『2023年11月』の新入荷情報&スケジュールです。 [BASE215]
【2023年11月29日 新入荷情報 追加】
『第39回十翔会』に多数のご来場を頂き、誠に有難うございました!
新たな体制での11社揃った初開催は、久々にボリューム感のある会場となりました。
来年からは、『年3回』での開催として生まれ変わります。
どうぞ、引き続き宜しくお願い申し上げます。
さて・・・十翔会撤収からそのまま、東京への荷造りと、名古屋でのオークションへの準備でした。
間に、一日・・・私の誕生日を挟みまして、本日名古屋にて・・最後の売買が完了です。
明日から、東京入りです☆
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ようやく、体調も完璧となって頑張っております。
ブログご覧頂いております皆様方から、ご心配メール等を頂戴しました。有難うございました。(^^;
先日、名古屋出張の前に・・・奈良のお客様のところへ、修理預かりに伺った際にホンモノの「正倉院」を。
なかなか、感動的だったのです。
「正倉院”展”」の方は、大勢の方々が熱心に詰め寄っておりました。
美術、的な要素というより・・・1400年もの太古のロマンに対する興味なのでしょうね。
【2023年11月の新入荷】
〇大正初期 初代 眞葛香山 呉祥瑞意六角形 向付 【5客】遺作箱
祥瑞の向付は、久しぶりです。
初代では特に珍しいものです。大正初期頃の作品ですが、眞葛窯に遺されており二代により箱を仕立てられました。
※ご成約済みです。
〇永楽和全 於九谷 呉須赤絵 升杯
なかなかの、味わいです。サイズは大き目ですよ!
※御成約済みです。
〇藤原雄 備前窯変 花入 人間国宝
雄、仕入れるの・・・4年ぶり?5年ぶり?でしょうか。
これは、今まで見た中で一番好きです!
〇樂 慶入 桐ノ画 菓子皿 碌々斎 自画
さらっとした皿(苦笑)、ですが・・なにか惹きつけるものがあります。
『喰籠』がメインの表千家流ではありますが、敢えて・・・この菓子皿に三つ盛りで正客様に出してみたい!と思わせるものです。
碌々斎が、自身で絵付けをしております。
※ご成約済みです。
〇戌午年 中村宗哲(尼宗哲) 雪花銀蒔絵 四方菓子盆 惺斎好 五ツ之内
オーセンティックな茶道具です。引きすぎず、足しすぎず。。。品格です。
※売却済みです。
〇中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立 惺斎 十五ノ内
これは、もはや『鑑賞用』の『美術品』です。
浄益最盛期の作品ですね。
小ぶりな杓立です。
※ご成約済みです。
〇吸江斎 茶杓 八景之内 山市晴嵐 名取川埋木ヲ以て
とても、粋な表流のお道具持ちの茶人の蔵です。(某宗匠の高弟という話です)
銘も全て、凝ったものばかりでした。
※ご成約済みです。
〇即中斎 三つ節茶杓 『三吉野』 正玄下削
※ご成約済みです。
〇蒟醤 亀 香合 (啐啄斎 判) 吸江斎 箱
以前、目の前に表れつつも・・ご縁が無かった作品です。今回はようやく手元に来ました!
〇明治41(1908)年 夜寒焼 麦藁手蓋置 碌々斎好 箱
丁寧に、花押の朱書きと夜寒の書き銘も揃っているのです。
※ご成約済みです。
〇鵬雲斎 一行 『嘉辰令月』
※ご成約済みです。
〇明治4(1871)~35(1902)年頃 樂 慶入 萩釉 茶入 淡々斎 箱 (共箱無)
※ご成約済みです。
〇十四代 坂倉新兵衛 萩 鶴菱皿 【6客】
「樂」で有名な意匠です。
数の調整用にも。 もちろん、新兵衛作品の方が丈夫です!
※売却済みです。
〇初代 矢口永寿 染付写橋の絵 千代久(小向付) 【10客】
小向付です。
形状や絵付けがなかなか良いのです。 重ねることも出来ます。
※ご成約済みです。
〇賀集珉平 二代 黄南京柘榴に鳥絵 鉢
※ご成約済みです。
〇幕末期 永樂和全 染付桔梗 酢猪口
※御成約済みです。
〇文久二年 奥田木白 萩薬 手塩皿 【10枚】
※売却済みです。
〇幕末~明治初期頃 奥田木白 橋弁慶 置物 無地箱
※ご成約済みです。
〇幕末~明治初期頃 奥田木白 松竹梅 赤絵蓋置
〇樂 宗入 赤 菊皿 【5客】直入極め箱
※ご成約済みです。
〇江戸時代後期 眞葛長造 模仁清雉子 小茶碗 共箱・香斎極め外箱
※ご成約済みです。
〇永楽即全 仁清写菊 茶碗 鵬雲斎 箱
※売却済みです。
〇五代 真葛香斎 金襴手腰捻 茶碗 鵬雲斎 箱
※ご成約済みです。
〇大西清右衛門(浄心) 唐銅唐草 建水 鵬雲斎好み 箱
※御成約済みです。
〇大正11(1922)年 二代 眞葛香山 仁清意紅葉 香合 九ツノ内 木津宗詮箱
以前にも扱ったことのある、とても洒落た意匠の香合です。
元は野々村仁清の本歌があるらしいのですが・・・
※御成約済みです。
〇大正末~昭和初期 大原貫学 青貝細工 水指棚
これまた、以前取り扱ったものと同手になります。
前の個体は、『大阪歴史博物館』での『大阪職人図鑑』という展観に展示された後、販売してしまいました。(^^;
前回のものより、半額以下のお値打ちで入手出来ました☆
※売却済みです。
〇河井武一 灰釉鉄流 角皿 【12客】
なかなか、使いやすい形状・色合いです。
※ご成約済みです。
〇大樋年郎 魚紋 皿 【10枚】
丁度いい、中皿です。 先々月に亡くなられた10代大樋さんの作で、襲名前は『魚』や『鳥』に因む意匠を多く作られておりました。
〇樂 旦入 柚味噌 皿 【5客】2客継ぎ在
2客が大きく銀継ぎされておりますが、3客が無事です。超お値打ち価格なのです。
※御成約済みです。
〇覚々斎(原叟) 茶杓 銘『萬歳』 玄々斎箱 即中斎箱
少し短めで、少し太め、の数奇者好みの茶杓としてのミドコロがある作品です。
共筒に、玄々斎の箱が添い・・・外箱に即中斎の箱となるものです。
※御成約済みです。
【11月のスケジュール】
1~5 金沢出張
3(金・祝)、4(土)、5(日) 『金美特別展』
6 オークション 於 大阪南美術会館 ×
7 オークション 於 大阪美術倶楽部 ×
8 オークション 於 東京美術倶楽部
9~11 奈良出張& オークション出張 於 名古屋
14 ベース
15 ベース
16 ベース 10:00 1件予約有
17 ベース
18 ベース ×
19 オークション 於 大阪美術倶楽部
20 オークション 於 名古屋美術倶楽部
21 オークション大会 於 京都美術倶楽部
22 ベース
24~26 『十翔会』 於 大阪美術倶楽部
27 ベース ×
29 オークション 於 名古屋美術倶楽部
30~12月3日 東京出張
↓【終了しましたイベントです】
金沢を中心とする有名美術商31店が一堂に会し、 厳選された美術品を各商店ごとに展示即売いたします。
会 期 / 令和5年11月3日(金/祝)、4日(土)、5日(月)
10:00~18:00(最終日は16:00まで)
会 場 / 金沢美術倶楽部 金沢市上近江町61
併 設 / 11月3日(金/祝)~4日(土) チャリティー正札会
11月5日(日)14時 記念特別講演会「茶の湯とは何か」
入場料 / 無料
支払方法 / 現金、クレジットカード
Admission Free. Please Pay by cash or credit card.
