【三代 清水六兵衛 萩写寿文字 大綱和尚筆八十翁】 即中斎 箱 [幕末京焼]
六代 六兵衛さんのご紹介の次は・・・ちょっと、遡りまして。
三代のご紹介でございます!
【三代 清水六兵衛 萩写寿文字 大綱和尚筆八十翁】
幅 11.8cm
高さ 11.1cm
高台径 5.5cm
製作年代 嘉永5(1852)年頃
箱 大綱和尚 箱、即中斎 箱 眼鏡外箱
三代六兵衞は、1820(文政3)年に、二代の次男として生まれました。
1838(天保9)年に18歳で三代を襲名します。
この時、二代六兵衛はまだ、48歳と隠居にはまだ若い年でありましたので、二代・三代は現役状態で両輪を回すことで『六兵衛』家を盛り立てたのです。
初代の後に、若干の中断期を経て二代が再興したのですが、三代が中興の祖と言っても過言ではありません。
嘉永元(1848)年に、五条坂の登窯を買い取ることになり、『清水家』はついに『窯元』となりました。
江戸時代、『窯』は限られた数の決まったものでした存在が許されなかったため、既存の『窯元』で焼成をしてもらうのが大半でありました。
それは、交流と技術伝播の場でもあったので、京焼発展の元となるのですが、やはり『窯元』になることはひとつのステータスであったのです。
嘉永6(1853)年に禁裏御所内に陶製雪見大燈籠を納め、また、彦根藩主・井伊直弼や将軍・徳川慶喜を輩出した一橋家、京都所司代など、諸家の注文を受けました。
元治2(1865)年、天皇の行幸の天皇の鳳輦をかつぐ駕輿丁にも任じられるなどの栄誉にも預かります。
幕末から、明治維新にかけて・・・ 文人、画家との交流が深くし、文人趣味に適した煎茶器を製作しましたが、他方では・・新しい時代に即した新様式の作品にも積極的に取り組みます。
これは、後代にも受け継がれる六兵衛家の家風でもあり、三代の時に『六兵衛様式』が整ったのです。
明治6(1873)年、『京都府勧業御用掛』となり,染付の洋食器を造り,伊羅保や織部釉のタイルなども製造。
明治8年『第4回京都博覧会』で新設された制度の審査員となり,あわせて銅牌も受賞。
明治11年のパリ万国博覧会と明治12年のシドニー万国博覧会では銅牌を,16年にはアムステルダム万国博覧会で銀牌を受賞します。
まさに、時代と共に発展していったのです。
さて、時代を少し戻しましょう。
時は、嘉永5(1852)年頃。
大徳寺の435世である、『大綱和尚』の「80歳」の記念に製作されたのが、この作品です。
側面に、大綱和尚の筆による『八十翁 (花押)』と描かれております。
内側にも、大綱和尚にゆる『寿』の字が。
優しい、色調とフォルムです。
樂長入を思わせるような赤色ですが、薄い鼠色のような感じもまじりあってます。
側面に少し、「窪み」をつけております。
これにより、「笑み」というような感じとなり・・・元気な老僧がにやり、としたようにも感じてしまいます。(^^;
これは、『萩写し』として製作されました。
『萩焼』は、当時・・・茶陶においては民間での需要が増大しており、藩庁は文化12(1815)年と天保3(1832)年の二度にわたって、『松本焼』の「濃茶々碗」に紛らわしい茶碗の製造と御用窯以外での『大道土』使用の禁令を出しています。
それは、萩焼の粗製乱造による混乱と、藩窯としての厳しい統制という締め付けという歴史の中、良い萩焼が手に入りにくい世相でもありました。
また、幕末期は『萩焼』の写しのニーズも高く、『赤膚焼』での『木白』や尾張でも『萩写』の作品が多く見られます。
もちろん、京焼でもしかり。
それらは、『写し』というより『テイスト』を持ち込んでそれぞれの諸窯での製作による『別のモノ』
として生まれ、伝世することになるのです。
この作品も、むしろ云われないと、萩焼の写しといは分かりません。
胴締めの形状、大きく貫入の入った景色位です。
しかし、高台側を見てみましょう。
この、割高台の形状や、土の感じ。
所謂、六兵衛っぽさはその作行きのベースではしっかり見られるものの、作品としては大変珍しいものです。
『大綱宗彦』(だいこうそうげん)安永1(1772)年~万延元(1860)年
大徳寺435世であり、大徳寺塔頭黄梅院第14世住職でした。
6歳で黄梅院に入り、大徳寺409世で梅院第13世住職である融谷宗通に師事し、文政3(1820)年に大徳寺435世に就任しました。
和歌や茶の湯に深く親しみ、裏千家11代『玄々斎』、表千家10代『吸江斎』、武者小路千家7代『以心斎』と交流しました。
公家等にも広く交友があり、当時の文化サロンの主のような存在であった節が在ります。
喝喰として自身が面倒を見ていた後の『永樂保全』の才能を見抜き、了全に養子にするように段取りしたことも有名です。
そんな、大綱和尚ですが、没時88歳と当時としては長命であり・・・まだ人生の途中であった『80歳』の祝いとして製作されたのが、このお茶碗です。
『清水六兵衛 萩寫 寿之字 拙筆 八十翁 大綱』
別箱として、即中斎の箱書きも添います。
このような、仕覆も大切に誂えられております。
眼鏡箱の外箱になります。
京焼の珍しいものとしても、また国焼のコレクションとしても、そして・・千家道具の組み合わせとしても愉しめる作品となっております。
造り手の技により、薄い造りや凝った造形に、適度な重量感が下部の方に配置することで樂茶碗とはまた異なる、風格として『主茶碗』としてお使いいただきたく思います!
