【十代 中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立 惺斎 十五ノ内】 [茶道具]
今回は、珍しい金属作品のご紹介となります。
千家十職の一家として数えられるも・・現在は後継ぎの事情により、やむなく「欠番」状態となっております『中川浄益』の作品です。
【十代 中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立】
製作年代 昭和初頭 (1926~1928年頃)
サイズ 幅 9.3cm 高さ 16.7cm
箱 惺斎 箱 十五の内
共箱 2重箱
『杓立』としては、若干低め・・であり、幅はふっくらと『花入並』です。
とても愛らしい形状であるものの、それを取り巻く意匠の数々が『渋い』ことにより引き締めております。
日本では、『金属工芸』はかなり・・・古くより、南方や大陸からもたらされたモノにより早い段階より知られておりました。
2000年前には青銅器が伝わり、宋時代(960~1279年)や元時代(1271~1386年)の『唐銅(からかね)』のものが珍重されてきたわけですが、利休時代には『書院茶』から『侘び茶』へと移行する際に『竹』へと主流が移行します。
また、食器につきましても・・・丁度、『正倉院』ならびに『正倉院展』を見てきたところですが、その正倉院には未だに未使用の『砂張』の食器が多数眠ったままといい、また日常に於きましても日本人は古来より『木工』の食器を中心としてきました。(現代では陶磁器ですが)
この辺は、『金属』というものがおそらくは農耕民族である日本人にとっては馴染めないもの、『格調高い』ものであるという認識が関係しているのかもしれません。
高湿度な日本では樹木が豊富で身近な素材でありましたので。
しかし、神社仏閣では要所要所に金属作品が見られ、長い歴史の中でも金属加工技術は確実に継承・発展してきました。
そんな中・・・利休に『腰黒薬缶』を依頼され、製作したことで千家との繋がりが深くなったのが『浄益家』です。
それは天正15(1587)年の『北野大茶会』で使用する為のもので、初代浄益(当時はまだ『紹益』)が造ったものです。
他にも『火箸』の製作もあり、この2種が『中川浄益』に利休より許された『家業』であります。
最後の十一代浄益さんの言によれば、寛永年間頃より千家出入りとなり、江岑の指導を受けたといいます。
その後、家元好みのものを製作したりと脈々と歴史を紡いできました。
さて・・・時代は進み・・・明治時代、抹茶茶道の衰退により浄益家は八代~九代頃に大きな借財を背負うことになりました。
しかし、『内国勧業博覧会』や『万国博覧会』等の開催により『貿易』としての日本美術作品がもてはやされることとなります。
浄益も茶道具以外のハイレベルな工芸品の製作を行いました。
その流れから、大正時代より抹茶茶道の復権で茶道具製作が復活するのですが、そこに明治頃よりの新たな感性・技を併せ持った浄益の新時代茶道具の登場となるのです。
前置きが長くなりましたが・・・とういう時代背景の元に生まれた、逸品作品のご紹介なのです。
複雑な形状を持っております。
筋により口縁部より、5つの範囲を区切り意匠化してます。
『環付』は『鳳凰』の顔の意匠です。
こうした全体の丸みや細かい形の造形を可能とするのが『鋳金(ちゅうきん)』の技術です。
銅の合金を高熱で溶解し、型に流し込むことで形成します。
よく、量産する為の鋳金と混同されますが、複雑な形状の実現の為に選択される技法でもあります。
銅には鉛や『錫(すず)』を混入し上質な銅と致します。
それが『青銅』というものです。
時代を経ると、青錆が発生することから名付けられました。
茶道具の世界では呼び名を変え、『唐銅(からかね)』と呼ばれる合金です。
明治初頭に、政府が国の金属技術の調査を行いました。
古くからある金属加工家である『竜文堂』や『金谷五郎三郎』『藤屋九兵衛』家や・・そして『中川浄益』家が家伝の調合法などを提出しました。
東京国立博物館にも写本が保管されております、『銅器之説』というもので、その中で示されてる配合では、浄益家だけが群を抜いて『錫』の比率が高いそうです。
それは、浄益作品の銅の質が圧倒的に高いことを表しているのです。
