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【楽山焼 刷毛目 茶碗】 岡田雪台 歌銘箱 [令和5年特集『夏の平茶碗』]

【2023年7月12日追記】


当店では、なかなかの頻度で取り扱っております・・・楽山焼です。


かつては、美術商・茶道界では『権兵衛』もしくは『権兵衛焼』として古楽山を指していたのですが、そのざっくりした分類は、かなり曖昧なところでした。


平成6年に『田部美術館』にて『幻の権兵衛・半六 古楽山茶碗と水指』展が行われた際、茶碗46点・水指19点というかなりの数を集めて研究・展観がされたのですが・・・・

その、作行き・形状等の特徴が一定ではなく、また確定的な『権兵衛作』『半六作』というベンチマークが無いところから、分類が困難なのです。

令和に入って、『出雲文化伝承館』が『出雲の茶陶展』としてかなり数を絞って、『推定』でも『時系列』としたことは、かなり面白いものでありました。


結局のところ、『現在』としての流れとしては・・・・『古楽山焼』『権兵衛』という称し方は、道具屋的には利己的な面がありますが、ナンセンスであり、『楽山焼』とばっさり、あっさり称することから、特徴や伝世も踏まえて、初期・中期などを推測するに尽きる、というところなのです。


ここで、少し整理してみましょう。


松江藩の二代藩主『綱高』が『萩公』へ陶工を所望したとの記録があります。

それにより、三代『綱近』が代を継いだ延宝3(1675)年に、『倉崎権兵衛』が松江へ入り藩に召し抱えられるようになりました。

萩から土も送らせたようです。

元禄7(1694)年に権兵衛が没したあと弟子であった『加田半六』が継承しました。


ここから、少しややこしいので並べてみます。


楽山焼 初代 倉崎権兵衛(~1694年)

    二代 加田半六 (~1709年)

    三代 二代・加田半六 (~1743年)

    四代 三代・加田半六 (~1777年)

・・と続くのですが、この四代目である『三代半六』の際には、あまりの下手さに『御用解除』となってしまったのです。

有名な『松平不昧公』は、宝暦元年(1751)年に生まれ、明和3(1766)年に入国、明和4(1767)年に父である6代の隠居に伴い家督を継ぎます。

ここから、財政難であった松江藩を、一気に立て直す改革を次々を行い・・・藩は貯材を多く蓄えるまでに至るのですが・・・

茶の湯に傾倒していた、不昧公は名器の数々に手を出して・・・再び藩の財政を傾かせたというお話です。

同じく、財政を常に傾かせながらドリフトしている当店としては、共感するところありて。。(^^;

それはさておき。


そこから、布志名焼での中継ぎを経て・・・五代目 初代長岡住右衛 貞政を『楽山窯 御用焼物師』として享和元年(1801)年に、『楽山窯再興』させるに至るのです。


今回、ご紹介致しますのはその頃の作品になります。



楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (6)-1.jpg


【楽山焼 刷毛目 茶碗】


幅   13.4cm

高さ  6.2cm

高台径 4.8cm

重量  181g

製作年代 1801~1827年頃


楽山焼の中でも軽さのあるお茶碗で、造りも上品さを感じるものです。

『端反り』となっておりまして、サイズと併せておそろしく手にフィットするのです。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (7)-1.jpg


『白刷毛』がたっぷりと掛けられており、元の出雲らしい細かやかな轆轤目の上からさらに刷毛目が緻密に展開されます。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (9)-1.jpg

見込みの中心地、銀河の中心のよう。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (8)-1.jpg


正面・反対側です。

こちらも見事な景色が出ております。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (10)-1.jpg


高台側


高台脇の形成もなかなかのミドコロで、肉厚も重すぎず。

楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (11)-1.jpg

楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (12)-1.jpg

竹節高台となっております。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (13)-1.jpg


巴の左轆轤です。 内側は右轆轤であり楽山焼では一番多い組み合わせとなります。




楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (2)-1.jpg


『出雲焼』 『茶碗』


これは、『岡田雪台』の筆になります。

雪台は、江戸で生まれてすぐに不昧公の養子に迎えられました。

寛政11(1799)年のことです。


義父に倣って、茶の湯や和歌に長けていたということです。

楽山焼には不昧公と並び、雪台による箱書きも多数遺されております。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (3)-1.jpg


