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【六代 清水六兵衛 イラボ 梅香合】 [近代工芸]

昨日あたりから・・・ここ数日は、暖かい日和が続くようです。

さっそく、「梅の開花」が始まってるというニュースが聞かれてきました。


ということで、「梅」の作品のご初回です。



六代六兵衛 イラボ梅香合 (3)-1.jpg


【六代 清水六兵衛 イラボ 梅香合】


幅 6.5cm  高さ3.2 cm

製作年代 1950~60年代頃


戦前の、西日本の巨匠といえば・・・『五代 清水六兵衛』です。


『東の波山、西の六兵衛』と称されたほどです。


そういった、先代から「代」を継承するのはとても大変なことであり・・・

ましてや、『六兵衛家』といえば、京焼の於いては、江戸の中後期から続く名門です。

名が知られる名工たちは多数居れど、続いてる窯元・・・というのは、京都の長い歴史の中でも稀有な存在であります。

18代目を数える『永楽善五郎』は、元は奈良が発祥で、堺を経て京都へ移り『了全』からです。



『竹内栖鳳』『山本春擧』などといった、京都画壇から日本画を学んだ六代六兵衛ですが、が・・・、兵役を経た後の大正14年から、五代に師事して製陶全般を学びました。


昭和20(1945)年に『六代 清水六兵衛』を襲名し、様々な新しい釉薬技法を開発しました。


それらは、偉大な五代の古典的な京焼からの、飛躍・・・昭和モダンともいうべき新解釈であったのです。


1947年 唐三彩釉完成。

1953年 新釉を創案、「銹泑」(しゅうよう)

1955年 新焼成法を創案「玄窯」(げんよう)

1971年 六代清水六兵衛「古希記念回顧展」に際して『古希彩』が発表となります。




今回、ご紹介する作品は、「銹泑」(しゅうよう)の技法を使って高麗の『伊羅保』を再解釈したものです。


六代六兵衛 イラボ梅香合 (5)-1.jpg


開花した「槍梅」を見事に表現しております。


梅 開花.jpg

梅.jpg


六代六兵衛 イラボ梅香合 (6)-1.jpg


内側は金彩です。



六代六兵衛 イラボ梅香合 (7)-1.jpg


個展の際の貼り紙が残っております。



六代六兵衛 イラボ梅香合 (4)-1.jpg


『伊羅保』といった、重厚な作風を・・・・絵画的なアプローチと、近代の色彩感覚で新たなモノへと生まれ変わらされております。


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六代六兵衛 イラボ梅香合 (2)-1.jpg


共箱です。


『六代 清水六兵衛』は、晩年までパワフルに突っ走りました。


1972年  勲三等旭日中綬章受章。

1974年 「六代清水六兵衛作陶五十年記念新作展」を開催。

1976年 文化功労者となる。

1978年 東京、京都、大阪、岡山にて「清水六兵衛歴代名陶展」開催。
     
しかし・・・


この東京日本橋の高島屋での歴代展の開会セレモニーで、登壇し挨拶をしてる最中に倒れ、そのまま還らぬ人となってしまったのです・・・。


1978年4月17日のことでした。


没後、「正四位」に叙せられ、「勲二等瑞宝章」が贈られました。


六兵衛は、その後・・・・七代、八代と代は重ねますが、もうかつてのような輝きは失ってしまったのです。

名門陶家、の継承とはいかに難しいか、ということでしょう。。



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【音丸耕堂 堆漆四葉文 香合】 [近代工芸]

