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【赤膚焼 ミルクピッチャー】 [食の器]

ちょっと、変わり種、のご紹介です☆


奈良の『赤膚焼』といえば・・・『遠州七窯』のひとつとして小堀遠州に認められた古窯です。

遠州が指導した、あるいは切型を送り、自身の美意識に適う『やきもの』を製作させた、と伝わります。



静岡 『志戸呂焼』

滋賀 『膳所焼』

京都 『朝日焼』

大坂 『古曽部焼』

奈良 『赤膚焼』

福岡 『上野焼』『高取焼』



たしかに、いずれも・・地味な釉調ながら、『凛』とした空気感を醸し出す、上品なやきものが多いです。


しかし、この七窯には、”七”不思議ならぬ、”二”不思議があります。


『赤膚焼』と『古曽部焼』について、です。


いずれも、遠州没後かなり経ってから開窯したもので、つじつまが合わないのです。


どうやら幕末の美術商であった『田内梅軒』が安政元年(1854)に刊行した『陶器考』という書物に記されたことが、元になってるという・・・特に根拠の無いものだったのです。(^^;


実際に遠州とのやりとり、が遺されているのは『膳所焼』と『高取焼』のみであったようです。


しかし、ある意味・・・一定の美意識での選定であったのは認められるところでもあり、現代へと知れ渡っているのです。



さて、そこで『赤膚焼』です。

18世紀に藩窯としてスタートし、途中の中断を挟んで・・・幕末期の『奥田木白』の登場により、茶陶窯として人気が高まったようです。


『萩釉』というクリーム色の醸し出す柔らかな雰囲気が一番特徴的です。


今回、ご紹介致しますのは、その釉薬の良さが小品の中に発揮された作品です。



赤膚焼 ミルクピッチャー (2)-1.JPG



【赤膚焼 ミルクピッチャー】



幅  3.6cm (各)

高さ 4.2cm (各)


製作年代 大正~昭和初期頃


箱無 〈5客組 × 3セットございます〉



赤膚焼 ミルクピッチャー (3)-1.JPG



赤膚焼 ミルクピッチャー (4)-1.JPG






いわゆる、『海軍型』といわれる形状のミルクピッチャーです。

台形で、底が安定することによりこぼれにくいことから採用されたとか。


赤膚焼 ミルクピッチャー (5)-1.JPG


なかなか、の可愛さなのです。


赤膚焼 ミルクピッチャー (6)-1.JPG


近代の、量産窯モノとは造り、が違います。

たっぷり、釉薬もかかり・・・きちんと発色しております。


赤膚焼 ミルクピッチャー (7)-1.JPG


赤膚焼 ミルクピッチャー (8)-1.JPG


ドレッシングや、ソース・シロップなどを各人にお出しするのは、このご時世では大き目のものを取り回しするより、個々への提供が推奨されるご時世です。

そういう用にも適います。


おそらく、大正~昭和初期頃の時代背景から、諸外国との戦争が広がる中、貴重な資材としての『金属製』で無い、やきものへの求めがあったことと推測されます。


しかし、時代の流れとは不思議なもので。。。平和で豊かになった現代、このようなものがやきもので、お洒落なアイテムとして製作されたりすることが増えてきて、逆にモダンなモノとして活きてくるのです。



赤膚焼 ミルクピッチャー (1)-1.JPG



いつも、ご紹介致しますラインナップとは少し異なりますので、今商品は価格提示を致しました。


① 5客組  ¥15000(税込・送料込)

② 5客組  ¥15000(税込・送料込)

③ 5客組  ¥15000(税込・送料込)




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       藤井香雲堂
 

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【永楽妙全 紫薬菊葉皿 小】 10客 惺斎好み 箱 [食の器]

