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【二代 眞葛香山 仁清意結文 香合】惺斎 箱 [宮川香山 眞葛焼]

お正月、初詣の際に「お御籤」を引かれた方も多いことと思います。

私も、おみくじしたのですが・・・・『半吉』。

????

中吉?末吉よりも上?

ゴーゴー検索してみます。

「吉の半分」説と、「吉と小吉の間」「小吉と末吉の間」などと、神社によってバラバラです!


う~ん。。。


「商い」面は、「良し」しかし「利薄し」と。


確かに、今年はそんな感じでスタートしております。(^^;


さて・・・おみくじは、持ち帰る場合と、境内に結んでいく場合がございます。


「文」を「結ぶ」。




二代香山 結文香合 惺斎 (6)-1.jpg


【二代 眞葛香山 仁清意結文 香合】


サイズ  幅 7.7cm

     高さ2.3cm

製作年代 大正後期

箱    共箱 惺斎書付



二代目香山の真骨頂、ともいうべき「茶道具」の優品です。


『結び文』は・・・『玉章(たまずさ)』とも呼ばれます。

古くは「寛永年間」の『野々村仁清』の作品で見られた、ひとひねりした雅味ある意匠です。



『玉章』・・・『たまあずさ』は元は、『たまあずさ』から変化したものです。


便りを運ぶ使者の持つ梓(あずさ)の杖のことであり、転じて、その杖を持つ人(使者)を指します。

『万葉集』

「こもりくの 泊瀬の山に 神さびに いつきいますと 玉梓(たまづさ)の 人そ言ひつる」


『古今集』

「秋風にはつかりがねぞきこゆなるたがたまづさをかけてきつらん〈紀友則〉」


『太平記』

「書置きし君が玉章(タマヅサ)身に副へて」


これらから、転じて・・・『文』のことも指すコトバとなります。


余談ですが・・・


烏瓜の種.jpg


『烏瓜(からすうり)』の種の名前も、この形状に似ておりますことから『玉章』と称されます。



二代香山 結文香合 惺斎 (5)-1.jpg


赤色、は少し落ち着いた赤で眞葛窯では長造時代に、侘びた風合いをうまく表現するのに大いに寄与している釉薬です。

そこに、二代香山の得意とする・・・『極彩色』の色絵で「花散し」が幾何学的に展開し、しっとりさと華やかさを対比させております。


二代香山 結文香合 惺斎 (7)-1.jpg


「朱書き」にて花押されております。

これは、香山作品では、ほぼ惺斎時代しか有りません。


表千家の『生形宗匠』のご縁により、香山は二代目の時に「表千家」との知遇を得ます。


そして、「好み物」や、それに近い少数の「書付物」が生まれます。


他の陶工の例とは異なり、なんでも「書付」したのではなく・・・あくまで少数の優品にのみ、という傾向があるのです。

そして、それらはいづれも・・・独創性を加えたオンリーワンなものたちです。



二代香山 結文香合 惺斎 (8)-1.jpg


香山の『結文香合』は、複数個体が流通しております。


眞葛窯の例により・・・同じ様な意匠でも、それぞれ意匠や作行きを変化させているのです。


二代香山 結文香合 惺斎 (3)-1.jpg


書付です。


二代香山 結文香合 惺斎 (2)-1.jpg


こちらは、仕上がった作品になってからの書付、となりました。

二代香山 結文香合 惺斎 (4)-1.jpg


二代香山 結文香合 惺斎 (1)-1.jpg


二重箱です。



二代香山 結文香合 惺斎 (6)-1.jpg


『結文』・・・は「縁を結ぶ」という意により、大切なお客様をお迎えする時はもちろん、新たに迎えるときにも活躍致します。

そして、『結び文』の元来の意味は・・・・『恋文』でもあります。


2月、現代では「想いを込めたメッセージ」を贈る習慣があります。

(昨今では「チョコイベント」となってしまっておりますが)


香山作品のコレクションとしてはもちろんのこと、1月や2月、重宝するアイテムなのです☆



※御成約済みです。



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【二代 眞葛香山 仁清意雪中竹ノ画 茶碗】 [宮川香山 眞葛焼]