伝統工芸から近代美術へ・・・。

古より受け継がれる技術を、きちんと継承しつつ新時代への感性を取り入れ、変化すること。

なかなか出来るようで難しいものです。


明治から平成へと4つの時代をまたにかけ、それを実現した名工の作品です。


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【音丸耕堂 堆漆四葉文 香合】


幅    5.8cm

高さ   3.8cm

製作年代 昭和時代 後期

箱    共箱


明治31(1898)年、6月15日、香川県高松市に生まれた音丸耕堂は小学校を卒業後・・・はや、13歳で『石井磬堂』に讃岐彫りの修行に入りました。


『石井磬堂』は、当ブログでもたまに登場致しますが、明治期讃岐漆工芸のサロンであった『百花園』の職長格であった名工です。

4年間の修行のあとで独立したあとも、独学で彫漆を学び続けました。

その根本にあったのは、讃岐漆芸王国の王様というべき伝説の『玉楮象谷』の存在であり、高次元の漆芸技術を目指していました。

大正期から昭和10年頃までは旧来の讃岐漆芸の代表的作風である、『堆朱』『堆黒』『紅花緑葉』といった彫漆作品を製作し、徐々に西洋的な色彩へと移っていきます。

中国的な作風からの脱却です。

昭和30年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されました。

昭和50年代には色漆を数十回~数百回もの途方もない工程で塗り重ねた厚い漆の層に文様を彫り込む彫漆の技法を完成、昭和52年頃より色彩の断層面を表に出した平行縞模様を用い、伝統的工芸技術による斬新な作風を打ちだしてモダンな作品を生み出しました。


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この作品も、重厚な漆の層を多数重ねております。


音丸耕堂 四葉香合 (8)-1.jpg


この層は、年月を重ねて堆石していった地面を表すようであり・・・。


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『四つ葉』の紋様が『甲』にあしらわれております。


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四つ葉といえば、四つ葉のクローバーです。

まったく、『緑』を使わず四つ葉を意匠化しております。

『幾何学模様』とも思えたデザインが・・実は『葉脈』とリンクされております。


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本体とは別に・・・椎漆による薄く『縦に』形成したものを50層程のパーツ4枚と100層程のパーツ2枚を配置し上下と左右をシンメトリーにしております。

ベースの白漆の紋様は自然の『木目』のように同系色をグラデーション的に堆漆で表現しています。


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内側は、まるで恒星のような美しさでありますが・・・『身』の方は大きくブルーが、まるで木の幹の根本から吸いあがる『水』の源のようでもあり・・・

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『蓋』の裏側はこのように輪状となっており、四つ葉へと広がるようにも。

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内側も美しく多層の漆が見えます。

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底部には銘が入ります。

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2重箱です。

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共箱(甲)

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共箱(裏)


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御仕舞用の仕覆も添います。


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過去に放送された、なんでも鑑定団によりますと・・・クイーンのフレディ・マーキュリーも音丸耕堂の作品を好んだとか。。

ちょうど、先週にボヘミアンラプソディーが地上波で放送されてましたね☆

フレディは、初来日の際に『茶会』でもてなされた時から日本の美の虜になったそうで、以降も来日の旅に多数の美術品を蒐集していたようです。

美術館にも足を運んでいたそうです。

クイーンが親日であったというのは有名なお話です。


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この作品は、不変の植物の生命力、を永年守られてきた・・・伝統芸術の技を使い、そして現代から未来へと向かうデザインとして表現しているの感じます。

そして、それは決して造形の飾り物としてだけでなく、茶席での彩りとしても有用な造りを外さないままで実現してことも特筆すべきところです。


平成9年・・・9月8日の午前9時8分。

デザイン力に満ちた技を持った音丸耕堂が没したその時の刻み方もまた、デザイン的なように思えるのです。




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【河井寛次郎 倣元瓷葱翠青茶盞  鐘渓窯】 [近代工芸]

新年1発目、酒器シリーズのご紹介のラストを飾るのは・・・・

『河井寛次郎』、です。


寛次郎と云えば、後期の『筒描き』と呼ばれるダイナミックな作風が有名ですが、個人的には初期の中国テイストからの、個性としては淡いながらも品格を感じさせる作品群に惹かれます。

昨年後半、およそ30年ぶり?に『河井寛次郎記念館』へ寄ってみました。


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観光客で溢れる・・・五条坂から少しだけ、南の方の閑静な住宅街に佇んでおります。

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中は、生活感を残したままのアトリエ・・・工房が遺されており、ポスターやキャプション、結界などが無ければタイムスリップしたような感じになるのです。

『市中の山居』ともいえる、この場所で寛次郎は製作活動をしており、『喧噪』と『静寂』が交差する空気感の中での時の流れは・・・また格別であったのだろうと推測します。

概ね、人が置かれております環境というのは、どちらかに偏っているものですから。



大正時代。


横浜の地では『眞葛窯』では、初代がその寿命を終えようとしつつある頃です。

京都の方も近代化が進んでおりましたが、ハイカラな横浜とは違ってまだまだ日本的ではああったようです。

当時の空気感、を画像をお借りしてご覧いただきましょう。


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大正2年、四条大橋開通。

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南座の辺りでしょうか?