今月は、なかなかブログを書く時間が無くて・・・更新が少なく、申し訳ございません。


「秋」は、業者間の道具の動きが多く・・・オークションも大会続きなのです。

さらに展示会に挟まれますもので。。。


でも、ピリリと粒揃いが入ることも多いのも、「秋」なのです。


少しづつ、ご紹介して参ります☆


まずは、食器です。



妙全菊葉皿 小 リサイズ (8).jpg


【永楽妙全 紫薬菊葉皿 小】 


 10客 

 惺斎好み 箱


 幅 13.6cm×9.4cm 高さ 4.0cm


 製作年代 大正2(1912)~3(1913)年頃



これ、は永楽の有名な懐石の器の中でも希少なものになります。


了全から製作されてきた、紫交趾釉による懐石の向付のひとつが、「菊の葉形」です。


了全と保全が、紀州偕楽園焼へ招聘されて参加したことにより、この紫交趾が生まれたといわれます。


その後、⇒ 保全 ⇒ 妙全 ⇒ 即全 での製作例がありますが、サイズは「大」か「小皿(醤油皿)」なのです。


クローズアップしてみましょう。


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妙全菊葉皿 小 リサイズ (4).jpg


妙全菊葉皿 小 リサイズ (5).jpg



妙全菊葉皿 小 リサイズ (10).jpg


正確には・・・「中」のサイズとなります。


これは、表千家「惺斎宗匠」の好みものとして、リアレンジされたサイズであり、大正2年に10組限定で作られたのです。


『看雲』(惺斎好み物集)にも掲載されております。

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向付だけに限定せず、使えるようにしたもので、もちろん向付としても使えるようになっております。

利休形の折敷にて、椀を二つ置いた際に詰めすぎた印象にならない見た目の演出上での寸法というのもあったのでしょう。


なにより、このデザインと凛、とした造形がこのサイズだとさらに引き締まるように感じます。




妙全菊葉皿 小 リサイズ (6).jpg



妙全菊葉皿 小 リサイズ (9).jpg



造形的であり、また単色の落ち着いた紫交趾であることが、お造りなどのお料理の格調を高めてくれます。


種類を盛らずとも、1種にて山なりに格好よく。


妙全菊葉皿 小 リサイズ (1).jpg


妙全菊葉皿 小 リサイズ (2).jpg


これは、箱書きから大正2~3年頃であることがうかがえますので、最初の10個に次いで同年、もしくは翌年に追加で製作依頼されたものと思われます。



妙全菊葉皿 小 リサイズ (5).jpg


これ・・・は、なかなかない希少な「うつわ」なのです☆




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【奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩皿】 10枚 [食の器]

最近は、こだわりモノでしか「食の器」をご紹介しておりませんので点数がしぼられてしまい、楽しみにしていただいてる皆様にはご迷惑をおかけしております。


さて、どうしても京焼が多い・・・当店の「食の器」ですが、出ました出ました。


遠州七窯のひとつ、「赤膚焼」の中興の祖として知られる・・・・「奥田木白」作品です☆



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【奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩皿】 10枚


幅  10.7cm×9.5cm

高さ 2.5cm


状態 数客に微小ホツ有

共箱 



赤膚焼は、、天正時代(1573~1592年)に常滑焼の陶工である与九郎を招聘したとか、正保時代(1644~1648年)に野々村仁清が開窯に関与したとか・・・所説伝わり、遠州七窯のひとつとして数えられております。

しかし、僅かな期間で中断となり・・・時は江戸初期から江戸後期へと飛びます。



それが、赤膚焼の中興の祖と称される名工、「奥田木白」です。



「諸国模物處」(しょこくうつしものどころ)の看板を掲げており、その釉薬精製の技術や造形力の高さから一気に「赤膚焼」の名を広めたのです。


今回ご紹介の作品は、同じ遠州七窯のひとつである、「高取焼」の釉薬を写した作品です。


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その実力に、多方面からの依頼が舞い込んだ制作に応えた奥田木白は様々なアイテムの優品を遺しております。


この作品も、江戸時代末期頃のものですが・・・なんともいえないデザイン感覚です。


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手塩皿なのに、足付きなのです。

その足の作りは美濃の古窯のやきものをイメージさせるものです。


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全体のフォルムはうってかわって、6角形のシャープなデザインです。


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片木目のような波の彫りに、12枚羽の「菊」を2つ散らし「桐」を重ねております。

それが立ち上がりに合わせて絶妙のバランスで配置されているのです。

高取釉の「溜まり」が効果的に折り目の節を強調させ、より造形感を増しています☆


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土もよい土を丁寧に精製している感じです。


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勾玉形の「赤ハタ」印が、各客丁寧に向きをそろえて押されております。


