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【図録】 名美アートフェア2024 [眞葛香山]

6月の『名美アートフェア2024』の図録が上がってきました。

昨年は、『眞葛長造 祥瑞意茶碗』を2ページぶち抜きで実物大掲載したのですが、賛否両論でした(笑)

しかし、4月末には早々にお問い合わせを頂戴し、ご成約となりました次第です。

さて、本年は。

2022年~2023年前半の、変な中国需要が落ち着きましたので『眞葛香山』のご紹介を掲載させていただきました。


スクリーンショット (3).jpg



初代香山 鯉花瓶 (1)-1.jpg


【初代 眞葛香山(宮川香山) 釉下彩鯉之図 花瓶】



幅  10cm 高さ24cm  

製作年代 大正初期頃  

香斎極め箱


この意匠としては、このサイズ、形状に収めているのは珍しいのです。


初代香山 鯉花瓶 (2)-1.jpg


眞葛窯の品格、が出ております。




【名美アートフェア2024】

6月28日(金)、29日(土)、30日(日)  名古屋美術倶楽部 2階~4階にて開催



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【2024年4月】 新入荷情報&お知らせ [WEB BASE]

【2024年4月25日 画像 追加】


先日は、『中之島美術館』にて『モネ~連作の情景~』へ。


絵画は、あまり興味が低いワタクシですが・・・・モネの、水面に反射する様を筆でちまちま描いてるタッチや、青や緑といった色調が多いのが好きなのです。

平日ですが、8割のご婦人方に混じって観てまいりました。(^^;

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撮影可能のやつは、限られており・・・しかも、スマートフォンで撮影した後に何度も実物を比較すると、色調が違うんです。

うまくいきません。


そして、ガラス越しでなく生で・・けっこう近づけたのですが、近すぎると筆のタッチなどが見えて臨場感はあるのですが、描いてるモノとして感じすぎてしまい・・離れると、全体としての印象がスッと入ってくるのを今回初めて感じました。


今月は、上旬に『湯木美術館』での『幕末の茶の湯』も観てきており、こちらもなかなかのミドコロ満載で、4月はとても忙しい一か月でしたが、合間時間も充実しております。




さて。

先日は、けっこう多数の新入荷となりました。

数日後からの金沢での展示会に向けて、食器やお茶碗等を洗ったり、包布や覆い紙などの御仕立・・・・で腰を痛めながら作業しております。

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当店では、新入荷しましたら、まずは『洗浄』⇒『写真撮影&計測』⇒『新入荷情報アップ』⇒仕立て

を全て済ませてから、お客様方へのご紹介やブログ執筆等となります。

ですので、出張や展示会の合間も結構、時間に追われておりますのです。(^^;


そんな作業の最中でも・・・皆様からのお問い合わせや、ご注文等を随時頂いており、感謝の念に堪えません☆


金沢の正札会は、正札会できっちり良い品物を取り揃えてご覧頂きたく存じます!



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・・・・タイトスケジュールでの東京出張。

その中でもトピックといえば・・・お客様からお招きいただきました『飯後の茶事』です。

場所は、『膳司 水光庵』さんです。


お料理屋様の中に設えられた、『如庵』を元に立礼とを組み合わせたとてもオーセンティックとモダンさを組み合わせた良い設計の茶室です。


ご亭主の凝りに凝った趣向も面白く。

旧暦の『利休忌』と一日差でしたことから、利休忌と・・・・なんと、『鳥山明』を偲んでという合わせ技。(笑)



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吸物膳、ですら・・・


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『ドラゴンボール』!    という凝りよう。



お道具は、惺斎を中心としたものに、数寄者様らしい取り合わせが、また良かったのです。


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脇床には、『北宋の白磁(という体で)水瓶』。


少し前に、ご亭主が『マ・クベ』みたいですね、という雑談をしたことからわざわざご用意されたという。(笑)


お茶事には不慣れな正客で、申し訳なかったのですが・・次客様方にお助け頂き、愉しい時間を過ごさせて頂きました。


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桜の増上寺の後ろにそびえたつ、TOKYO・TOWER


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3本のビルに写り込んでました☆

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早いもので・・・あっという間に、4月になってしまいした。

後半かなりの仕事が詰まっておりましたもので、心持・・・休み休み、出来るようにしてギリギリなんとか乗り切れた感じです。


十翔会の搬出・・・・

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なんとか、サイドミラーとルームミラーの視界ギリギリ確保でした。

その後、お客様への配送等を完了したときには腰が・・・[あせあせ(飛び散る汗)]


さて、今月の新入荷情報です。


◎湊焼 舞猩々 置物

湊焼 猩々置物 (3)-2.jpg

多色な楽焼にて、造形も良しです!