ここ数日・・・かなりの寒さが続いてます。。。

もちろん、この度の能登半島地震での被災地の方々のことを、思いますと・・この程度で不平を言っていてはなりませんのですが、それでも・・


こういう時は、こういうお茶碗に一服点ててみて、寒中を愉しんでみましょう。




二代香山 雪中の竹茶碗 (4)-1.jpg



【二代 眞葛香山 仁清意雪中竹ノ画 茶碗】


幅    12.1cm

高さ   7.4cm

高台径  4.7cm

製作年代 大正後期

箱    共箱




香山のお茶碗では、意外と・・・冬の題材が少ないように感じます。

『勅題』の初代作品では有るのですが。


抹茶茶道の復権により、二代時代は茶道具が多く製作されます。

また、他のアイテムに比して・・・「茶道具」は、比較的他のやきものに対して、大事に伝世される傾向にありましたので、太平洋戦争の戦禍を経ても伝世している作品が多いのです。


さて、この作品です。

大正5年5月20日、初代が没します。

初代時代より、一緒に製作をしておりました二代は大正7年には、三越呉服店にて大きな襲名披露展を行いました。


その際には、あまりのラインナップの広さに・・・主催者側が、これは記録に遺さないと、ということで和綴じの作品集が刊行されたほど。

実際には、大正5年から昭和15年まで製作していた香山ですが、大正後期は『表千家』への繋がりなど千家茶道界へと活躍の場を広げた時期です。


二代香山 雪中の竹茶碗 (5)-1.jpg


一見、さらっとした絵付けのように見えるお茶碗ですが、『眞葛焼』の特徴に溢れたものです。

『松』の茶碗は、他の香山作品や他窯では「緑色」の松として描かれることが多いです。

しかし、この作品は笹、竹に積もる白雪がふかっと盛り上がり・・・

前夜から降り積もった新雪の明るさを感じさせます。

「金彩」を効果的に入れることで、水墨調の渋さとの対比を「琳派風」に表現しています。

それは、まるで・・夜の闇に月の光を浴びて浮かび上がる雪中の情景にも思えます。


二代は、京都画壇の画風のみならず、「大和絵」のテイストも嗜んでいます。

その合わせ技を持つ画人として・・・「狩野探幽」がいます。

17世紀に活躍しました。

狩野探幽.jpg

《雪中梅竹鳥図 名古屋城障壁画(上洛殿三之間)》


「余白の美」で知られる探幽の、こちらも積もりたての雪を金屏風に描いて、余白をもたせることでシン!としたその場の音までも感じる逸品です。

このお茶碗にも通じるものがあると感じます。


二代香山 雪中の竹茶碗 (8)-1.jpg

このお茶碗も余白部分があります。

『眞葛窯』の御家芸である『藁灰釉』により・・・仁清色よりやや青みがかった柔らかい色調になっております。


二代香山 雪中の竹茶碗 (6)-1.jpg


二代香山 雪中の竹茶碗 (7)-1.jpg


高台の形状は、『仁清意』とあってキリっと切り立たせております。


二代香山 雪中の竹茶碗.jpg


アップしてみます。

この「銹絵」による絵付けの感じは・・・祖父である『眞葛長造』のテイストそのものです。


二代香山、『半之助』の父は・・・早くに亡くなった『長平』であり、初代香山『寅之助』の長兄であります。

早世されたあと、寅之助の妻子として迎えられたのです。


そして、初代香山は長造の四男であった為、二代香山をは17歳しか年が離れておりませんでした。

そのことが、明治期の海外での眞葛窯の活躍と、窯の消滅迄・・・技術力の維持に大いに寄することとなるのです。




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【三代 眞葛香山 素肌色絵入瓢形 水指】 [宮川香山 眞葛焼]

