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【楽 長入 交趾写大獅子 香合】 [楽]

私の密かなマイブーム?となっております、『香合』

ちいさな愉しみ、として造形物でもあり・・・性格的にもすごく好きなアイテムです。

晩年は、寅さんのトランクに香合だけ詰め込んで全国回りたい。。。などという妄想もあります。


本題へ参りましょう。(^-^;


型物香合というものは、中国の景徳鎮や漳州窯において、型を用い作られた小さな蓋物です。

元は茶道具とは限りません。蓋物、として生まれたものを茶人により見立て道具としてのものとしてスタートし、写され続ける中で定番化したものもあります。

なので、現代でいうと炉?風炉?という逆転現象のアイテムも存在しますが、そんなことはモノの本質とは関係ありません!

愉しんだ方の勝ち、だと思うのです。

などということが盛り上がった、安政2年(1855)に「形物香合相撲」の番付表が発表されました。
 
これは江戸・名古屋・京都・大阪・金沢の茶道具屋と数奇者さまたちによって作られたと伝えられ、名物香合の格付け一覧として、230点もの香合が掲載されています。

香合コレクションでは、当ブログでもちょくちょくご紹介しております、クレマンソーコレクションが有名ですね。

さて、本日ご紹介の香合は・・・なかなかのレア作品です。



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【楽 長入 交趾写大獅子 香合】


幅  8.5㎝×6.5㎝  

高さ 6.8㎝

時代 宝暦12(1762)~明和7(1770)年頃


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長入は楽の歴代の中でも彫塑的な才に秀でていると伝わり、香合や置物に特に優品があります。


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この、楽家の緑釉の良さ!


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長入は正徳4(1714)年生~明和7(1770)年没です。


長入が左入の長男として生まれ、享保13年(1728)七代吉左衞門を襲名。宝暦12年(1762)剃髪隠居して長入と号しました。


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これは、「大獅子」です。小獅子、中獅子に対して数は少ないものです。

番付では、「東一段目 前頭十段目」に配置されてます。


炭点前をするには大きすぎますが、飾り物としては見応え充分です☆


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内側に印があります。


身、と蓋に『△』が印が入ってます。

これは合わせる向きを示しているものです。珍しいですが楽焼であるが故にピッタリと作れませんので、意匠が分かりにくい場合には有用ですね。



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共箱です。



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やはり、このアングルからの造形と釉調がたまりませんね。


状態も良く、伝世しております。



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Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》


TEL 090-8578-5732

MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp

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東美アートモール出品 ~ 楽吉左衛門(7代)長入 青焼 菓子鉢 ~ [楽]

東美アートモールに出品展示する厳選作品よりご紹介致します。


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江戸時代も中期頃になりますと・・・利休より始まった千家茶道も、表千家・裏千家・武者小路千家と3つに分かれ、それぞれが制度化された家元として確立の上、非常に世の中で繁栄いたします。

江戸幕府も安定期であり、世の中も落ち着いたいたことがバックボーンにあったのでしょう、町人階級にも茶道が大いに広がりました。

そういう時代・・・・

楽家の七代目となった長入、は活動的であった六代目左入が1739年(元文4)に55歳で亡くなると、15歳で家督を継ぎました。

以降、長きに渡って作陶を行うのですが・・・その晩年にあたる時期の作品をご紹介致します。


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七代 楽吉左衛門 長入 青焼 菓子鉢


1762年~1770年頃


幅 26.0㎝  高さ9.5㎝


共箱



古来、日本で色として表現されていた言葉は・・・白、黒、赤、青の4つのみであったと伝わります。


なので、他の色もこの4つの内に分類して称していたようです。

万葉集では、緑のことを”あを”と記しております。

平安時代末期から鎌倉時代辺りでは緑と青が分けるようになったようですが、青りんご・青虫などと緑のことを青と称することは自然でありました。


楽家においても、緑釉のことを青釉と称し(青楽とも)、ノンコウ以来・・・緑色の作品が作られ始め、宗入時代にはいい発色の緑色となっております。


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菓子鉢として作られたこの作品は、楽焼としては大型の部類に入るサイズで、故に青色が鮮やかに広がります。

