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古楽山焼 出雲 耳付水指 淡々斎書付 [商品]

本日のご紹介は、久しぶりに扱います古楽山の水指です。

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古楽山焼 出雲 耳付水指 淡々斎書付  江戸時代


なかなかの風格です。

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反対側より。

轆轤目のよく現れている造りで、下の方はやや四方の形状に、上半分が円形という、面白い意匠取りです。



楽山焼は松平藩三代綱近の時代に、毛利藩から1677年に招聘された倉崎権兵衛と加田半六により開窯されました。

1694年、権兵衛の没後二代~四代と加田半六が楽山焼を続け、中断した後、四十年後に初代の長岡住右衛門が継承し、現在の十二代空郷まで続いております。

半六は初代~六代まで記録が残っており、四代は1775年に、六代が1817年に没したとなっております。

また、他にも窯の従事者も数名いたことから、この100年間の初期楽山焼は、権兵衛や半六を頭領とした『工房』的な解釈が一番近いのではなかろうかという解釈になっており、最近では権兵衛時代から半六時代迄の初期楽山焼を総称して、古楽山焼又は権兵衛焼というようになりました。

実際に、伝世品を集めて研究された結果、同一の作行のものが存在せず、あまりにバラバラであったことが判明しました。

五代とされております、復興楽山焼初代長岡家の頃のことも、窯の所在地も含めて謎のままで、あくまで伝世によるものでしか判断出来ないのが現状です。

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斜めより。

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内側の様子。

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底面。

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塗箱で、朱漆書による淡々斎の書付がございます。


旧蔵者は、権兵衛作として濃茶用に楽しまれていたようです。

運び、にも置き、にもぴったりの風格ある水指です。

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1700年後半~1800年代前半、の作品と推測されます。

高さ18.5㎝ (摘みまで21㎝) 口径10㎝ 幅16.5㎝



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