*満車の場合は近隣のコインパーキングをご利用ください。
隣に近江町ふれあい館駐車場がございます。
(割引券等はございません)
当店、この秋ツアーのテーマであります、『うつしもの、うつくしきもの』。
ご好評を頂戴しており、次々とご縁を頂戴しつつ・・・新入荷も次々有ったりと継続しております。
この金美がラスト、でございますので何卒、ご高覧の程をよろしくお願いいたします!
積載量は、半分程で出発です!
道中‥回転寿司と、温泉へ寄りつつ‥
某学芸員様からのお薦めで、『小松市立博物館』と『錦窯展示館』へ
九谷焼と関西のやきものの関連性を追求したマニアックな特別展示でした。
三田焼や、湖東焼、の九谷焼との関連性や写し物の近似‥などが実物を取り揃えて比較されております。
また、再興九谷焼や粟生など‥つい、古九谷やとんで八十吉ばかりなところでない、江戸後期の熱い名工・名窯の紹介も素晴らしいものでした。
徳田八十吉の生家も初めてでした
今回は、6月の名美アートフェア仕様のリファインバージョン。
落書きは、さらに東京より加速しております。
次の落書きアートは、来年6月迄お預けなのです。
(というか‥来年度は、ブース催事は2回しか無いのです。)
『第39回十翔会』に多数のご来場を頂き、誠に有難うございました!
新たな体制での11社揃った初開催は、久々にボリューム感のある会場となりました。
来年からは、『年3回』での開催として生まれ変わります。
どうぞ、引き続き宜しくお願い申し上げます。
さて・・・十翔会撤収からそのまま、東京への荷造りと、名古屋でのオークションへの準備でした。
間に、一日・・・私の誕生日を挟みまして、本日名古屋にて・・最後の売買が完了です。
明日から、東京入りです☆
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ようやく、体調も完璧となって頑張っております。
ブログご覧頂いております皆様方から、ご心配メール等を頂戴しました。有難うございました。(^^;
先日、名古屋出張の前に・・・奈良のお客様のところへ、修理預かりに伺った際にホンモノの「正倉院」を。
なかなか、感動的だったのです。
「正倉院”展”」の方は、大勢の方々が熱心に詰め寄っておりました。
美術、的な要素というより・・・1400年もの太古のロマンに対する興味なのでしょうね。
【2023年11月の新入荷】
〇大正初期 初代 眞葛香山 呉祥瑞意六角形 向付 【5客】遺作箱
祥瑞の向付は、久しぶりです。
初代では特に珍しいものです。大正初期頃の作品ですが、眞葛窯に遺されており二代により箱を仕立てられました。
※ご成約済みです。
〇永楽和全 於九谷 呉須赤絵 升杯
なかなかの、味わいです。サイズは大き目ですよ!
※御成約済みです。
〇藤原雄 備前窯変 花入 人間国宝
雄、仕入れるの・・・4年ぶり?5年ぶり?でしょうか。
これは、今まで見た中で一番好きです!
〇樂 慶入 桐ノ画 菓子皿 碌々斎 自画
さらっとした皿(苦笑)、ですが・・なにか惹きつけるものがあります。
『喰籠』がメインの表千家流ではありますが、敢えて・・・この菓子皿に三つ盛りで正客様に出してみたい!と思わせるものです。
碌々斎が、自身で絵付けをしております。
※ご成約済みです。
〇戌午年 中村宗哲(尼宗哲) 雪花銀蒔絵 四方菓子盆 惺斎好 五ツ之内
オーセンティックな茶道具です。引きすぎず、足しすぎず。。。品格です。
※売却済みです。
〇中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立 惺斎 十五ノ内
これは、もはや『鑑賞用』の『美術品』です。
浄益最盛期の作品ですね。
小ぶりな杓立です。
※ご成約済みです。
〇吸江斎 茶杓 八景之内 山市晴嵐 名取川埋木ヲ以て
とても、粋な表流のお道具持ちの茶人の蔵です。(某宗匠の高弟という話です)
銘も全て、凝ったものばかりでした。
※ご成約済みです。
〇即中斎 三つ節茶杓 『三吉野』 正玄下削
※ご成約済みです。
〇蒟醤 亀 香合 (啐啄斎 判) 吸江斎 箱
以前、目の前に表れつつも・・ご縁が無かった作品です。今回はようやく手元に来ました!
〇明治41(1908)年 夜寒焼 麦藁手蓋置 碌々斎好 箱
丁寧に、花押の朱書きと夜寒の書き銘も揃っているのです。
※ご成約済みです。
〇鵬雲斎 一行 『嘉辰令月』
※ご成約済みです。
〇明治4(1871)~35(1902)年頃 樂 慶入 萩釉 茶入 淡々斎 箱 (共箱無)
※ご成約済みです。
〇十四代 坂倉新兵衛 萩 鶴菱皿 【6客】
「樂」で有名な意匠です。
数の調整用にも。 もちろん、新兵衛作品の方が丈夫です!
※売却済みです。
〇初代 矢口永寿 染付写橋の絵 千代久(小向付) 【10客】
小向付です。
形状や絵付けがなかなか良いのです。 重ねることも出来ます。
※ご成約済みです。
〇賀集珉平 二代 黄南京柘榴に鳥絵 鉢
※ご成約済みです。
〇幕末期 永樂和全 染付桔梗 酢猪口
※御成約済みです。
〇文久二年 奥田木白 萩薬 手塩皿 【10枚】
※売却済みです。
〇幕末~明治初期頃 奥田木白 橋弁慶 置物 無地箱
※ご成約済みです。
〇幕末~明治初期頃 奥田木白 松竹梅 赤絵蓋置
〇樂 宗入 赤 菊皿 【5客】直入極め箱
※ご成約済みです。
〇江戸時代後期 眞葛長造 模仁清雉子 小茶碗 共箱・香斎極め外箱
※ご成約済みです。
〇永楽即全 仁清写菊 茶碗 鵬雲斎 箱
※売却済みです。
〇五代 真葛香斎 金襴手腰捻 茶碗 鵬雲斎 箱
※ご成約済みです。
〇大西清右衛門(浄心) 唐銅唐草 建水 鵬雲斎好み 箱
※御成約済みです。
〇大正11(1922)年 二代 眞葛香山 仁清意紅葉 香合 九ツノ内 木津宗詮箱
以前にも扱ったことのある、とても洒落た意匠の香合です。
元は野々村仁清の本歌があるらしいのですが・・・
※御成約済みです。
〇大正末~昭和初期 大原貫学 青貝細工 水指棚
これまた、以前取り扱ったものと同手になります。
前の個体は、『大阪歴史博物館』での『大阪職人図鑑』という展観に展示された後、販売してしまいました。(^^;
前回のものより、半額以下のお値打ちで入手出来ました☆
※売却済みです。
〇河井武一 灰釉鉄流 角皿 【12客】
なかなか、使いやすい形状・色合いです。
※ご成約済みです。
〇大樋年郎 魚紋 皿 【10枚】
丁度いい、中皿です。 先々月に亡くなられた10代大樋さんの作で、襲名前は『魚』や『鳥』に因む意匠を多く作られておりました。
〇樂 旦入 柚味噌 皿 【5客】2客継ぎ在
2客が大きく銀継ぎされておりますが、3客が無事です。超お値打ち価格なのです。
※御成約済みです。
〇覚々斎(原叟) 茶杓 銘『萬歳』 玄々斎箱 即中斎箱
少し短めで、少し太め、の数奇者好みの茶杓としてのミドコロがある作品です。
共筒に、玄々斎の箱が添い・・・外箱に即中斎の箱となるものです。
※御成約済みです。
【11月のスケジュール】
1~5 金沢出張
3(金・祝)、4(土)、5(日) 『金美特別展』
6 オークション 於 大阪南美術会館 ×
7 オークション 於 大阪美術倶楽部 ×
8 オークション 於 東京美術倶楽部
9~11 奈良出張& オークション出張 於 名古屋
14 ベース
15 ベース
16 ベース 10:00 1件予約有
17 ベース
18 ベース ×
19 オークション 於 大阪美術倶楽部
20 オークション 於 名古屋美術倶楽部
21 オークション大会 於 京都美術倶楽部
22 ベース
24~26 『十翔会』 於 大阪美術倶楽部
27 ベース ×
29 オークション 於 名古屋美術倶楽部
30~12月3日 東京出張
↓【終了しましたイベントです】
金沢を中心とする有名美術商31店が一堂に会し、 厳選された美術品を各商店ごとに展示即売いたします。
会 期 / 令和5年11月3日(金/祝)、4日(土)、5日(月)
10:00~18:00(最終日は16:00まで)
会 場 / 金沢美術倶楽部 金沢市上近江町61
併 設 / 11月3日(金/祝)~4日(土) チャリティー正札会
11月5日(日)14時 記念特別講演会「茶の湯とは何か」
入場料 / 無料
支払方法 / 現金、クレジットカード
Admission Free. Please Pay by cash or credit card.
