SSブログ

『三代 豊楽焼 俵形 青茶碗』 [おもろいで!幕末尾張陶]

豊楽焼、という言葉は当ブログではちょくちょく出させて頂いておりますが、世間的には名古屋のみでメジャーなブランドのような気もします。(^-^;


豊楽焼、江戸時代後期から約130年続いた窯でした。

しかも尾張徳川家御用窯、です。

初代の名は『利慶』といい、御焼物師として生涯を作陶に打ち込んだ人生であったと伝わります。

二代が『豊八』、と号し寛政元(1789)年以前より窯を築き、技巧みな作陶をしていたようです。

後に、『香久連里』の地へ。

三代は、豊八の弟子が継承し『豊介(助)』という名で、豊楽焼を素焼きからさら作風の広がりとさらなる完成度の高みへと進めました。

もちろん、三代も御用窯です。


DSC04158-1.jpg



『三代 豊楽焼 俵形 青茶碗』


幅 12.2㎝ 高さ 8㎝ 高台径 4.8㎝


文化14(1817)~元治元(1864)年頃

共箱


なかなか、見かけないタイプの俵茶碗です。

尾張徳川家に蔵される、有名な俵茶碗を豊楽焼の得意とする楽焼・・・しかも、青色にて表現しております。


ぐるっと見回してみましょう。


DSC04159-1.jpg


雪の輪のようにも見えますね。



DSC04160-1.jpg


反対側です。

このように金彩もここまで綺麗に残っているのも珍しいのです。

DSC04161-1.jpg


青、は格調の高い色です。同時代・・・この色をお茶碗に取り入れた陶工として、京都の楽家があります。

了入などでも、青楽の茶碗が作られておりますが、同色系と思いきや・・予想外に抹茶を点てると味わい深いのです。


DSC04165-1.jpg

見込み、に箆での造形が見られます。

面白いことに・・・俵形ですが、なんと径は楕円ではないのです。見た目のマジックです。


DSC04166-1.jpg


高台側です。


DSC04168-1.jpg


口造りは、まるで筆洗形を思わせる意匠取りですね。


DSC04169-1.jpg


共箱です。窯場のあった『香久連里』の字が書かれております。

前津村のあたりは、熱田神宮と名古屋城を結ぶ道の間にあり、藤の名所であったり富岳三十六景の一部があったりと、景色の良い名所でもありました。

香久連里は、今でいう大須観音の商店街のあたりでしょう。

DSC04205-1.jpg


過去に開催された豊楽焼の展観でも同手が展示されておりました。

DSC04206-1.jpg

しかし、この手の作品はなかなか伝世品が少ないもので、今回手にできたのはなかなかのタイミングでありました☆


DSC04163-1.jpg


三代 豊楽 (豊介)安永8年(1779)生~元治元年(1864)没


古の文献に、『京師に求むるに及ばず』という言葉が豊楽を賛辞するコトバが遺されてます。


私の師匠から伺った話では、当時の徳川家の茶会記では主茶碗に『豊楽』、2碗目に『楽』を使われていたそうです。


こういった作品を見ると、そういうお話も頷けます。



さて、ここ数日全国的に寒中のみぎり、くれぐれも御身体ご自愛くださいませ。

皆様にご多幸ございますように、福俵のご紹介でした☆





・・・・今年は、本当に俵茶碗のご縁がやたら多かったです。。。(^-^;


※ご成約済みです。

=======================================================

Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》


TEL 090-8578-5732

MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp

=======================================================






nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。