◎大正初期 初代 眞葛香山 仁清写孔雀図 茶碗

初代香山 仁清写孔雀茶碗 (5)-2.jpg


香山のお茶碗としては、初見のモノです。 亀の子印の大正初期の逸品シリーズとなります。

帝室技芸員印


※ご成約済みです。



◎天明8(1788)~文政13(1830)年頃 十代 飛来一閑 宗旦好 兜巾香合 住山揚甫 書付

一閑兜巾香合 (4)-2.jpg


お値頃、ですが時代もあり、良い香合です。


◎五代 上田直方 信楽 茶入 替仕覆添 眼鏡箱

直方 信楽茶入 (3)-2.jpg

個展用作品にて、仕覆や箱もお金かけられております。



◎輪島塗 青漆 膳 【13枚】 紙箱

輪島塗 青漆膳 (2)-2.jpg

ちょっと、お洒落な感じです。輪島塗注文品の未使用品が『13』枚出てきました!


※ご成約済みです。



◎東大寺 日の丸盆 【10枚】

日の丸盆 (3)-2.jpg

有名な、鎌倉時代に作られた東大寺の重要文化財に指定されております『日の丸盆』を、懐石用にダウンサイジングしたものです。

東大寺オフィシャルで、輪島塗に発注されたものです。



※ご成約済みです。



◎文久時代 古虫明焼 荘子絵釣瓶 水指

虫明焼 荘子釣瓶水指 (3)-2.jpg

岡山県立博物館・茶道資料館で開催された、『むしあげ』展に同手が出品されました。

茶陶としての虫明焼としては初期のものとなり、絵付けも三猿斎によるものと推測されております。

窯疵により、側面に亀裂が生じており、じわっと水がにじみ出ますので、少な目に水を入れてお使いになるか、金継ぎ補修を要します。
しかし、作品の美術性と、希少性はかなり高いものです。


※ご成約済みです。


◎文政9(1826)~天保13(1842)年 仁阿弥道八 黄伊羅保 茶碗

仁阿弥道八 伊羅保(小)茶碗 (6)-2.jpg

小ぶり、ですが中々の味わいです。

昭和8年に『壱百八拾壱円六拾銭』の落ち札が添っておりました。



◎文政12(1829)年 紹鴎形 解香合 『柏』自筆  吸江斎十一才 

吸江斎 解香合 (5)-2.jpg

武野紹鴎が、『白粉解』の大きさ・形状を香合として誂えたのが最初と云われます。

なんてことのない、棗形ですが・・・サイズと、フォルムが絶妙の愛らしさと風格を感じさせるものです。


◎文政8年(1825)年 了々斎 手造伽藍 香合 備前土以て  二十の内 了全焼

了々斎手造伽藍香合 (7)-2.jpg

三井家に頼んで分けてもらった備前の土にて手作りし、まだ・・永楽では無かった『西村了全』により焼成されたものです。


※ご成約済みです。


◎弘化4(1847)~嘉永7(1852)年 永樂保全 祥瑞写 巾筒

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とても、上がりの良い作品です! 小さ目なので茶箱・茶籠に仕込むのに最適です。


◎文政10(1817)~嘉永7(1854)年 永樂保全 紫薬 振出し 惺斎 箱 妙全極め箱

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これまた・・・釉薬の上がり、浮き盛りの意匠、逸品なのです。