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共箱です。


木白は奈良の郡山藩御用の小間物商である「柏屋」の生まれであり、「柏」の字を分解して「木白」の号を名乗りました。


元が商家ですので、藩の上級藩士や寺院、豪商との交流で美術観の経験が積まれたようです。

幕末期は京焼の名工たちもそうですが、研鑽の眼と予断無く続けた努力により独自の世界を持ちえたのです。。。


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※ご成約済みです。




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【黒唐津 沓 茶碗】   ※追記有 [食の器]

おもしろ、古陶磁シリーズもひとついってみましょう。

こちらも・・・なかなかのレア度です。(^-^;



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【黒唐津 沓 茶碗】


幅 15.5㎝×9.9㎝  高さ 6.8㎝ 高台径 4.8㎝

353.2g


江戸時代





最初の画像から、既にお茶碗では無い体でのご紹介しておりますが・・・

作品単体をじっくりとご覧いただきましょう☆



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黒唐津、です。


古唐津は、創成期から合わせると80ちょっとほどもの窯が存在しました。

その中で、「松浦系」と呼ばれる窯跡群があります。

文禄・慶長の役の後に元々の岸岳系陶工や、新たに連れてこられた朝鮮陶工たちにより、佐賀県伊万里市周辺に開かれたといわれます。

その中の、蛇蝸唐津で有名な「祥古谷窯」(しょうこたにがま)で焼かれたものに、近似しているようです。

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黒織部を意識した釉調と形状のものも見られるようで、この作品はまさに・・・。

しかし、窯内ではじけた陶片により「沓」どころかさらにへっこんでしまいました(笑)


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どかんっと、くにゃっと。


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しかしながら、元がかなり端正な形状であり、さらに釉薬も発色も、なかなかのものなのです。


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細い口からは、「お酒」を注ぎ。

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太い口からは抹茶を戴くことも。

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高台側です。


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私は左利きですので、左手でお酒を注ごうとするとこれ以上ないくらいマッチします。


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ね。


しかし、こぼれないように入れると42CC ほどしか入りません。


いっそ、このうつわで直接呑んでしまってください! (^-^;


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花入としてちょこっと挿してみても乙なものかもしれません。


しかし!

とうとう、見つけてしまいました。。。

抹茶碗として、の愉しむ方法を。


普通に、茶杓ですくい置き、普通の茶筅で点てて、普通に飲むことの出来る、一連の動きを編み出してしまいました・・・・


やはり、生まれ本来の、抹茶茶碗として遊んでいただきたいですっ


※売却済み。

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斉藤快楽 赤絵福之字 片口向付 【10客】 [食の器]

食の器のご紹介です。

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斉藤快楽 赤絵福之字 片口向付 【10客】

幅 9~9.3㎝ (各) 高さ 7.1㎝

大正時代

無傷



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非常に、手練れな造りの赤絵の絵付けと造形です。

迷いのない、業を感じます。

斉藤快楽は、明治期の永楽和全に師事した京焼の陶工です。


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見込み、には”福”の字です。


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高台側も上手いですねぇ。


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この形状は、和全の晩年・・・菊谷焼での懐石道具シリーズにもよく見かける意匠です。

快楽も従事していたので、手慣れたものなのでしょう。


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高さも深すぎませんので、オールシーズンお使い頂けます☆



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お勧め、です☆


※ご成約済みです。

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【永楽正全 青交趾中皿】 10枚組 [食の器]

この、コロナ禍であっても『食』に対する欲求というのは変わりません。

お料理屋様方では、大変なご苦労もなさっておられるようですが・・・それでも皆様方、工夫を凝らしておもてなしをされておられます。

おなじく、『茶の湯』におきましても、かつてない状況に直面しておりますが、こちらも皆様方の工夫により楽しまれているようです。

そんな工夫の中で、脚光をあびつつあるのが、銘々皿です。

取り分け、という形式が敬遠される中でのことですが、それは正座スタイルから椅子スタイルへの現代人の嗜好にも合致するものであり、アフターコロナでも定番化するのは間違いないでしょう。


今回、ご紹介致しますのは・・・・懐石用として、食の器として生まれた中皿ですが、銘々皿としても楽しめそうな作品です。



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【永楽正全 青交趾中皿】 10枚組


幅14㎝  高さ3.5㎝ (各)


