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初代井高帰山 面取茶入 [WEB BASE(商品紹介)]

今回ご紹介致しますのは、当店では初の取り扱い作家です。

初代井高帰山 面取茶入


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とはいえ、井高帰山・・・実は前から非常に馴染み深い名前だったりします。

初代帰山は初代宮川香山の愛弟子であり、香山の命で軽井沢ホテルでの山本家の御庭窯として知られる『三笠窯』を任されていたという経歴があります。


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井高帰山(いだかきざん 1881 ( 明治14 )~ 1967 ( 昭和42 )87歳没)


井高は、香山の「秘蔵弟子」の一人でした。

井高は兵庫県の出身で、明治32年、淡路島の津名郡立陶器学校を卒業、兵庫県出石陶磁器試験所で技師をしていましたが、真っ白な白高麗をやくことができる腕をもっており、明治36年8月頃、香山に引き抜かれる形で門人になったと言われています。

その後、香山から香の字を取って井高高渓と名乗ります。

では、話を戻しましょう。


帰山の初代作品はかなり伝世品は珍しく、中でも茶陶となるとなかなか見つかりません。


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面取りを使ってモダンな意匠に仕上げてます。


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小さ目でありますが、口径は大きく茶杓の入りもスムースです。

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上質な仕覆と共箱が添います。

愉しめそうな作品です。

では、帰山の経歴をご紹介しましょう。



1903(明治36)年8月、出石陶磁器試験所を辞し、工学細木松之介(京大教授)、友田安清の紹介により横浜市の真葛焼改良法を研究。白磁の法を横浜に伝えると共に、窯元宮川香山より、染付、青磁、その他を修行。白高麗を「加賀の白魚」と称賛された。
11月より、真葛で受賞作品などを制作 明治38年まで。

1905(明治38)年5月、宮川香山の紹介をもって、浅間の信州軽井沢製造所(三笠焼窯元)に聘される。

1914(大正3)年4月、マット釉の研究を始める。白盛りの法を真葛の坂田氏より聞く。

   (大正5年 初代香山没)

1920(大正9)年  この頃より帰山と号す。以後、二代宮川香山らとの関係の東陶会をのぞき、美          術団体とは関係をもたず、制作と個展発表とに集中した活動を行う。

1921(大正10)年 軽井沢三笠ホテルに於いて、三笠焼の再興を引き受け、同時に浅間焼と改名。

1927(昭和2)年 この年、板谷波山、二代香山、沼田一雅を顧問に東京、巻頭在住の陶芸作家を中         心にした「東陶会」の結成に参加。

   (昭和16年 二代香山没)

   (昭和20年 三代香山没)

1959(昭和34)年 7月7日 真葛宮川智之助逝去のため葬儀に参列 (注 智之助は三代香山の弟               で、四代を名乗り真葛窯の復興に努めていた) 



二代帰山は、初代帰山について次のように語っています。

「青磁・染付等の研究の成果が一応得られたのは、三笠焼で香山の指導を得てからと言う事か。

この頃になると自力の青磁制作となる。

香山から得た青磁は、幸せな事に中国の青磁として一番貴ばれる北宋風だった。

帰山が金沢から上京したのはこうしたものが自由に造りたかったからだと思う。」


井高帰山の息子、二代帰山は次のように語っています。

「父帰山は、(中略)次のようなことは話していた。香山翁は芸術上のことのほか、仕事や日常の規律のようなものには到って厳しく、徒弟たちは翁をあだ名して「もーりん(巡査のこと)」とか「ジャンジャン」とかの呼称を口にした。「ほーれ「もーりん」が来なはった。」などと告げ合った。翁は、仕事が思うに任せなかったり、督励をしたりするとき、下げた両手を握って尻を叩きながら、注意やら励ましやらを、京都弁でちょっと押し出すような調子でして巡ったそうである。一方徒弟の可愛がりかたは無類で、親許、親類をはなれ故郷を遠く隔てた者たちには、時には親に時には神仏に見えた事もあるだろう。割合と待遇も良く、決してよそに気を反らせるようにしなかった。」
(二代井高帰山 「香山先生のことなど」 読売新聞社 宮川香山展 図録 )

また、インタビューで「初代帰山さんから、真葛香山のお人柄とかお聞きになっていますか。」と尋ねられた際、次のようにも語っています。

「 四六時中聞かされました。特に香山先生が言われたことは、何か焼きものを頼まれたときに「これは俺の所ではできない」というものがあってはいけない。 辰砂(しんしゃ)でも、青磁でも染付でも、下絵の色入のようなものでも、信楽、丹波、備前、九谷、例えば色絵のものとかを注文してきても最高のものをつくりなさい。

(中略)大手のスーパーでも、つぶれないようにするにはニーズを考えますね。ニーズがなければいけない、と香山先生は言われる。今の時代に ぴったりしている。だからすべてやる。しかも、一流のものに仕上げなければいけない。そういうことを言われたそうです。 」
(有隣 第403号より)


香山との深い繋がり、そして素晴らしい技術を会得していた初代帰山。

私にとっても非常に親しみ深い作家さんであるわけです。(^.^)


御値頃な価格です。









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