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【上田吉右衛門(八代目) 御本写 湊焼重物】 [国焼(地方窯)]

久々の! 湊焼の入荷です☆

なかなかの逸品だと自負しております。

どうぞ、ご覧下さいませ。


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【上田吉右衛門(八代目) 御本写 湊焼重物】



幅    17.5cm

高さ   20.4cm

制作年代 明治元年~明治20年頃



『堺 湊焼』は、大阪府堺市の窯です。

堺は・・・利休の活躍した地としてしられ、『泉州』の中心地でありました。

堺の裕福な町衆である魚屋に生まれた利休は、若いうちから茶の湯に親しみ、北向道陳、武野紹鴎に師事しました。

のち、豪商となった利休は、茶の湯をもって信長に近づき・・・その死後は、秀吉の茶頭として仕えながら、茶道を大成しました。


『湊焼』というもの自体は、室町時代よりやきものの産地として存在しております。

灰炮烙は、安土桃山時代より製作が開始され広く知られるようになりました。

本格的には江戸前期の延宝年間(1673~1681年)頃より、『御室焼』と称して開窯されたものが現在へと続く『湊焼』の祖となります。

その名の通り、『上田吉右衛門』が京都の『御室』より移り住んで陶器の商いと製作をしていたのです。

その後も窯は代を重ねながら稼働し続け、五代目(寛政~文政時代)が『交趾』の焼成に成功しました。ノンコウの弟が創始した『道楽窯』より施釉を伝授されたという話です。

湊焼のイメージとしては、『赤楽』と『交趾』が強いのが湊焼の特徴ともいえます。


軟質陶器の楽焼窯にて、雅味あふれる作品群を製作していたのです。


さて、今回の作品ですが・・湊焼の中でも珍しい作風かつ、かなりハイレベルな作品です。


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曲げ物で作られる、『重箱』(縁高)を見事にやきもので再現しております。


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木地の目風な糸目の上に、七宝紋様を意匠取りしております。

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蓋には『松』の絵が。



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やきものですが、ぴっちり合うように3段の重を角もきれいに形成いるのが見事なのです。


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『泉州堺本湊焼吉右衛門』


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ボールペンと比較致しました。大きさもそこそこあります。



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共箱です。 八代目は歴代上田窯の中でも一番の名工であったといわれる六代目に匹敵する技量の持ち主でありました。

明治になって、姓を『湊』としました。

この頃は、『山本窯』や『長浜屋窯』といった窯が堺にて存在し、互いに切磋琢磨し湊焼の黄金期ともいえる時代です。


その中でも、中心的な存在であったのが『上田窯』であり、その最後の代となった八代目は明治元年~明治30年頃に活躍しました。

明治39年に亡くなるまで常に研鑽を続け名品を遺しました。

(その子、は『左国松窯』として湊焼の志を継承することになります。)


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『御本』風の色調と斑点も見事な味わいとなっており、それは・・『桜』にも『紅葉』にも見え、春秋のお使いにも楽しめそうなのです。


※ご成約済みです。



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