寛文6(1666)年、前田利常の茶頭として招聘され・・・金沢の地へ赴いた裏千家の祖ともいうべき、「仙叟」が伴った樂一入の弟子である「土師長左衛門」が・・・大樋村にて楽焼の製作を始めました。

仙叟の好み物として、伝統的な京焼の技法に革新的ともいえるモダンなテイストを盛り込んだものを生み出したのです。

初期大樋焼、初代~4代頃はその路線を固く守り創成期を支えました。

5代目は中興の祖としてさらなる飛躍を図ることになるのですが、初代の作風を強く遺す逸品が見られるのも初期大樋焼ならでは、といえます。


今回は、4代目の勘兵衛の佳品が手に入りました☆






【四代 大樋勘兵衛 仙叟好写 赤茶碗】


幅 12.4㎝ 高さ 7.4㎝ 高台径 5.3㎝


共箱 

九代極め箱 鵬雲斎箱


製作年代 寛政12(1802)年~文政7(1824)年頃



さて、お茶碗の様子を見てまいりましょう。





上から。





反対側より。





釉調もきれいに発色しております。





高台側より。


4代目作品、は基本的にしっかり正統派の造りを確実に仕上げているのが特徴と云えます。



高台側から。





ちらっと、白いものが見えますね。





一枝の梅が浮き盛りの絵付けで施されております。



「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花

         主(あるじ)なしとて 春を忘るな」


菅原道真が、冤罪により大宰府へ左遷されることが決まったときに、詠んだ歌です。


春風が吹いたら、匂いを(京から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。主人(菅原道真)がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。





東風(こち)、は京都(東)から九州(西)へ吹く風のことです。


これは、金沢の地から京都への方向にも通じるものであり、金沢の地で活躍した仙叟の想いというものが意匠に込められているのと同時に、「前田家」の家紋である「梅」にもかけているのです。

そして、仙叟の好みものというと、造形的なデザインが特徴であり仙叟好みの茶碗ではさらに特に際立っております。

このお茶碗も口造りの薄さからのひねり込みの造形が、なかなかのものとなっております。

4代目の大樋は、1758年に生まれ・・・1802年に3代が没したあとに襲名。

勘兵衛と、のちに長左衛門を名乗り・・・・文政7(1824)年10月に隠居して「土庵」を名乗り5代へ譲ります。

この作品は中期頃の作品と思われます。





眼鏡箱になります。

9代目の極め箱もあります。



共箱です。





鵬雲斎の箱が添います。



甲側には「陽来」とあり、「一陽来福」からのコトバでしょう。

冬が終わり・・・春が来るという意ですが、悪い傾向にあった物事がよい傾向に向かうことも意味します。

(この字は大樋さんの字かもしれません。)



4代大樋は、初代に次ぐ名工である、と10代さんの言がございます。


なかなか、目にすることのないものです・・・このご縁に感謝しつつ、皆様にもご紹介させて頂きました!





※御成約済み



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