※御成約済みです。
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高さ 11.1cm
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製作年代 嘉永5(1852)年頃
箱 大綱和尚 箱、即中斎 箱 眼鏡外箱
三代六兵衞は、1820(文政3)年に、二代の次男として生まれました。
1838(天保9)年に18歳で三代を襲名します。
この時、二代六兵衛はまだ、48歳と隠居にはまだ若い年でありましたので、二代・三代は現役状態で両輪を回すことで『六兵衛』家を盛り立てたのです。
初代の後に、若干の中断期を経て二代が再興したのですが、三代が中興の祖と言っても過言ではありません。
嘉永元(1848)年に、五条坂の登窯を買い取ることになり、『清水家』はついに『窯元』となりました。
江戸時代、『窯』は限られた数の決まったものでした存在が許されなかったため、既存の『窯元』で焼成をしてもらうのが大半でありました。
それは、交流と技術伝播の場でもあったので、京焼発展の元となるのですが、やはり『窯元』になることはひとつのステータスであったのです。
嘉永6(1853)年に禁裏御所内に陶製雪見大燈籠を納め、また、彦根藩主・井伊直弼や将軍・徳川慶喜を輩出した一橋家、京都所司代など、諸家の注文を受けました。
元治2(1865)年、天皇の行幸の天皇の鳳輦をかつぐ駕輿丁にも任じられるなどの栄誉にも預かります。
幕末から、明治維新にかけて・・・ 文人、画家との交流が深くし、文人趣味に適した煎茶器を製作しましたが、他方では・・新しい時代に即した新様式の作品にも積極的に取り組みます。
これは、後代にも受け継がれる六兵衛家の家風でもあり、三代の時に『六兵衛様式』が整ったのです。
明治6(1873)年、『京都府勧業御用掛』となり,染付の洋食器を造り,伊羅保や織部釉のタイルなども製造。
明治8年『第4回京都博覧会』で新設された制度の審査員となり,あわせて銅牌も受賞。
明治11年のパリ万国博覧会と明治12年のシドニー万国博覧会では銅牌を,16年にはアムステルダム万国博覧会で銀牌を受賞します。
まさに、時代と共に発展していったのです。
さて、時代を少し戻しましょう。
時は、嘉永5(1852)年頃。
大徳寺の435世である、『大綱和尚』の「80歳」の記念に製作されたのが、この作品です。
側面に、大綱和尚の筆による『八十翁 (花押)』と描かれております。
内側にも、大綱和尚にゆる『寿』の字が。
優しい、色調とフォルムです。
樂長入を思わせるような赤色ですが、薄い鼠色のような感じもまじりあってます。
側面に少し、「窪み」をつけております。
これにより、「笑み」というような感じとなり・・・元気な老僧がにやり、としたようにも感じてしまいます。(^^;
これは、『萩写し』として製作されました。
『萩焼』は、当時・・・茶陶においては民間での需要が増大しており、藩庁は文化12(1815)年と天保3(1832)年の二度にわたって、『松本焼』の「濃茶々碗」に紛らわしい茶碗の製造と御用窯以外での『大道土』使用の禁令を出しています。
それは、萩焼の粗製乱造による混乱と、藩窯としての厳しい統制という締め付けという歴史の中、良い萩焼が手に入りにくい世相でもありました。
また、幕末期は『萩焼』の写しのニーズも高く、『赤膚焼』での『木白』や尾張でも『萩写』の作品が多く見られます。
もちろん、京焼でもしかり。
それらは、『写し』というより『テイスト』を持ち込んでそれぞれの諸窯での製作による『別のモノ』
として生まれ、伝世することになるのです。
この作品も、むしろ云われないと、萩焼の写しといは分かりません。
胴締めの形状、大きく貫入の入った景色位です。
しかし、高台側を見てみましょう。
この、割高台の形状や、土の感じ。
所謂、六兵衛っぽさはその作行きのベースではしっかり見られるものの、作品としては大変珍しいものです。
『大綱宗彦』(だいこうそうげん)安永1(1772)年~万延元(1860)年
大徳寺435世であり、大徳寺塔頭黄梅院第14世住職でした。
6歳で黄梅院に入り、大徳寺409世で梅院第13世住職である融谷宗通に師事し、文政3(1820)年に大徳寺435世に就任しました。
和歌や茶の湯に深く親しみ、裏千家11代『玄々斎』、表千家10代『吸江斎』、武者小路千家7代『以心斎』と交流しました。
公家等にも広く交友があり、当時の文化サロンの主のような存在であった節が在ります。
喝喰として自身が面倒を見ていた後の『永樂保全』の才能を見抜き、了全に養子にするように段取りしたことも有名です。
そんな、大綱和尚ですが、没時88歳と当時としては長命であり・・・まだ人生の途中であった『80歳』の祝いとして製作されたのが、このお茶碗です。
『清水六兵衛 萩寫 寿之字 拙筆 八十翁 大綱』
別箱として、即中斎の箱書きも添います。
このような、仕覆も大切に誂えられております。
眼鏡箱の外箱になります。
京焼の珍しいものとしても、また国焼のコレクションとしても、そして・・千家道具の組み合わせとしても愉しめる作品となっております。
造り手の技により、薄い造りや凝った造形に、適度な重量感が下部の方に配置することで樂茶碗とはまた異なる、風格として『主茶碗』としてお使いいただきたく思います!
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2024-02-14 14:37
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