秋の風が、肌寒く感じる瞬間がちらほらと出てまいりました。


まもなく10月です。

個人的に、一年の中で一番好きなのは秋かもしれません。


冬の・・・どことなく、閉塞感と包まれている感が交差する感覚も、なかなか堪らないのですが・・・

寒すぎて、身動き取れなくなるなんて時もありますので。

過ごしやすい空気と、四季のおりなす彩りが溢れる美しく、そして、どことなく物憂げな季節が好きなのです。


さて、そういう季節では、『蔦』や『銀杏』、『紅葉』といったものが浮かびますが、同じように・・・寒くなる前の、この瞬間に、というモノが他にもございます。



『瓢箪』



瓢箪に因んだ、作品のご紹介です。



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【三代 眞葛香山 素肌色絵入瓢形 水指】



製作年代 昭和15年~20年頃




洒落た、意匠の水指なのです。


素肌釉、という初代から使われる、素焼きのような・・・でもコントロールされた窯変による景色を駆使して、元の土の魅力を最大限利用する手法です。

そこに、野々村仁清からインスピレーションを受けた、長造が信楽土の上に施釉した作品のように、色絵を鮮やかに、そしておしとやかに、描いております。


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瓢箪の葉、を地色と対比させるように、明るく。


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造形ともコラボレーションさせております。


瓢箪の蔕部分も。


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本体を上部からのぞき込むと、『ひょうたん』です。


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内側は、伊賀写しの際に使われるのと同じ、やや緑がかった灰釉です。

これは、備前や丹波とは違う・・・京焼をルーツとする眞葛焼のこだわりであると共に、漏れを抑えるのにも寄与致します。


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底部です。


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共箱が現存致します。


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蓋 (甲)


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蓋(裏)



三代香山は、1940年に二代の没後に襲名致しました。


ときは、第二次世界大戦・・・・もはや、優雅に文化を楽しむという世相ではありません。


しかし、その中でも茶の湯を楽しまれている方、美術を愛好する方はいらっしゃり・・・眞葛窯はノベルティ的な作品を数多く作る傍ら、逸品製作も継続しておりました。


雑多な作品の多さに、三代の技量がかすみがちですが、初代晩年には二代がかなり手を入れていたように、三代もまた、二代の技術をあますことなく継承しているのです。


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瓢箪は、春から夏にかけてグン、と成長します。

暑さに強く、日差しを思いっきり浴びて栄養とするのでしょうか。


夏が終わり寒くなるころに収穫時期ですが、瓢箪が茶色くなったころが目安とされております。


そう、この水指の素肌釉・・・・はそこを意味しているのです☆


歴代の眞葛香山作品に共通するのは、『現在の主流より、一歩先の技術』、『見た目より、一歩深い意図・意匠』により、まるで文人趣味のように愉しめる造りであることです。


この作品にも、そういう精神性が大いに感じされるものがあるのです。




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三代が襲名後・・・僅か、5年後。


1945年 ( 昭和 20年) 5月29日 の日中。

アメリカ軍 によって 横浜市 中心地域に対して無差別爆撃 が行われました。

B-29爆撃機 517機・ P-51戦闘機 101機による 焼夷弾 攻撃で、約8千から1万名の死者を出したそうです。

その炎の中に、眞葛窯がありました。



焼夷弾の直撃を受け、登り窯で三代香山はその命を落とすことになったのです。



瓢箪の花言葉は「幸福」、「繁栄」・・・・そして、「平和」、「夢」。


戦争が拡大する中で作られたこの作品に、香山は何を込めたのでしょうか。



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【二代 宮川香山(眞葛香山)呉祥瑞写上吉 茶碗】 [宮川香山 眞葛焼]

今日、二度目のファイザーワクチン接種してきました。


頭痛だとか、発熱だとかは未だ現れておりませんが・・・接種一時間後に、猛烈な眠気やその後数時間にわたって欠伸が30回も出たというのは、副反応では無い気がする、腕が背中に回らない夜です。(+_+)


さて、立秋も過ぎて・・・ちょっと、大変な悪天候のせいでもあり、「気温」としては過ごし日々ですが、まだまだ夏であります。

そんなことで、昨日に続き・・「祥瑞」手の作品のご紹介です。



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【二代 宮川香山(眞葛香山)呉祥瑞写上吉 茶碗】


幅    12.1cm

高さ    7.3cm

製作年代 大正後期頃




香山作品では、表記としまして「意」と「写」では意味合いが異なります。


「意」とした場合は、香山のオリジナルの意匠となります。


今回の作品は「写」ですので、本歌が存在するものを香山式でブラッシュアップしたものとなるのです。


この優しいフォルム。


周りを見てみましょう。


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「上吉」と題されているのは祥瑞作品でよくある、丸紋の文字に「上」と「吉」があることからです。


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3月に発見した文献によりますと、二代香山は「茶道具」に関しては職工任せにせず、全て自身の手で製作したとあります。