※ご成約済みです。



◎慶応2(1866)~明治3(1870)年 永樂和全 於九谷 金襴手 丸形急須

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九谷時代の作品の中では、かなりのハイクラスと云えます。




◎古染付 玉章 香合  蓋 保全補 金継ぎ在り

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なんと、古染付の身、に蓋を保全が補って作った作品です。

その色調や虫食いまで見事に調和させております。


◎古染付 角ハジキ 小香合

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とても、ちいさな香合ですがハジキを染付で。


◎六代 真葛香斎 交趾楓文 三昧碗

真葛香斎 三昧碗 楓 (3)-2.jpg

昨年、海外の方にも愉しんで頂くというコンセプトで・・・・『抹茶』『日本酒』『ワイン』を3通り愉しめる茶碗として生まれたのが『三昧碗』です。



◎六代 真葛香斎 交趾菊文 三昧碗

※ご成約済みです。



◎六代 真葛香斎 交趾蝶々文 三昧碗(小)

※ご成約済みです。



◎大正時代 永楽妙全 臺牛 香合

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お値打ち品です。


◎天保年間(1830~1844)年頃 川本半助(真陶園) 祥瑞写 火入 【5個組】

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大き目の火入れです。待合用に良いでしょう。


◎文化4(1807)~文政7(1824)年頃 加藤民吉 祥瑞向富士 小向付 【5客】

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大きなサイズのは3点扱いましたが、この作品は瀬戸市美術館で見て以来・・・ずっと欲しかったのです。

◎明治~大正時代 山本春正 名物裂画 菜盛椀 【10客】

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◎大正~昭和初期頃 畑谷閑山 倣萬暦四方形龍 向付 【10客】

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◎文政10(1817)~天保14(1843)年 永樂保全 青薬金溜 連珠熨斗鎮 【10客】

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善五郎時代の作品です。風格のある作品でお勧め。


◎江戸時代後期 大橋秋二 織部釉 俵茶碗

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織部釉での俵はとても珍しいのです。


◎津村製 輪島塗 笹蒔絵 煮物椀 【10客】

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※ご成約済みです。


◎一瓢斎 花扇蒔絵 大棗 鵬雲斎 箱

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◎永楽即全 乾山写柳 茶碗 鵬雲斎 箱

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《今月のスケジュール》 ※ベーススケジュールは未定のものも記載しております。


1  搬出~搬入 ベースにて作業

3  ベース ×

6  オークション (大阪南美術会館)

7~8 東京出張

8  オークション (東京美術倶楽部)

9  ベース ×
10 ベース ×
11 ベース 午前× 14時 御予約1
12 ベース 午前 御予約1 午後 御予約1 16時~×

15 ベース 
16 ベース × 
17 ベース 午後 御予約1  14時 御予約1
18 ベース  14時~ ×   

19 オークション (大阪美術倶楽部)
~名古屋出張

20 オークション (名古屋美術倶楽部)
21 オークション (京都美術倶楽部)

22 ベース 
23 ベース ×
24 ベース 
25 ベース ×

27~30 金沢出張

29・30 『若筍会』(金沢美術倶楽部)






若筍の会(正札展示即売会)

年に2回の金沢美術倶楽部の展示会のひとつです。当店も参加し始めて・・・はや、17年です。


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〈会 期〉 2024年4月29日(月・祝) 9:30~17:00
            30日(火) 10:00~16:00
〈会 場〉 金沢美術倶楽部 金沢市上近江町61
〈入場料〉 無料
〈支払方法〉現金、クレジットカード
      Admission Free. Please Pay by cash or credit card.
〈併 設〉 チャリティー入札コーナー
〈主 催〉 金沢美術青年会

 無料駐車場あり 
 *満車の場合は近隣のコインパーキングをご利用ください。
  隣に近江町ふれあい館駐車場がございます。(割引券等はございません)


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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内


当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。

当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。



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【大橋荘兵衛 日の丸 棗】 圓能斎好み 箱 [茶道具]

裏千家十三代『圓能斎 鉄中(えんのうさいてっちゅう)宗室』

千家が大変な時期を、様々なアイディアと工夫により・・・乗り切るだけでなく茶道を発展させた家元として知られます。


コロナ禍に於いて、再注目された『濃茶各服点』、は元は『園能斎』が考案したものです。


100年ちょっと前の大正7(1918)年に全世界的に流行し、世界人口の約1/3にあたる5億人が感染し、そのうち2000万から4500万人の命を奪ったという・・・『スペイン風邪』。

