初代 眞葛香山 眞葛窯 富嶽之茶碗 [宮川香山 眞葛焼]
明治14年からの国内外の不況により国内の陶磁器業の内包していた、輸出への依存、家内工業的な生産体制によるクオリティ低下といった問題点が浮き彫りになりました。
いわゆる、江戸期の技術のみに頼り・・・単に外国から見た、日本的なモノの物珍しさだけで人気を博していたことが、飽きられてきたという事でもあります。
これにより、廃業を余儀なくされたところも出てきました。
香山はいち早く家督を2代に譲り、自身は古陶磁器の研究に没頭。眞葛窯も国内向け製作の重視を計ります。20年頃には磁器製作にて再び世界の脚光を浴びることになるのですが、この時期から抹茶道具への製作が再び始まったのです。
今回ご紹介する作品は、そういった時勢の・・・明治中期頃の作品になります。
【初代 眞葛香山 眞葛窯 富嶽之茶碗】
幅 12.3㎝~12.8㎝ 高さ 5.4㎝ 高台径 4.7㎝ 175.6グラム
明治 中後期頃
初代作の茶碗というのは、二代に比して数は圧倒的に少なくなります。
抹茶茶道が衰退していた時期であったことに起因します。
端正な作行の中に香山らしさを取り入れた二代に対して、初代のものは・・・独特の面白味、があります。
綴じ目(これ自体も珍しいですが)の意匠を前面にすると、内側には富士山が。
手前の縁が境線となることで、ちらっと見える富士山の風景がより広がって感じられます。
右側に90度回してみましょう。
戴く際には麓に山麓の景色が現れるといった具合です。
シンプルな鉄絵付けにすることで、内側の富士山が白釉のみで描いてることと併せて、まるで水墨画のような陰影となり味わい深くなっております。
高台側より。
底の一片が欠落しております。
共箱は蓋の甲側になります。
これは、香山の茶碗では明治中期~後期のみに見られるものです。
大正に入りますと、二代の手が大分入るようになります。
この、ざっくりと・・・そして、柔らかな作行は初代ならではの愉しさといえますね☆
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Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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いわゆる、江戸期の技術のみに頼り・・・単に外国から見た、日本的なモノの物珍しさだけで人気を博していたことが、飽きられてきたという事でもあります。
これにより、廃業を余儀なくされたところも出てきました。
香山はいち早く家督を2代に譲り、自身は古陶磁器の研究に没頭。眞葛窯も国内向け製作の重視を計ります。20年頃には磁器製作にて再び世界の脚光を浴びることになるのですが、この時期から抹茶道具への製作が再び始まったのです。
今回ご紹介する作品は、そういった時勢の・・・明治中期頃の作品になります。
【初代 眞葛香山 眞葛窯 富嶽之茶碗】
幅 12.3㎝~12.8㎝ 高さ 5.4㎝ 高台径 4.7㎝ 175.6グラム
明治 中後期頃
初代作の茶碗というのは、二代に比して数は圧倒的に少なくなります。
抹茶茶道が衰退していた時期であったことに起因します。
端正な作行の中に香山らしさを取り入れた二代に対して、初代のものは・・・独特の面白味、があります。
綴じ目(これ自体も珍しいですが)の意匠を前面にすると、内側には富士山が。
手前の縁が境線となることで、ちらっと見える富士山の風景がより広がって感じられます。
右側に90度回してみましょう。
戴く際には麓に山麓の景色が現れるといった具合です。
シンプルな鉄絵付けにすることで、内側の富士山が白釉のみで描いてることと併せて、まるで水墨画のような陰影となり味わい深くなっております。
高台側より。
底の一片が欠落しております。
共箱は蓋の甲側になります。
これは、香山の茶碗では明治中期~後期のみに見られるものです。
大正に入りますと、二代の手が大分入るようになります。
この、ざっくりと・・・そして、柔らかな作行は初代ならではの愉しさといえますね☆
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2021-05-03 11:20
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