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さて、この頃の寛次郎は・・・


大正9(1920)年 京都五条坂で制作活動を開始します。

『鐘渓窯』という窯名にて、 中国や韓国の古陶磁をモチーフにした作品群を生み出しました。

そして、2年後には早くも東京での高島屋にて個展が開かれ、あっという間に有名になっていくのです。

この頃の作品の魅力、は『造形力』よりも『釉薬』の美しさに比重が高いように思われます。


用の美、意識しないものこそ美、という禅問答のような『民藝』運動よりも、もっと純粋な気もするのです。


そんな私が、スッと・・入ってくるように気になった作品がこちらです。


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【河井寛次郎 倣元瓷葱翠青茶盞  鐘渓窯】


幅    12cm

高さ   3.9cm

高台径  3.5cm

製作年代 大正期

共箱




名前のように、『元時代』の磁器作品をモチーフに・・・


『葱翠青』(そうすいせい)


青々とした青! ととにかく青ということです。(^^;


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蛍光灯1灯のみですので、この色ですが・・当てる光量や色目によって、『怪しく』も『艶やか』にも、変幻する不思議な釉薬です。

口周りにはうっすらとした紫も発色しております。


のぞき込むと、まるで恒星に吸い込まれるような感じになります。


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青磁作品と同様に、高台周りの土見せの外周に釉薬をぴったり止めて掛けております。

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『鍾渓窯』印


のちに、作品には銘を入れなくなる『寛次郎』ですが、この頃は中国の陶磁器と混在しないように、との思いから敢えて『窯印』を入れていたようです。

そこは、自身の名前ではなく『窯名』であったというところに自身の性格が出ているように感じるのです。後年、人間国宝認定も辞されておりますことからもうかがえます。


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黒田陶苑様の旧蔵です。

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共箱も状態良し、です。


河井寛次郎は大正末頃から、 スリップウエアに感激したことから作風が変化し、柳宗悦・濱田庄司らと民芸運動を起こし、中期作品へと移行していくのです。
  

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『茶盞』(ちゃわん)と記されておりますが、それはあくまで形状としての分類上であり、この作品はやはり、使うなら『酒飲』であり、純粋に『色』を愉しむ為のアイテムであるのです。


使う為に作る作品、『道具』には『用の美』が宿り、思わぬ魅力が発生することがあります。

使うことを想定しない、モノにはそれはそれで純粋に追及することでしか生まれない『美』、というのがあるのも事実です。


どちらが正解、というのでは有りません。


愉しかったら、良いのでしょう☆


※売却済みです。

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【音丸耕堂 堆漆 亀香合】 [近代工芸]

『漆芸王国』とよばれ・・・数々の名工を輩出してきました讃岐の国。

象谷を筆頭に・・・江戸期の鞘細工やキンマの技術と唐物の技法を融合させ、独自の世界を展開してきました。

近代になり、その讃岐漆芸をクラシカルな伝統的なものからモダンなアートへと昇華させたのが『音丸耕堂』です。

今回ご紹介の作品は、耕堂らしさを包括しながらも茶道に於ける香合としての使い方にも適う優品です。


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【音丸耕堂 堆漆 亀香合】


幅 5.9㎝ 高さ 3㎝

昭和時代



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かわい恰好いい香合です。


伝統的な独楽文様をベースに『亀』、をモチーフに作り上げた作品です。

亀・・・見えますでしょうか?


頭、と尻尾が見えます?


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『彫漆(ちょうしつ)』

表面に漆を幾重にも塗り重ねて層を作り、その上から模様を彫るというものです。

幕末の讃岐漆芸の祖といわれます、『玉楮象谷』が中国の技法を研究し・・・讃岐漆芸の技法として確立したものです。

音丸耕堂は、1955年(昭和30)には「彫漆」技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。


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朱、黒、黄、緑、褐色の五色を元に構成され、新しい素材も加えて難しい中間色や鮮明な色漆を駆使し、漆による色彩の表現領域を格段と広げることで、斬新なデザインを可能としているのです。


一番外側の「茶色」だけを良く見ると・・・7~10層で構成されております。

その層により、木の年輪のような模様になっており・・・周りの色漆との対比の要因もあって、茶色なのに「紫色」にも感じさせるのです!


