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永楽回全(宗三郎) 枚方猪口 くらわんか形 【10客】 [幕末京焼]

『くらわんか~』(食べませんか?の荒っぽい言い方です)

寛永頃より、大阪の淀川で耳にしていたという掛け声です。

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元は大坂夏の陣の際に、物資搬送や人員の避難に尽力したことから、高槻の柱本村が京都・伏見から大阪へ下る河での飲食販売の権利を徳川幕府より与えられ、淀川の治安維持も含めて任されたことから始まったそうです。

のちに、高槻から枚方の舟の方が勢力を伸ばしましたが、この情緒ある風情は明治維新頃に蒸気船の登場で無くなってしまいました。


今回のその時に使われていた形式を模した、永楽の珍しい器のご紹介です。

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永楽回全(宗三郎) 枚方猪口 【10客】

幅8㎝ 高さ3.3㎝


このくらわんか形は、即全の時代に酒盃として単品製作がされており、目にすることが多いと思います。

しかし、この作品の珍しいところは・・・・

回全の作であるということです。


回全、宗三郎は江戸後期の京塗の伝説的な名工、佐野長寛の二男に生れ・・・長寛と親しかった保全が、養子として迎えます。

和全に家督を譲った後に、”善一郎”家として別のラインを立てようとした際の跡継ぎとして考えていたのですが、その事が和全との不仲の原因になったとも云われております。

しかし、宗三郎は和全の御室における初窯より和全を大いに助け、明治維新頃からの永楽家の苦難な時期にも確かな実力で支え続け・・・そのことから、後世に永楽家十三代 回全の称を受ける事になりました。

長らく和全作として分類されておりました作品達の中に、宗三郎のものが多くありました。

箱書きなどから、近年では宗三郎として極め箱等が出される事も増え・・・宗三郎作品という流通も今後よく見られることでしょう。

さて、作品紹介に戻ります。

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当時らしい軟質な焼き上がりに、やさしい染付となっております。

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おそらくは、くらわんかの器は安南のやきものを参考に日本風に仕上げた物であったのでしょう。

見込みの無釉のあたりの感じに安南風が見られます。

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松葉をさらっと、は和風ですね。

即全の写しが磁器でカチッとしたものであり、この作品とは受ける印象が異なります。

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共箱(甲)

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共箱(裏)

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くらわんか舟では、供された食事の器は要返却で、その返された器の数からお代の精算がされていた為、こそっと河に投げ捨てる者も多かったようで・・・

後世、河の底からくらわんかの器が沢山引き上げられたそうです。(笑)


この作品は捨てずに大事に伝世して頂きたいと思います。(^^;



西村宗三郎 1834(天保5年)-1876(明治9年) 

嘉永4年永楽保全の養子となる。本姓は佐野。号は回全,宗範。
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