『2023年7月の新入荷情報&スケジュール』です。 [BASE215]
【2023年7月30日 新入荷追加】
今月のアクティビティ。「高野山」へ!
奥の院まで回ってたら・・・・・15000歩も。
翌日も足が痛かったです。。。
3日目は、堺の埠頭へ。
海上自衛隊の試験艦「あすか」の公開をしているということで、電車&シャトルバスで。
艦内は入れませんでしたが、乗艦して甲板などは回れました。
数年前は垂直発射型ミサイルの搭載実験もした艦だそうです。
自衛官の皆様がびっくりするくらい親切でした。
お国の平和をどうぞよろしくお願い申し上げます!
さて、本日からまた4日間ぶっ通しで飛び回ってから、ベースも連続営業となります。
新入荷情報は追々、追記して参ります。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
7月のJFK企画 第1弾
連日の猛暑と、不安定な天気の湿度で・・・真夏感まっさかりのテーマです。(^^;
『国焼き、夏の平茶碗』
珍しい、3碗を、ご紹介する予定です。
しばし、お待ちくださいませ。
+++++++++++++++++++++++++++
先日は、『東美正札会』へお越しいただきました皆様、誠に有難うございました!
半年に一度、のこの催しでしかお逢い出来ない方々、お馴染み様でもこの機会に!という作品ご紹介、新たな出会い等など・・・本当に、東美正札会は一日がフル活動で屋内なのに、『一万歩』を超す移動量と、声がかれる程の御接客量なのも、嬉しい悲鳴であります。
今回は・・・準備前夜の、ホテル空調調節の失敗で風邪をひいてしまいまして。久々に『くしゃみ・鼻水・咳』に悩まされております。
加えまして、5月末の『十翔会』から左ひじ周りを痛めていたのが、悪化して・・・東京前に『筋肉注射』と毎日の薬を余儀なくされておるのです。(+_+)
そんな中で、『JFK』の更新も滞っており、お愉しみ頂いております皆様には申し訳なく思っております。
先月末からの新入荷情報と、ベーススケジュールをお知らせ申し上げます。
【新入荷情報】
◎隠崎隆一 備前 香炉
アッガイとか、弱虫ペダルとか、見た人には様々な感想を頂戴しておりますが。。。
至って、出来栄えの良いモダンな香炉です!
◎河井透 辰砂筒描七宝紋 茶碗
寛次郎さんの甥にあたります。民藝ではありますが、茶の味を感じます。
先代のご所有様は28万円でお求めになられたようです。
七宝紋もよく、意外にお茶味ありますのです。
◎前端春斎 圓能斎好溜 日出棗
※ご成約済みです。
◎十三代 宮崎寒雉 淡々斎好単瓢 建水
ちょっと、格調を感じるフォルムなのです。
お値打ち品です。
※ご成約済みです。
◎永楽即全 乾山写秋草 蓋置
ここまで、出来栄えばっちりの即全の秋草蓋置は見たことが有りません!
※ご成約済みです。
◎文政9(1826)~天保13(1842)年頃 仁阿弥道八 三島 小皿 【5枚】
まさに、『道八様式』の三島です。
緻密な象嵌と、古作の味わいがたまりません。
◎樂 惺入 ツボツボ透舟 向付 【6客】
6月終わり頃の入荷品ですが、撮影が間に合いませんでしたのでこちらに。
弘入でも製作されていましたが、より繊細で上品な感じに仕上がっております。
『6客』というのも嬉しいところです。
※ご成約済みです。
◎永楽保全 河濱焼 松ノ絵 茶碗 不識斎好み
かなりの逸品、でしたのです。
※ご成約済みです。
◎初代 森有節 萬古焼 黄交趾笠牛香合
※ご成約済みです。
◎萬古焼 青磁釉 蛙香合
※ご成約済みです。
◎初期 瀬戸染付焼 鳥形 香合 瀬戸市美術館出品作品
民吉時代の瀬戸染付です。『尾張印』のあるもので、超レアアイテムとなります。
窯切れはございますが、作品性に問題ございません。
令和2年の『瀬戸染付の謎』展に出展された現物なのです。
※御成約済みです。
◎御深井焼 志野宝珠に若松絵 筒茶碗
祖母懐印で、たっぷりとした筒茶碗です。
尾張陶らしい、先行きです。
※ご成約済みです。
◎堂本印象 短冊 額装
◎河合玉堂 東海道車中吟 巻物
※御成約済みです。
◎坪島土平 銀彩魚形 向付 【5客】
◎初代 中村梅山 鳳凰雲透し 香炉
◎須田青華 倣吉田屋 鉢
◎十代 中川浄益 南蛮六角豆環 菊唐草象嵌 即中斎 箱
◎九代 白井半七 龍田川 蓋置
◎古瀬暁三 奈良絵 数茶碗 【10客】
◎四代 眞清水蔵六 鎗の鞘形 茶入
◎奥田木白 珠光青磁写 鉢(茶碗)
共箱です。 木白らしい、やさしいフォルムで古作の写しを製作されております。
※ご成約済みです。
◎大西清右衛門×象印 松声筒釜
久々に出ました?
1984年に、利休没後400年と大阪城築城400年を記念して造られた‥‥魔法瓶機構の釜です。
そのまま、単体として置いても使えますし、中を外して炭で炊くことも可能です。
次はいつ出るか分かりませんよ~
※御成約済みです。
◎大正後期頃 二代 眞葛香山 仁清意鴫 香合
上品で、かわいい上がりです☆
※ご成約済みです。
◎大正初期頃 初代 眞葛香山 仁清写双鳩図 茶碗 帝室技芸員印箱
珍しいお茶碗です。初代の共箱というのはなかなか少ないものです。特に大正期の分は。
※御成約済みです。
◎村瀬治兵衛 欅 干菓子盆 紙箱
※御成約済みです。
◎村瀬治兵衛 若狭盆
※ご成約済みです。
◎南禅寺 山門古瓦 釣花入
◎一方堂焼 寿老人 置物 九代道八極め箱
小ぶりですが、彫像作品としては出来映えが良いものです。
内側に窯疵がありますが、問題なしです。
※ご成約済みです。
◎眞葛香山 染付有馬筆 香合 箱無し
⇒極め箱 製作中です。
※商談中です。
◎昭和3(1928)年 二代 眞葛香山 色絵紅葉之画 向付 【10客】特注品
御大典の記念として特別発注されたうつわです。
「多勢稚君」好みとされており、おそらく富岡製糸場の多勢家の関係によるものでしょう。
うつわばかりを特注されたようです。
◎奥田木白 萬古写 蓋置
某家、木白コレクションからの出物が続いております。こちらもなかなかのものです。
◎立花大亀 茶杓 千歳
◎大正時代 三代 陶原隆平 鳳凰模様錦手 中皿 【20枚】
先月に続いて、陶源隆平の逸品が入りました! 客数の多さもさることながら・・やはり出来映えが抜群なのです。
◎永楽即全 仁清写蛤 香合 即中斎 箱
長造作品の写し、ですね。サイズは近代茶道サイズに大き目にしてあります。
◎江戸ガラス 輪花 小皿 【5枚】
※ご成約済みです。
◎初代 橘屋友七 洗朱刷毛目 引盃 【10枚】
※ご成約済みです。
◎二代 眞葛香山 仁清写結文 帯留
これ・・は、ちょっと面白い由来がありそうなアイテムです。
帯留は、眞葛窯では製作が3代の頃に多かったのですが、ロータリークラブの記念品等が中心で、このような一品物は珍しいのです。
私としては、それ以上に興味深いのが押印でして。この辺はただのマニアックなところです。(^^;
※ご成約済みです。
【7月のスケジュール】
1・2 『中元 東美正札会』 於 東京美術倶楽部
4 ベース 午後 一件御予約
5 ベース 16時予約有
6 オークション 於 大阪南美術会館
7 オークション 於 大阪美術倶楽部
7 昼下がり~ ベース営業
9~10 オークション出張 於 名古屋
11 ベース
12 ベース ×
13~14 オークション出張 於 京都美術倶楽部
18 ベース ~14時頃迄
19 オークション 於 大阪美術倶楽部
~ 1件外販有り ~ベース16時頃滞在
20 オークション 於 名古屋美術倶楽部
21 オークション 於 京都美術倶楽部
22 ベース 御予約一件有り
23 ベース 10時~御予約有
25 ベース ×
26 ベース
27 ベース 御予約2件
28 ベース ×
29 ベース
30 ベース ~14時迄
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【Journal of FUJII KOUNDO】
当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
090-8578-5732 (直通)
【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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今月のアクティビティ。「高野山」へ!