1927(昭和2)年~1932(昭和7)年 頃




正全は、永楽14代”得全”の妻であり、のちに”妙全”と号して永楽家の断絶を防いだ”お悠さん”の甥にあたります。

早世した得全のあと、プロデューサー・デザインワークといった面を中心に大正時代の永楽作品を生み出した妙全の、実質的な製作を担っておりました。

妙全の現存作品から推察出来ますように、正全の製作数はかなりの数に及ぶと思われます。

しかしながら、妙全没後・・・正式に代を襲名した”正全”名義の作品は、得全と同じく数は少ないのです。

それは正全としては、襲名後・・わずか5年間しか活躍しないうちに、53歳の若さで亡くなってしまわれたことに起因します。

1927(昭和2)年~1932(昭和7)年のことです。


しかし先述の通り、妙全時代を含むと実質的な製作数は多かったため、その技術力は高かったのです。


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この交趾の作品は、明治期に永楽和全が製作した室町三井家旧蔵作品を写したものです。

(現在 三井記念美術館収蔵)


口縁は八稜の輪花の形状で、中央に”寿”の文字が。

その周りに”雲龍”も浮き文が意匠化されております。


和全作品は中央が”福”ですが、アレンジされております。


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即全以降では、見受けられない古作の交趾風の味わいが出せており、妙全時代の器では綺麗な上がりに終始していた傾向に対して、少数製作時代だからこそ、の作風かもしれません。

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10枚、状態良し、です。 裏面高台まわりの白っぽいのは焼成時に釉薬が解けてしまってる部分です。

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お値段も、ほどほどですのでお料理屋さまにも、お茶人さまにもお愉しみ頂けたらと思います。


※御成約済みです。


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『滝口加全 金襴手 中皿』 10枚 [食の器]

出来栄え、品質の良さに対して・・・・あまり知られてない陶工たち、が居ます。

その中で、永楽家との繋がりも深い、滝口加全のご紹介です。

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『滝口加全 金襴手 中皿』 

10枚組

幅 12.2㎝  高さ 2.8㎝ (各客)


昭和8年(1933年)


慶応年間に、永楽和全が加賀の大聖寺藩に招聘されました。

九谷村の原石を使い、金襴手等の優品を造り、現地へノウハウを継承して京へ帰ります。

その時に和全の窯に従事した大蔵清七が、和全の帰京後に窯を興し・・・そこで14歳から4年間学び、その後清七の紹介で…今度は京都の永楽家に修行に入り・・・10年。

和全が75歳のとき、加州の”加”と永楽家の”全”を授かり・・・”加全”という号を受けました。

”滝口加全”の誕生です。

和全の病気により、得全が家督を継承する際に永楽家を辞し、五条坂に築窯。

”大古軒”と名乗りしたが九谷に帰郷し、現地の陶石を研究・・・満足いく石を発見し、ついに大聖寺での窯にて製作に乗り出すのです。

その上質さから、”錦城焼”と名乗り永楽家の技を世間に伝える為に、自身の製作に励んだのです。

そんな加全が昭和8年に注文制作した食の器のご紹介です。


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色目、作風は大聖寺伊万里ですが、その質は伊万里とは異なり・・・完全に京焼の安定した澄んだ作行です。


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お使い易いサイズで、またこの色目は和洋を問いません。


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未使用のまま、蔵に眠っていたもので新品同様です。

88年前の作品とは思えません!


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今回、10客組が3組も入りました!


※1組 ご成約済み
※1組 売却済み

☆残り、1組となっております☆



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【吉田屋窯 九谷 手塩皿】 10枚 [食の器]

今回ご紹介致します作品は・・・吉田屋窯の手塩皿です。

1824年〜1831年のわずか7年間のみ稼働していた窯で、再興九谷焼の中ではトップの座に君臨するものです。

その中でも、かなり洒落ていてグッとくる小品でしたもので、手に入れることに致しました。

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【吉田屋窯 九谷 手塩皿】 10枚

文政9(1926)年~天保2(1831)年頃



古九谷窯が1710年頃に廃窯してから、約100年後・・・九谷焼の再興を目指して『春日山窯』『若杉窯』『民山窯』などが興されましたが、様々な事情によりいづれも発展せず、陶工も安定することなくクオリティも保つことが出来ないでいました。

