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【音丸耕堂 堆漆四葉文 香合】 [近代工芸]

伝統工芸から近代美術へ・・・。

古より受け継がれる技術を、きちんと継承しつつ新時代への感性を取り入れ、変化すること。

なかなか出来るようで難しいものです。


明治から平成へと4つの時代をまたにかけ、それを実現した名工の作品です。


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【音丸耕堂 堆漆四葉文 香合】


幅    5.8cm

高さ   3.8cm

製作年代 昭和時代 後期

箱    共箱


明治31(1898)年、6月15日、香川県高松市に生まれた音丸耕堂は小学校を卒業後・・・はや、13歳で『石井磬堂』に讃岐彫りの修行に入りました。


『石井磬堂』は、当ブログでもたまに登場致しますが、明治期讃岐漆工芸のサロンであった『百花園』の職長格であった名工です。

4年間の修行のあとで独立したあとも、独学で彫漆を学び続けました。

その根本にあったのは、讃岐漆芸王国の王様というべき伝説の『玉楮象谷』の存在であり、高次元の漆芸技術を目指していました。

大正期から昭和10年頃までは旧来の讃岐漆芸の代表的作風である、『堆朱』『堆黒』『紅花緑葉』といった彫漆作品を製作し、徐々に西洋的な色彩へと移っていきます。

中国的な作風からの脱却です。

昭和30年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されました。

昭和50年代には色漆を数十回~数百回もの途方もない工程で塗り重ねた厚い漆の層に文様を彫り込む彫漆の技法を完成、昭和52年頃より色彩の断層面を表に出した平行縞模様を用い、伝統的工芸技術による斬新な作風を打ちだしてモダンな作品を生み出しました。


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この作品も、重厚な漆の層を多数重ねております。


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この層は、年月を重ねて堆石していった地面を表すようであり・・・。


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『四つ葉』の紋様が『甲』にあしらわれております。


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四つ葉といえば、四つ葉のクローバーです。

まったく、『緑』を使わず四つ葉を意匠化しております。

『幾何学模様』とも思えたデザインが・・実は『葉脈』とリンクされております。


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本体とは別に・・・椎漆による薄く『縦に』形成したものを50層程のパーツ4枚と100層程のパーツ2枚を配置し上下と左右をシンメトリーにしております。

ベースの白漆の紋様は自然の『木目』のように同系色をグラデーション的に堆漆で表現しています。


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内側は、まるで恒星のような美しさでありますが・・・『身』の方は大きくブルーが、まるで木の幹の根本から吸いあがる『水』の源のようでもあり・・・

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『蓋』の裏側はこのように輪状となっており、四つ葉へと広がるようにも。

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内側も美しく多層の漆が見えます。

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底部には銘が入ります。

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2重箱です。

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共箱(甲)

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共箱(裏)


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御仕舞用の仕覆も添います。


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過去に放送された、なんでも鑑定団によりますと・・・クイーンのフレディ・マーキュリーも音丸耕堂の作品を好んだとか。。

ちょうど、先週にボヘミアンラプソディーが地上波で放送されてましたね☆

フレディは、初来日の際に『茶会』でもてなされた時から日本の美の虜になったそうで、以降も来日の旅に多数の美術品を蒐集していたようです。

美術館にも足を運んでいたそうです。

クイーンが親日であったというのは有名なお話です。


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この作品は、不変の植物の生命力、を永年守られてきた・・・伝統芸術の技を使い、そして現代から未来へと向かうデザインとして表現しているの感じます。

そして、それは決して造形の飾り物としてだけでなく、茶席での彩りとしても有用な造りを外さないままで実現してことも特筆すべきところです。


平成9年・・・9月8日の午前9時8分。

デザイン力に満ちた技を持った音丸耕堂が没したその時の刻み方もまた、デザイン的なように思えるのです。




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【Journal of FUJII KOUNDO】


当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。

インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!


