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須田青華 雨傘文手鉢 [新入荷]

十翔会も無事終了致しまして・・・からの、またしても金沢出張行ってました。

1ケ月の間に3度も金沢に出張という、これまでも、多分これからも無い経験です。(^^;

そして、明けて本日。

ちょこちょこと、溜まってる仕事をこなしておりましたところ。。。急に胃のあたりに激痛が!

息もできない位までひどくなり、救急車を呼ぶことに。(これまた、人生初。)

先ほどまで病院でした。

胆嚢が詰まってて発作が起きてたとか・・・救急から検査に行く途中で、詰まりがうまく取れたようで痛みが治まりましたが、来週は外科で検診です。( ;∀;)

涙雨・・・

それは、置いておいて、6月は梅雨の時期です。

そんな6月にぴったりの鉢のご紹介です。

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須田青華 雨傘文手鉢

四代さんの未使用作品です。

須田青華といえば、魯山人が浮かびます。

山代温泉の「吉野屋」の主人・吉野治郎の別荘に滞在していた魯山人が依頼された仕事の一つが、須田青華窯の木の看板です。

1915(大正4)年の11月に魯山人より届いた「青華窯」の篆刻看板を須田青華は大変喜び、その御礼として窯元で魯山人へ手ほどきすることになるのです。

書はお手のものである魯山人も、上絵付けには苦労したそうですが、その後の素晴らしい磁器作品の数々から、見事に物にされたことが伺えます。

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側面より。

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須田青華の青華、は染付を現す青華から由来しているだけあって、染付技術は抜群です。

この作品は、特に魯山人のテイストも感じさせる絵付けです。

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雨傘がさりげなく、上品に描かれております。

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菓子器にも、懐石にも楽しい器です。


3代・青華の子が現在の4代・須田青華です。本名は千二郎、1940(昭和15)年生

金沢美術工芸大学の洋画家を卒業後に二代と三代に作陶を学びました。

1981(昭和56)年、3代・青華の没後、4代を襲名。

地元の土を使い、蹴轆轤で形作ったものを、磁器では珍しいといわれる松薪の登り窯で焼くという古九谷発祥時の工法を、現在も守り続けています。




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