そんな中、藩窯としてスタートした春日山窯で青木木米の助手を勤めていた肥前出身の本多貞吉の養子である本多清兵衛やその門人の粟生屋源右衛門は本当の意味での古九谷焼を再興すべく画策しておりましたところ・・・運命の出会いがありました。


加賀大聖寺の豊田伝右衛門(吉田屋)です。


では、作品をご覧いただきましょう。

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幅7.3㎝ 高さ1.5㎝


伝右衛門はかねてより、九谷焼の再興を望んでいた文化人で、そのセンスは素晴らしいものがあったといいます。

そこに、実力を備えた若い陶工たちがちょうど同じ志を元にし、大量生産窯から離れていた時期であったことで奇跡の出会いが叶い・・・

ここに、大聖寺藩認可の『再興九谷焼 吉田屋窯』が誕生するのです。


九谷の逸品の様相を継承しつつも、独自の画風を併せ持った吉田屋窯は、時代の寵児となり・・

ここに『九谷焼』の名は見事に復活を果たすのです。

(そして同時に過去の九谷焼のことを『古九谷焼』と称されることとなるのです)


吉田屋窯は総勢20名を揃える一大窯であり、その中でも轆轤は信楽出身3名 京焼出身2名 加賀1名なのに対して色絵付けの3名・・・粟生屋源右衛門・鍋屋丈助・越中屋幸助はすべて加賀の職人で統一されております。

ここには、吉田屋のこだわりがあると推察されます。

九谷焼の肝となる、絵の具の調合・絵付けの技やセンス・焼成技術の部分は生粋の加賀職人によることでテイストとしても、その意義としても九谷焼再興には外せないファクターであったでありましょう。


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敢えて製作事情的には不利な九谷村で、文政7(1824)年春に復活の狼煙を挙げた九谷焼(吉田屋窯)でしたが・・軌道に乗ったのち、より条件の良い山代の地へ文政9(1926)年に場所を移します。

その頃には大阪や京都にも吉田屋の名声は届いており、様々な求めに対してあらゆるアイテムの優品が届けられるようになります。

文人である頼 山陽(らい さんよう)も高く評しておりました吉田屋九谷焼は、同じ型でも意匠を変え、古九谷焼の意鉢をよく継承しつつも斬新であり、と高評価を欲しいままにしましたが・・・

伝右衛門から5代である息子へ継承された吉田屋窯は、その高コストから吉田屋自身の経営をも圧迫し、後継ぎの6代が高効率化を図るものの・・うまくいかず、天保2年(1831)にわずか7年間の歴史に幕を下ろすことになるのです。

九谷焼の歴史における、中興の祖としての吉田屋の名は今もなお人の心をとらえて離しません。


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小そげ、はありますが概ね状態は良好で、吉田屋窯の手塩皿としては類を見ない優品であります。

古九谷の青手を再現した吉田屋窯の青手「青九谷」を生み出した窯であり、青黒ずんだ素地に落ち着いた絵の具を厚く盛り上げる吉田屋窯様式は、古九谷に対して一層深みを感じさせながらも、絵付けの彩色や発色の良さで艶やかさも兼ね備えるのが特徴です。





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二代 中村道年 青楽舞鶴 皿(向付) 【10客】 [食の器]

楽焼の懐石の器の中で・・・有名なもののひとつが、『鶴菱皿』です。

皿といっても、向付として用います。

本歌は如心斎の好みとされ、伝世品として・・・茶人さまやお料理屋さまでお使いになられているのを見るのは、ほとんどが『9代楽了入』『10代楽旦入』です。

しかし、年月を重ねて伝わっていくうちに・・失われていく個体も増えていくものですから、年々・・・出物としての流通は激減しております。

また、元は5客組として作られている茶事用のお道具でしたが、昨今ではお料理屋さまが10客という用途としてお求めになられるもので、その度合いはさらに加速しておりまして。


そんな中、良いご提案が出来る作品が入りました。


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二代 中村道年 青楽舞鶴 皿(向付) 【10客】

昭和前期頃

幅 15.5㎝×18㎝ 



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見事に、本楽の鶴菱皿を写しております。

二代中村道年

1906 ( 明治39 )~ 1972 ( 昭和47 )