*満車の場合は近隣のコインパーキングをご利用ください。
隣に近江町ふれあい館駐車場がございます。
(割引券等はございません)
当店、この秋ツアーのテーマであります、『うつしもの、うつくしきもの』。
ご好評を頂戴しており、次々とご縁を頂戴しつつ・・・新入荷も次々有ったりと継続しております。
この金美がラスト、でございますので何卒、ご高覧の程をよろしくお願いいたします!
積載量は、半分程で出発です!
道中‥回転寿司と、温泉へ寄りつつ‥
某学芸員様からのお薦めで、『小松市立博物館』と『錦窯展示館』へ
九谷焼と関西のやきものの関連性を追求したマニアックな特別展示でした。
三田焼や、湖東焼、の九谷焼との関連性や写し物の近似‥などが実物を取り揃えて比較されております。
また、再興九谷焼や粟生など‥つい、古九谷やとんで八十吉ばかりなところでない、江戸後期の熱い名工・名窯の紹介も素晴らしいものでした。
徳田八十吉の生家も初めてでした
今回は、6月の名美アートフェア仕様のリファインバージョン。
落書きは、さらに東京より加速しております。
次の落書きアートは、来年6月迄お預けなのです。
(というか‥来年度は、ブース催事は2回しか無いのです。)
【古曽部焼 雪笹 手鉢】 [国焼茶陶【江戸後期】]
秋をすっ飛ばしたような、今年の気候ですが・・・あちこちで初雪もちらほらのようです。
ということで、まもなく時候となります作品のご紹介です。
【古曽部焼 雪笹 手鉢】
幅 25.2x17.7cm
高さ 18.2cm
製作年代 嘉永4(1851)~明治15(1882)年頃
箱 伝世箱
「三代 五十嵐信平」の作品となります。
「古曽部焼」は、大阪府高槻市古曽部町で存在した窯です。
寛政年間(1789~1801)頃に初代五十嵐新平が開窯し、明治末頃に四代で廃窯となりました。
現地での伝世では寛永年間にやきものをした人が居て、それが小堀遠州に認められたことから、「遠州七窯」のひとつに数えられているという話もありましたが、実際のところは・・・
作品も窯跡も発見されておらず、また・・・「遠州七窯」というモノ自体が、嘉永七年に発行された「陶器考」にて述べられた、「当時」の現存窯の中から遠州の好みに合致する、という窯を選ばれただけというのが真相のようです。
道具商の筆によるものですから、都合の良いような記述であったことは想像に足ります。(人のことは言えない?(^^;)
さて、作品に戻りましょう。
古曽部焼は比較的、暗い色調のもの・・・「灰色」や「緑がかった高麗風の色」、「くすんだような安南風のもの」がメインであり、初代辺りでは色絵のものなども在ります。
初代は地元の農家である五十嵐家の出で、京都で陶器を学んだようです。
古曽部焼は、基本的に藩窯でなく民窯であることから・・・茶器類もありますが、大方は日常使いのものを作っておりました。
そんな中、この作品の逸品さは群を抜いております。
「雪笹手鉢」、は「乾山」作がルーツとして広く知られております。
しかし、それは国焼コレクションの聖地として知られる・・・「滴翠美術館」に所蔵される作品”のみ”しか現存確認される個体は有りません。
むしろ、それを元としたと推察される「仁阿弥道八」作品が有名であり、その作品群によって現代迄知られることになったものです。
「仁阿弥道八」様式では、灰釉は明るく、取っ手は竹を拠ったような複雑なもの、本体は笹の形状に合わせた輪花口に透かしを入れ、脚は竹の根に。そして白化粧にて鮮やかに雪が舞うのです。
有名なものでは「湯木美術館」や「逸翁美術館」所蔵のものが知られますが、上記のような特徴は「伝乾山」作品には見られないものであり、また後世に仁阿弥道八作を写したものでもそのまま再現は出来ておりません。
道八作品が生まれて、そう時代が離れてない時代。
五十嵐信平(信五郎)(1833年生~1882年没)が幕末の万延元(1860)年頃に窯元を継承しました。
(※初代・二代の新平から字が変わります。)
仁阿弥の没後から5年ですね。
見事な造形です。
雪の意匠も躊躇なく、鮮やかに大胆に。
反対側から。
今に至る迄、ここまで良く仕上がってる雪笹手鉢の写しは見たことが有りません。
三代信平は、窯の量産体制を整え雑器を数多く作るのですが、自身の製作レベルの高さは本作品で実証されます。
故にでしょうか、印銘は量産型とは異なる、三代の中でも希少なタイプが使われております。
大事にされていたことがうかがえる伝世箱です。
古曽部焼の名は、現在では異なるタイプの茶道具窯として新たに紀州焼をルーツにもつ寒川さんにより活かされております。
しかし、当時の世相や需要で人気を博し…民窯であった古曽部焼が「遠州七窯」に数えられる程の評価をされていたことは、近年では世の記憶から薄れつつあるのです。
※売却済みです。
《追記》ちょっと、要研究事項がありましたので・・・あくまで、この内容は参考程度でお願いいたします。私自身も追及したいと思います。(^^;
資料として、残しておきます。
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※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
========================================================================
当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・
ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
=========================================================================
【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
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ということで、まもなく時候となります作品のご紹介です。
【古曽部焼 雪笹 手鉢】
幅 25.2x17.7cm
高さ 18.2cm
製作年代 嘉永4(1851)~明治15(1882)年頃
箱 伝世箱
「三代 五十嵐信平」の作品となります。
「古曽部焼」は、大阪府高槻市古曽部町で存在した窯です。
寛政年間(1789~1801)頃に初代五十嵐新平が開窯し、明治末頃に四代で廃窯となりました。
現地での伝世では寛永年間にやきものをした人が居て、それが小堀遠州に認められたことから、「遠州七窯」のひとつに数えられているという話もありましたが、実際のところは・・・
作品も窯跡も発見されておらず、また・・・「遠州七窯」というモノ自体が、嘉永七年に発行された「陶器考」にて述べられた、「当時」の現存窯の中から遠州の好みに合致する、という窯を選ばれただけというのが真相のようです。
道具商の筆によるものですから、都合の良いような記述であったことは想像に足ります。(人のことは言えない?(^^;)
さて、作品に戻りましょう。
古曽部焼は比較的、暗い色調のもの・・・「灰色」や「緑がかった高麗風の色」、「くすんだような安南風のもの」がメインであり、初代辺りでは色絵のものなども在ります。
初代は地元の農家である五十嵐家の出で、京都で陶器を学んだようです。