轆轤についてもかなりのこだわりがあるようで、この茶碗もそのフォルムの端正さもさることながら、重みの加減が秀逸なのです。

近世の京焼の染付・祥瑞とは一線を画する品格を感じます。


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眞葛窯における、染付は自家製の志那呉須を長期間かけて精製した、かなり上質なものを使用致します。

そのことで、生地の薄いブルーと合わさる呉須の発色が抜群となるのです。


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内側、見込みがこのように内はがしになっているのは、染付茶碗が元は香炉の転用から始まったということに因みます。


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高台側です。書き銘です。



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二代香山の頃には抹茶茶道が復権し、茶道具の需要が高まりつつある時期です。

しかし、その頃の日本は外国との戦争の影により、決して平安で景気が良いという訳ではないのです。

もちろん、輸出需要も消失しております。


そんな中、自己のこだわりを持ちつつ国内最大規模の窯を維持すべく奔走した二代宮川香山は、のちに板谷波山と並んで関東陶芸界の重鎮として君臨することとなるのです・・・・。


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【二代 眞葛香山(宮川香山) 白磁観音 置物】 [宮川香山 眞葛焼]

香山といえば、「造形もの」を思い浮かべる方も多いかと存じます。


といっても、輸出ものであった「高浮き彫り」や、国内外で人気のあった置物や、盛器、香合等々…と様々なものが存在します。


そんな中で、香山の代表的なものに「観音像」というものがあります。



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【二代 眞葛香山 白磁観音 置物】



幅 15.5㎝ 高さ 23㎝


製作年代 昭和時代 初期 (1926~40年)



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眞葛窯では、初代の後期から二代にかけて観音像を製作しております。

一番有名なのは大正4年に横浜にある平安時代の観音像が国の重要文化材に指定された際に製作したものです。

そちらの方は同じ形状でのみ、存在しますが・・・他の観音像は、似ているようで全て形状が異なります。香山の特徴であり、たとえ型物であっても細部を少しずつ変化させております。


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尊顔もなんともいえない表情をたたえております。


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この作品は珍しい座像で、悟りをひらいたような表情、精細な耳飾り、流れるような袈裟の造形にいたるまで品格を感じます。

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観音様は、正式には観音菩薩といい、慈悲を象徴しております。

中世的で、高貴な雰囲気を持ち・・・現世での救いを与えてくれるものとして、崇められているのです。

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銘部分です。


この作品は、洗練された白磁により本来は木彫である観音像を新たな尊い置物として生まれ変わらせているのです。

香山作品としては、数の少ないタイプになり・・・このクオリティと状態の良さは、なかなかのおすすめとなります。




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初代 眞葛香山 眞葛窯 富嶽之茶碗 [宮川香山 眞葛焼]

明治14年からの国内外の不況により国内の陶磁器業の内包していた、輸出への依存、家内工業的な生産体制によるクオリティ低下といった問題点が浮き彫りになりました。

いわゆる、江戸期の技術のみに頼り・・・単に外国から見た、日本的なモノの物珍しさだけで人気を博していたことが、飽きられてきたという事でもあります。

これにより、廃業を余儀なくされたところも出てきました。

香山はいち早く家督を2代に譲り、自身は古陶磁器の研究に没頭。眞葛窯も国内向け製作の重視を計ります。20年頃には磁器製作にて再び世界の脚光を浴びることになるのですが、この時期から抹茶道具への製作が再び始まったのです。


今回ご紹介する作品は、そういった時勢の・・・明治中期頃の作品になります。


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【初代 眞葛香山 眞葛窯 富嶽之茶碗】


幅 12.3㎝~12.8㎝ 高さ 5.4㎝ 高台径 4.7㎝  175.6グラム


明治 中後期頃



初代作の茶碗というのは、二代に比して数は圧倒的に少なくなります。 

抹茶茶道が衰退していた時期であったことに起因します。

端正な作行の中に香山らしさを取り入れた二代に対して、初代のものは・・・独特の面白味、があります。


綴じ目(これ自体も珍しいですが)の意匠を前面にすると、内側には富士山が。


手前の縁が境線となることで、ちらっと見える富士山の風景がより広がって感じられます。


右側に90度回してみましょう。


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戴く際には麓に山麓の景色が現れるといった具合です。


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シンプルな鉄絵付けにすることで、内側の富士山が白釉のみで描いてることと併せて、まるで水墨画のような陰影となり味わい深くなっております。