元はアメリカのカンザス州から発症したのですが、最初に報道されたのがスペインだったので、そういう名称となったようです。

日本に於きましても、3たびの流行で2度目に多数の死者を出し、その際に、健康面への影響を鑑みて・・・『各服点』が生まれたのでした。


他にも『盆略点前』や『風炉流し点』の考案、女子教育への茶道の導入など、茶道の近代化をかなり進めたのが『圓能斎』です。


時代背景もあったのか、とても早くに家元を引退した『十二代家元・又玅斎』の後を、明治18(1885)年に継承し、家元となりました。

(まだ、13歳(!)だったとか)


学問にも長け、家元襲名後にも、東京にて6年程在住し茶道の啓蒙も進めました。


そんな、『圓能斎』ですので・・・『好み物』道具は洒落たものが多いのです。



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【大橋荘兵衛 日の丸 棗】


幅     7.2cm

高さ    6.8cm

製作年代  明治末~大正初期頃

箱     圓能斎好み 書付



まるで、『遠州流』のようなモダンな感じです。

ただの丸・・・でなく、絶妙なラウンドフォルムです。


日の丸棗 圓能斎 (5)-1.jpg


頭頂部は平面となっております。

フラット面が小さいと思うなかれ・・・なんと、その周りの曲面部も利用し、茶杓の節が安定するのです。

容易に載せることが出来ます!


日の丸棗 圓能斎 (6)-1.jpg


「天地」がフラットですので、『雪吹』や『胴張棗』の超変形ともいえます。


日の丸棗 圓能斎 (7)-1.jpg


『日の丸棗』、は『圓能斎』が猿年生まれであることから、考案された好み物です。


最初に作られたのは、大正期に活躍した塗師『常寛』で、内側も朱色となり・・・『花押』は黒漆にて書かれておりました。


この作品は、その次にリメイクされたもので、『大橋荘兵衛』による作です。


『大橋荘兵衛』家は、初代が『四代宗哲の門人』で、『五代宗哲』の後見人となり、六代・七代の下職を務めました。

二代は『七代宗哲』の弟子で、八代の後見人となりますが早世してしまいます。

三代は『八代宗哲』の工人で、その作はほぼ荘兵衛によるものとも伝えられております。

さらに、『九代宗哲』の後見人にもなりました。

その後も荘兵衛は京塗の茶道具を製作し優品を遺しましたが、特に何代とは表してないようです。

この作品は三代ないし四代となります。


圓能斎好みとして有名な、『12月棗』は、最初から大橋荘兵衛の作です。


日の丸棗 圓能斎 (3)-1.jpg

書付箱です。


日の丸棗 圓能斎 (2)-1.jpg


共箱です。



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『日の丸棗』は、お稽古用道具としては勉強用として多く流通し、広く知られるのですが・・・・茶会用の書付道具としては、多くは流通していない珍しいものです。


圓能斎は、大正13(1924)年に亡くなりました。


裏千家に於いては、回忌として・・・昨年に没後100年の法要と、茶道資料館にて展観が行われたようですが、今年が丁度100年となりますね。


『北白川宮能仁親王』より能仁親王の1字を取って、『円満にその能を発揮せよ』という意味で圓能斎の号を賜わりました。

また、小松宮彰仁親王より『鉄中の鏘々(そうそう)たる者たれ』という意味で鉄中の号を賜わりましす。


この由来は、このほど初めて知りましたのですが・・・まさに、頂いたお言葉を実現したかのような凛とした活動と、想いの実現を為された家元であったように感じたのです。


※ご成約済みです。


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【湊焼 山本窯 十五代吉右衛門 赤茶碗】 銘 『拂子』淡々斎 箱  [国焼(地方窯)]