奥の院まで回ってたら・・・・・15000歩も。
翌日も足が痛かったです。。。
3日目は、堺の埠頭へ。
海上自衛隊の試験艦「あすか」の公開をしているということで、電車&シャトルバスで。
艦内は入れませんでしたが、乗艦して甲板などは回れました。
数年前は垂直発射型ミサイルの搭載実験もした艦だそうです。
自衛官の皆様がびっくりするくらい親切でした。
お国の平和をどうぞよろしくお願い申し上げます!
さて、本日からまた4日間ぶっ通しで飛び回ってから、ベースも連続営業となります。
新入荷情報は追々、追記して参ります。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
7月のJFK企画 第1弾
連日の猛暑と、不安定な天気の湿度で・・・真夏感まっさかりのテーマです。(^^;
『国焼き、夏の平茶碗』
珍しい、3碗を、ご紹介する予定です。
しばし、お待ちくださいませ。
+++++++++++++++++++++++++++
先日は、『東美正札会』へお越しいただきました皆様、誠に有難うございました!
半年に一度、のこの催しでしかお逢い出来ない方々、お馴染み様でもこの機会に!という作品ご紹介、新たな出会い等など・・・本当に、東美正札会は一日がフル活動で屋内なのに、『一万歩』を超す移動量と、声がかれる程の御接客量なのも、嬉しい悲鳴であります。
今回は・・・準備前夜の、ホテル空調調節の失敗で風邪をひいてしまいまして。久々に『くしゃみ・鼻水・咳』に悩まされております。
加えまして、5月末の『十翔会』から左ひじ周りを痛めていたのが、悪化して・・・東京前に『筋肉注射』と毎日の薬を余儀なくされておるのです。(+_+)
そんな中で、『JFK』の更新も滞っており、お愉しみ頂いております皆様には申し訳なく思っております。
先月末からの新入荷情報と、ベーススケジュールをお知らせ申し上げます。
【新入荷情報】
◎隠崎隆一 備前 香炉
アッガイとか、弱虫ペダルとか、見た人には様々な感想を頂戴しておりますが。。。
至って、出来栄えの良いモダンな香炉です!
◎河井透 辰砂筒描七宝紋 茶碗
寛次郎さんの甥にあたります。民藝ではありますが、茶の味を感じます。
先代のご所有様は28万円でお求めになられたようです。
七宝紋もよく、意外にお茶味ありますのです。
◎前端春斎 圓能斎好溜 日出棗
※ご成約済みです。
◎十三代 宮崎寒雉 淡々斎好単瓢 建水
ちょっと、格調を感じるフォルムなのです。
お値打ち品です。
※ご成約済みです。
◎永楽即全 乾山写秋草 蓋置
ここまで、出来栄えばっちりの即全の秋草蓋置は見たことが有りません!
※ご成約済みです。
◎文政9(1826)~天保13(1842)年頃 仁阿弥道八 三島 小皿 【5枚】
まさに、『道八様式』の三島です。
緻密な象嵌と、古作の味わいがたまりません。
◎樂 惺入 ツボツボ透舟 向付 【6客】
6月終わり頃の入荷品ですが、撮影が間に合いませんでしたのでこちらに。
弘入でも製作されていましたが、より繊細で上品な感じに仕上がっております。
『6客』というのも嬉しいところです。
※ご成約済みです。
◎永楽保全 河濱焼 松ノ絵 茶碗 不識斎好み
かなりの逸品、でしたのです。
※ご成約済みです。
◎初代 森有節 萬古焼 黄交趾笠牛香合
※ご成約済みです。
◎萬古焼 青磁釉 蛙香合
※ご成約済みです。
◎初期 瀬戸染付焼 鳥形 香合 瀬戸市美術館出品作品
民吉時代の瀬戸染付です。『尾張印』のあるもので、超レアアイテムとなります。
窯切れはございますが、作品性に問題ございません。
令和2年の『瀬戸染付の謎』展に出展された現物なのです。
※御成約済みです。
◎御深井焼 志野宝珠に若松絵 筒茶碗
祖母懐印で、たっぷりとした筒茶碗です。
尾張陶らしい、先行きです。
※ご成約済みです。
◎堂本印象 短冊 額装
◎河合玉堂 東海道車中吟 巻物
※御成約済みです。
◎坪島土平 銀彩魚形 向付 【5客】
◎初代 中村梅山 鳳凰雲透し 香炉
◎須田青華 倣吉田屋 鉢
◎十代 中川浄益 南蛮六角豆環 菊唐草象嵌 即中斎 箱
◎九代 白井半七 龍田川 蓋置
◎古瀬暁三 奈良絵 数茶碗 【10客】
◎四代 眞清水蔵六 鎗の鞘形 茶入
◎奥田木白 珠光青磁写 鉢(茶碗)
共箱です。 木白らしい、やさしいフォルムで古作の写しを製作されております。
※ご成約済みです。
◎大西清右衛門×象印 松声筒釜
久々に出ました?
1984年に、利休没後400年と大阪城築城400年を記念して造られた‥‥魔法瓶機構の釜です。
そのまま、単体として置いても使えますし、中を外して炭で炊くことも可能です。
次はいつ出るか分かりませんよ~
※御成約済みです。
◎大正後期頃 二代 眞葛香山 仁清意鴫 香合
上品で、かわいい上がりです☆
※ご成約済みです。
◎大正初期頃 初代 眞葛香山 仁清写双鳩図 茶碗 帝室技芸員印箱
珍しいお茶碗です。初代の共箱というのはなかなか少ないものです。特に大正期の分は。
※御成約済みです。
◎村瀬治兵衛 欅 干菓子盆 紙箱
※御成約済みです。
◎村瀬治兵衛 若狭盆
※ご成約済みです。
◎南禅寺 山門古瓦 釣花入
◎一方堂焼 寿老人 置物 九代道八極め箱
小ぶりですが、彫像作品としては出来映えが良いものです。
内側に窯疵がありますが、問題なしです。
※ご成約済みです。
◎眞葛香山 染付有馬筆 香合 箱無し
⇒極め箱 製作中です。
※商談中です。
◎昭和3(1928)年 二代 眞葛香山 色絵紅葉之画 向付 【10客】特注品
御大典の記念として特別発注されたうつわです。
「多勢稚君」好みとされており、おそらく富岡製糸場の多勢家の関係によるものでしょう。
うつわばかりを特注されたようです。
◎奥田木白 萬古写 蓋置
某家、木白コレクションからの出物が続いております。こちらもなかなかのものです。
◎立花大亀 茶杓 千歳
◎大正時代 三代 陶原隆平 鳳凰模様錦手 中皿 【20枚】
先月に続いて、陶源隆平の逸品が入りました! 客数の多さもさることながら・・やはり出来映えが抜群なのです。
◎永楽即全 仁清写蛤 香合 即中斎 箱
長造作品の写し、ですね。サイズは近代茶道サイズに大き目にしてあります。
◎江戸ガラス 輪花 小皿 【5枚】
※ご成約済みです。
◎初代 橘屋友七 洗朱刷毛目 引盃 【10枚】
※ご成約済みです。
◎二代 眞葛香山 仁清写結文 帯留
これ・・は、ちょっと面白い由来がありそうなアイテムです。
帯留は、眞葛窯では製作が3代の頃に多かったのですが、ロータリークラブの記念品等が中心で、このような一品物は珍しいのです。
私としては、それ以上に興味深いのが押印でして。この辺はただのマニアックなところです。(^^;
※ご成約済みです。
【7月のスケジュール】
1・2 『中元 東美正札会』 於 東京美術倶楽部
4 ベース 午後 一件御予約
5 ベース 16時予約有
6 オークション 於 大阪南美術会館
7 オークション 於 大阪美術倶楽部
7 昼下がり~ ベース営業
9~10 オークション出張 於 名古屋
11 ベース
12 ベース ×
13~14 オークション出張 於 京都美術倶楽部
18 ベース ~14時頃迄
19 オークション 於 大阪美術倶楽部
~ 1件外販有り ~ベース16時頃滞在
20 オークション 於 名古屋美術倶楽部
21 オークション 於 京都美術倶楽部
22 ベース 御予約一件有り
23 ベース 10時~御予約有
25 ベース ×
26 ベース
27 ベース 御予約2件
28 ベース ×
29 ベース
30 ベース ~14時迄
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【Journal of FUJII KOUNDO】
当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
090-8578-5732 (直通)
【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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【永楽保全 雲鶴青磁 酒飲】共箱・即全極め外箱 [国焼茶陶【江戸後期】]
『保全』の作品は既に最晩年作品でも169年が経過しております。
まぁまぁ、古いものですが・・・「茶道具」というジャンルが大半であった為か、大事にされていて伝世数・現存数が多く、今でも作品自体は様々なものが、流通し手にすることが可能です。
しかし、そんな中でもレア物というものが有りまして。。。
当店では、その辺を重点的に取り扱うように心がけております。
今回ご紹介の「酒盃」は、2重、3重の希少さを誇る作品でございます!
