さて、最後は・・・初代のご紹介です。




初代清水六兵衛 御本立鶴 茶碗

江戸時代 中期


幅 10.8㎝~11.5㎝ 高さ 8.8㎝



数年前にも同手を扱いましたが、劣らずなかなかの優品です。



御本立鶴茶碗は小堀遠州によるデザイン発注による注文品であることが知られております。

人気だったらしく、幕末頃迄まで断続的に注文製作されていたようで・・・本歌はかなり時代の幅があります。

しかし、この初代六兵衛作の方が同時代のものよりずっと作品としては上です。

このなんともいえない古作風の味わいはなかなか出せません。



御本の発色も良いです。鹿の子です。



しっかりした轆轤形成です。



反対側から。





高台側です。



印銘です。


初代六兵衛は元文三年(1738年)、摂津国(今でいう大阪府の高槻市です)に農家に生れまたと伝わります。

六兵衛家の家伝としては最古のものは明治18年に四代が記したものとなりますが、初代が陶業を学んだ磁器は寛延年間としか判っておりません。

五条坂の海老屋清兵衛に学び、『きよ水』や『清』印を譲り受けたとも。

明和八年(1771年)頃に独立し自身の名を『六兵衛』と改称。

師より譲られた印に因み『清水』姓の通称を名乗り始めます。

開窯、というのではなく・・最近の研究によると、他の窯を借りて焼成する間借り職人としての独立であったということだそうです。

茶陶を中心に製作し、その手腕は類まれなるものであったということです。

独自の鉋使いや箆使いも特筆すべきところですが、御本などの茶陶の上手さが初代の本懐ともいえるでしょう。


妙法院宮 眞仁法親王の命により庭内で黒楽茶碗を造り『六目』の印を拝領するほどのご縁が深く、宮中に集った圓山応挙や呉春などの画家・上田秋成や村瀬拷亭などの文人とも交流し、晩年には煎茶器も製作しました。

寛政十一年(1799年)没。




こちらも、五代の極め箱になります。




過去の六兵衛歴代展で展示された、御本立鶴茶碗より数ランク出来栄えが良く、また江戸中期のものとして作歴もはっきりし、また作品の状態も良いので大変お勧めです。


※御成約済みです



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