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四代清水六兵衛 萬暦升水指 碌々斎書付 即中斎甲書 [WEB BASE(商品紹介)]

先日ご紹介致しました香州のお茶碗に続き、表流お道具の良い作品が現在揃っております。

少しづつご紹介致します。



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四代清水六兵衛 萬暦升水指 碌々斎書付 即中斎甲書


これは大変珍しいです。

碌々斎時代には、京焼として六兵衛にも書付道具の製作発注をしていました。

その中でも希少な作品です。



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四代六兵衛の作品でもここまでのレベルの磁器作品はなかなか見受けられません。


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「萬暦桝鉢」というのは、口縁に塗った鉄釉(口紅という)や文様の描き方より、明時代末期から清時代初期にかけて中国景徳鎮の民窯で焼成した五彩(赤絵)磁器のことです。。

日本では南京赤絵とも称されます。

17世紀の中国による茶道具の中でも上に位置するもので、近代になってからは国内では三浦竹泉や九谷の矢口永寿による写し作品がよくあります。


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明治維新(1868)による社会の大きな変革の波は、茶の湯の世界にも及びました。

一部の武士と、上流の町人によって支持されていた茶の湯でしたが、徳川幕府の終わりとともに紀州徳川家への出仕も終わり、また一般の人々の茶道に対する興味も薄れ、茶の湯は衰退の道をたどったのです。
こうした状況のなか、11代碌々斎(1837-1910)は家元としての古格を保ちながら、茶の湯の復興に力を注ぎました。

やがて数寄者と呼ばれる政、財、官界の要人ら、新たな茶の湯の庇護者が登場し、茶の湯文化は活力を取り戻します。

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塗蓋は飛来一閑製です。

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箱書の甲には即中斎の書付が足されております。

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過去に松下幸之助コレクションの萬暦赤絵の公開時に、世相をうまく紹介した文章がございましたので引用してみましょう。


「萬暦赤絵」とは、日本では安土桃山時代から江戸時代初期にあたる、中国明時代後期・萬暦年間(1573~1619)に世界的名窯である・景徳鎮の官窯で制作された赤絵磁器のことをいいます。

さかのぼって隆慶年間(1567~72)や嘉靖年間(1522~66)のものも同様の特徴をもつことから「萬暦赤絵」と呼ばれています。

萬暦年製のものは、赤、緑、そして青の鮮やかな色彩による文様の密度の高さが特徴的です。
また、その重厚で暖かく柔らかな雰囲気が日本人の心を捉えました。

茶の湯が始まった室町時代には、中国から宋代以降のやきものが入ってきていましたが、茶人たちが好んだのは「萬暦赤絵」を始めとする柔らかなやきものでした。そして明治時代になると「萬暦赤絵」が再評価されます。

とくに白樺派の同人たちはことのほか愛好し、たとえば志賀直哉は小説『万暦赤絵』を書き、梅原龍三郎は「萬暦赤絵」の花瓶をモチーフとして繰り返し描きました。また茶の湯を嗜む政財界人も「萬暦赤絵」を好んで所有しました。

このような時代背景の明治時代に特別にこのような茶道具が製作されたことがうかがえます。


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