古曽部焼は、基本的に藩窯でなく民窯であることから・・・茶器類もありますが、大方は日常使いのものを作っておりました。
そんな中、この作品の逸品さは群を抜いております。
「雪笹手鉢」、は「乾山」作がルーツとして広く知られております。
しかし、それは国焼コレクションの聖地として知られる・・・「滴翠美術館」に所蔵される作品”のみ”しか現存確認される個体は有りません。
むしろ、それを元としたと推察される「仁阿弥道八」作品が有名であり、その作品群によって現代迄知られることになったものです。
「仁阿弥道八」様式では、灰釉は明るく、取っ手は竹を拠ったような複雑なもの、本体は笹の形状に合わせた輪花口に透かしを入れ、脚は竹の根に。そして白化粧にて鮮やかに雪が舞うのです。
有名なものでは「湯木美術館」や「逸翁美術館」所蔵のものが知られますが、上記のような特徴は「伝乾山」作品には見られないものであり、また後世に仁阿弥道八作を写したものでもそのまま再現は出来ておりません。
道八作品が生まれて、そう時代が離れてない時代。
五十嵐信平(信五郎)(1833年生~1882年没)が幕末の万延元(1860)年頃に窯元を継承しました。
(※初代・二代の新平から字が変わります。)
仁阿弥の没後から5年ですね。
見事な造形です。
雪の意匠も躊躇なく、鮮やかに大胆に。
反対側から。
今に至る迄、ここまで良く仕上がってる雪笹手鉢の写しは見たことが有りません。
三代信平は、窯の量産体制を整え雑器を数多く作るのですが、自身の製作レベルの高さは本作品で実証されます。
故にでしょうか、印銘は量産型とは異なる、三代の中でも希少なタイプが使われております。
大事にされていたことがうかがえる伝世箱です。
古曽部焼の名は、現在では異なるタイプの茶道具窯として新たに紀州焼をルーツにもつ寒川さんにより活かされております。
しかし、当時の世相や需要で人気を博し…民窯であった古曽部焼が「遠州七窯」に数えられる程の評価をされていたことは、近年では世の記憶から薄れつつあるのです。
※売却済みです。
《追記》ちょっと、要研究事項がありましたので・・・あくまで、この内容は参考程度でお願いいたします。私自身も追及したいと思います。(^^;
資料として、残しておきます。
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TEL 090-8578-5732
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ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
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【樂 慶入 桐ノ画 菓子皿 碌々斎 自画】 [茶道具]
『表流』のお道具のご紹介が続きます。
『樂家』の初代とされます『長次郎』が『田中宗慶』や『田中宗味』『田中常慶』らと工房を共にし、一緒に製作していたことは広く知られております。
『田中宗慶』 『天下一焼き物師』の名を許される。長次郎の『妻』の『祖父』
『田中宗味』 宗慶の子 宗味の娘が長次郎の『妻』※上記の注釈と同じく
『田中常慶』 宗慶の子
『常慶』は、『吉左衛門』を名乗っており、長次郎や宗慶没後の樂家を引き継いだことから、『二代目』ということになり、以降の樂家では『吉左衛門』の名を継承することになりました。
『常慶』は、時代の流れに併せて長次郎・宗慶時代には無かった、『土見せ』や『沓形』を取り入れ、また・・・新しい釉薬として『白釉』と呼ばれる、後世では『香炉釉』というものを生み出しました。
常慶没後・・・250年の月日が経った、明治17(1884)年。
この作品が製作されるのです。
【樂 慶入 桐ノ画 菓子皿 碌々斎 自画】
サイズ 幅22cm 高さ2.3cm
製作年代 明治17(1884)年頃
箱 共箱 入札落札付属
表千家11代『碌々斎』が48歳位の時、『常慶250回忌』が行われました。
その際に製作されたのがこの作品です。
樂家も11代目、慶入の時代です。
慶入は旦入の娘である『妙國』の婿養子となり、弘化2(1845)年に十一代吉左衞門を襲名しました。
明治4年(1871)剃髪隠居して慶入と号しましたが、碌々斎とは縁も深く『皆伝』も授与されております。
抹茶茶道衰退期である、明治期を含む75年間を苦労して製作活動を続けており、茶碗以外の懐石道具や置物等多岐にわたる作品を遺しております。
共通するのが、上品さ。
この作品も形状や造りに、丁寧さと上品さがにじみ溢れております。
お気づきのことでしょう。
『常慶』を偲ぶ作品ですから、『香炉釉』なのです!
なので、『土見せ』も設けられております。
碌々斎が、書付と朱書のみならず・・・表面の『桐』の絵も描いているのです!
また、この時にのみ、用いられた『天下一』印は、常慶の父である田中宗慶を包括した田中家へのリスペクトなのです。
共箱
過去の売立入札の落ち札です。
あ・・・『藤井』になってる。(笑)
主菓子を3つ盛り、して楽しみたいお道具です。
※ご成約済みです。
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※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・
ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
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『樂家』の初代とされます『長次郎』が『田中宗慶』や『田中宗味』『田中常慶』らと工房を共にし、一緒に製作していたことは広く知られております。
『田中宗慶』 『天下一焼き物師』の名を許される。長次郎の『妻』の『祖父』
『田中宗味』 宗慶の子 宗味の娘が長次郎の『妻』※上記の注釈と同じく
『田中常慶』 宗慶の子
『常慶』は、『吉左衛門』を名乗っており、長次郎や宗慶没後の樂家を引き継いだことから、『二代目』ということになり、以降の樂家では『吉左衛門』の名を継承することになりました。
『常慶』は、時代の流れに併せて長次郎・宗慶時代には無かった、『土見せ』や『沓形』を取り入れ、また・・・新しい釉薬として『白釉』と呼ばれる、後世では『香炉釉』というものを生み出しました。
常慶没後・・・250年の月日が経った、明治17(1884)年。
この作品が製作されるのです。
【樂 慶入 桐ノ画 菓子皿 碌々斎 自画】
サイズ 幅22cm 高さ2.3cm
製作年代 明治17(1884)年頃
箱 共箱 入札落札付属
表千家11代『碌々斎』が48歳位の時、『常慶250回忌』が行われました。
その際に製作されたのがこの作品です。
樂家も11代目、慶入の時代です。
慶入は旦入の娘である『妙國』の婿養子となり、弘化2(1845)年に十一代吉左衞門を襲名しました。
明治4年(1871)剃髪隠居して慶入と号しましたが、碌々斎とは縁も深く『皆伝』も授与されております。
抹茶茶道衰退期である、明治期を含む75年間を苦労して製作活動を続けており、茶碗以外の懐石道具や置物等多岐にわたる作品を遺しております。
共通するのが、上品さ。
この作品も形状や造りに、丁寧さと上品さがにじみ溢れております。
お気づきのことでしょう。
『常慶』を偲ぶ作品ですから、『香炉釉』なのです!