お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。


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090-8578-5732 (直通)



【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内


当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。

当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。

大変ちいさなギャラリーですので、コロナ禍で有りますことと、おひとりおひとりと、きちんとご対応したいのでアポイントメント制となっております。何卒ご理解の程宜しくお願い申し上げます。



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【西村道也 四方燗鍋 古染付蓋添】 [茶道具]

懐石道具の中で密かに好きな『アイテム』が有ります。

それが・・・『燗鍋』です。

大きさ、が程よく・・・時代物では、様々な形状や意匠のバリエーション、蓋の合わせ方で変わる見え方等・・・面白いんですね。

なので、ちょこちょこと扱っております。

今回の作品はなかなかカッコいいですよ!



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【西村道也 四方燗鍋 古染付蓋添】


幅     17 x 11.9cm

高さ    13.5cm

製作年代  享保年間

箱     大西浄長極め




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シャープな四方形ですが、よく見ると・・堅い感じが致しません。

絶妙なフォルムで丸みや反り、を加えることでやさしさとカッコ良さを両立させております。

各部を見てまいりましょう。


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上から


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『手』は木瓜形です。 手取り釜や釣り釜の弦に見られる形状です。

側面をアップしましょう。

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『桐』の地紋が浮き上がって意匠となっております。


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蓋は『古染付』です。

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州浜形のもので、これを中心として燗鍋作品が製作されております。


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蓋裏


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内側の状態も良い方です。


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底部です。

三つ足となってます。


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大西家の13代目、『大西浄長』による極め箱です。記されたのは昭和4(1929)年であることが判ります。


西村道也は、京都の釜師である西村家の三代目です。

千家出入りの釜師で,徳川吉宗時代・・・・表流の6代,原叟(覚々斎)時代に活躍しました。

通称は弥市郎、のちに『弥三右衛門』名を『孝知』といいました。

さらに、『道弥』⇒『道冶』と号が変遷します。

代表作 『鳳凰風炉』『百佗釜』『少庵巴釜』など。

元禄13(1700)年に『釜師之由緒』に茶道の釜師についての様々なことまとめた本を著したことでも知られます。


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道也の作風といわれる・・京風の上品、で穏健という雰囲気がこの作品にも如実に出ています。

大きさの大きすぎず、小さすぎずというこころも絶妙なのです。





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【眞葛長造 模仁清 三つ葉蓋置】 [幕末京焼]

当店では『茶道具』、ではなく『茶道美術』・・・を意識した仕事を心がけており生業としております。

それは、お客様と同じコレクター目線で心の琴線に触れるかどうか?というのが最重要ポイントということになります。

そういうものは得てして・・・値が張ってしまいますので商いとしては利をあまり頂かないようにしております。

たとえ、単に手元を通り過ぎるだけになってでも・・・『どうしても手にしたい!』『ご紹介したい!』という気持ちが勝ってしまうのです。


前置きが長くなってしまいましたが。(^^;


そういう、作品のご紹介です。



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【眞葛長造 模仁清 三つ葉蓋置】


幅    5.9cm

高さ   4.4cm

製作年代 1830~1850年頃

箱    共箱



蓋置、ですので小さな作品です。

しかし、作行と存在感は大きなものです。


まずは、いつもの撮影にて画像をご覧くださいませ。


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眞葛長造 寛政9(1797)~万延元(1860)年

『長造釉』ともよばれる独自の釉薬は・・・土灰と長石に藁灰を加えたもので、窯による温度変化や、土の鉄分含有量により様々な雰囲気に変化します。


仁清のようなクリーム色から、ブルーがかった独自のものまで。

どちらにも共通するのは、『銹絵』(鉄絵)を使った絵付けがベースとなる釉薬と溶け合って見事に調和するという点です。

その融合が、独自の雅味を生み出しております。

この作品もまさに、その点では長造の蓋置では最高峰といっても過言では有りません。


また、意匠も独創的ですので・・ここからはちょっと撮影場所を変えて、ご覧いただきます。


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『三つ葉蓋置』といえば、『利休形七種蓋置』で知られる名前です。

大きな三つ葉と小さな三つ葉が、組み合わさったものです。


この作品はそういうものとは全く異なります。

むしろ、浄益であるような『一葉蓋置』に近いです。


しかし・・・『三つの葉』をこうも組合すのか?!という驚きがあるのです。


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アップしてみましょう。


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虫食いの穴まで!