【永楽保全 雲鶴青磁 酒飲】
幅 6.8cm
高さ 3.8cm
高台径 2.8cm
製作年代 嘉永元年(1848)~7(1854)年
箱 共箱 即全極め外箱
保全作品の中でも、湖南焼より、高槻焼より、長等山焼より・・・遙かに希少性が高いのが、実は「雲鶴青磁」です。
「幕末京焼の三大名工」であります、「保全」「仁阿弥」「長造」の3名たちも、それぞれが「雲鶴青磁」に挑戦しております。
18代高麗の王である「毅宗(きそう)」の在位期(1146~1170年)から25代の「忠烈王(ちゅうれつおう)」の在位期(1274~1298年)朝に至る間の頃に作られていた官窯です。
日本では「鎌倉時代」ですね。
中国の青磁に対して、単色の高貴な色にならなかったせいか・・・造形による複雑さを王朝より求められたようですが、製作上の問題からそれを避け・・・その代わり、として「象嵌」による絵付けデザインの装飾による煌びやかさを追及したという事情が生んだ「美」であります。
その後、その緑色ですら発色が難しくなり・・・次代には「三島手」という灰色へ、そして「李朝」と変遷していきました。
さて、最近JFKでのワードとして登場しております『うつしもの』文化ですが。。
京焼に於いては、写しの需要というより・・・『陶工の技量・興味の表現』的な要素が大きかったというように感じております。
さて、保全のお話に戻りましょう。
保全の雲鶴青磁は、なかなかの風合いの再現が特徴です。
しかし、経験上・・・アイテムとしては、「本歌」では存在しない形状・種類を敢えて、製作しているように思えます。
本作でもしかり。
作品を見てまいりましょう。
高麗青磁の雲鶴青磁といえば、「飛雲舞鶴」の紋様です。
この作品も、象嵌により意匠化されております。
印は、保全作品の中でも希少な「小印」タイプです。
これらは、おそらく注文品による小品にのみ使用されていたとおぼしきもので、共箱と併せて発見するのはかなり希少です。
サイズも、当時としては珍しく・・・「ぐい呑み」サイズです。
2重箱です。
共箱 (甲)
共箱 (裏)
保全による雲鶴青磁の作品の製作年代は、集中されておらず、私の研究してきた個体でも、善五郎・善一郎・保全 時代に渡ります。
この辺は、晩年期が染付尽くしであったのとはまた事情が異なるのでしょうが、解き明かしていきたいところです。
16代即全の極め箱 (甲)
即全極め箱の(裏)です。
雲鶴青磁写しの特徴である、上釉の貫入の張り方もファンタジーなのです。
口造りの柔らかさ、手取りの重さ等・・バランスは用の美を生み出しております。
これは、是非・・・日本酒をペアリングしてお愉しみ頂きたいです!
酒器コレクションとしても、保全コレクションとしても希少度の高い作品であることは間違いありません。
=======================================================
Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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まぁまぁ、古いものですが・・・「茶道具」というジャンルが大半であった為か、大事にされていて伝世数・現存数が多く、今でも作品自体は様々なものが、流通し手にすることが可能です。
しかし、そんな中でもレア物というものが有りまして。。。
当店では、その辺を重点的に取り扱うように心がけております。
今回ご紹介の「酒盃」は、2重、3重の希少さを誇る作品でございます!
【永楽保全 雲鶴青磁 酒飲】
幅 6.8cm
高さ 3.8cm
高台径 2.8cm
製作年代 嘉永元年(1848)~7(1854)年
箱 共箱 即全極め外箱
保全作品の中でも、湖南焼より、高槻焼より、長等山焼より・・・遙かに希少性が高いのが、実は「雲鶴青磁」です。
「幕末京焼の三大名工」であります、「保全」「仁阿弥」「長造」の3名たちも、それぞれが「雲鶴青磁」に挑戦しております。
18代高麗の王である「毅宗(きそう)」の在位期(1146~1170年)から25代の「忠烈王(ちゅうれつおう)」の在位期(1274~1298年)朝に至る間の頃に作られていた官窯です。
日本では「鎌倉時代」ですね。
中国の青磁に対して、単色の高貴な色にならなかったせいか・・・造形による複雑さを王朝より求められたようですが、製作上の問題からそれを避け・・・その代わり、として「象嵌」による絵付けデザインの装飾による煌びやかさを追及したという事情が生んだ「美」であります。
その後、その緑色ですら発色が難しくなり・・・次代には「三島手」という灰色へ、そして「李朝」と変遷していきました。
さて、最近JFKでのワードとして登場しております『うつしもの』文化ですが。。
京焼に於いては、写しの需要というより・・・『陶工の技量・興味の表現』的な要素が大きかったというように感じております。
さて、保全のお話に戻りましょう。
保全の雲鶴青磁は、なかなかの風合いの再現が特徴です。
しかし、経験上・・・アイテムとしては、「本歌」では存在しない形状・種類を敢えて、製作しているように思えます。
本作でもしかり。
作品を見てまいりましょう。
高麗青磁の雲鶴青磁といえば、「飛雲舞鶴」の紋様です。
この作品も、象嵌により意匠化されております。
印は、保全作品の中でも希少な「小印」タイプです。
これらは、おそらく注文品による小品にのみ使用されていたとおぼしきもので、共箱と併せて発見するのはかなり希少です。
サイズも、当時としては珍しく・・・「ぐい呑み」サイズです。
2重箱です。
共箱 (甲)
共箱 (裏)
保全による雲鶴青磁の作品の製作年代は、集中されておらず、私の研究してきた個体でも、善五郎・善一郎・保全 時代に渡ります。
この辺は、晩年期が染付尽くしであったのとはまた事情が異なるのでしょうが、解き明かしていきたいところです。
16代即全の極め箱 (甲)
即全極め箱の(裏)です。
雲鶴青磁写しの特徴である、上釉の貫入の張り方もファンタジーなのです。
口造りの柔らかさ、手取りの重さ等・・バランスは用の美を生み出しております。
これは、是非・・・日本酒をペアリングしてお愉しみ頂きたいです!