なので、『土見せ』も設けられております。
碌々斎が、書付と朱書のみならず・・・表面の『桐』の絵も描いているのです!
また、この時にのみ、用いられた『天下一』印は、常慶の父である田中宗慶を包括した田中家へのリスペクトなのです。
共箱
過去の売立入札の落ち札です。
あ・・・『藤井』になってる。(笑)
主菓子を3つ盛り、して楽しみたいお道具です。
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【十代 中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立 惺斎 十五ノ内】 [茶道具]
今回は、珍しい金属作品のご紹介となります。
千家十職の一家として数えられるも・・現在は後継ぎの事情により、やむなく「欠番」状態となっております『中川浄益』の作品です。
【十代 中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立】
製作年代 昭和初頭 (1926~1928年頃)
サイズ 幅 9.3cm 高さ 16.7cm
箱 惺斎 箱 十五の内
共箱 2重箱
『杓立』としては、若干低め・・であり、幅はふっくらと『花入並』です。
とても愛らしい形状であるものの、それを取り巻く意匠の数々が『渋い』ことにより引き締めております。
日本では、『金属工芸』はかなり・・・古くより、南方や大陸からもたらされたモノにより早い段階より知られておりました。
2000年前には青銅器が伝わり、宋時代(960~1279年)や元時代(1271~1386年)の『唐銅(からかね)』のものが珍重されてきたわけですが、利休時代には『書院茶』から『侘び茶』へと移行する際に『竹』へと主流が移行します。
また、食器につきましても・・・丁度、『正倉院』ならびに『正倉院展』を見てきたところですが、その正倉院には未だに未使用の『砂張』の食器が多数眠ったままといい、また日常に於きましても日本人は古来より『木工』の食器を中心としてきました。(現代では陶磁器ですが)
この辺は、『金属』というものがおそらくは農耕民族である日本人にとっては馴染めないもの、『格調高い』ものであるという認識が関係しているのかもしれません。
高湿度な日本では樹木が豊富で身近な素材でありましたので。
しかし、神社仏閣では要所要所に金属作品が見られ、長い歴史の中でも金属加工技術は確実に継承・発展してきました。
そんな中・・・利休に『腰黒薬缶』を依頼され、製作したことで千家との繋がりが深くなったのが『浄益家』です。
それは天正15(1587)年の『北野大茶会』で使用する為のもので、初代浄益(当時はまだ『紹益』)が造ったものです。
他にも『火箸』の製作もあり、この2種が『中川浄益』に利休より許された『家業』であります。
最後の十一代浄益さんの言によれば、寛永年間頃より千家出入りとなり、江岑の指導を受けたといいます。
その後、家元好みのものを製作したりと脈々と歴史を紡いできました。
さて・・・時代は進み・・・明治時代、抹茶茶道の衰退により浄益家は八代~九代頃に大きな借財を背負うことになりました。
しかし、『内国勧業博覧会』や『万国博覧会』等の開催により『貿易』としての日本美術作品がもてはやされることとなります。
浄益も茶道具以外のハイレベルな工芸品の製作を行いました。
その流れから、大正時代より抹茶茶道の復権で茶道具製作が復活するのですが、そこに明治頃よりの新たな感性・技を併せ持った浄益の新時代茶道具の登場となるのです。
前置きが長くなりましたが・・・とういう時代背景の元に生まれた、逸品作品のご紹介なのです。
複雑な形状を持っております。
筋により口縁部より、5つの範囲を区切り意匠化してます。
『環付』は『鳳凰』の顔の意匠です。
こうした全体の丸みや細かい形の造形を可能とするのが『鋳金(ちゅうきん)』の技術です。
銅の合金を高熱で溶解し、型に流し込むことで形成します。
よく、量産する為の鋳金と混同されますが、複雑な形状の実現の為に選択される技法でもあります。
銅には鉛や『錫(すず)』を混入し上質な銅と致します。
それが『青銅』というものです。
時代を経ると、青錆が発生することから名付けられました。
茶道具の世界では呼び名を変え、『唐銅(からかね)』と呼ばれる合金です。
明治初頭に、政府が国の金属技術の調査を行いました。
古くからある金属加工家である『竜文堂』や『金谷五郎三郎』『藤屋九兵衛』家や・・そして『中川浄益』家が家伝の調合法などを提出しました。
東京国立博物館にも写本が保管されております、『銅器之説』というもので、その中で示されてる配合では、浄益家だけが群を抜いて『錫』の比率が高いそうです。
それは、浄益作品の銅の質が圧倒的に高いことを表しているのです。
『金象嵌』により『桐』と『鳳凰』、『青海波』が施されております。
これは、この作品が昭和天皇の御大典に併せて特別製作されたモノであることを推察出来ます。
『七宝象嵌』により施されているのは・・・『宝尽し』紋様です。
『宝珠(ほうじゅ)』
もとは密教法具の一つで、先にとがった珠で火焔が燃え上がることもある。
望みのものを出すことができる珠。
『七宝(しっぽう)』
花輪違い円の吉祥性か、宝尽くしの一つにかぞえられている。
七宝の円形は円満を表します。
『軍配(ぐんばい)』
軍配団扇ともいい、邪気を払うものとされます。
勝負の采配を決める道具から転じて、物事を見極める才を象徴します。
『開扇(かいせん)』
末廣ともいい、吉祥が広がる意味となります。
『丁字(ちょうじ)』
スパイスのグローブのこと。
平安時代に輸入され、薬用・香料・染料・丁字油にもなり、希少価値から宝尽くしの一つになりました。
『宝鑰(ほうやく)』
蔵を開ける鍵で、雷文形に曲がっています。
縁起の良い福徳の象徴です。
『宝巻・巻軸(ほうかん・まきじく)』
ありがたいお経の巻物。
交差して置いた物を「祇園守」といいます。
『隠れ蓑(かくれみの)』
天狗が持っているとの伝えがあります。
危険な事象から身を隠して護っていただけるという意味です。
これらの七宝象嵌は、浄益家が九代頃に実現した、『古七宝焼』の再現を可能としたことから艶やかな金象嵌と対比させて作品に取り込んでおります。
十代 中川浄益
本名 中川淳三郎 紹心 昭和15(1940)年没
満州に渡っていたが、九代の病状の悪化により呼び戻す。明治44(1911)年の九代没後より浄益家を守りました。
2重箱となります。
惺斎の六十代半ば頃の筆です。
浄益家が千家十職の肩名は、その名も・・『錺師(かざりし)』。
『水屋道具』より始まった浄益家が、『錺モノ』の逸品を生み出せる家になりました。
しかし平成20(2008)年、十一代が没し・・・現在では浄益の工房の火は絶えたままなのです。
※ご成約済みです。