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側面も73層はあります。

しかし!それは色分けだけの層であり、一色の層がさらに何層もの漆の積み上げにて作り上げているのです。

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内側も見事なものです。

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底の銘です。


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共箱   「堆漆亀香合」

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共箱   「於蓬莱草舎 音丸雄」


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仕舞用の仕覆も添います。


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2重箱となっております。



耕堂は、1898年(明治31)に高松に生まれました。

1910年(明治43)讃岐漆芸サロンである百花園の職長格であった、石井磬堂の内弟子として修業、1914年頃独立し、この頃独学で玉楮象谷の彫漆作品を研究しました。

1921年(大正10)に彫金家の大須賀喬おおすがたかしらと香風会こうふうかいを結成し展覧会を開催するなど、漆芸作家として精力的に活動。

1932年(昭和7)に第13回帝展に初入選後、入選を繰り返し、1942年(昭和17)第5回新文展で《彫漆月之花手箱》(高松市美術館蔵)が特選となりました。

1955年(昭和30)重要無形文化財保持者(彫漆)に認定され、また同年に日本工芸会の創立に参加するなど、日本の工芸界に多大な影響を与えた作家として知られております。


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この亀の香合は、耕堂も得意としたものであったようで、色違いのバリエーションも存在致します。

今回の香合は、後年での高さも造形も大きく、迫力がありすぎるタイプではなく、ほどよいバランスが取られており、茶道具の精神も感じられて良いのです。。。


亀の香合といえば、藤田男爵が臨終の床にて最後まで熱望したという、伝説の「大亀」の香合が知られます。

それは黄交趾に紫や緑をあしらったものですが・・・意匠と色彩がこの香合に非常に通じるところを感じるのです。

※御成約済みです。


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【藤本能道 色絵椿絵 徳利】 [近代工芸]

かわいいもの、色絵磁器のご紹介パート2です。(^-^;

人間国宝の「藤本能道」作品です。

のうどう、ではありません。よしみち、さんです。



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【藤本能道 色絵椿絵 徳利】


幅8.5㎝ 高さ14.5㎝

昭和40~50年代


高さ、はともかく大きさでは普通の徳利ですが、この愛らしいフォルムで小さいように錯覚します。


能道といえば後年の色絵ぼけの特色が有名ではありますが、元は加藤土師萌に陶芸を学び、のち1938年から富本憲吉の助手として活躍し、色絵磁器の技術を会得しました。


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憲吉の緊張感のあるまじめな雰囲気とは異なり、どことなくはんなりとした・・・柔らかさを感じます。

それは、形状によるものか、絵付けによるものか。。。

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裏側です。

たんなるラウンドフォルムでなく、面をとることによるエッジがあることで緩急のついたデザインとなり、そこに絵画的な絵付けによりより白の色は白さを感じさせ、色絵磁器の良さをあますことなく表現しております。


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底部、銘です。

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1919年 東京都大久保に生まれる。1931年 東京美術学校工芸科図案部卒業。
       文部省技術講習所に入所。

1932年 加藤土師萌に陶芸を学ぶ。

1944年 富本憲吉の助手として師事。

1946年 松風研究所に入所。

1948年 京都宮永東山窯に移る。

1950年 鹿児島で薩摩焼等の窯業指導。

1956年 京都市立美術大学専任講師。
       日本陶磁協会賞受賞。
       現代工芸協会結成。

1962年 東京芸術大学陶芸科助教授に就任。

1966年 日本工芸会正会員になる。

1970年 東京芸術大学教授に就任。

1973年 東京都青梅市に築窯。

1983年 紺綬褒章受章。

1985年 東京芸術大学学長に任命される。

1986年 重要無形文化財「色絵磁器」保持者に認定。

1990年 学長退任。

1991年 勲二等旭日重光章を受賞。

1992年 73歳で死去。




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『利休道歌』に「規矩(きく)作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」というものああります。


『守破離』


師から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まり・・・

修業・鍛錬を積み、その型を身につけた者は、会得した型はもちろん、他流の型なども含め・・・それらと自分とを照らし合わせて、さらに研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになります。