酒器コレクションとしても、保全コレクションとしても希少度の高い作品であることは間違いありません。
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【奥田木白 赤絵萬古焼写 蓋置】 [国焼茶陶【江戸後期】]
先日に続きまして・・・『木白(もくはく)』作品のご紹介でございます。
今回の物も、なかなかの逸品なのです。
【奥田木白 赤絵萬古焼写 蓋置】
幅 5.7cm
高さ 5.3cm
製作年代 幕末期
箱 共箱
『諸国国焼写し処』
『模物類、瀬戸、松本萩、唐津、高取、青磁人形手、御本半使、南蛮并(並びに楽焼類)』
この看板を大きく掲げるだけあって、抜かりない仕上りです。
この作品は、『萬古焼』の写しになります。
萬古焼の創始者である『沼波弄山(ぬなみろうざん)』は1718年に、桑名の豪商であった沼波家に生まれ、陶器の『萬古屋』という廻船問屋を営んでいました。
幼いころから茶道に精進した茶人であった弄山は、1736~40年の間に、その茶趣味が高じて朝日町に開窯します。
教養人でもあった弄山は、京焼の技法を元に当時珍しかった更紗模様やオランダ文字など異国情緒あふれる意匠の作品を生み出し、好評を博しました。
弄山が作品に押した「萬古」または「萬古不易」の印は、
「何時の世までも栄える優れたやきもの」という意味であるとか、屋号の「萬古屋」から、どいう説が伝わっております。
その人気ぶりは江戸の方にも伝わり、江戸・小梅村(現在の東京都墨田区)でも「江戸萬古」を開窯して評判となり、当時の将軍の御成りもあったと伝えられています。
しかし、弄山に後継者が居ず・・・没後しばらくして萬古焼は途絶えてしまうのです。
天保年間(1830〜1843年頃)、桑名の陶器師森有節らによって萬古焼が再興され、「有節萬古」として新たなデザイン・技法の萬古焼が人気となりますが・・・一時期、萬古焼は途絶えており、所望する声が絶えませんでした。
その頃です、木白も萬古焼写しを製作していたのは。
「松」「竹」「梅」の意匠がそれぞれあしらわれております。
きちんと焼成された感じがみてとれます。
印は、小印で「赤膚山 木白」と押印されます。
共箱です。
萩焼の写しによって完成した「萩釉」によるクリーム色の釉薬、そして萬古焼の写しによって描かれた「赤絵」の細い彩色、京焼の写しによる絵付けデザイン、それらは・・・現代、我々が認識する「赤膚焼」の特徴ともいうべき、「赤膚焼 奈良絵」へと繋がっていくのです。
「うつしもの」が見事に独自の「うつくしいもの」へと昇華する好例である国焼き窯なのでした。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
『奥田木白』 寛政11(1799)~明治4(1871)年
元は、質商・荒物屋を営みつつ・・茶道や俳諧を嗜む風流人であったようです。
天保6(1835)年より郡山藩の藩医であった『青木木兎』の指導を受けて『樂焼』を始めたのが最初ので、その頃の名は『冠山』でした。
その後、天保10(1839)年に大和群郡山の瓦窯にて作陶を本格的に製作開始。
翌年の天保11(1840)年より、赤膚焼(中ノ窯)『伊之助』に焼成を、轆轤師として『山口縫造』を招き、自身は形成と絵付けデザインに大いに注力し、一気に人気を博したのです。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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今回の物も、なかなかの逸品なのです。
【奥田木白 赤絵萬古焼写 蓋置】
幅 5.7cm
高さ 5.3cm
製作年代 幕末期
箱 共箱
『諸国国焼写し処』
『模物類、瀬戸、松本萩、唐津、高取、青磁人形手、御本半使、南蛮并(並びに楽焼類)』
この看板を大きく掲げるだけあって、抜かりない仕上りです。
この作品は、『萬古焼』の写しになります。
萬古焼の創始者である『沼波弄山(ぬなみろうざん)』は1718年に、桑名の豪商であった沼波家に生まれ、陶器の『萬古屋』という廻船問屋を営んでいました。
幼いころから茶道に精進した茶人であった弄山は、1736~40年の間に、その茶趣味が高じて朝日町に開窯します。
教養人でもあった弄山は、京焼の技法を元に当時珍しかった更紗模様やオランダ文字など異国情緒あふれる意匠の作品を生み出し、好評を博しました。
弄山が作品に押した「萬古」または「萬古不易」の印は、
「何時の世までも栄える優れたやきもの」という意味であるとか、屋号の「萬古屋」から、どいう説が伝わっております。
その人気ぶりは江戸の方にも伝わり、江戸・小梅村(現在の東京都墨田区)でも「江戸萬古」を開窯して評判となり、当時の将軍の御成りもあったと伝えられています。
しかし、弄山に後継者が居ず・・・没後しばらくして萬古焼は途絶えてしまうのです。
天保年間(1830〜1843年頃)、桑名の陶器師森有節らによって萬古焼が再興され、「有節萬古」として新たなデザイン・技法の萬古焼が人気となりますが・・・一時期、萬古焼は途絶えており、所望する声が絶えませんでした。
その頃です、木白も萬古焼写しを製作していたのは。
「松」「竹」「梅」の意匠がそれぞれあしらわれております。
きちんと焼成された感じがみてとれます。
印は、小印で「赤膚山 木白」と押印されます。
共箱です。
萩焼の写しによって完成した「萩釉」によるクリーム色の釉薬、そして萬古焼の写しによって描かれた「赤絵」の細い彩色、京焼の写しによる絵付けデザイン、それらは・・・現代、我々が認識する「赤膚焼」の特徴ともいうべき、「赤膚焼 奈良絵」へと繋がっていくのです。
「うつしもの」が見事に独自の「うつくしいもの」へと昇華する好例である国焼き窯なのでした。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
『奥田木白』 寛政11(1799)~明治4(1871)年
元は、質商・荒物屋を営みつつ・・茶道や俳諧を嗜む風流人であったようです。
天保6(1835)年より郡山藩の藩医であった『青木木兎』の指導を受けて『樂焼』を始めたのが最初ので、その頃の名は『冠山』でした。
その後、天保10(1839)年に大和群郡山の瓦窯にて作陶を本格的に製作開始。
翌年の天保11(1840)年より、赤膚焼(中ノ窯)『伊之助』に焼成を、轆轤師として『山口縫造』を招き、自身は形成と絵付けデザインに大いに注力し、一気に人気を博したのです。
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【奥田木白 珠光青磁写 茶碗(鉢)】 [国焼茶陶【江戸後期】]
さて・・・7月の特別ご紹介『平茶碗 3碗』のラストです。
こちらもまた、希少な作品なのです!
【奥田木白 珠光青磁写 茶碗(鉢)】
幅 15.7cm
高さ 6cm
高台径 5.3cm
製作年代 幕末期
様々な時代と幅広い陣容を構える・・・京焼に比して、大阪や奈良は意外と江戸期のやきものは目立つところが無いのが事実です。
そんな中、奈良の地に於いてスターダムにのし上がった名工といえば、この人につきると思います。
『奥田木白』 寛政11(1799)~明治4(1871)年
元は、質商・荒物屋を営みつつ・・茶道や俳諧を嗜む風流人であったようです。
天保6(1835)年より郡山藩の藩医であった『青木木兎』の指導を受けて『樂焼』を始めたのが最初ので、その頃の名は『冠山』でした。
その後、天保10(1839)年に大和群郡山の瓦窯にて作陶を本格的に製作開始。
翌年の天保11(1840)年より、赤膚焼(中ノ窯)『伊之助』に焼成を、轆轤師として『山口縫造』を招き、自身は形成と絵付けデザインに大いに注力し、一気に人気を博したのです。
なんといっても・・・掲げられていた木白の看板が、その神髄を語っております。
『諸国国焼写し処』
『模物類、瀬戸、松本萩、唐津、高取、青磁人形手、御本半使、南蛮并(並びに楽焼類)』
そうなのです、様々な写しを得意としていたのです。
その需要が日本各地より寄せられ、様々な要望に応えていたのですが、ここにはやはり・・京焼もそうですが、その時代背景というものが存在すると思います。
高麗や唐物などは入手困難ですし、和物ですら江戸初期~中期のもの古いものはもちろん、今焼きとしてのものなどですら、今のような流通経路や紹介方法が無いもので、入手することが叶わないということです。
町衆に迄広まった『茶の湯』ですが、指標とされていた先人たちの古の『茶会記』を見て、取り合わせや道具の存在を知り、憧れ・所望するとなったときに、必要となるのが『うつしもの』ということです。
では、まずは作品のご紹介を。
このフォルム、口造りには木白ならではの特徴が見られます。
『珠光青磁』の特徴である紋様がきちんと。
このへらでの流れる紋様、刻み、なんとなく木白の人間性、というものが現れ居る様です。
木白、作品にはどこか『やさしさ』を感じるフォルムや特徴、が内包されている気がするのです。
土質も大変良いもので、焼き上がりもしっかりした感じです。
印付もよく、『赤膚山 ◎印 木白』
余談ですが、『木白』の号は元々、商いをしていたときの屋号が『柏屋』であったことから、『柏』を分解して付けた名前であったとか。
『珠光青磁』というものについて、過去のJFKでもご紹介しました内容を引用してご紹介致します。
村田珠光が見出し、後世へと知らしめた道具として・・・有名なものに、『珠光青磁』というものがあります。
天文11(1542)~天正(1575)年までの34年間の茶会記に、23回も登場することも知られております。
珠光から利休に渡ったものは後に戦国武将の三好実休に現在の価格で5千万円で譲られたとか。
(この茶碗は、本能寺の変で焼失したようです)
さて、珠光青磁・・・この機会に研究して楽しんでみましょう。
『珠光茶碗』といっても、数が少ないせいかよく知られていない部分が多いと思います。
珠光茶碗というのは、唐物です。
官窯にて完全なる管理の元、多大なコストをかけて還元焼成された『青磁』に対し、そこまでの温度管理をせずに(出来ず?)酸化焼成にて作られております。
それは『雑器』として生まれたものであったからと推測されております。
様々な諸説がありますが、研究が進む中で・・・最初の茶会記に登場した鎌倉時代のものは、現在知られている『珠光青磁茶碗』とは手が異なるものであったということです。
珠光茶碗に対する詳細な記述、が今でいう珠光茶碗と合致しないということです。
茶会記での登場回数の多い中、それは同じもの、同手、が複数回登場したということではなく・・・珠光茶碗に憧れ、それに類するものを求めた当時の茶人により、新たに発掘されたものが今で知られる『珠光青磁茶碗』の殆どを指すものとなります。
さらに江戸中期頃以降に、博多遺跡群で出土したシリーズが、現在知られる各地で所有・展示されている珠光青磁なのです。
福建省の同安県にて発見された窯跡で類似したものが出土したことから、現在では『同安窯系青磁』として分類されます。
同安窯系青磁(珠光青磁)は南宋時代である12世紀~13世紀に造られたもので、その中でも12世紀前半~中頃のタイプ、それ以降12世紀後半~13世紀に入るタイプがあり、後期になると文様が簡素化されている傾向にあります。
やや緑色が強いものや、このように黄色みがかったもの、等があるようです。
京焼などでも写されている『珠光青磁』が、この黄色味のあるものばかりということから・・・おそらく関西圏内で見ることが出来た『同安窯系青磁』(珠光青磁)がこのタイプが多かった、もしくは個体としては同じもの、であったのかもしれません。
奈良のコレクターの元で長年所蔵されていた作品です。
共箱もきちんと。
作品名に、『鉢』となっておりますが後年複数伝世した際の覆い紙には『茶碗』として愛用されてきた歴史が刻まれております。
全く、お茶碗として問題なくお使い頂けます!