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鉄絵の上から薄いブルーがかった釉薬が包み込んでます。


葉のひねり、も造形されております。


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こちらにも、虫食いが。

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きちんと、押印部分は無釉になっているのです。

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ここに至っては、虫食いからの、葉の折曲がりと重なりまで!

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さすがに、わずかな窯切れは生じます。


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長造 三つ葉蓋置 (2)-1.jpg

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長造 三つ葉蓋置 (4)-1.jpg

共箱です。

大切に伝えられてきた感がございます。



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この形状は、決してリアルに生まれる様子では有りません。

しかし、まるで『吹き寄せる落ち葉の風情』を『動画』のような躍動感をもって・・・このような小さな作品で表現しているのです。

長造が師事し、晩年期を支えた『青木木米』のもつ高貴さ、と文人墨客なものも内包している気が致します。

これは長造ならではのセンスであり、『仁清』から継承される京焼初期からの雅さであり、百花繚乱となりつつあった当時の京焼の発展の証でもあったのです。


※御成約済みです。


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【春斎耕甫 六兵衛焼 自作茶碗】 [幕末京焼]




表千家を支える茶家として、『久田家』が有ります。


家祖となる、『久田実房』(宗栄 生々斎)という武人により始まった家で、いい伝えでは、千利休の妹である『宗円』を妻に持つとされます。

この『宗円』は利休より今に繋がる女点前の元となる『婦人点前』を授けられております。

二代は 宗利 受得斎(本間利兵衛)で、千宗旦の娘クレの夫であり、藤村庸軒の兄です。


その後、『四代 不及斎』の二人いる男子が分家し・・・・


次男 『宗悦 凉滴斎』が、『高倉 久田家』として久田半床庵を継承し、代々表千家と縁の深い茶家として、途中に中絶を挟むも、現代迄続いております。


長男 五代目『宗玄 厚比斎』は両替町へ移り『両替 久田家』を興し、主に東海地方に久田流を広めました。

こちらもまた、表千家との深い繋がりの中発展し、十一代では玄々斎の甥を迎えることになり裏千家との縁者ともなるのです。


少し時を前に戻して・・江戸後期頃の、両替久田家の八代目による手作り茶碗をご紹介致しましょう。



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【春斎耕甫 六兵衛焼 自作茶碗】


幅   11.8cm

高さ  11.5cm

高台径 5.1cm

製作年代 18世紀末(1771~1799年頃)



『春斎耕甫』の珍しいお茶碗です。


『耕甫』は、七代『宗参』の子の『友之助』の早世により両替久田家を継ぐために『筑田家』から『久田家』の養子として入りました。

1788年の『天明の大火』による両替町屋敷の焼失後、知多半島・大野村(常滑)の豪商である浜島伝右衛門氏の援助を受け再建します。

『耕甫』は本宅再建までの数年、浜島家に滞在しながら知多半島に久田流の点前を広めました。

道具数寄であったようで、同時期の茶器の箱書きも遺されているだけでなく、自身の手による・・・掛物、消息文、花入、茶碗、茶杓、薄器、蓋置等といった自作もの、好み物、が伝世しております。

手工に長じていたと伝わるのは、作品からも裏付けられます。


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手慣れた轆轤です。サイズも大きすぎず・・・程よく。


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『時しらぬ ふしの高根の 志ら雪も 閑須ミ尓き由類 春のあけぼの』


伊勢物語や新古今和歌集にある歌を元に自身で詠んだものでしょうか。


《時知らぬ富士の高嶺の白雪も》

季節を問わず雪が積もり覆われる富士山の高い峰も

《霞に消ゆる春の曙》

春の日の出前の霞により消え去ってゆく


『霞』がかることで覆われて消える白雪・・・と、春となり暖かくなることと日の出が差してさすがに冬以外でも雪が積もっている富士の峰も雪解けとなっていくこと、が感じられます。