さらに鍛錬・修業を重ね・・かつて教わった師の型と自分自身で見出した新たな型の双方に精通し、
その上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく・・・言わば型から「離れ」て自在となることができる。

そうして初めて「自己」が生まれるといいます。


色絵磁器は、量産の運命を背負ったやきものでもあります。

そこからの芸術性は、出来そうでなかなか困難なものかもしれません。


人生において、様々な地に身を置き技術を身に付けた「守」、教育者、指導者として人への教えを継続し続ける中で生まれた「破」、長きに師事した富本憲吉の意を身の中に取り込んで、まったく別の絵画的な表現で自身が確立した「離」。


そういったことがこの能道の作品にこもっているのです。


そして、絵画的、という観点から・・・新たな技術として、釉彩に上絵を併用するという独自の技法「釉描加彩」を生みだし、伝統的な色絵磁器の歴史に、画期的な新局面を開くことになるのです。




卓上のお伴として愉しむもよし、単体として飾るのもよし。です。


※ご成約済み


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【竹中浩 色絵鴨文小硯・白磁水禽水滴】 [近代工芸]

渋めのマニアックなもの・・・が多い当店ですが、時々。。。ふと。。。

かわいいものを入れてしまうことがございます。(^-^;

今回・次回とそんな、色絵磁器作品をご紹介致します。



【竹中浩 色絵鴨文小硯・白磁水禽水滴】

昭和時代 後期

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李朝時代の小さな水滴に憧れて陶芸の道に入った竹中浩は、近藤悠三に師事し、古陶磁への深い造詣と研鑽された技術により1996年、京都府無形文化財に認定されました。

その作行は端正な形成に柔らかな釉薬を合わせることが特徴です。

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幅7.1㎝×4.6㎝ 幅 1.6㎝


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幅 5㎝ 高さ 3.3㎝



京焼は元来、唐物の影響からスタートしておりますが、竹中浩のルーツは高麗です。

自身曰く『李朝に影響を受けた京焼白磁』という独自の世界があります。凛としたオブジェ的な造形物が知られますが、併せて人気なのが文房具シリーズです。



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箱も、ちっちゃくてかわいいのです。

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飾り物として文人の世界感を演出するのも良いでしょう☆


※ご成約済みです。


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加賀月華 萬古窯 窯変一輪生 [近代工芸]

萬古焼は、江戸中期(1700年代後半)に桑名の沼波弄山が始めた三重県のやきものです。

陶器と磁器の特徴を併せ持った特性をもち、文人により急須などで人気を博しました。

その後一時、中断し弟子筋などにより、幕末期に再興されます。

有名なのは森有節です。

当店でも、萬古焼はちょこちょこ取り扱っておりますが、今回は萬古焼・・・としては違ったイメージの部類に入る作品の御紹介です。

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加賀月華 萬古窯 窯変一輪生

大正後期~昭和初期

幅 10㎝ 高さ 23㎝



加賀月華 (1888~1937)板谷波山に師事して佳作を残した

本名常次郎 月華はその雅号で、また「清香堂」ともいう。
明治23年 桑名宮通りに生まれた。
本業は金物商を営んでいたが、大正8年 弟の瑞山(米吉)が万古・大正焼を
完成した水谷寅次郎の指導で、桑名新矢田に開窯したのを受けて
大正11年 35歳の頃 自らも陶業の道に進み、桑名元赤須賀に築窯。
以来 兄弟ふたりで本格的生産を開始した。

月華は板谷波山に師事して 帝展、院展、文展を通じて 入選9回の実績をもち
その作は広い分野に渉り多くの佳作がある。
桑名 石取祭の山車の月華作模型は、木製陶器嵌入の破笠細工を施した
軋む車輪など器用な芸術家の一面が垣間見られる。

昭和12年没、享年50歳  桑名市新町の光徳寺に葬る
寺内にある 沼波弄山の碑に隣接して板谷波山揮毫の月華墓碑が建っている。

以上 山田一生著 「列伝 三重県陶芸先覚志」より 抜粋


月華さんの作品は、萬古焼のやわらかさの中に、波山ゆずりのきりっとしたフォルムが特徴である、と感じております。

当店でも2018年に扱った茶碗(波山極め箱)や、もう少し前に扱った水指などは、大変見所のある作品でした。

この作品も、窯変により単色でありながらも、複雑な様相を思わせる釉薬に緊張感のある形状で、花を生けたときにお互いを引き立て合う佳品に仕上がっております。

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底に銘

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共箱です。

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こちらも、昨日の大樋に続きまして・・・お値打ち価格で御座います。