『うつしもの』・・・それは『コピー』でも、ましてや『美術品』でもありません。
当時の『用に迫られ』生まれた、まさしく『お道具』として各地で生まれしものです。
今のような美術館や資料が無い中、また製法のレシピも学校も無く・・・様々な陶工が、熱意と創意工夫で生み出したもので、『写し』の過程に於いて自身の『美意識』『解釈』が混入し、そこに『独自の技』が合わさることで、他には無い独自の作品に仕上がります。
そこに、江戸時代の『うつしもの』の面白さ、があるのです!
※御成約済みです。
平茶碗、のご紹介は以上となりますが、木白につきましては ⇒ つづきます。
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【奥田木白 珠光青磁写 茶碗(鉢)】
幅 15.7cm
高さ 6cm
高台径 5.3cm
製作年代 幕末期
様々な時代と幅広い陣容を構える・・・京焼に比して、大阪や奈良は意外と江戸期のやきものは目立つところが無いのが事実です。
そんな中、奈良の地に於いてスターダムにのし上がった名工といえば、この人につきると思います。
『奥田木白』 寛政11(1799)~明治4(1871)年
元は、質商・荒物屋を営みつつ・・茶道や俳諧を嗜む風流人であったようです。
天保6(1835)年より郡山藩の藩医であった『青木木兎』の指導を受けて『樂焼』を始めたのが最初ので、その頃の名は『冠山』でした。
その後、天保10(1839)年に大和群郡山の瓦窯にて作陶を本格的に製作開始。
翌年の天保11(1840)年より、赤膚焼(中ノ窯)『伊之助』に焼成を、轆轤師として『山口縫造』を招き、自身は形成と絵付けデザインに大いに注力し、一気に人気を博したのです。
なんといっても・・・掲げられていた木白の看板が、その神髄を語っております。
『諸国国焼写し処』
『模物類、瀬戸、松本萩、唐津、高取、青磁人形手、御本半使、南蛮并(並びに楽焼類)』
そうなのです、様々な写しを得意としていたのです。
その需要が日本各地より寄せられ、様々な要望に応えていたのですが、ここにはやはり・・京焼もそうですが、その時代背景というものが存在すると思います。
高麗や唐物などは入手困難ですし、和物ですら江戸初期~中期のもの古いものはもちろん、今焼きとしてのものなどですら、今のような流通経路や紹介方法が無いもので、入手することが叶わないということです。
町衆に迄広まった『茶の湯』ですが、指標とされていた先人たちの古の『茶会記』を見て、取り合わせや道具の存在を知り、憧れ・所望するとなったときに、必要となるのが『うつしもの』ということです。
では、まずは作品のご紹介を。
このフォルム、口造りには木白ならではの特徴が見られます。
『珠光青磁』の特徴である紋様がきちんと。
このへらでの流れる紋様、刻み、なんとなく木白の人間性、というものが現れ居る様です。
木白、作品にはどこか『やさしさ』を感じるフォルムや特徴、が内包されている気がするのです。
土質も大変良いもので、焼き上がりもしっかりした感じです。
印付もよく、『赤膚山 ◎印 木白』
余談ですが、『木白』の号は元々、商いをしていたときの屋号が『柏屋』であったことから、『柏』を分解して付けた名前であったとか。
『珠光青磁』というものについて、過去のJFKでもご紹介しました内容を引用してご紹介致します。
村田珠光が見出し、後世へと知らしめた道具として・・・有名なものに、『珠光青磁』というものがあります。
天文11(1542)~天正(1575)年までの34年間の茶会記に、23回も登場することも知られております。
珠光から利休に渡ったものは後に戦国武将の三好実休に現在の価格で5千万円で譲られたとか。
(この茶碗は、本能寺の変で焼失したようです)
さて、珠光青磁・・・この機会に研究して楽しんでみましょう。
『珠光茶碗』といっても、数が少ないせいかよく知られていない部分が多いと思います。
珠光茶碗というのは、唐物です。
官窯にて完全なる管理の元、多大なコストをかけて還元焼成された『青磁』に対し、そこまでの温度管理をせずに(出来ず?)酸化焼成にて作られております。
それは『雑器』として生まれたものであったからと推測されております。
様々な諸説がありますが、研究が進む中で・・・最初の茶会記に登場した鎌倉時代のものは、現在知られている『珠光青磁茶碗』とは手が異なるものであったということです。
珠光茶碗に対する詳細な記述、が今でいう珠光茶碗と合致しないということです。
茶会記での登場回数の多い中、それは同じもの、同手、が複数回登場したということではなく・・・珠光茶碗に憧れ、それに類するものを求めた当時の茶人により、新たに発掘されたものが今で知られる『珠光青磁茶碗』の殆どを指すものとなります。
さらに江戸中期頃以降に、博多遺跡群で出土したシリーズが、現在知られる各地で所有・展示されている珠光青磁なのです。
福建省の同安県にて発見された窯跡で類似したものが出土したことから、現在では『同安窯系青磁』として分類されます。
同安窯系青磁(珠光青磁)は南宋時代である12世紀~13世紀に造られたもので、その中でも12世紀前半~中頃のタイプ、それ以降12世紀後半~13世紀に入るタイプがあり、後期になると文様が簡素化されている傾向にあります。
やや緑色が強いものや、このように黄色みがかったもの、等があるようです。
京焼などでも写されている『珠光青磁』が、この黄色味のあるものばかりということから・・・おそらく関西圏内で見ることが出来た『同安窯系青磁』(珠光青磁)がこのタイプが多かった、もしくは個体としては同じもの、であったのかもしれません。
奈良のコレクターの元で長年所蔵されていた作品です。
共箱もきちんと。
作品名に、『鉢』となっておりますが後年複数伝世した際の覆い紙には『茶碗』として愛用されてきた歴史が刻まれております。
全く、お茶碗として問題なくお使い頂けます!