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高台側より。




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底の一片が欠落しております。

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共箱は蓋の甲側になります。

これは、香山の茶碗では明治中期~後期のみに見られるものです。

大正に入りますと、二代の手が大分入るようになります。


この、ざっくりと・・・そして、柔らかな作行は初代ならではの愉しさといえますね☆


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【二代 眞葛香山(宮川香山) 乾山意黒釉梅画 茶碗】   [宮川香山 眞葛焼]

『十二鬼月』(じゅうにきづき)、鬼舞辻無惨が選別した最強の鬼たちで、上弦・下弦で12人居る・・などというのは・・・もはや世間では当然のように認識されつつありますが。。(^-^;


『二十四節気』(にじゅうしせっき)、は意外と知られておりません。


古い中国で、太陰暦の季節からのずれとは無関係に、季節を『春・夏・秋・冬』の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の『節気』と12の『中気』に分類し、それらに季節を表す名前がつけられております。


立春(りっしゅん) 1月節 2月4日頃
雨水(うすい)   1月中 2月19日頃
啓蟄(けいちつ)   2月節 3月5日頃
春分(しゅんぶん)  2月中 3月21日頃

清明(せいめい)   3月節 4月5日頃
穀雨(こくう)   3月中 4月20日頃
夏 立夏(りっか)  4月節 5月5日頃
小満(しょうまん) 4月中 5月21日頃

芒種(ぼうしゅ)    5月節 6月6日頃
夏至(げし)      5月中 6月21日頃
小暑(しょうしょ)  6月節 7月7日頃
大暑(たいしょ)   6月中 7月23日頃

秋 立秋(りっしゅう) 7月節 8月8日頃
処暑(しょしょ)    7月中 8月23日頃
白露(はくろ)    8月節 9月8日頃
秋分(しゅうぶん)  8月中 9月23日頃

寒露(かんろ)    9月節 10月8日頃
霜降(そうこう)   9月中 10月24日頃
冬 立冬(りっとう) 10月節 11月7日頃
小雪(しょうせつ) 10月中 11月22日頃

大雪(たいせつ)   11月節 12月7日頃
冬至(とうじ)   11月中 12月21日頃
小寒(しょうかん) 12月節 1月5日頃
大寒(だいかん)   12月中 1月21日頃


・・・といった感じです。


そして、今ですが・・・・・『小寒』で『寒の入り』となり、『大寒』で『寒明け』となるその間でありますので・・・『寒中』のみぎり、となります☆


前説、が長くなりました。

寒中のお道具のご紹介です。(^-^;



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【二代 眞葛香山(宮川香山) 乾山意黒釉梅画 茶碗】 


幅 12㎝~12.3㎝ 高さ 8㎝ 高台径 5.2㎝

大正時代 後期



香山のお茶碗の中でも、『香山式』というべき代表格が『黒釉』になります。


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手びねり、または轆轤挽きからのひねり形成が主となり、堅くなりがちの黒茶碗にどこか温かみのある形状、そして乾山意となる琳派風の絵付けで、独特の仕上がりになります。

出来そうで、他ではなかなか同じようには造れません。

形状・釉・絵付け、それらの絶妙なバランスセンスがいかんなく発揮されております。

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抹茶道具は、二代時代に本格的に製作されており、初代に比べて二代の方が作行や完成度は段違いに高いと言えます。


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寒中、に一服。。。ほっこりします。



昨年、2月の大美特別展で、展示する予定だった作品です・・・。(-_-)







二代 宮川香山

MAKUZU KOZAN Ⅱ

1859(安政6年)~1940(昭和15年)


初代と共に作品を製作。
初代香山の長兄(長平)の子である。それが故に年齢差は17歳しかなく、その技術力は初代より確実に継承されている。海外へのマクズウェアの紹介と、加えて国内へのフィードバックに努め、眞葛の名声を揺ぎ無いものにした。初代没後は、自身の新たな感性も取り入れ時代の変遷に対応し、焼けない物は無いと言われる。途絶えていた古伊賀釉の復活、千家の茶陶作製等も行い、板谷波山と共に関東陶芸界の重鎮であった。



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二代 眞葛香山(宮川香山) 呉洲赤絵意福禄寿狂獅子重鉢 [宮川香山 眞葛焼]

