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錦光山宗兵衛 粟田焼薩摩 茶碗

当店では珍しい、錦光山の入荷です。

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昨年、錦光山の御子孫の方の書かれた本を”苦労して”読破してから、気になっておりました。

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香山と同じく、明治陶芸のジャンルでもありますし。

なかなかの優品です。


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外側は全周に渡って”藤”が描かれ、”蝶”も飛んでおります。

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この、書き込みは見応えあります。

錦光山家は江戸時代中期以来の帯山与兵衛と並んで京都粟田口を代表する陶家で、御用御茶碗窯でありました。

慶長年間に京都で初の海外貿易を行ったことでも知られます。

六代目が薩摩焼の作風を取り入れた京薩摩を考案し、この作品の作者でもある七代も引き続き京薩摩を制作し、大いに輸出もしておましたが、移り変わる時代の波に京焼の意匠改良の必要性を感じ、国内外へ視察に赴きます。

明治36年第5回国内勧業博覧会で、アール・ヌーヴォー風の花瓶を出品。

明治22年 パリ万国博覧会で銀牌受賞。

明治33年 パリ万国博覧会で金牌受賞。

明治38年 リュージュ万国博覧会でグランプリ受賞。


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明治30~40年代頃の作品と思われます。

京薩摩の品格ある絵付けは、世界で人気を博したのですが・・・それは江戸時代の京焼の技術の集大成ではあるものの、新時代の技術ではなく・・・

万国博覧会での、世界の嗜好の変化には対応出来ませんでした。

上記の本でも、これだけの技術を込めた作品が何故ないがしろにされるのか?という場面が登場します。

三代清風与平や初代宮川香山が、釉下彩技術の研究で新時代の色染付磁器を完成させ、新しいジャパンセラミックの時代を切り開く中、旧態依然とした錦光山の栄光は過去のものへと追いやられてしまったのです。

しかし、その技術力はきちんと評価され、大正5年には緑綬褒章を受賞します。


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作品の技術・美術性は間違いなく、今の時代には再評価されて再び脚光を浴びておりますが、既に錦光山窯はその姿を消して歴史の1ページとなってしまって久しいのです。


七代錦光山


1868~1928

※御成約済みです。

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