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【十代 中川浄益 七宝鳳凰耳 柄杓立】
製作年代 昭和初頭 (1926~1928年頃)
サイズ 幅 9.3cm 高さ 16.7cm
箱 惺斎 箱 十五の内
共箱 2重箱
『杓立』としては、若干低め・・であり、幅はふっくらと『花入並』です。
とても愛らしい形状であるものの、それを取り巻く意匠の数々が『渋い』ことにより引き締めております。
日本では、『金属工芸』はかなり・・・古くより、南方や大陸からもたらされたモノにより早い段階より知られておりました。
2000年前には青銅器が伝わり、宋時代(960~1279年)や元時代(1271~1386年)の『唐銅(からかね)』のものが珍重されてきたわけですが、利休時代には『書院茶』から『侘び茶』へと移行する際に『竹』へと主流が移行します。
また、食器につきましても・・・丁度、『正倉院』ならびに『正倉院展』を見てきたところですが、その正倉院には未だに未使用の『砂張』の食器が多数眠ったままといい、また日常に於きましても日本人は古来より『木工』の食器を中心としてきました。(現代では陶磁器ですが)
この辺は、『金属』というものがおそらくは農耕民族である日本人にとっては馴染めないもの、『格調高い』ものであるという認識が関係しているのかもしれません。
高湿度な日本では樹木が豊富で身近な素材でありましたので。
しかし、神社仏閣では要所要所に金属作品が見られ、長い歴史の中でも金属加工技術は確実に継承・発展してきました。
そんな中・・・利休に『腰黒薬缶』を依頼され、製作したことで千家との繋がりが深くなったのが『浄益家』です。
それは天正15(1587)年の『北野大茶会』で使用する為のもので、初代浄益(当時はまだ『紹益』)が造ったものです。
他にも『火箸』の製作もあり、この2種が『中川浄益』に利休より許された『家業』であります。
最後の十一代浄益さんの言によれば、寛永年間頃より千家出入りとなり、江岑の指導を受けたといいます。
その後、家元好みのものを製作したりと脈々と歴史を紡いできました。
さて・・・時代は進み・・・明治時代、抹茶茶道の衰退により浄益家は八代~九代頃に大きな借財を背負うことになりました。
しかし、『内国勧業博覧会』や『万国博覧会』等の開催により『貿易』としての日本美術作品がもてはやされることとなります。
浄益も茶道具以外のハイレベルな工芸品の製作を行いました。
その流れから、大正時代より抹茶茶道の復権で茶道具製作が復活するのですが、そこに明治頃よりの新たな感性・技を併せ持った浄益の新時代茶道具の登場となるのです。
前置きが長くなりましたが・・・とういう時代背景の元に生まれた、逸品作品のご紹介なのです。
複雑な形状を持っております。
筋により口縁部より、5つの範囲を区切り意匠化してます。
『環付』は『鳳凰』の顔の意匠です。
こうした全体の丸みや細かい形の造形を可能とするのが『鋳金(ちゅうきん)』の技術です。
銅の合金を高熱で溶解し、型に流し込むことで形成します。
よく、量産する為の鋳金と混同されますが、複雑な形状の実現の為に選択される技法でもあります。
銅には鉛や『錫(すず)』を混入し上質な銅と致します。
それが『青銅』というものです。
時代を経ると、青錆が発生することから名付けられました。
茶道具の世界では呼び名を変え、『唐銅(からかね)』と呼ばれる合金です。
明治初頭に、政府が国の金属技術の調査を行いました。
古くからある金属加工家である『竜文堂』や『金谷五郎三郎』『藤屋九兵衛』家や・・そして『中川浄益』家が家伝の調合法などを提出しました。
東京国立博物館にも写本が保管されております、『銅器之説』というもので、その中で示されてる配合では、浄益家だけが群を抜いて『錫』の比率が高いそうです。
それは、浄益作品の銅の質が圧倒的に高いことを表しているのです。
『金象嵌』により『桐』と『鳳凰』、『青海波』が施されております。
これは、この作品が昭和天皇の御大典に併せて特別製作されたモノであることを推察出来ます。
『七宝象嵌』により施されているのは・・・『宝尽し』紋様です。
『宝珠(ほうじゅ)』
もとは密教法具の一つで、先にとがった珠で火焔が燃え上がることもある。
望みのものを出すことができる珠。
『七宝(しっぽう)』
花輪違い円の吉祥性か、宝尽くしの一つにかぞえられている。
七宝の円形は円満を表します。
『軍配(ぐんばい)』
軍配団扇ともいい、邪気を払うものとされます。
勝負の采配を決める道具から転じて、物事を見極める才を象徴します。
『開扇(かいせん)』
末廣ともいい、吉祥が広がる意味となります。
『丁字(ちょうじ)』
スパイスのグローブのこと。
平安時代に輸入され、薬用・香料・染料・丁字油にもなり、希少価値から宝尽くしの一つになりました。
『宝鑰(ほうやく)』
蔵を開ける鍵で、雷文形に曲がっています。
縁起の良い福徳の象徴です。
『宝巻・巻軸(ほうかん・まきじく)』
ありがたいお経の巻物。
交差して置いた物を「祇園守」といいます。
『隠れ蓑(かくれみの)』
天狗が持っているとの伝えがあります。
危険な事象から身を隠して護っていただけるという意味です。
これらの七宝象嵌は、浄益家が九代頃に実現した、『古七宝焼』の再現を可能としたことから艶やかな金象嵌と対比させて作品に取り込んでおります。
十代 中川浄益
本名 中川淳三郎 紹心 昭和15(1940)年没
満州に渡っていたが、九代の病状の悪化により呼び戻す。明治44(1911)年の九代没後より浄益家を守りました。
2重箱となります。
惺斎の六十代半ば頃の筆です。
浄益家が千家十職の肩名は、その名も・・『錺師(かざりし)』。
『水屋道具』より始まった浄益家が、『錺モノ』の逸品を生み出せる家になりました。
しかし平成20(2008)年、十一代が没し・・・現在では浄益の工房の火は絶えたままなのです。
※ご成約済みです。
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
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【2023年10月】の新入荷情報&ベーススケジュールです。 [BASE215]
【2023年10月21日 新入荷 追加】
東美アートフェアへお越し頂きました皆様、誠に有難うございました!
本当に多数のご来場でございました。加えまして・・・当店のお遊びに多数のお褒めのお言葉を頂戴し嬉しく思います。
100人以上は写真を撮っていかれたかと・・(^^;
次回は、よりCOOLな壁画、頑張ります!?
いえ・・展示作品の方も頑張ります☆
実は、初日の夜から体調を崩してしまいまして。。。本日、内科に受診してきた次第です。(+_+)
特に無理してなかったと思うのですが~
陳列前夜に参加した『Night Tempo』さんのライブ疲れかなぁ???
