【眞葛長造 模松本萩 俵鉢】 [幕末京焼]
10月といえば、『収穫』の季節です。
9月に輝く稲穂の黄金の草原から、刈り取られたお米たちが次々と『米俵』へと姿を変えていきます。
米俵、といえば『大黒天さん』が連想されます。
ニコニコした笑顔で福袋を持って米俵の上に乗ってる、あの方です。(関西ではつい円広志を連想してしまいますが)
元々は、そんなスマイリーな神様では有りません。(^^;
ヒンドゥー教における、シヴァ神の化身である『マハーカーラ』が日本に伝わったのが由来といわれます。
『マハ―』は、『大いなる、偉大なる』という意であり、『カーラ』は『黒・暗黒』を意味し、併せて『大・黒・天』と訳されたのです。
その雰囲気からも、元はきつい形相の神様で、『軍神』『戦いの神』という側面と、『財をもたらすもの』『福の神』という二面性を併せ持った神様であったのです。
密教とともに日本に伝来し、日蓮宗などで崇拝されたりし室町時代辺りでは、既に現在のイメージで『福をもたらすもの』『五穀豊穣の神様』などということになったようです。
ちなみに、対となる『恵比寿さん』は『大漁追福の漁業』の神様であり、双方共・・・商いに繋がることから『恵比寿・大黒』は商売繁盛の神様と知られるようになったのです。
さて、前置きが長くなりました。
今回、ご紹介の作品は『俵鉢』です。
【眞葛長造 模松本萩 俵鉢】
幅 19.7cm × 16.4cm
高さ 10.5cm
高台径 7.3cm × 8.3cm
制作年代 江戸時代後期 (1843年~1860年頃)
共箱
長造作品では、香合や盃、茶碗では見られる『俵』ですが、このような『鉢』では珍しいものです。
俵形状は、お茶碗や鉢、ではそのまんまを意匠化出来るメリットがあるので、非常に人気なものです。
この作品でも、見事な造形となっており観る者を愉しませてくれます。
側面は俵を縛り上げた縄の感じを、箆使いにて表現しております。
幾何学的な紋様にも見えて、美しいですね。
右回りロクロにて大胆に形成し、眞葛窯のお家芸である『藁灰釉』にて釉掛けされております。
箆による窪みにより陰影が浮き出し、とても味わい深いのです。
なにより、珍しいポイントがもうひとつ。
『松本萩』を模しているのです。
寛文(1661-~73)年間に大和三輪の大吉兵衛が萩に招聘され、藩主『毛利家』に仕え製陶し始めたのが萩焼の始まりです。
のちに、『松本』の地へ移転したことから『松本萩』とよばれるようになります。
淡白に青を帯びたような釉調で、釉の止まるところに必ず溜まりがあり、また全体的に細やかな貫入を生じるのが特徴とされます。
その辺り、を再現しているのです。
幕末期は、奈良の赤膚焼や四日市の萬古焼、そして京焼に於いても『萩焼写し』の需要が高かったという傾向があります。
その時期は、萩が手に入らなかったのでしょうか・・・。
高台は『桝高台』です。
俵ということで、お米を測る『桝』と組み合わされるものでしょう。
四か所に切れ込みを入れた割高台で、土見せ部分となっております。
共箱です。
『東山眞葛原陶工 楽長造造』
甲書きには、『模松本萩 俵鉢』となっております。
サイズもなかなか、で飾るだけでも見応え充分なのです!
眞葛長造
1797(寛政9年)~1860(万延元年)
青木木米の弟子として作陶生活に入る。真葛ヶ原にて窯を開く。観勝寺安井門跡より「真葛」の号を賜り晩年華頂宮より「香山」の号を頂く。
長造釉といわれる独特の風合をもち、その雅味あふれる作風は仁清の再来を思わせる。江戸期の京焼の代表格のひとつと称される。
※売却済みです。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
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9月に輝く稲穂の黄金の草原から、刈り取られたお米たちが次々と『米俵』へと姿を変えていきます。
米俵、といえば『大黒天さん』が連想されます。
ニコニコした笑顔で福袋を持って米俵の上に乗ってる、あの方です。(関西ではつい円広志を連想してしまいますが)
元々は、そんなスマイリーな神様では有りません。(^^;
ヒンドゥー教における、シヴァ神の化身である『マハーカーラ』が日本に伝わったのが由来といわれます。
『マハ―』は、『大いなる、偉大なる』という意であり、『カーラ』は『黒・暗黒』を意味し、併せて『大・黒・天』と訳されたのです。
その雰囲気からも、元はきつい形相の神様で、『軍神』『戦いの神』という側面と、『財をもたらすもの』『福の神』という二面性を併せ持った神様であったのです。
密教とともに日本に伝来し、日蓮宗などで崇拝されたりし室町時代辺りでは、既に現在のイメージで『福をもたらすもの』『五穀豊穣の神様』などということになったようです。
ちなみに、対となる『恵比寿さん』は『大漁追福の漁業』の神様であり、双方共・・・商いに繋がることから『恵比寿・大黒』は商売繁盛の神様と知られるようになったのです。
さて、前置きが長くなりました。
今回、ご紹介の作品は『俵鉢』です。
【眞葛長造 模松本萩 俵鉢】
幅 19.7cm × 16.4cm
高さ 10.5cm
高台径 7.3cm × 8.3cm
制作年代 江戸時代後期 (1843年~1860年頃)
共箱
長造作品では、香合や盃、茶碗では見られる『俵』ですが、このような『鉢』では珍しいものです。
俵形状は、お茶碗や鉢、ではそのまんまを意匠化出来るメリットがあるので、非常に人気なものです。
この作品でも、見事な造形となっており観る者を愉しませてくれます。
側面は俵を縛り上げた縄の感じを、箆使いにて表現しております。
幾何学的な紋様にも見えて、美しいですね。
右回りロクロにて大胆に形成し、眞葛窯のお家芸である『藁灰釉』にて釉掛けされております。
箆による窪みにより陰影が浮き出し、とても味わい深いのです。
なにより、珍しいポイントがもうひとつ。
『松本萩』を模しているのです。
寛文(1661-~73)年間に大和三輪の大吉兵衛が萩に招聘され、藩主『毛利家』に仕え製陶し始めたのが萩焼の始まりです。
のちに、『松本』の地へ移転したことから『松本萩』とよばれるようになります。
淡白に青を帯びたような釉調で、釉の止まるところに必ず溜まりがあり、また全体的に細やかな貫入を生じるのが特徴とされます。
その辺り、を再現しているのです。
幕末期は、奈良の赤膚焼や四日市の萬古焼、そして京焼に於いても『萩焼写し』の需要が高かったという傾向があります。
その時期は、萩が手に入らなかったのでしょうか・・・。
高台は『桝高台』です。
俵ということで、お米を測る『桝』と組み合わされるものでしょう。
四か所に切れ込みを入れた割高台で、土見せ部分となっております。
共箱です。
『東山眞葛原陶工 楽長造造』
甲書きには、『模松本萩 俵鉢』となっております。
サイズもなかなか、で飾るだけでも見応え充分なのです!
眞葛長造
1797(寛政9年)~1860(万延元年)
青木木米の弟子として作陶生活に入る。真葛ヶ原にて窯を開く。観勝寺安井門跡より「真葛」の号を賜り晩年華頂宮より「香山」の号を頂く。
長造釉といわれる独特の風合をもち、その雅味あふれる作風は仁清の再来を思わせる。江戸期の京焼の代表格のひとつと称される。
※売却済みです。
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藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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2022-10-02 12:58
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