『うつしもの』・・・それは『コピー』でも、ましてや『美術品』でもありません。
当時の『用に迫られ』生まれた、まさしく『お道具』として各地で生まれしものです。
今のような美術館や資料が無い中、また製法のレシピも学校も無く・・・様々な陶工が、熱意と創意工夫で生み出したもので、『写し』の過程に於いて自身の『美意識』『解釈』が混入し、そこに『独自の技』が合わさることで、他には無い独自の作品に仕上がります。
そこに、江戸時代の『うつしもの』の面白さ、があるのです!
※御成約済みです。
平茶碗、のご紹介は以上となりますが、木白につきましては ⇒ つづきます。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
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【楽山焼 刷毛目 茶碗】 岡田雪台 歌銘箱 [令和5年特集『夏の平茶碗』]
【2023年7月12日追記】
当店では、なかなかの頻度で取り扱っております・・・楽山焼です。
かつては、美術商・茶道界では『権兵衛』もしくは『権兵衛焼』として古楽山を指していたのですが、そのざっくりした分類は、かなり曖昧なところでした。
平成6年に『田部美術館』にて『幻の権兵衛・半六 古楽山茶碗と水指』展が行われた際、茶碗46点・水指19点というかなりの数を集めて研究・展観がされたのですが・・・・
その、作行き・形状等の特徴が一定ではなく、また確定的な『権兵衛作』『半六作』というベンチマークが無いところから、分類が困難なのです。
令和に入って、『出雲文化伝承館』が『出雲の茶陶展』としてかなり数を絞って、『推定』でも『時系列』としたことは、かなり面白いものでありました。
結局のところ、『現在』としての流れとしては・・・・『古楽山焼』『権兵衛』という称し方は、道具屋的には利己的な面がありますが、ナンセンスであり、『楽山焼』とばっさり、あっさり称することから、特徴や伝世も踏まえて、初期・中期などを推測するに尽きる、というところなのです。
ここで、少し整理してみましょう。
松江藩の二代藩主『綱高』が『萩公』へ陶工を所望したとの記録があります。
それにより、三代『綱近』が代を継いだ延宝3(1675)年に、『倉崎権兵衛』が松江へ入り藩に召し抱えられるようになりました。
萩から土も送らせたようです。
元禄7(1694)年に権兵衛が没したあと弟子であった『加田半六』が継承しました。
ここから、少しややこしいので並べてみます。
楽山焼 初代 倉崎権兵衛(~1694年)
二代 加田半六 (~1709年)
三代 二代・加田半六 (~1743年)
四代 三代・加田半六 (~1777年)
・・と続くのですが、この四代目である『三代半六』の際には、あまりの下手さに『御用解除』となってしまったのです。
有名な『松平不昧公』は、宝暦元年(1751)年に生まれ、明和3(1766)年に入国、明和4(1767)年に父である6代の隠居に伴い家督を継ぎます。
ここから、財政難であった松江藩を、一気に立て直す改革を次々を行い・・・藩は貯材を多く蓄えるまでに至るのですが・・・
茶の湯に傾倒していた、不昧公は名器の数々に手を出して・・・再び藩の財政を傾かせたというお話です。
同じく、財政を常に傾かせながらドリフトしている当店としては、共感するところありて。。(^^;
それはさておき。
そこから、布志名焼での中継ぎを経て・・・五代目 初代長岡住右衛 貞政を『楽山窯 御用焼物師』として享和元年(1801)年に、『楽山窯再興』させるに至るのです。
今回、ご紹介致しますのはその頃の作品になります。
【楽山焼 刷毛目 茶碗】
幅 13.4cm
高さ 6.2cm
高台径 4.8cm
重量 181g
製作年代 1801~1827年頃
楽山焼の中でも軽さのあるお茶碗で、造りも上品さを感じるものです。
『端反り』となっておりまして、サイズと併せておそろしく手にフィットするのです。
『白刷毛』がたっぷりと掛けられており、元の出雲らしい細かやかな轆轤目の上からさらに刷毛目が緻密に展開されます。
見込みの中心地、銀河の中心のよう。
正面・反対側です。
こちらも見事な景色が出ております。
高台側
高台脇の形成もなかなかのミドコロで、肉厚も重すぎず。
竹節高台となっております。
巴の左轆轤です。 内側は右轆轤であり楽山焼では一番多い組み合わせとなります。
『出雲焼』 『茶碗』
これは、『岡田雪台』の筆になります。
雪台は、江戸で生まれてすぐに不昧公の養子に迎えられました。
寛政11(1799)年のことです。
義父に倣って、茶の湯や和歌に長けていたということです。
楽山焼には不昧公と並び、雪台による箱書きも多数遺されております。
山の端尓(山の端に)
いつ毛かゝれる(いつもかかれる)
志ら雲の(白雲の)
猶立ち乃本る(夕立上る)
夏能そら可那(夏の空かな)
丁度、今頃に良い歌銘ですね。
このお茶碗の白い刷毛目、が白雲がたちのぼるようでもあり、夏の空のようでもあり・・・
不昧公の養子であった、『雪台』は文化12(1815)年、雲州松平家を出て、旗本・岡田善明の養子に入ります。
不昧の実子である『斉恒』が無事成長し、孫も生まれ・・・松平家継承の不安が解消されたためです。
岡田家は 伝・藤原定家の小倉色紙を代々所持する家で、当主も名君であったことから雪台の行先に不昧公が選んだとのことです。
実は、不昧公が側室との間に出来た子が死産であり、そのことで側室である『阿玉』を悲しませない為に・・同じころに生まれた雪台を養子に迎えたという事情がありました。
そのことをずっと隠していた不昧公は、岡田家に譲るというこの時、初めて阿玉に打ち明けるのですが、その思いやりに涙し、また長年可愛がった雪台の行く先に関して好条件で無いとと案じていたということです。
雪台は、家督上では不昧公の後継ではなくなりましたが、『茶道』上では実質的な不昧公の後継であったのです。
大切に伝世したことがうかがえます。
文政元(1818)年 不昧公 没
文政10(1827)年 住右衛門から空斎へ継承
文政12(1829)年 住右衛門 没
住右衛門は、茶碗造りの名人といわれ、不昧公晩年の文化13(1816)年頃に松江藩の江戸屋敷での御庭焼きでも御用を努めました。
そこでは、『雲州蔵帳』の写しなど不昧公の愉しみを大きく反映させた作品を作っていたようです。
再興楽山焼の初代住右衛門は、いわば不昧公とともにあり・・・二人三脚にて『藩』と『出雲焼』を再興したのです。
※ご成約済みです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
【Journal of FUJII KOUNDO】
当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
090-8578-5732 (直通)
【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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当店では、なかなかの頻度で取り扱っております・・・楽山焼です。
かつては、美術商・茶道界では『権兵衛』もしくは『権兵衛焼』として古楽山を指していたのですが、そのざっくりした分類は、かなり曖昧なところでした。
平成6年に『田部美術館』にて『幻の権兵衛・半六 古楽山茶碗と水指』展が行われた際、茶碗46点・水指19点というかなりの数を集めて研究・展観がされたのですが・・・・
その、作行き・形状等の特徴が一定ではなく、また確定的な『権兵衛作』『半六作』というベンチマークが無いところから、分類が困難なのです。
令和に入って、『出雲文化伝承館』が『出雲の茶陶展』としてかなり数を絞って、『推定』でも『時系列』としたことは、かなり面白いものでありました。
結局のところ、『現在』としての流れとしては・・・・『古楽山焼』『権兵衛』という称し方は、道具屋的には利己的な面がありますが、ナンセンスであり、『楽山焼』とばっさり、あっさり称することから、特徴や伝世も踏まえて、初期・中期などを推測するに尽きる、というところなのです。
ここで、少し整理してみましょう。
松江藩の二代藩主『綱高』が『萩公』へ陶工を所望したとの記録があります。
それにより、三代『綱近』が代を継いだ延宝3(1675)年に、『倉崎権兵衛』が松江へ入り藩に召し抱えられるようになりました。
萩から土も送らせたようです。
元禄7(1694)年に権兵衛が没したあと弟子であった『加田半六』が継承しました。
ここから、少しややこしいので並べてみます。