7日から痛めていた腰、はなんとか・・・10日には痛みがほぼ治ってました。一難去ってまた一難です。
【2023年10月度 新入荷情報】
〇大正後期頃 二代 眞葛香山 乾山意舟翡翠 茶碗
さりげなく、お洒落な感じなのです。
〇文久2(1862)~頃 慶樂焼 木具写高台寺蒔絵 棗 伝世箱
四代豊楽の弟子で、四代没後に独立を認められた職人です。
そのクオリティは本家と肩を並べます。
※ご成約済みです。
〇~天保12(1841)年頃 龍文堂安平 刷毛目塩筒 茶碗 共箱・竹軒箱・鵬雲斎箱
むっちゃ、珍しいものです。さらにこのパッケージングとなると、もはや奇跡なのです。
小ぶりですが、なかなかなのです。
※ご成約済みです。
〇幕末期 奥田木白 赤膚焼織部写 香合 橋本凝胤 箱
木白では、織部写しは珍しいものです。釉調もなかなかです。
※ご成約済みです。
〇嘉永2(1849)~3(1850)頃 永樂保全 河濱焼無地 茶碗 共箱・而全極め添書
先月に続いて、ご縁がありました。(^^;
個体としては前から存在は知ってるものですが、いつかうちに来るでしょうと、のんびり待っておりました。河濱焼では、不識斎の絵付けがデフォルトですが・・・こちらは『無地唐津』となっており、ここからが希少なところ・・・保全の共箱、なのです。
この筆跡からも製作時期の特定を補強出来るのです。
裏流の方にもおすすめ出来ます。
※商談中です。
〇幕末期 永樂和全 金襴手 茶巾筒
小品、で上質なのです。
〇江戸時代中期頃 堺 谷焼 黒茶碗 圓能斎箱『夜の声』 即中斎箱『老松』
久しぶりに、谷焼です。これまでの中でも・・・茶碗としての形状は一番見どころがある作品かもしれません。そして、裏千家の大正時代と表千家の昭和時代の書付も添うのです。
〇昭和初期頃 二代 眞葛香山 黄釉薬昇龍之画 花瓶 香斎極め箱【後日】
こんなご時世ですが。。。。色々と複雑なタイミングが重なって、有難くご縁がありました。
箱は新たに極め箱を新調致します。
※御成約済みです。
〇安政年間 堺 田久阿蘭陀 莨葉図 細水指
こちらも、久しぶりです。レア度高し・・・の堺オランダです。
※御成約済みです。
○江戸時代後期 御深井焼 茶入 徳川斉荘 歌銘箱
松風嘉定(松風聴松庵)旧蔵 昭和4年京都美術倶楽部売立
鵬雲斎玄室 外箱
※売却済みです。
○二代 眞葛香山 眞葛窯御所人形
○青木木米 倣呉州赤絵 香合 竹泉極め箱
※御成約済みです。
○青木木米 模赤絵 枡酒盃 横江竹軒旧蔵 昭和10年売立目録
○永楽保全 於湖南染付松皮菱 小鉢(火入にも)
※売却済みです。
○仁阿弥道八 三嶋 盃 八代道八極め箱
※御成約済みです。
○初代 眞葛香山 依赤絵呉州意 眞葛窯 菓子鉢
※ご成約済みです。
《よもやま、雑記》
現在、関西では9か所連動企画にて・・・『お茶碗』の展観が展開されております。
その中でも、気になるのは・・・『滴水美術館』と『香雪美術館』です。
今回は、中之島香雪美術館へ行ってまいりました。
朝日新聞社の創立者である『村山龍平』さんのお茶碗コレクションに、仁清1点、志野2点を他の美術館からの借用での展観です。
ひとことでいうと・・・・
お茶碗、に絞ったことで、より明確になる村山コレクションの美意識の一本筋の通り方が際立って感じました。
高麗でも国焼でも、端正で美しいフォルムのものばかりなのです。
なんと、館蔵作品は写真撮影自由でして・・・残念ながら、私が使用中のスマートフォン(galaxy)はシャッター音がえげつなく大きいため、周りの迷惑を気にしないといけなく・・・どうしても好きな物、かレアなものだけに限定して撮影させていただきました。
からの、いくつかを・・・
『野々村仁清 常陸帯 茶入』
茶箱仕組みに含まれてました。これは今回見れてよかったです。
何故ならば・・・今月より展開の『うつしもの、うつくしきもの。』に登場する茶入との共通点を非常に感じさせるものだからです。
同時代の通じる仕上げ方、というものがあるのです。
『瀬戸黒茶碗 銘 宗潮黒』
関東などの大きな桃山陶の展観では、おおぶりのワイルドな瀬戸黒が多いのですが、こちらは極めて上品な小ぶりサイズ。
上がりもフォルムも好みなのです。
『御本玄悦茶碗 銘 筧』
名前の由来となる舟橋玄悦、が茶碗の製作にどう関係したかは、今では不明のままですがこれまでの分類として玄悦茶碗です。
こちらも、小ぶりで端正なのです。
高台内はしっかり玄悦です。
『祥瑞山水花鳥文 州浜形茶碗』
滴水の祥瑞もグッときますが、此方もスッキリしていて良いですね。後世の写しはこの感じを倣っている感じです。
『野々村仁清 色絵忍草文茶碗』
大阪の豪商、加嶋屋旧蔵です。 うちにゆかりの・・例の長次郎茶碗と同じところです。(^^;
忍草紋様の描き方が素晴らしくモダンです。特に反対側が秀逸でした。
他にも色々あるのですが、周りが気になって・・・
会期、まだまだございますので是非足を運んでみてください~
そして、本日・・・NHKホールに用事がありましたので、時間調整に『大阪歴史博物館』へ。
たまには、通常展示をゆっくり見てみるか~位のつもりでしたが、『あれ、今展示してますよ』との学芸員様のひとこと。
昔にお納めしました作品がタイミングよく展示されておりました☆
『大原貫学 青貝中央卓』
大阪のアルチザン、螺鈿師の名品です。
名前は知られども、特に紹介されることがなく・・・歴博の『大阪職人図鑑』展のときに逸品を2点展示されることで表舞台に出ました。
過去に、大阪美術倶楽部で『貫学式』なんとか・・という展観があったという噂がありますが、戦前のことで不明なのです。
その傍には、『藪明山』も数点。
大阪薩摩として、超絶技巧として、海外にも人気のブランドですが、遺族の寄贈もあって歴博が一大コレクションと研究が隋一として進んでおります。
拡大するとこんなに緻密なのです。
さて、新入荷は、6日以降になりますが・・・10月に突入して、東美アートフェアの準備に没頭しないといけません。
美術運送トラック便利用の都合上・・・準備完了のタイムリミットは5日なのです。
昨年に続き、自身で設計しました・・・ベースでも使用している3ステージ式入れ子陳列台を運んで、使用するのでシミュレーションをしております。
並べる、だけなら簡単なのです。
その先にあるモノゴトを意識すると、途端に難しくなるのです。。。
【2023年10月のスケジュール】
2 ベース
3 ベース ※東美アートフェア準備期間
4 ベース ※東美アートフェア準備期間
5 ベース
6 オークション (大阪南美術会館)
7 オークション大会 (大阪美術倶楽部)
11~15 東京出張
13・14・15 『東美アートフェア2023』 (東京美術倶楽部)
17 ベース 午後~ 予約有 ×
18 ベース 午後~
19 オークション (大阪美術倶楽部)
20 オークション大会(名古屋美術倶楽部)
21 オークション (京都美術倶楽部)
24 ベース × 外販
25 ベース ×
26 ベース × <搬出>
27~30 京都出張
28・29・30 『銘品展 京華』 (京都美術倶楽部)
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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東美アートフェアへお越し頂きました皆様、誠に有難うございました!
本当に多数のご来場でございました。加えまして・・・当店のお遊びに多数のお褒めのお言葉を頂戴し嬉しく思います。
100人以上は写真を撮っていかれたかと・・(^^;
次回は、よりCOOLな壁画、頑張ります!?
いえ・・展示作品の方も頑張ります☆
実は、初日の夜から体調を崩してしまいまして。。。本日、内科に受診してきた次第です。(+_+)
特に無理してなかったと思うのですが~
陳列前夜に参加した『Night Tempo』さんのライブ疲れかなぁ???