『金象嵌』により『桐』と『鳳凰』、『青海波』が施されております。
これは、この作品が昭和天皇の御大典に併せて特別製作されたモノであることを推察出来ます。
『七宝象嵌』により施されているのは・・・『宝尽し』紋様です。
『宝珠(ほうじゅ)』
もとは密教法具の一つで、先にとがった珠で火焔が燃え上がることもある。
望みのものを出すことができる珠。
『七宝(しっぽう)』
花輪違い円の吉祥性か、宝尽くしの一つにかぞえられている。
七宝の円形は円満を表します。
『軍配(ぐんばい)』
軍配団扇ともいい、邪気を払うものとされます。
勝負の采配を決める道具から転じて、物事を見極める才を象徴します。
『開扇(かいせん)』
末廣ともいい、吉祥が広がる意味となります。
『丁字(ちょうじ)』
スパイスのグローブのこと。
平安時代に輸入され、薬用・香料・染料・丁字油にもなり、希少価値から宝尽くしの一つになりました。
『宝鑰(ほうやく)』
蔵を開ける鍵で、雷文形に曲がっています。
縁起の良い福徳の象徴です。
『宝巻・巻軸(ほうかん・まきじく)』
ありがたいお経の巻物。
交差して置いた物を「祇園守」といいます。
『隠れ蓑(かくれみの)』
天狗が持っているとの伝えがあります。
危険な事象から身を隠して護っていただけるという意味です。
これらの七宝象嵌は、浄益家が九代頃に実現した、『古七宝焼』の再現を可能としたことから艶やかな金象嵌と対比させて作品に取り込んでおります。
十代 中川浄益
本名 中川淳三郎 紹心 昭和15(1940)年没
満州に渡っていたが、九代の病状の悪化により呼び戻す。明治44(1911)年の九代没後より浄益家を守りました。
2重箱となります。
惺斎の六十代半ば頃の筆です。
浄益家が千家十職の肩名は、その名も・・『錺師(かざりし)』。
『水屋道具』より始まった浄益家が、『錺モノ』の逸品を生み出せる家になりました。
しかし平成20(2008)年、十一代が没し・・・現在では浄益の工房の火は絶えたままなのです。
※ご成約済みです。
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千家十職の一家として数えられるも・・現在は後継ぎの事情により、やむなく「欠番」状態となっております『中川浄益』の作品です。
【十代 中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立】
製作年代 昭和初頭 (1926~1928年頃)
サイズ 幅 9.3cm 高さ 16.7cm
箱 惺斎 箱 十五の内
共箱 2重箱
『杓立』としては、若干低め・・であり、幅はふっくらと『花入並』です。
とても愛らしい形状であるものの、それを取り巻く意匠の数々が『渋い』ことにより引き締めております。
日本では、『金属工芸』はかなり・・・古くより、南方や大陸からもたらされたモノにより早い段階より知られておりました。
2000年前には青銅器が伝わり、宋時代(960~1279年)や元時代(1271~1386年)の『唐銅(からかね)』のものが珍重されてきたわけですが、利休時代には『書院茶』から『侘び茶』へと移行する際に『竹』へと主流が移行します。
また、食器につきましても・・・丁度、『正倉院』ならびに『正倉院展』を見てきたところですが、その正倉院には未だに未使用の『砂張』の食器が多数眠ったままといい、また日常に於きましても日本人は古来より『木工』の食器を中心としてきました。(現代では陶磁器ですが)
この辺は、『金属』というものがおそらくは農耕民族である日本人にとっては馴染めないもの、『格調高い』ものであるという認識が関係しているのかもしれません。
高湿度な日本では樹木が豊富で身近な素材でありましたので。
しかし、神社仏閣では要所要所に金属作品が見られ、長い歴史の中でも金属加工技術は確実に継承・発展してきました。
そんな中・・・利休に『腰黒薬缶』を依頼され、製作したことで千家との繋がりが深くなったのが『浄益家』です。
それは天正15(1587)年の『北野大茶会』で使用する為のもので、初代浄益(当時はまだ『紹益』)が造ったものです。
他にも『火箸』の製作もあり、この2種が『中川浄益』に利休より許された『家業』であります。