楽山焼 初代 倉崎権兵衛(~1694年)
二代 加田半六 (~1709年)
三代 二代・加田半六 (~1743年)
四代 三代・加田半六 (~1777年)
・・と続くのですが、この四代目である『三代半六』の際には、あまりの下手さに『御用解除』となってしまったのです。
有名な『松平不昧公』は、宝暦元年(1751)年に生まれ、明和3(1766)年に入国、明和4(1767)年に父である6代の隠居に伴い家督を継ぎます。
ここから、財政難であった松江藩を、一気に立て直す改革を次々を行い・・・藩は貯材を多く蓄えるまでに至るのですが・・・
茶の湯に傾倒していた、不昧公は名器の数々に手を出して・・・再び藩の財政を傾かせたというお話です。
同じく、財政を常に傾かせながらドリフトしている当店としては、共感するところありて。。(^^;
それはさておき。
そこから、布志名焼での中継ぎを経て・・・五代目 初代長岡住右衛 貞政を『楽山窯 御用焼物師』として享和元年(1801)年に、『楽山窯再興』させるに至るのです。
今回、ご紹介致しますのはその頃の作品になります。
【楽山焼 刷毛目 茶碗】
幅 13.4cm
高さ 6.2cm
高台径 4.8cm
重量 181g
製作年代 1801~1827年頃
楽山焼の中でも軽さのあるお茶碗で、造りも上品さを感じるものです。
『端反り』となっておりまして、サイズと併せておそろしく手にフィットするのです。
『白刷毛』がたっぷりと掛けられており、元の出雲らしい細かやかな轆轤目の上からさらに刷毛目が緻密に展開されます。
見込みの中心地、銀河の中心のよう。
正面・反対側です。
こちらも見事な景色が出ております。
高台側
高台脇の形成もなかなかのミドコロで、肉厚も重すぎず。
竹節高台となっております。
巴の左轆轤です。 内側は右轆轤であり楽山焼では一番多い組み合わせとなります。
『出雲焼』 『茶碗』
これは、『岡田雪台』の筆になります。
雪台は、江戸で生まれてすぐに不昧公の養子に迎えられました。
寛政11(1799)年のことです。
義父に倣って、茶の湯や和歌に長けていたということです。
楽山焼には不昧公と並び、雪台による箱書きも多数遺されております。
山の端尓(山の端に)
いつ毛かゝれる(いつもかかれる)
志ら雲の(白雲の)
猶立ち乃本る(夕立上る)
夏能そら可那(夏の空かな)
丁度、今頃に良い歌銘ですね。
このお茶碗の白い刷毛目、が白雲がたちのぼるようでもあり、夏の空のようでもあり・・・
不昧公の養子であった、『雪台』は文化12(1815)年、雲州松平家を出て、旗本・岡田善明の養子に入ります。
不昧の実子である『斉恒』が無事成長し、孫も生まれ・・・松平家継承の不安が解消されたためです。
岡田家は 伝・藤原定家の小倉色紙を代々所持する家で、当主も名君であったことから雪台の行先に不昧公が選んだとのことです。
実は、不昧公が側室との間に出来た子が死産であり、そのことで側室である『阿玉』を悲しませない為に・・同じころに生まれた雪台を養子に迎えたという事情がありました。
そのことをずっと隠していた不昧公は、岡田家に譲るというこの時、初めて阿玉に打ち明けるのですが、その思いやりに涙し、また長年可愛がった雪台の行く先に関して好条件で無いとと案じていたということです。
雪台は、家督上では不昧公の後継ではなくなりましたが、『茶道』上では実質的な不昧公の後継であったのです。
大切に伝世したことがうかがえます。
文政元(1818)年 不昧公 没
文政10(1827)年 住右衛門から空斎へ継承
文政12(1829)年 住右衛門 没
住右衛門は、茶碗造りの名人といわれ、不昧公晩年の文化13(1816)年頃に松江藩の江戸屋敷での御庭焼きでも御用を努めました。
そこでは、『雲州蔵帳』の写しなど不昧公の愉しみを大きく反映させた作品を作っていたようです。
再興楽山焼の初代住右衛門は、いわば不昧公とともにあり・・・二人三脚にて『藩』と『出雲焼』を再興したのです。
※ご成約済みです。
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【Journal of FUJII KOUNDO】
当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
090-8578-5732 (直通)
【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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謎のやきもの~【香雲焼 三島平茶碗】 [令和5年特集『夏の平茶碗』]
『夏の平茶碗』のご紹介第2弾です。
これは・・・・謎のやきものです。(^^;
『香雲焼』というもので、『香雲堂』とかけて・・手元にきたものですが、本当にわかんないのです。
しかし、作品はワルクナイ。。。
【香雲焼 三島平茶碗】
幅 12.9cm
高さ 4.7cm
高台径 4.5cm
伝世箱
しっかりと、白象嵌で三島の意匠となっております。
作行きも良いです。
高台のつくりも、素人ではなさそうです。
『香雲』の押印があります。
『香雲』の彫り銘もあります。
高台周りの造りも良いのです。
『関戸』と記されております。関戸家のどこかでしょうか。
裏側には『寛政10(1798)年蔵』とありますので、それ以前ということで。
抹茶を点ててみても、いい感じでした。
これは、遊んで頂きたい謎のお茶碗なのです。
価格は・・・遊べるお値段でございます。
今回は、おそらく・・・JFK史上、一番説明できない作品でございました。(^^;
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当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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【2023年6月】の新入荷情報&ベーススケジュールです。 [新入荷]
【2023年7月5日 新入荷情報 画像 追加】
9日間連続出張の第1弾・・・東京から帰ってきました。
往路、飛行機が遅れ…新幹線と変わらない時間がかかり・・・
クレジットカードが使えなく、問い合わせると『不正利用の疑い』にてストップかけられており、再発行まで使用不可に。(身に覚えのない、スペインの店(?)から3回引き落とされてました。。。)
そして、復路。飛行機が2時間も出発が遅れ、地元の電車は人身事故にて運休、となんだこりゃ?の2日間でした(汗)
現在、九日連続出張の『Day 5』が終わりました..
ちと、仕入ばかり進みすぎている気がします
名古屋行の準備があと少しで完了しそうです。。。。
◎魚住安彦(三代為楽) 砂張建水 細野燕台 旧蔵
人間国宝の為楽さんの前作です。さすがに素材と技が絶品。
北大路魯山人に篆刻を指導した燕台の旧蔵なのです。
※ご成約済みです。
◎寛永年間 御深井焼 小肩衝 茶入 銘 常盤 近衛内大臣忠煕 箱
ついに、手に入ってしまいました・・・レア中のレア。 初期の御深井焼です。
さらに研究中です!
⇒ 2023年11月 金美特別展 図録 掲載予定
◎明治初期頃 永楽和全 倣萬暦製金襴手 杯
和全らしい、かせた金襴手の魅惑です。
※御成約済みです。
◎明治初期頃 永楽和全 八道手 酒杯
以前、保全で扱いました朝鮮八道ですが、こちらは和全によるもので・・盃サイズとなっております。
まぁまぁの珍品ですね。
◎海田曲巷 茶杓 時雨 蕪村歌銘
初めて取り扱います! なんて素敵な・・・これは、実物にて語りたいところ。
※ご成約済みです。
◎大正~昭和初期頃 初代 和田桐山 繋丁子 香合 愈好斎 箱
◎明治初頭頃 二代 神楽岡文山 黒平茶碗 銘 清流 有隣斎 箱
※ご成約済みです。
◎江戸後期頃 佐野長寛 石地塗 平棗
◎明治~大正頃 三田青磁 不遊環 花入
※ご成約済みです。
◎大正~昭和初期頃 横山香宝 虫明焼時雨 茶碗
◎大正~昭和初期頃 岡本英山 虫明焼松絵 茶碗
※ご成約済みです。
◎加藤孝俊 均窯紫紅斑 酒盃 ①
◎加藤孝俊 均窯紫紅斑 酒盃 ②
◎加藤孝俊 均窯紫紅斑 酒盃 ③
◎加藤孝俊 均窯 酒盃
◎加藤孝俊 均窯手 ぐい呑 ①
◎加藤孝俊 均窯手 ぐい呑 ②
孝俊のパトロン様の蔵に眠っていたデッドストックです。上がりの良さをおススメします。
全て、『ぐい呑』形状なのです。
◎永楽保全(善一郎) 染付鶯鳥 酒飲
昨年、取り扱いした作品は『盃』形状でしたが、こちらは『ぐい呑』形状です!