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藤井香雲堂


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初代 諏訪蘇山 青磁小魚文 鉢 二代極め箱 [近代工芸]

最近では・・・なかなか、手にしようと思う作品が出て来なかった初代蘇山作品です。

今年は縁があり、唐物写盆、手桶水指に続き・・・3点目です。

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初代 諏訪蘇山 青磁小魚文 鉢 二代極め箱

幅19.7㎝  高さ6.7㎝

側面からでは、薄造りでシャープなフォルムしか見えませんね。(^^;

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ピンクに発色する・・・何か見えます。

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魚たちです。

まるで青の水の中を自由に泳ぎ回るかのような意匠です。

赤色に見えますが、当時は釉下彩の赤は難しいと聞き及んでおりますので、おそらく香山と同じく疑似的な発色で赤色に見せているのかもしれません。

初代蘇山は、日本における釉下彩の父であるゴッドフリートワグネルに明治8年、上京の際に化学について学んでおります。

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蘇山の青磁は京焼の世界にて完成された近代日本美術工芸の青磁技術の先駆者であり、代表格です。

蘇山は、金沢時代に様々な苦労を経て修行しました。後に明治美術に多大な影響を与えるワグネルからも学んでおります。

1907年(明治40年)1月京都市五条坂に独立して窯を構え、七官青磁、交趾釉、白高麗、漆黒釉等、多岐に渡る様式を研究し、1913年(大正2年)には鳥の子青磁を完成。

1914年(大正3年)~1915年大正4年には李王職の依頼で朝鮮に渡り、高麗古窯旧跡を調査し、窯の再建にも尽力。

1917年(大正6年)6月11日 陶芸界では3人目の宮内省帝室技芸員に選ばれ、1919年(大正9年)久邇宮邦彦王台湾訪問、1921年(大正10年)聖徳太子1,300年忌等に際し作品を献上しました。

1922年(大正11年)2月に亡くなります。


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二代による極め箱になります。

当店では、このような意匠の作品は、過去に香炉で取り扱いました。

そのタイプの作品も最近は出にくくなっております。

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陶芸の帝室技芸員はわずかに五名のみ。

三代清風与平、初代眞葛香山、初代諏訪蘇山、初代伊東陶山、そして・・・少し時を空けて、板谷波山。

技術のみならず、全てを評価されて宮内庁に任命される帝室技芸員は、現代の人間国宝とは全く異なる高次元での日本美術の表現者であったのです。


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鉢、ではありますが・・・水を張って、花びらをチラリと浮かべてみるのも愉しそうです。

※売却済みです。
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河井寛次郎 櫛目 碗 [近代工芸]

たまに・・・民藝作品で、心にささる作品があり扱うことがあります。

私自身としては一昨年以来の寛次郎作品になります。

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河井寛次郎 櫛目 碗

晩年の筒描きのような派手さはないものの、この中期作品の民藝らしい釉薬とほっこりした形状の中に・・・

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掻き落としたこの意匠の、なんと上品なこと。

このわずかな手を加えることでただの民藝が、美術へと変化しているようです。

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裏側です。

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内側の色調を変えるのも、この時期ならではと思います。

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茶溜まりも丁寧に仕上げられております。

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高台

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共箱


今年に京都国立近代美術館で開催された、『河井寛次郎展 川勝コレクション』の中でも同手の作品が展示されておりました。

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1931年頃の作品です。

近代工芸ファンや民藝ファン以外の茶人の方にも愛玩いただきたい作品です。



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川瀬忍 青磁徳利 [近代工芸]

先日に続きまして、川瀬忍作品のご紹介です。

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この、凛、としたフォルムがたまりません。

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斜めから見ますと、エッジをやわらかく効かせてやや俵のような形状です。

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上から見るとこれまた端正です。

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実は、底には銘が入ってます。

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先日の盃と併せてお勧めしたいところです☆


※ご成約済

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