最後の十一代浄益さんの言によれば、寛永年間頃より千家出入りとなり、江岑の指導を受けたといいます。
その後、家元好みのものを製作したりと脈々と歴史を紡いできました。
さて・・・時代は進み・・・明治時代、抹茶茶道の衰退により浄益家は八代~九代頃に大きな借財を背負うことになりました。
しかし、『内国勧業博覧会』や『万国博覧会』等の開催により『貿易』としての日本美術作品がもてはやされることとなります。
浄益も茶道具以外のハイレベルな工芸品の製作を行いました。
その流れから、大正時代より抹茶茶道の復権で茶道具製作が復活するのですが、そこに明治頃よりの新たな感性・技を併せ持った浄益の新時代茶道具の登場となるのです。
前置きが長くなりましたが・・・とういう時代背景の元に生まれた、逸品作品のご紹介なのです。
複雑な形状を持っております。
筋により口縁部より、5つの範囲を区切り意匠化してます。
『環付』は『鳳凰』の顔の意匠です。
こうした全体の丸みや細かい形の造形を可能とするのが『鋳金(ちゅうきん)』の技術です。
銅の合金を高熱で溶解し、型に流し込むことで形成します。
よく、量産する為の鋳金と混同されますが、複雑な形状の実現の為に選択される技法でもあります。
銅には鉛や『錫(すず)』を混入し上質な銅と致します。
それが『青銅』というものです。
時代を経ると、青錆が発生することから名付けられました。
茶道具の世界では呼び名を変え、『唐銅(からかね)』と呼ばれる合金です。
明治初頭に、政府が国の金属技術の調査を行いました。
古くからある金属加工家である『竜文堂』や『金谷五郎三郎』『藤屋九兵衛』家や・・そして『中川浄益』家が家伝の調合法などを提出しました。
東京国立博物館にも写本が保管されております、『銅器之説』というもので、その中で示されてる配合では、浄益家だけが群を抜いて『錫』の比率が高いそうです。
それは、浄益作品の銅の質が圧倒的に高いことを表しているのです。
『金象嵌』により『桐』と『鳳凰』、『青海波』が施されております。
これは、この作品が昭和天皇の御大典に併せて特別製作されたモノであることを推察出来ます。
『七宝象嵌』により施されているのは・・・『宝尽し』紋様です。
『宝珠(ほうじゅ)』
もとは密教法具の一つで、先にとがった珠で火焔が燃え上がることもある。
望みのものを出すことができる珠。
『七宝(しっぽう)』
花輪違い円の吉祥性か、宝尽くしの一つにかぞえられている。
七宝の円形は円満を表します。
『軍配(ぐんばい)』
軍配団扇ともいい、邪気を払うものとされます。
勝負の采配を決める道具から転じて、物事を見極める才を象徴します。
『開扇(かいせん)』
末廣ともいい、吉祥が広がる意味となります。
『丁字(ちょうじ)』
スパイスのグローブのこと。
平安時代に輸入され、薬用・香料・染料・丁字油にもなり、希少価値から宝尽くしの一つになりました。
『宝鑰(ほうやく)』
蔵を開ける鍵で、雷文形に曲がっています。
縁起の良い福徳の象徴です。
『宝巻・巻軸(ほうかん・まきじく)』
ありがたいお経の巻物。
交差して置いた物を「祇園守」といいます。
『隠れ蓑(かくれみの)』
天狗が持っているとの伝えがあります。
危険な事象から身を隠して護っていただけるという意味です。
これらの七宝象嵌は、浄益家が九代頃に実現した、『古七宝焼』の再現を可能としたことから艶やかな金象嵌と対比させて作品に取り込んでおります。
十代 中川浄益
本名 中川淳三郎 紹心 昭和15(1940)年没
満州に渡っていたが、九代の病状の悪化により呼び戻す。明治44(1911)年の九代没後より浄益家を守りました。
2重箱となります。
惺斎の六十代半ば頃の筆です。
浄益家が千家十職の肩名は、その名も・・『錺師(かざりし)』。
『水屋道具』より始まった浄益家が、『錺モノ』の逸品を生み出せる家になりました。
しかし平成20(2008)年、十一代が没し・・・現在では浄益の工房の火は絶えたままなのです。
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2023-11-15 12:06
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