『三つ重ね』 

盃や鉢で古来より見受けられる作風です。

近年ではあまり作られないようですが・・・・


鉢の場合では、茶会に於いては小を正客用、中を2つ目、大を3つ目として、席中を同じ意匠のサイズ違いで演出する手法があります。

小人数での席では、その人数により1つだけを使い分け致します。

お料理の預け鉢としても良いでしょう。


そんな3つ重ねの鉢の、優品・・・しかも香山作品が入りました☆


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二代 眞葛香山(宮川香山)

呉洲赤絵意福禄寿狂獅子 重鉢

大正時代後期




兼ねてよりご紹介しておりますように、香山の赤絵は本当にのびのびしたいい筆致で気持ちのいい絵付けです。


では、1つづつ・・・。



『福』

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幅21.2㎝ 高さ10.2㎝


『禄』

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幅19.7㎝ 高さ 8.8㎝


『寿』

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幅 17.6㎝ 高さ 8.3㎝


大・中・小の順でご紹介致しました。



福の中に、禄があり・・・禄の中には寿が。


良いことが重なるという縁起も込められております。


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大正8年に、行われた『眞葛香山 作品展』の出品作品の中にも、同様のものが記録されております。

香山の重ね鉢は、それ以前もそれ以降も造られていないように思います。

貴重な作品です。


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二代 宮川香山 

 1859(安政6年)~1940(昭和15年)

初代と共に作品を製作。

海外へのマクズウェアの紹介と国内へのフィードバックにより

眞葛の名声を揺ぎ無いものにした。

技術を継承しながらも時代の変遷に対応し、焼けない物は無いと言われる。

途絶えていた古伊賀釉の復活、千家の茶陶作製等も行い、関東陶芸界の重鎮であった。




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【二代 眞葛香山 南蛮意海老耳付 花瓶】 [宮川香山 眞葛焼]

釉薬の魔術師として世界中で評価された、香山の眞葛窯でしたが・・・

さて、釉薬を使わない作品はどうなのでしょう?

初代、二代でそういう作品が存在します。



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【二代 眞葛香山 南蛮意海老耳付 花瓶】


製作年代 昭和初頭 (1926~1930)頃


サイズ  幅 22.7㎝ 高さ 19.8㎝



香山の眞葛窯としての初代は、長造です。

長造は京焼の古典を見事に江戸時代後期に自身のテイストを込めて蘇らせました。

その中で、信楽の土を使う技法があります。

仁清でも仁清信楽というものがあり、素焼きであるがゆえに・・・あくまで、轆轤と、造形のセンスのみで勝負するという、孤高の作品です。

仁清のものは、花入や水指が・・・きれいな轆轤目で縦にシャープなデザイン、輪花口をこまやかに手で形成するという上品なものでした。


この香山の作品は、『南蛮意』です。


中国王朝が,中華思想によって,四方の異民族を蛮族と考え,東夷,西戎,南蛮,北狄と呼んだことに倣い、日本でも渡来する南方からの人たちを南蛮人と呼びました。

初めは,シャム,ルソン,ジャワなどの東洋人がそう呼ばれていましたが、16世紀中頃からポルトガルやスペイン人のことも呼ぶようになります。

ここでの、南蛮意はアジア圏の方のやきもの風であるということです。

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非常に端正な形状です。轆轤の力量が際立ちます。

2代香山は轆轤挽きに関してはことのほかうるさかったと、伝わります。

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アクセントに両側の耳として、海老の造形があります。

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初代も遺作として、南蛮意作品を遺してましたが・・・形状などはワイルドです。

やさしい、まじめな感じは二代ならではです。


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海老の髭がのびやかに描かれております。

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反対側より。


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内側、は施釉され水漏れ対策がされております。

という・・・見えない部分なのに!