『堺』『湊焼』のご紹介、続けてみましょう。


湊焼 赤茶碗 淡々斎 (3)-1.jpg



【湊焼 山本窯 十五代吉右衛門 赤茶碗】 

幅   13.1cm

高さ  6.9cm

高台径 5.5cm

製作年代 大正時代頃

箱    淡々斎箱  銘 拂子

状態   口縁に微小ホツレ 高台内側に欠け





『樂家』の三代目、現代に至る迄・・・稀代の名工として名高い、『ノンコウ』(道入)の弟、『道楽』(吉兵衛・吉右衛門とも)が、その名の通り・・・・

若いころに、道楽を重ねたことで樂家から勘当される事態になりました。

その後、『堺』の『大島郡湊村』に流れ着き・・・茶の湯としては本筋の地にて樂焼の窯を開くことになったのです。

ときに、明暦元(1655)年頃といいます。

兄・ノンコウに劣らず名工であったということで、僅かな伝世品からもその伝承は裏付けられると思います。

残念ながら、樂美術館蔵以外としての流通品は、3点程しか目にしたことが有りません。


さて・・・そこから259年(!)の間、道楽窯は続きました。


道楽自身に子が居なかった為、二代目は親戚であった弥兵衛を京都より呼び寄せて継承させたとのことです。

ちなみに、ややこしい話ですが・・・『道楽焼』は何故か『道入焼』との看板を出していたようで、この辺は商売的な要因でしょうか。

そして、のちに理由は不明ですうが、『山本窯』と名を変えることになります。

『山本家』ではきちんと歴代作品や家系図等がきちんと遺されていたのですが、1945年7月10日の堺空襲にてすべてが灰燼と帰すことになるのです。

歴代ごとに印と共に整理されていたと言いますので、大変残念としかいいようがありません。。


初期に堺にてわずかな期間稼働した『宗味焼』、『道楽焼』が湊焼の創始と言って過言ではなく、少し遅れて京都より渡来し、始まった『上田窯』は『道楽焼』にて釉薬などを学んだそうです。


・・・・と、長くなりましたが、最初期から一番長期に渡り存在した『本湊焼』の最後の代の作品なのです。



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『湊焼』のお茶碗といえば、手捻りの樂焼のイメージが強いです。

しかし、この作品は轆轤引きにより薄く、上品に形成され・・・・また、側面には箆目により篠木風の意匠となっております。


形状も端反りです。


湊焼 赤茶碗 淡々斎 (5)-1.jpg


15代目 山本窯の『佐太郎吉衛門』は江戸時代の最後である、慶応3(1867)に生まれ、大正12(1923)年に没します。

まさに、激動の時代です。

15代は、雑器類は京都より招聘した職人に任せ、自身は茶人としての活動を中心に、茶陶のみを作っていたようです。

工人、としてだけでなく、この辺の事情からもこのお茶碗の品性がいわゆる湊焼との差を感じさせるのでしょうか。


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山本窯は、西湊町の浄土真宗 本願寺派『延長寺』と代々親交が深く、作品も道楽時代からのものが遺されてるようです。


湊焼 赤茶碗 淡々斎 (6)-1.jpg

微小ほつれ部分

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さらに微小な・・


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高台の内側の欠けもそんなに気になりません。


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湊焼 赤茶碗 淡々斎 (2)-1.jpg


淡々斎の箱になります。

十五代は『圓能斎』の没する前年に亡くなっておりますので、この書付は後年によるものです。


銘である『拂子』(ほっす)

中国の禅宗では僧が説法時に威儀を正すのに用いるものです。


茶席の銘としましては、通年使いの無季の銘となっております。


そういう銘では他には代表的に抜粋しますとこんなラインナップになります。


無事、常盤、末広、瑞雲、和敬 好日、佳日、千歳、和心、松風、松籟
松翠、老松、相生、古今、無心、吉祥、福寿、閑居、閑坐、不老、知足
洗心、払子、喫茶去、無一物、千年翠、庵の友、千代の友


禅語としてはいかようにも深く読めますが、他社を導く為の言葉ではなく・・・

むしろ、自身を律し、背筋を伸ばしてお客様をお迎えするという意識としての御銘でしょう。


状態としては問題なくお使いになれるものですが、お値段として反映させていただきお使い頂けやすくご紹介致します。


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【湊焼 長浜窯八代 舞猩々 置物】 [国焼茶陶【江戸後期】]

たまには、茶道具以外のモノもご紹介致しましょう。

といっても、『床脇』の錺物にもお使い頂けますが。(^^;



