵児となったそうです。
現在の六兵衛の名声は五代が礎を築いたのです。
六兵衛家は、陶器・磁器の両方に長けておりどちらも優品を遺しております。
そんな中、なかなか出て来ない祥瑞の逸品が入りました☆
五代 清水六兵衛 祥瑞在銘 茶碗
胴径 10.8㎝ 口径 10.2㎝ 高さ 8.5㎝ 高台径 5.4㎝
これだけの発色、絵付けの作品はなかなか見られません。
反対側からです。
絵付けの丁寧さもなかなかです。
高台内に小さな・・・隠し印があります。 これは五代六兵衛の祥瑞作品によhく見受けられるタイプです。ルーペが無いと見えない大きさです。(^^;
そして、高台脇に・・・・当時の展観時の貼り紙が残っております。
百貨店での特別展示における販売売約札も付随します。
内側をめくってみると・・・
戦前のこの頃・・・はたして、この金額はどの程度の価値であったのでしょうか。
調べてみると・・・公務員初任給の半分程度のようです。
といっても、現在のように一般人が購入できるような家電製品や自動車もありませんので、茶碗ひとつにそれだけの額を出せる人・・・というのもかなり限られた方々だということです。
五代 清水六兵衛
(1875年3月6日 - 1959年8月1日)
四代目六兵衛の長男として生まれる。
1887年 幸野楳嶺に師事ののち京都府立画学校修了、陶法を父に学ぶ。
1895年 楳嶺没後、谷口香嶠に師事。
1903年 京都市立陶磁器試験場が設立され同所で科学的釉薬、製陶法を研究
1912年 同志と京都遊陶園を結成し東京にて展覧会を開く。のち京都佳都美会結成。
1913年 五代六兵衛を襲名
1922年 フランス・サロン会員
1927年 帝展審査委員
1928年 マヨリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章
1930年 帝国美術院会員
1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章授与
1937年帝国芸術院会員
1945年六和と改名、長男に6代六兵衛を譲る。
※ご成約済です。
そしてその技は東の波山、西の六兵衛とまで称され時代の寵児となったそうです。
現在の六兵衛の名声は五代が礎を築いたのです。
六兵衛家は、陶器・磁器の両方に長けておりどちらも優品を遺しております。
そんな中、なかなか出て来ない祥瑞の逸品が入りました☆
五代 清水六兵衛 祥瑞在銘 茶碗
胴径 10.8㎝ 口径 10.2㎝ 高さ 8.5㎝ 高台径 5.4㎝
これだけの発色、絵付けの作品はなかなか見られません。
反対側からです。
絵付けの丁寧さもなかなかです。
高台内に小さな・・・隠し印があります。 これは五代六兵衛の祥瑞作品によhく見受けられるタイプです。ルーペが無いと見えない大きさです。(^^;
そして、高台脇に・・・・当時の展観時の貼り紙が残っております。
百貨店での特別展示における販売売約札も付随します。
内側をめくってみると・・・
戦前のこの頃・・・はたして、この金額はどの程度の価値であったのでしょうか。
調べてみると・・・公務員初任給の半分程度のようです。
といっても、現在のように一般人が購入できるような家電製品や自動車もありませんので、茶碗ひとつにそれだけの額を出せる人・・・というのもかなり限られた方々だということです。
五代 清水六兵衛
(1875年3月6日 - 1959年8月1日)
四代目六兵衛の長男として生まれる。
1887年 幸野楳嶺に師事ののち京都府立画学校修了、陶法を父に学ぶ。
1895年 楳嶺没後、谷口香嶠に師事。
1903年 京都市立陶磁器試験場が設立され同所で科学的釉薬、製陶法を研究
1912年 同志と京都遊陶園を結成し東京にて展覧会を開く。のち京都佳都美会結成。
1913年 五代六兵衛を襲名
1922年 フランス・サロン会員
1927年 帝展審査委員
1928年 マヨリカ焼き(音羽焼)焼成の功により緑綬褒章受章
1930年 帝国美術院会員
1931年フランスよりエトワール・ノワール勲章授与
1937年帝国芸術院会員
1945年六和と改名、長男に6代六兵衛を譲る。
※ご成約済です。