良くご覧ください。 

窯変釉をきっちりと。

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そとが無釉なのに、覗き込むと・・・窯変釉で、釉薬もすごいねんで、とアピっております。

二代香山、窯変についても一家言遺しております。

『窯変、窯変と昨今言ってる輩が多いが、そのほとんどは偶然の産物に頼ったものばかり。窯変というものは自身でコントロールしてこそ、の窯変である。』

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下部の方は、炎の緋色が見どころとなっております。

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底面に瓢箪印(大)があります。

これは初代から使われております。


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薄造りで素焼きな為、石はぜが微小あるのは愛嬌です。


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蛍光灯、白熱灯、自然光・・・それぞれの下で違う顔を見せるのも、この作品の特徴です。


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二代は、初代の名代として欧米に渡ったのですが、作品も一緒に渡っており、ヴィクトリア&アルバート博物館やアシュモリアン美術館など海外の多くの美術館に所蔵されています。


明治期は高浮き掘り、や釉下彩による日本の絵付けが『ジャパン』でありましたが、こういう作品こそ『日本的』であるともいえましょう。



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【初代 眞葛香山 菊形 水指】 惺斎 箱 [宮川香山 眞葛焼]

初代香山は、明治29年(1896)に帝室技芸員に任命されます。

陶芸では三代清風与平に続いて2人目の快挙でした。

結局・・その後、昭和初期の板谷波山まで合わせて陶芸界では5人しか任命はありませんでした。

明治23年に始まった、『帝室技芸員』は宮内庁により任命され、当時は定員が20名でありました。

その技術力はもちろん、人格に至るまで総合評価され・・国からの資金提供を受ける代わりに、様々な国家プロジェクトにも参画し、皇室関係者への献上品や注文品の製作も行います。

今回、ご紹介する作品はそのうちのひとつとおぼしき、珍しいものです。


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【初代 眞葛香山 菊形 水指】 惺斎 箱


時代 明治末期~大正初期頃

サイズ 幅26.8㎝ 高さ10.3㎝(塗蓋つまみまで含むと12.5㎝)



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惺斎箱となる、香山作品は二代にものとなることが大半です。

二代が大正後期に、表千家と知遇を経、家元である惺斎の好みもの製作や、書付作品を制作するようになったからです。

最初から千家を介するものは、共箱が無く書付のみとなります。

この作品は珍しいことに・・・初代の作品です。

元は”盛器”であったものです。


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この堂々とした立派な意匠、品格と造形の力がさすがの香山です。


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真上から見ると、菊の葉が”16”有ります。


菊紋の中でも本項の十六葉八重表菊のように、花の部分を中心に図案化したものを、菊花紋章・菊花紋・菊の御紋などと呼びます。

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観賞用としての菊は奈良時代に中国大陸に伝えられ、平安時代には、薬草や鑑賞目的で日本の文化の中に定着しており・・文様として装束などに用いられておりました。

鎌倉時代、院政を敷いていた後鳥羽上皇が菊の文様を自らの印として使用しております。

その後、後深草天皇以降も菊の文様を継承し・・・いつの頃からか菊花紋章、とくに十六葉八重表菊紋が皇室の紋章として慣例化しました。


この作品は、その形状と側面の絵付けから・・・皇室関係に献上を目的とした作品であったと思われます。

(16葉の文様は当時皇室以外の使用は禁じられております

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銘のパターンから、明治37年あたりが近いと推測できますが、このような書き銘は磁器の染付作品の大きなサイズによくみられるものです。

そのことからも、かなりの特注品であったことがうかがえます。

箱書きが大正後期の二代時代でありますが、製作年代は上限を明治37年から下限は大正5年までと限定出来ます。

明治天皇崩御後、大正天皇の即位による御大典の記念による製作品であった可能性が一番濃厚です。

製作依頼した(もしくは譲られた)皇室関係の方が所持するにあたって・・・これまた特別製の重厚な塗蓋を添え、表千家の箱書きを依頼し・・・盛器であった作品を水指としての用に見立てられたのでしょう。

わずか10年位で皇室関係の作品が一般人に渡ることは考えにくく、茶道を嗜まれた最初の所有者自身による意志であったことは間違いありません。


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当時、高コストをかけて製作された塗蓋ですが、100年経過しておりほんのわずかですが表面に亀裂が生じてます。しかし使用には問題無くこの先数十年は大丈夫でしょう。

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長板にしつらえてみると、この薩摩釉と意匠の高貴さを映えることでしょう。

平水指では無いので、平たく見えても低くはありませんので、炉の時期でもお使いいただけます。


菊ということから9月の重陽でも良いですし、もちろん祝日の行事ごとにも。


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初代香山による、この陶胎での薩摩釉にこの金彩を合わせた朱釉、深いブルーと緑を使う絵付けは古代文様ともいわれます。

日本の歴史をひもといて、古の天皇の物語に思いを馳せての取り合わせも一興かもしれません。


※ご成約済みです。


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