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【大西浄雪 独楽摘 燗鍋】 二代眞葛香山 祥瑞 替蓋添 [茶道具]




中秋の名月から、間を置かずに秋分の日も過ぎ・・・

暑さは残るものの、すっかり日暮れも早くなりました。


「暦(こよみ)」と実際の気候とのズレを感じる近年です。


旧暦でいうところの、秋は7・8・9月で、その真ん中である8月のさらに真ん中の

・・・8月15日が「中秋の名月」であるのですが、

新暦では一か月ずれますので9月15日。(そして今年は満月の日付では21日でした。)


旧暦と新暦、の感覚の違いというのも、江戸期の作品を見ていく際には注意しないといけないませんね。


ともかくも。


現在は、「秋」なのです。



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見事な、栗が手に入りました。秋を感じますね~☆


秋の夜長といえば、お酒が欠かせません。(ですよね?)



今回ご紹介致しますのは、茶事に使われることの多い、『燗鍋』です。



単にお酒を注ぐモノというのでなく・・・「燗」というものを紐解いてまいりましょう。


唐代中期の有名な詩人で、のちに大臣まで務めることになった「白楽天(白居易)」という人がいました。

白楽天が在命中に日本にその詩が伝わり、平安期に大いに流行したそうです。

これは異例のことであり、その詩の造りはもちろん・・・白楽天自身のサクセスストーリー・・・平民の出から才能を見出され、天子さまに取り上げられるという人生への憧れ、というのも要因であったといわれます。

その白楽天の詩のひとつに、こういうものがございます。


『林間に酒を煖めて 紅葉を焼く(りんかんにさけをあたためて こうようをたく)』

 <送王十八帰山寄題仙遊寺より>



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浮世絵でこの情景を描いたものがあります。


平安時代には、すでに『燗』をしてお酒を温めるという手法が広まっていたことがうかがえるのです。


中世では鉄鍋が一般的な厨房器として使われ、江戸時代になって酒を温める鉄器『燗鍋』が造られ、それが鉄銚子へと変わっていきます。

直接火にかけて温める、直燗(じかかん)は、温度の加減が難しいため、次第に湯煎によって温めるようなものへと移行していったようです。


さて、現代では『燗鍋』は茶事において、銚子と同義で冷酒、もしくは燗したお酒を入れて盃に入れる為の道具として使われます。

しかし、その形状はやはり元の用途としての燗鍋の形状が由来のようですね。


茶事にこだわらず、発展昇華系である徳利から、逆に今は燗鍋を酒器の愉しみの一アイテムとしても宜しいのではないでしょうか?


ということで、今回の作品です。



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【大西浄雪 独楽摘 燗鍋】 二代香山祥瑞替蓋


幅  19.5cm×16cm 

高さ 15cm

口径 12.5cm

共箱




大西浄雪  安永6(1777)~嘉永5(1852)年


先代である大西浄元の長男で、京都の大西清右衛門家の十代を襲名しました。

古い名物釜の研究に長けており、その写しなどの製作も得意としました。

同時代の樂了入と同じく、大西家の歴史の中でも中興の祖といってもよいでしょう。


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摘みが、独楽形となっており、共蓋も輪が広がります。


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注ぎ口はシャープなデザインです。


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内側も・・・


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底部も、時代のわりには状態は良いほうと思います。


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共箱です。


そして・・・この作品を、さらに愉しくするアイテムが。


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替え蓋が添います!


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発色の良い祥瑞に、造形的な摘みです。


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いっきに、侘びた情景がまた華やかになります。


これは、同じお客様をお呼びした別の席で使う場合や、同じ席で再びお酒を盛り替えてお出しする場合に有用です。


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一見、水指の蓋のようにも見えますが、この摘み造りなどは燗鍋の蓋としての用を意識したものです。


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はい、二代眞葛香山の特別注文制作なのです☆


これは大正後期に旧蔵者が香山に直接依頼したものです。その旧蔵者というのは、二代香山を表千家に引き合わせた人物の家です。

おそらくは、世の中に1点しか無いパターンの作品です。


この点だけでも私としては萌えるのですが、元の燗鍋としての佇まいも良いのです!


これは、お酒を楽しむアイテムとして、コレクターズアイテムとして、ぜひお薦めしたい逸品です。



余談ではありますが。


先述の白居易(白楽天)・・・晩年は龍門の香山寺に住み、「香山居士」と号されておりましたのです。さらに、亡くなられた年齢も初代香山と同じ七十五歳であったことは、当ブログを記述している中でなんか不思議なものを感じました。



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