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上から。


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反対側。


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高台脇に、『耕甫造 (花押)』とあります。

いい土味です。

一か所、畳付きに2.5mm程のホツレが有りますが、かなり古いもので永年に渡って大事にされてきております味わいが付いております。


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この作品は、『清水焼』です。


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高台内には『きよ水』印が押されております。


これは『初代 清水六兵衛』のものです。

春斎耕甫が、初代六兵衛の窯にて焼いたことが解ります。



初代 清水六兵衛 元文3(1738年)~ 寛政11(1799年)

摂津国東五百住村(現・高槻市)生。

幼名は古藤(ことう)栗太郎。寛延年間に京に出て清水焼の『海老屋清兵衛』に師事し、
明和8(1771)年に独立して五条坂の建仁寺町に窯を開き、名を『六兵衛』と改めました。

妙法院宮の御庭焼に黒楽茶碗を供して六目印を受け、天竜寺の桂洲和尚より六角内に清字の印を受ける。土焼風の抹茶器、置物などを製作。号は愚斎。


今では潁川以降、木米からの、保全・長造・仁阿弥といった京焼が中心に語られますが、それより少し前である初代六兵衛の存在は、五条坂系京焼において外せない先駆者であり、重鎮なのです。

そして、その師たる『海老屋清兵衛』は潁川の師でもあり、これこそ清水焼の祖ともいえる巨匠なのですが作品の伝世数の少なさもあり・・・まだまだ研究が進んでおりません。
同じく、弟子である六兵衛も初代に関してはまだまだこれからでしょう。

この『きよ水』印は、『海老屋清兵衛』が使用していた印を『六兵衛』へ授けたと云われております。

それは、正当な継承者であることに他なりません。

江戸前期までの京焼では『茶陶』の名工が存在しましたが、中期は空白ともいえます。

耕甫の時代には、未だ京焼では木米はもちろん、仁阿弥や永楽家ですらまだ時のステージには上がっておりません、六兵衛窯へ赴き作陶したのは自然なことであったことでしょう。


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共箱です。


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《時知らぬ富士の高嶺の白雪も霞に消ゆる春の曙》


変わらないこと、が変化すること、時の移ろい、が込められている気が致します。


それはまるで、これから始まる京焼イノベーションのあけぼの、をも感じさせるのです。




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【志ら玉 柴山 利彌 唐津写茶碗】 [BASE215]

《UPDATE!JFK》


4月からの新学期第1弾は・・・・ひとまず、軽めの商品紹介からお届けいたします☆


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【志ら玉 柴山 利彌 唐津写茶碗】


幅   14.4cm

高さ  5.6cm

高台径 5.4cm

共箱・共裂



名古屋の茶人さんでは、知らない人は居ない・・・老舗料亭の『志ら玉』さん。


茶事教室や、茶事体験も出来る希少な料亭でもあります。

http://www.siratama.jp/jp/index.html



そこのご主人は茶人であり、また作陶家でもあります。

これまた・・なかなかの腕前であり、柿傳ギャラリー様や百貨店等でも個展をされるほど。

中京の茶人さん方で所有される人も多いことから、名古屋の美術倶楽部ではたまに出物がございます。

しかしご縁がこれまでなく・・・今回、かわいくて、味わい深いお茶碗を見つけたので入手したのです!


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やや、こぶりですが・・このような皮鯨は得てして大き目の平茶碗が多い中、手に収まるサイズと点て易い深さがイイのです。

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高台周りもなかなか。


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釉調もよく。


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よい桐に、よい指物師による共箱も好感度が上がる中・・・仕立てられた包み布裂地もかわいいのです。

個展では15万円程のようですが、出物でございますので・・・お値打ちに楽しめます。


UPDATE!JFKな、おススメ第1弾です◎


※ご成約済みです。


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