ちょっと、希少な作品です。



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【湊焼 長浜窯八代 舞猩々 置物】


幅  17.6cm 

高さ 16.8cm

製作年代 幕末~明治初期頃

箱  共箱




『千利休』、の出身で知られる・・・大阪『堺』の地は、交易・商業・茶の湯の一大地として栄えておりました。


考古学的なやきもの、は置いておいて・・・

初期の『樂焼』は『長次郎』だけではなく、その周辺全てを包括して『長次郎焼』として初期樂に分類されるものです。

利休の庶子であります『田中宗慶』の子『常慶』『宗味』がそれぞれやきものを継承しております。

宗味は堺にて、『宗味焼』を創始し、『常慶』の子である『のんこう』は京都にて、『道楽』がこれまた堺にて『道楽窯』をそれぞれ始めるのです。


また、その同時期位に、京都より移ってきた『上田吉右衛門』が『御室焼』と称し、交趾焼など軟質低火度焼成のやきものを始めるのです。


所謂、『湊焼』というものはこの『上田窯』を中心として、派生・追従して諸窯が開窯していったという認識で良いと思われます。

いずれも、明治末期迄にはほぼ廃窯となってしまいました。

さて、今回の作品は『長浜窯』のものです。

『上田吉右衛門』の親戚で、『長浜屋』と『吉郎屋』の2家があり、上田窯2代目の頃(享保9年以降)に、本家に倣って窯を開きました。


この3家はお互い、切磋琢磨しつつ倣い、競い、高めあってきたようです。


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サイズ感といい、釉薬の発色といい、造形といい・・・抜群な作行きです。


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湊焼の代表する釉薬を全て組み合わせております。

『赤』『白』に『緑』『黄』といった『交趾』を使い、その4色のみで見事に表現しているのです。


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『舞』の『動』の表現と置物としての『安定性』という相反する要項を両立しております。


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『能』の5番目の題目が『猩々』です。


むかし、揚子江の傍らにある金山に、親孝行者の高風(こうふう)という男が住んでいました。

高風は市場で酒を売れば多くの富を得るだろうという、神妙な夢を見てお告げに従い市場で酒を売り始めます。

酒売りは順調に進んでいたのですが・・・

毎日高風の店に買いに来る客の中に、いくら飲んでも顔色が変わらず、酒に酔う様子がない者がおりました。

不思議に思った高風が名前を尋ねると、自分は猩々と言う海中に住む者だと答えて立ち去しました。

そこで高風は美しい月夜の晩、潯陽江の川辺で酒を用意し猩々を待っていると、水中の波間より猩々が現れます。


共に酒を酌み交わし、舞を舞い踊り、やがて猩々は高風の徳を褒め、泉のように尽きることのない酒壷を与えて帰ってゆくのでした。


このお話は日本での創作を加えたものらしく、元はベトナムの『獣』で、人の言葉を発し酒を好むことが中国の古代の文献に見られる『狌狌』(しょうしょう)から来ているようです。


しかし、陽気にお酒を飲んで舞う様子は愉しげなのです。

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現代、残っている『湊焼』は『津塩窯』のみです。

津塩家は、『長浜屋』を引き続いたものとし、現在は16代か17代となります。

しかし、長浜屋の歴史資料が消失しておりますので、代の計算は難しいと言われておりますが、わずかに遺されたものから研究者によると、この作品の印銘は『八代目』と分類されております。


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長浜屋の『吉兵衛』は、弘化年間(1844~1848)年頃~明治10(1877)迄の稼働であったようで、この作品は江戸後期~明治初期までとなります。

共箱も現存しております。


湊焼 猩々置物 (2)-1.jpg


他の湊焼が、『吉右衛門』を名乗るのに対して、長浜屋は『吉兵衛』となります。


湊焼 猩々置物 (1)-1.jpg



ここのところ、ご縁が在りまして・・・珍しい堺のやきものの入手が続いております。

同じ、『泉州』の地の人間としては親近感もさることながら・・・戦災により、知る人、知る術が年々減少する状況に、なんとか整理して世にご紹介したいと思っておりますのです。