しかも、善一郎時代。
※ご成約済みです。
◎明治~大正時代 山本春挙 茶杓 田家早梅
珍しや、春挙の茶杓です。帝室技芸員の余技作品でございます。
※ご成約済みです。
◎豊平翠香 桜蒔絵 中次
※ご成約済みです。
◎バーナード・リーチ 見立 茶入 無地箱
※ご成約済みです。
◎伊藤小波 虫売 双幅
※ご成約済みです。
◎大西浄中 霰繰口 丸釜 惺斎好み 五ツノ内
※ご成約済みです。
◎文政9(1826)~弘化2(1845)年 樂 旦入 覚々斎好 笹ノ画 向付 【5客】
※ご成約済みです。
◎大正後期 二代 眞葛香山 乾山意紅葉ノ画 茶碗
◎樂 惺入 ツボツボ透舟 向付 【6客】
◎大正時代頃 美濃屋 秋草蒔絵 銘々皿 【10枚】
※ご成約済みです。
◎大正時代頃 隅田川焼 黒釉竹形 蓋置 無地箱
※ご成約済みです。
◎昭和12年頃 河井寛次郎 白地草花絵 盒子
◎五代 真葛香斎 安南紋手草花 茶碗
◎大正時代頃 横井米禽 赤織部手桶 茶器
※ご成約済みです。
◎大正時代頃 三代 陶原隆平 倣古九谷花鳥模様 中皿 【20枚】
※ご成約済みです。
◎大正時代頃 三代 陶原隆平 倣成化窯染付 中皿 【20枚】
※ご成約済みです。
◎文政年間~安政6年頃 初代 橘屋友七 撫子蒔絵 吸物椀 【10客】
◎文政年間~安政6年頃 初代 橘屋友七 撫子蒔絵 吸物椀 【10客】8客上
※ご成約済みです。
【6月のスケジュール】です。
今月も5月に続いて・・・なかなかのタイトさです。
2~4 京都出張
3・4 『第4回 京都正札市』@京都美術倶楽部
6 オークション@大阪南美術会館
7 オークション@大阪美術倶楽部
~外販
8 ベース 夕方のみ
9 ベース 14時~× 15時~×
12 オークション大会@岡山美術倶楽部
13 ベース ×
15 ベース (未定) 午後~× 外販
16 ベース
17~18 東京出張
18 オークション@東京美術倶楽部
19 オークション@大阪美術倶楽部
20 オークション@名古屋美術倶楽部
21 オークション@京都美術倶楽部
22~25 名古屋出張
23~25 『名美アートフェア』@名古屋美術倶楽部
27 ベース ~10時半× 昼頃 御予約有 15時~搬出作業
28 ×
29~ 東京出張
9日間連続出張の第1弾・・・東京から帰ってきました。
往路、飛行機が遅れ…新幹線と変わらない時間がかかり・・・
クレジットカードが使えなく、問い合わせると『不正利用の疑い』にてストップかけられており、再発行まで使用不可に。(身に覚えのない、スペインの店(?)から3回引き落とされてました。。。)
そして、復路。飛行機が2時間も出発が遅れ、地元の電車は人身事故にて運休、となんだこりゃ?の2日間でした(汗)
現在、九日連続出張の『Day 5』が終わりました..
ちと、仕入ばかり進みすぎている気がします
名古屋行の準備があと少しで完了しそうです。。。。
◎魚住安彦(三代為楽) 砂張建水 細野燕台 旧蔵
人間国宝の為楽さんの前作です。さすがに素材と技が絶品。
北大路魯山人に篆刻を指導した燕台の旧蔵なのです。
※ご成約済みです。
◎寛永年間 御深井焼 小肩衝 茶入 銘 常盤 近衛内大臣忠煕 箱
ついに、手に入ってしまいました・・・レア中のレア。 初期の御深井焼です。
さらに研究中です!
⇒ 2023年11月 金美特別展 図録 掲載予定
◎明治初期頃 永楽和全 倣萬暦製金襴手 杯
和全らしい、かせた金襴手の魅惑です。
※御成約済みです。
◎明治初期頃 永楽和全 八道手 酒杯
以前、保全で扱いました朝鮮八道ですが、こちらは和全によるもので・・盃サイズとなっております。
まぁまぁの珍品ですね。
◎海田曲巷 茶杓 時雨 蕪村歌銘
初めて取り扱います! なんて素敵な・・・これは、実物にて語りたいところ。
※ご成約済みです。
◎大正~昭和初期頃 初代 和田桐山 繋丁子 香合 愈好斎 箱
◎明治初頭頃 二代 神楽岡文山 黒平茶碗 銘 清流 有隣斎 箱
※ご成約済みです。
◎江戸後期頃 佐野長寛 石地塗 平棗
◎明治~大正頃 三田青磁 不遊環 花入
※ご成約済みです。
◎大正~昭和初期頃 横山香宝 虫明焼時雨 茶碗
◎大正~昭和初期頃 岡本英山 虫明焼松絵 茶碗
※ご成約済みです。
◎加藤孝俊 均窯紫紅斑 酒盃 ①
◎加藤孝俊 均窯紫紅斑 酒盃 ②
◎加藤孝俊 均窯紫紅斑 酒盃 ③
◎加藤孝俊 均窯 酒盃
◎加藤孝俊 均窯手 ぐい呑 ①
◎加藤孝俊 均窯手 ぐい呑 ②
孝俊のパトロン様の蔵に眠っていたデッドストックです。上がりの良さをおススメします。
全て、『ぐい呑』形状なのです。
◎永楽保全(善一郎) 染付鶯鳥 酒飲
昨年、取り扱いした作品は『盃』形状でしたが、こちらは『ぐい呑』形状です!
しかも、善一郎時代。
※ご成約済みです。
◎明治~大正時代 山本春挙 茶杓 田家早梅
珍しや、春挙の茶杓です。帝室技芸員の余技作品でございます。
※ご成約済みです。
◎豊平翠香 桜蒔絵 中次
※ご成約済みです。
◎バーナード・リーチ 見立 茶入 無地箱
※ご成約済みです。
◎伊藤小波 虫売 双幅
※ご成約済みです。
◎大西浄中 霰繰口 丸釜 惺斎好み 五ツノ内
※ご成約済みです。
◎文政9(1826)~弘化2(1845)年 樂 旦入 覚々斎好 笹ノ画 向付 【5客】
※ご成約済みです。
◎大正後期 二代 眞葛香山 乾山意紅葉ノ画 茶碗
◎樂 惺入 ツボツボ透舟 向付 【6客】
◎大正時代頃 美濃屋 秋草蒔絵 銘々皿 【10枚】
※ご成約済みです。
◎大正時代頃 隅田川焼 黒釉竹形 蓋置 無地箱
※ご成約済みです。
◎昭和12年頃 河井寛次郎 白地草花絵 盒子
◎五代 真葛香斎 安南紋手草花 茶碗
◎大正時代頃 横井米禽 赤織部手桶 茶器
※ご成約済みです。
◎大正時代頃 三代 陶原隆平 倣古九谷花鳥模様 中皿 【20枚】
※ご成約済みです。
◎大正時代頃 三代 陶原隆平 倣成化窯染付 中皿 【20枚】
※ご成約済みです。
◎文政年間~安政6年頃 初代 橘屋友七 撫子蒔絵 吸物椀 【10客】
◎文政年間~安政6年頃 初代 橘屋友七 撫子蒔絵 吸物椀 【10客】8客上
※ご成約済みです。
【6月のスケジュール】です。
今月も5月に続いて・・・なかなかのタイトさです。
2~4 京都出張
3・4 『第4回 京都正札市』@京都美術倶楽部
6 オークション@大阪南美術会館
7 オークション@大阪美術倶楽部
~外販
8 ベース 夕方のみ
9 ベース 14時~× 15時~×
12 オークション大会@岡山美術倶楽部
13 ベース ×
15 ベース (未定) 午後~× 外販
16 ベース
17~18 東京出張
18 オークション@東京美術倶楽部
19 オークション@大阪美術倶楽部
20 オークション@名古屋美術倶楽部
21 オークション@京都美術倶楽部
22~25 名古屋出張
23~25 『名美アートフェア』@名古屋美術倶楽部
27 ベース ~10時半× 昼頃 御予約有 15時~搬出作業
28 ×
29~ 東京出張