父初代に師事する傍らで吉田紹清宗匠のもとで茶道を修行。

昭和12年に初代没年に2代を襲名。が、同18年に戦時の為一時廃業しこの頃に表千家にて再び茶道を再び学びのち、即中斎宗匠より「八事窯」の名を賜り楽焼を専門として作陶するようになる。

さらに森川如春翁のもとで修業し、昭和40年に東海伝統工芸展にて光悦風黒茶碗「雨雲」を出品し受賞。その後は大徳寺の瑞峯院や知多の弘法寺など、各地によばれて築窯し、茶碗などを作陶した。

また若年より益田鈍翁や民芸陶芸家のバーナードリーチとも親交厚く、その傍ら楽焼の研究に精進し光悦写しではすばらしい茶碗を焼成した。67歳にて没。


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本歌が、香炉釉を中心に使用しているのに対して、厚めの釉薬にしてシミの入り込みを抑えるようにアレンジしております。

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同じく、傷みやすい形状であった本歌より足造りも丈夫に。

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10客揃いです。

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重ねても安定します。

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道年は、江戸時代より名古屋の楽焼本窯として活躍した『豊楽焼』が大正期に廃窯となったあと、名古屋地方の楽焼窯元として人気を博します。

現在では5代目が後を襲名しております。


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あまり類例が見られない作品で、おそらく道年への注文制作品であったと思われます。

状態も良く、お勧めの作品です。



※ご成約済み


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明治の激動期、海外へ挑戦した伝統的京焼 ~【永楽得全 仁清半開扇 絵替向付 10客】 [食の器]

明治4年、先代である和全(12代)より家督を譲られた『永楽家14代 得全』

和全は晩年・・菊谷焼など、侘びの方へと傾倒しておりますが、永楽家の伝統はやはり京焼の美です。

祖父である保全のような名人気質であった得全は、激動の明治期にあって・・・茶陶に固執することなく欧米の博覧会に積極的に参加し、受賞を重ねました。

得全の作品群には、古清水からの伝統の美の中に世相や、海外からの影響も垣間見え、独自の作品性が存在します。

今回、ご紹介するものは、まさにその感性が込められた作品といえましょう。


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【永楽得全 仁清半開扇 絵替向付 10客】


明治時代

サイズ 幅18.8㎝×13.8㎝ 高さ3.3㎝ (各客)



10客、絵替わりですので・・・1客づつ、ご覧いただきましょう。


① 【橘】

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② 【薔薇】

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③ 【万寿菊】

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④ 【桐】

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⑤ 【桜】

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⑥ 【桔梗】

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⑦ 【百合】

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⑧ 【芍薬の牡丹】

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⑨ 【朝顔】

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⑩ 【薔薇】

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仁清のわびときらびやさが同胞した美しさ、そこにモダンな意匠取りを盛り込んでおります。

側面にも、金盛りによる唐草風、極彩色による七宝つなぎ、交趾による緑や水色のアクセント・・これらそれぞれは伝統技術として有名な表現手法ですが、それらを一つの作品へ結集させております。


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無釉の底面に、窯切れが生じている部分もありますが、全客・・後キズは皆無です。

今の作品では決して出せない、色彩・デザイン感覚を是非・・・食の器として愉しんでください☆




共箱 (1客づつ入る棚がしつらえられております)

※ご成約済みです。


TOKUZEN ZENGORO 14

1853(嘉永6)-1909(明治42)

1871襲名



京都博覧会の品評人にも就任し、明治の陶磁器改革にも深く関わった得全ですが、

襲名後、38年・・・57歳で早世してしまいます。


江戸期の感覚と新時代の感性を併せ持った最後の世代の永楽でしたが、得全に20歳で嫁ぎ、家を支えた妻、『悠(ゆう)』が変わって・・・今度は家業を継承し支えることに。

明治の終わりから大正・昭和への3つの時代で永楽家を牽引していくのです。



☆ 各客の図柄名を記載しましたので、再度アップ致しました。なにぶん・・若干ディフォルメがあるので判別間違いがあるかと思います。皆さまからのご指摘、お待ちしております!


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