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制度として整った茶道において、小間よりも広くもてなすこともある為、菓子器として菓子鉢に近いサイズで3~5つ盛れるように作られてます。


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長入は、形式化した作品が多いといわれますが、なかなかのモダンデザインです。

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厚みもあり、重量のバランスもさることながら・・・作品のサイズとして見た目よりも重くなく、また厳かさを失わない軽さであり、この辺りは磁器ではない陶器作品としてこのサイズで実現するには楽焼であることのメリットが存分に発揮されてるといえましょう。

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印付き、も良くはっきりしてます。


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共箱


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長入

1714年(正徳4)左入の長男として生まれる。

1728年(享和13)七代目を襲名。

1762年(宝暦12)剃髪隠居し、長入と号す。

1770年(明和7年) 57歳で没


長入の作風はたっぷりとした大降りでやや厚めで豊かな手取り感のあるのが特徴です。

江戸中期の安定した社会風潮の中、長入のおおらかで良き人柄が作品に反映されております。

黒楽は光沢の強い漆黒のものが多く、赤楽は白みの強い薄赤色から赤みの強い色まで多種である。また、長入の特徴として香合、置物といった脇の道具も多数制作していることが挙げられる。



※ この度、良い盛り付け写真が撮れましたので、加筆の上再紹介させていただきました。

※ご成約済みです。

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【楽 旦入 志野写 皿(向付)】 5客組 [楽]



室町時代、茶の湯の中心であったのは将軍家です。

故に珍重される高価な”唐物”を中心とした道具での茶の湯でありました。



しかし、桃山時代に入り・・・利休による茶道の体系化、そして信長や秀吉による武人による茶の湯、さらには町衆への広がるを見せる中、圧倒的にお道具が不足する事態となりました。

そこで、”国焼”とよばれる”和物”茶陶が生まれることとなるのです。



なかでも、今では”国焼”のうちに含まれますが・・・当時は”国焼”とは呼ぶことを許されなかったのが瀬戸焼です。

瀬戸は、本窯とよばれ和物の中でも中心の位置づけでありました。


そして過去は瀬戸という分類に含まれておりました”美濃焼”もまたしかり。

国焼の一躍エースとなるのです。



しかし、それらは桃山期~江戸初期という期間のみであり、以降は途絶えたといっても過言ではありません。

手に入りにくい唐物から和物へ移行したのに、またしても手に入れにくくなるという状況になったのです。


江戸後期になると、そういったやきもののもつ魅力を求める声に応えるべく・・・楽家でも美濃焼の写しを製作しております。


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【楽 旦入 志野写 皿(向付)】 5客組


幅  16.3㎝×12.5㎝ (各客)

高さ 3.8㎝ (各客)

時代 文化8年(1811)~弘化2年(1845)頃




なかなか、目にすることのない楽の器です。

楽家では有名な手として認知されているようで、後世に寄せ向付としての作品の中に含まれたりもしておりますが、過去の楽焼の器の展観では紹介されておらず、また・・他の代でも作られていないことからも希少さがうかがえます。



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5客、状態も良く現存しております。



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共箱です。

では、各客の詳細画像をご覧くださいませ☆




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楽家でも初期から存在する、香炉釉の技法を使い、そこに赤楽の釉薬を使って絵付けをすることで疑似的に志野焼風の意匠を再現しているようです。

そこには、”写し”とはまた違ったリ・イマジネーションを感じます。

形状もやさしさと造形のダイナミックさが混在し、盛り付け面の広さや、重ねやすさといった使いやすさも非常に考えられております。


作品自体の、雰囲気は写真よりも実物の方がはるかに風合いがよく、時代を超えた取り合わせにも対応する逸品作と思います。

なかなかも珍品であることと、状態の良さから値は少し張ってしまいましたが、久々に扱いたくなった楽の器です☆


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楽 旦入


江戸後期の茶碗師。楽家十代。九代了入の次男。

幼名は市三郎・惣治郎、名は吉左衛門、別号に秀人がある。

了入に師事し、文化8年(1811)17才で家督を継ぎ襲名した。千宗旦から一字を贈られ、旦入と号する。

箆使いの名手と言われた。

嘉永7年(1854)歿、60才。



※売却済みです。
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