【三代 眞葛香山 素肌色絵入瓢形 水指】 [宮川香山 眞葛焼]
秋の風が、肌寒く感じる瞬間がちらほらと出てまいりました。
まもなく10月です。
個人的に、一年の中で一番好きなのは秋かもしれません。
冬の・・・どことなく、閉塞感と包まれている感が交差する感覚も、なかなか堪らないのですが・・・
寒すぎて、身動き取れなくなるなんて時もありますので。
過ごしやすい空気と、四季のおりなす彩りが溢れる美しく、そして、どことなく物憂げな季節が好きなのです。
さて、そういう季節では、『蔦』や『銀杏』、『紅葉』といったものが浮かびますが、同じように・・・寒くなる前の、この瞬間に、というモノが他にもございます。
『瓢箪』
瓢箪に因んだ、作品のご紹介です。
【三代 眞葛香山 素肌色絵入瓢形 水指】
製作年代 昭和15年~20年頃
洒落た、意匠の水指なのです。
素肌釉、という初代から使われる、素焼きのような・・・でもコントロールされた窯変による景色を駆使して、元の土の魅力を最大限利用する手法です。
そこに、野々村仁清からインスピレーションを受けた、長造が信楽土の上に施釉した作品のように、色絵を鮮やかに、そしておしとやかに、描いております。
瓢箪の葉、を地色と対比させるように、明るく。
造形ともコラボレーションさせております。
瓢箪の蔕部分も。
本体を上部からのぞき込むと、『ひょうたん』です。
内側は、伊賀写しの際に使われるのと同じ、やや緑がかった灰釉です。
これは、備前や丹波とは違う・・・京焼をルーツとする眞葛焼のこだわりであると共に、漏れを抑えるのにも寄与致します。
底部です。
共箱が現存致します。
蓋 (甲)
蓋(裏)
三代香山は、1940年に二代の没後に襲名致しました。
ときは、第二次世界大戦・・・・もはや、優雅に文化を楽しむという世相ではありません。
しかし、その中でも茶の湯を楽しまれている方、美術を愛好する方はいらっしゃり・・・眞葛窯はノベルティ的な作品を数多く作る傍ら、逸品製作も継続しておりました。
雑多な作品の多さに、三代の技量がかすみがちですが、初代晩年には二代がかなり手を入れていたように、三代もまた、二代の技術をあますことなく継承しているのです。
瓢箪は、春から夏にかけてグン、と成長します。
暑さに強く、日差しを思いっきり浴びて栄養とするのでしょうか。
夏が終わり寒くなるころに収穫時期ですが、瓢箪が茶色くなったころが目安とされております。
そう、この水指の素肌釉・・・・はそこを意味しているのです☆
歴代の眞葛香山作品に共通するのは、『現在の主流より、一歩先の技術』、『見た目より、一歩深い意図・意匠』により、まるで文人趣味のように愉しめる造りであることです。
この作品にも、そういう精神性が大いに感じされるものがあるのです。
三代が襲名後・・・僅か、5年後。
1945年 ( 昭和 20年) 5月29日 の日中。
アメリカ軍 によって 横浜市 中心地域に対して無差別爆撃 が行われました。
B-29爆撃機 517機・ P-51戦闘機 101機による 焼夷弾 攻撃で、約8千から1万名の死者を出したそうです。
その炎の中に、眞葛窯がありました。
焼夷弾の直撃を受け、登り窯で三代香山はその命を落とすことになったのです。
瓢箪の花言葉は「幸福」、「繁栄」・・・・そして、「平和」、「夢」。
戦争が拡大する中で作られたこの作品に、香山は何を込めたのでしょうか。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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まもなく10月です。
個人的に、一年の中で一番好きなのは秋かもしれません。
冬の・・・どことなく、閉塞感と包まれている感が交差する感覚も、なかなか堪らないのですが・・・
寒すぎて、身動き取れなくなるなんて時もありますので。
過ごしやすい空気と、四季のおりなす彩りが溢れる美しく、そして、どことなく物憂げな季節が好きなのです。
さて、そういう季節では、『蔦』や『銀杏』、『紅葉』といったものが浮かびますが、同じように・・・寒くなる前の、この瞬間に、というモノが他にもございます。
『瓢箪』
瓢箪に因んだ、作品のご紹介です。
【三代 眞葛香山 素肌色絵入瓢形 水指】
製作年代 昭和15年~20年頃
洒落た、意匠の水指なのです。
素肌釉、という初代から使われる、素焼きのような・・・でもコントロールされた窯変による景色を駆使して、元の土の魅力を最大限利用する手法です。
そこに、野々村仁清からインスピレーションを受けた、長造が信楽土の上に施釉した作品のように、色絵を鮮やかに、そしておしとやかに、描いております。
瓢箪の葉、を地色と対比させるように、明るく。
造形ともコラボレーションさせております。
瓢箪の蔕部分も。
本体を上部からのぞき込むと、『ひょうたん』です。
内側は、伊賀写しの際に使われるのと同じ、やや緑がかった灰釉です。
これは、備前や丹波とは違う・・・京焼をルーツとする眞葛焼のこだわりであると共に、漏れを抑えるのにも寄与致します。
底部です。
共箱が現存致します。
蓋 (甲)
蓋(裏)
三代香山は、1940年に二代の没後に襲名致しました。
ときは、第二次世界大戦・・・・もはや、優雅に文化を楽しむという世相ではありません。
しかし、その中でも茶の湯を楽しまれている方、美術を愛好する方はいらっしゃり・・・眞葛窯はノベルティ的な作品を数多く作る傍ら、逸品製作も継続しておりました。
雑多な作品の多さに、三代の技量がかすみがちですが、初代晩年には二代がかなり手を入れていたように、三代もまた、二代の技術をあますことなく継承しているのです。
瓢箪は、春から夏にかけてグン、と成長します。
暑さに強く、日差しを思いっきり浴びて栄養とするのでしょうか。
夏が終わり寒くなるころに収穫時期ですが、瓢箪が茶色くなったころが目安とされております。
そう、この水指の素肌釉・・・・はそこを意味しているのです☆
歴代の眞葛香山作品に共通するのは、『現在の主流より、一歩先の技術』、『見た目より、一歩深い意図・意匠』により、まるで文人趣味のように愉しめる造りであることです。
この作品にも、そういう精神性が大いに感じされるものがあるのです。
三代が襲名後・・・僅か、5年後。
1945年 ( 昭和 20年) 5月29日 の日中。
アメリカ軍 によって 横浜市 中心地域に対して無差別爆撃 が行われました。
B-29爆撃機 517機・ P-51戦闘機 101機による 焼夷弾 攻撃で、約8千から1万名の死者を出したそうです。
その炎の中に、眞葛窯がありました。
焼夷弾の直撃を受け、登り窯で三代香山はその命を落とすことになったのです。
瓢箪の花言葉は「幸福」、「繁栄」・・・・そして、「平和」、「夢」。
戦争が拡大する中で作られたこの作品に、香山は何を込めたのでしょうか。
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2021-09-28 14:06
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