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六代豊楽 赤楽四方茶碗 [商品]

豊楽焼(豊助焼)

江戸後期加藤利慶(初代)が名古屋の上前津に興して以来、大正にかけて茶陶を中心に焼かれた楽焼の窯。三代豊助は高木姓を母方の大喜に改名、以降大喜豊助を代々名乗る。天宝13年尾張藩の御用窯に。
豊楽といえば・・・木具写と呼ばれる、一見塗り物に見える・・・菓子器や吸い物椀等の食器が一番有名ですね。
内側は楽焼で織部写しのような感じになっていて、蓋を開けてびっくり・・・と幕末から人気を博したそうです。

四代豊助は独創性に優れ、器の表面に蒔絵を施したり、練り込みなどのやきものを創作。父に先立ち安政年没。
五代は先代の作陶を継承しましたが明治18年没。

六代豊助は内外の博覧会などにも積極的に出品入賞もしている。

以前は六代で途絶えた・・という説もありましたが、明らかに八代まで作品があり現在では資料化が進み八代までという記録が残っております。

六代の長男七代豊助(金彦)は大正4年没。八代豊助が大正14年に没し、継承が途絶える。

本日御紹介いたしますのが六代作の赤楽四方茶碗です。

全体的にはんなりした形状となっており、上からは四方ですが下は普通の丸い形状となっていまして手の収まりはしっくりきます。

丸ばかりのお茶碗の間に、ちょとしたアクセントとして時期を問わずお使いいただけますが、この形状を生かして・・・2月の節分には枡形として、秋には俵形に見立て・・・そしてちょっとこじつけですが6月・7月のこの天気の怪しい時期にはお天気予報(四方)が大事ですね、と使ってみましょう?

実質的には七代、八代は楽茶碗の出来はいまひとつ・・・ですので六代が茶陶としての楽茶碗では熟成の域に達した後期といえるでしょう。

共箱がきちんとあるのも珍しいです。

そてには理由がありまして、このお茶碗・・・さる愛知の大家の出物なのですが、ちょうど収集された時期が六代の存命期であり直接六代豊楽から頂いている物なのです。

箱にはその家の貼り紙も残っております。

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