山の端尓(山の端に)

いつ毛かゝれる(いつもかかれる)

志ら雲の(白雲の)

猶立ち乃本る(夕立上る)

夏能そら可那(夏の空かな)



夏の白雲.jpg


丁度、今頃に良い歌銘ですね。


このお茶碗の白い刷毛目、が白雲がたちのぼるようでもあり、夏の空のようでもあり・・・

不昧公の養子であった、『雪台』は文化12(1815)年、雲州松平家を出て、旗本・岡田善明の養子に入ります。

不昧の実子である『斉恒』が無事成長し、孫も生まれ・・・松平家継承の不安が解消されたためです。

岡田家は 伝・藤原定家の小倉色紙を代々所持する家で、当主も名君であったことから雪台の行先に不昧公が選んだとのことです。

実は、不昧公が側室との間に出来た子が死産であり、そのことで側室である『阿玉』を悲しませない為に・・同じころに生まれた雪台を養子に迎えたという事情がありました。

そのことをずっと隠していた不昧公は、岡田家に譲るというこの時、初めて阿玉に打ち明けるのですが、その思いやりに涙し、また長年可愛がった雪台の行く先に関して好条件で無いとと案じていたということです。

雪台は、家督上では不昧公の後継ではなくなりましたが、『茶道』上では実質的な不昧公の後継であったのです。


楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (4)-1.jpg

楽山焼 刷毛目茶碗 雪台箱 (1)-1.jpg


大切に伝世したことがうかがえます。



文政元(1818)年 不昧公 没

文政10(1827)年 住右衛門から空斎へ継承

文政12(1829)年 住右衛門 没


住右衛門は、茶碗造りの名人といわれ、不昧公晩年の文化13(1816)年頃に松江藩の江戸屋敷での御庭焼きでも御用を努めました。

そこでは、『雲州蔵帳』の写しなど不昧公の愉しみを大きく反映させた作品を作っていたようです。

再興楽山焼の初代住右衛門は、いわば不昧公とともにあり・・・二人三脚にて『藩』と『出雲焼』を再興したのです。


※ご成約済みです。



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【Journal of FUJII KOUNDO】


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謎のやきもの~【香雲焼 三島平茶碗】 [令和5年特集『夏の平茶碗』]


『夏の平茶碗』のご紹介第2弾です。


これは・・・・謎のやきものです。(^^;


『香雲焼』というもので、『香雲堂』とかけて・・手元にきたものですが、本当にわかんないのです。

しかし、作品はワルクナイ。。。



香雲焼 三島茶碗 (3)-1.jpg


【香雲焼 三島平茶碗】


幅   12.9cm

高さ  4.7cm

高台径 4.5cm

伝世箱




香雲焼 三島茶碗 (5)-1.jpg


しっかりと、白象嵌で三島の意匠となっております。


作行きも良いです。


香雲焼 三島茶碗 (6)-1.jpg


高台のつくりも、素人ではなさそうです。


香雲焼 三島茶碗 (7)-1.jpg

『香雲』の押印があります。


香雲焼 三島茶碗 (8)-1.jpg


『香雲』の彫り銘もあります。


香雲焼 三島茶碗 (9)-1.jpg


高台周りの造りも良いのです。


香雲焼 三島茶碗 (1)-1.jpg


香雲焼 三島茶碗 (2)-1.jpg


『関戸』と記されております。関戸家のどこかでしょうか。

裏側には『寛政10(1798)年蔵』とありますので、それ以前ということで。


香雲焼 三島茶碗 (3)-1.jpg

抹茶を点ててみても、いい感じでした。


これは、遊んで頂きたい謎のお茶碗なのです。



香雲焼 三島茶碗 (10)-1.jpg


価格は・・・遊べるお値段でございます。


今回は、おそらく・・・JFK史上、一番説明できない作品でございました。(^^;



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