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【九代 大樋長左衛門 黒 茶碗 銘 苔衣 鵬雲斎 箱】 [茶道具]

今回は、到って・・・オーソドックスな茶道具のご紹介であり、当方でも、結構な数を過去にご縁のあったモノです。



九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (3)-1.jpg

【九代 大樋長左衛門 黒 茶碗】


幅   12.5cm

高さ  8.1cm

高台径 5.2cm

製作年代 1970年頃

箱   共箱 鵬雲斎書付 銘 『苔衣』 養生用外箱




本家が代を継がなかったことで、職人であった『宗春』が明治27(1895)年に八代を襲名することとなり、近代茶道界の中で『大樋焼』は再スタートを切ることとなりました。

当初は表千家の箱書が多かったようですが、『圓能斎』に『以玄斎』という号を頂いてからは裏千家ともつながりが深くなっていきます。

そして、昭和2(1927)年・・・八代没後、長男が九代目を襲名しました。


襲名後は、従来の大樋焼のお家芸である『飴釉』を中心に、光悦写等の作品を製作し、表千家・裏千家の箱書きとともに千家流茶道界に於いて『大樋長左衛門』の名を広めていきます。

昭和11(1936)年の12か月茶碗の発表と共にその名工ぶりが周知され、昭和15(1940)年には『長左衛門』の号自筆拝領印を、近衛文麿総理大臣より頂くまでになりました。


その後、やはり・・・・大樋といえば、京都の本樂との差別化の為に封じられていた『黒樂』を大樋焼独自の様式にて完成させます。


それが、今回ご紹介する作品です。



九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (3)-1.jpg


大樋の黒は、適度な重量感と、完璧なサイズ感が特徴です。

樂に比べて、そのあたりの統一感がキチンと出ているのは、これからの新しい茶人達の『スタンダード』な主茶碗としての定着を意図してでしょうか。


九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (6)-1.jpg


『幕釉』という、釉掛けの境目に発生する白い景色が、九代大樋焼の独自性が発揮されているポイントです。


九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (5)-1.jpg

点て易さも完璧です。


九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (7)-1.jpg


高台の形状も、大樋独自の特徴です。こちらも点前の際の扱いやすさに徹底されております。

九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (8)-1.jpg


土もこの頃から風格のあるものになってます。

『長左衛門』印は昭和15年~昭和61年の間に使用されました。


九代の在代は、実に60年にも及びます。


『鵬雲斎大宗匠』とのご縁も深く、作品の多くは後半・・・鵬雲斎によるものが大半となります。


九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (2)-1.jpg


1970年頃の筆跡でしょうか。

銘は『苔衣』


地面を覆う苔を、衣に例えて表した言葉であり、それは・・・永遠変わらぬモノゴトを意味します。

直接的に風景としての露がかった緑色の苔の様相を捉えますと5月~7月頃の初夏的な、銘にもイメージできます。

また、以下の歌にも詠まれております。


◎光悦本謡曲

観世流の謡曲であり、謡曲は『伊勢物語』『源氏物語』『平家物語』などの古典から多くの題材を採っており、それらの普及にも大きな役割を果したものです。

《野宮(1470頃)「片敷くや、森の木蔭の苔衣」》


◎新後撰和歌集 

鎌倉時代にできた、一三番目の勅撰集。正安3(1301)年後宇多院の院宣により二条為世が撰し、嘉元元(1303)年に成立した。二〇巻。歌数は一六〇七首。

代表歌人は藤原定家、為家、西園寺実兼、二条為氏、亀山院など。住吉の神官津守家の歌が多くはいっていたので「津守集」の異名をつけられたといいます。

《(1303)雑上・「よなよなの 涙しなくばこけ衣 秋をく露の ほどはみてまし〈藤原為家〉」》


他にも、平安時代の『大和物語』でも『苔の衣』、という題のものが有ります。

こちらは正月の寒い時期を舞台にした物語です。


九代大樋 黒茶碗 鵬雲斎 (1)-1.jpg


共箱です。



本当に、『”準”樂』としてのステータスがさることながら、出来栄えやパッケージング、並びにお求め易い価格も魅力なのです。



※ご成約済みです。



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