7日から痛めていた腰、はなんとか・・・10日には痛みがほぼ治ってました。一難去ってまた一難です。
【2023年10月度 新入荷情報】
〇大正後期頃 二代 眞葛香山 乾山意舟翡翠 茶碗
さりげなく、お洒落な感じなのです。
〇文久2(1862)~頃 慶樂焼 木具写高台寺蒔絵 棗 伝世箱
四代豊楽の弟子で、四代没後に独立を認められた職人です。
そのクオリティは本家と肩を並べます。
※ご成約済みです。
〇~天保12(1841)年頃 龍文堂安平 刷毛目塩筒 茶碗 共箱・竹軒箱・鵬雲斎箱
むっちゃ、珍しいものです。さらにこのパッケージングとなると、もはや奇跡なのです。
小ぶりですが、なかなかなのです。
※ご成約済みです。
〇幕末期 奥田木白 赤膚焼織部写 香合 橋本凝胤 箱
木白では、織部写しは珍しいものです。釉調もなかなかです。
※ご成約済みです。
〇嘉永2(1849)~3(1850)頃 永樂保全 河濱焼無地 茶碗 共箱・而全極め添書
先月に続いて、ご縁がありました。(^^;
個体としては前から存在は知ってるものですが、いつかうちに来るでしょうと、のんびり待っておりました。河濱焼では、不識斎の絵付けがデフォルトですが・・・こちらは『無地唐津』となっており、ここからが希少なところ・・・保全の共箱、なのです。
この筆跡からも製作時期の特定を補強出来るのです。
裏流の方にもおすすめ出来ます。
※商談中です。
〇幕末期 永樂和全 金襴手 茶巾筒
小品、で上質なのです。
〇江戸時代中期頃 堺 谷焼 黒茶碗 圓能斎箱『夜の声』 即中斎箱『老松』
久しぶりに、谷焼です。これまでの中でも・・・茶碗としての形状は一番見どころがある作品かもしれません。そして、裏千家の大正時代と表千家の昭和時代の書付も添うのです。
〇昭和初期頃 二代 眞葛香山 黄釉薬昇龍之画 花瓶 香斎極め箱【後日】
こんなご時世ですが。。。。色々と複雑なタイミングが重なって、有難くご縁がありました。
箱は新たに極め箱を新調致します。
※御成約済みです。
〇安政年間 堺 田久阿蘭陀 莨葉図 細水指
こちらも、久しぶりです。レア度高し・・・の堺オランダです。
※御成約済みです。
○江戸時代後期 御深井焼 茶入 徳川斉荘 歌銘箱
松風嘉定(松風聴松庵)旧蔵 昭和4年京都美術倶楽部売立
鵬雲斎玄室 外箱
※売却済みです。
○二代 眞葛香山 眞葛窯御所人形
○青木木米 倣呉州赤絵 香合 竹泉極め箱
※御成約済みです。
○青木木米 模赤絵 枡酒盃 横江竹軒旧蔵 昭和10年売立目録
○永楽保全 於湖南染付松皮菱 小鉢(火入にも)
※売却済みです。
○仁阿弥道八 三嶋 盃 八代道八極め箱
※御成約済みです。
○初代 眞葛香山 依赤絵呉州意 眞葛窯 菓子鉢
※ご成約済みです。
《よもやま、雑記》
現在、関西では9か所連動企画にて・・・『お茶碗』の展観が展開されております。
その中でも、気になるのは・・・『滴水美術館』と『香雪美術館』です。
今回は、中之島香雪美術館へ行ってまいりました。
朝日新聞社の創立者である『村山龍平』さんのお茶碗コレクションに、仁清1点、志野2点を他の美術館からの借用での展観です。
ひとことでいうと・・・・
お茶碗、に絞ったことで、より明確になる村山コレクションの美意識の一本筋の通り方が際立って感じました。
高麗でも国焼でも、端正で美しいフォルムのものばかりなのです。
なんと、館蔵作品は写真撮影自由でして・・・残念ながら、私が使用中のスマートフォン(galaxy)はシャッター音がえげつなく大きいため、周りの迷惑を気にしないといけなく・・・どうしても好きな物、かレアなものだけに限定して撮影させていただきました。
からの、いくつかを・・・
『野々村仁清 常陸帯 茶入』
茶箱仕組みに含まれてました。これは今回見れてよかったです。
何故ならば・・・今月より展開の『うつしもの、うつくしきもの。』に登場する茶入との共通点を非常に感じさせるものだからです。
同時代の通じる仕上げ方、というものがあるのです。
『瀬戸黒茶碗 銘 宗潮黒』
関東などの大きな桃山陶の展観では、おおぶりのワイルドな瀬戸黒が多いのですが、こちらは極めて上品な小ぶりサイズ。
上がりもフォルムも好みなのです。
『御本玄悦茶碗 銘 筧』
名前の由来となる舟橋玄悦、が茶碗の製作にどう関係したかは、今では不明のままですがこれまでの分類として玄悦茶碗です。
こちらも、小ぶりで端正なのです。
高台内はしっかり玄悦です。
『祥瑞山水花鳥文 州浜形茶碗』
滴水の祥瑞もグッときますが、此方もスッキリしていて良いですね。後世の写しはこの感じを倣っている感じです。
『野々村仁清 色絵忍草文茶碗』
大阪の豪商、加嶋屋旧蔵です。 うちにゆかりの・・例の長次郎茶碗と同じところです。(^^;
忍草紋様の描き方が素晴らしくモダンです。特に反対側が秀逸でした。
他にも色々あるのですが、周りが気になって・・・
会期、まだまだございますので是非足を運んでみてください~
そして、本日・・・NHKホールに用事がありましたので、時間調整に『大阪歴史博物館』へ。
たまには、通常展示をゆっくり見てみるか~位のつもりでしたが、『あれ、今展示してますよ』との学芸員様のひとこと。
昔にお納めしました作品がタイミングよく展示されておりました☆
『大原貫学 青貝中央卓』
大阪のアルチザン、螺鈿師の名品です。
名前は知られども、特に紹介されることがなく・・・歴博の『大阪職人図鑑』展のときに逸品を2点展示されることで表舞台に出ました。
過去に、大阪美術倶楽部で『貫学式』なんとか・・という展観があったという噂がありますが、戦前のことで不明なのです。
その傍には、『藪明山』も数点。
大阪薩摩として、超絶技巧として、海外にも人気のブランドですが、遺族の寄贈もあって歴博が一大コレクションと研究が隋一として進んでおります。
拡大するとこんなに緻密なのです。
さて、新入荷は、6日以降になりますが・・・10月に突入して、東美アートフェアの準備に没頭しないといけません。
美術運送トラック便利用の都合上・・・準備完了のタイムリミットは5日なのです。
昨年に続き、自身で設計しました・・・ベースでも使用している3ステージ式入れ子陳列台を運んで、使用するのでシミュレーションをしております。
並べる、だけなら簡単なのです。
その先にあるモノゴトを意識すると、途端に難しくなるのです。。。
【2023年10月のスケジュール】
2 ベース
3 ベース ※東美アートフェア準備期間
4 ベース ※東美アートフェア準備期間
5 ベース
6 オークション (大阪南美術会館)
7 オークション大会 (大阪美術倶楽部)
11~15 東京出張
13・14・15 『東美アートフェア2023』 (東京美術倶楽部)
17 ベース 午後~ 予約有 ×
18 ベース 午後~
19 オークション (大阪美術倶楽部)
20 オークション大会(名古屋美術倶楽部)
21 オークション (京都美術倶楽部)
24 ベース × 外販
25 ベース ×
26 ベース × <搬出>
27~30 京都出張
28・29・30 『銘品展 京華』 (京都美術倶楽部)
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【Journal of FUJII KOUNDO】
当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
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大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。
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