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【横山香宝 虫明焼時雨 茶碗】 鵬雲斎玄室 箱 [茶道具]

旧暦では神無月の10月23日の本日。

ここのところグングンと気温が下がって・・・あちこちで、赤の彩りが目を引き始めてきました。


しかし、ここのところ・・・週末ごとに雨模様です。

せっかくの『紅葉狩り』が台無し?との声もちらりほらり。


日本には、このような天候にすら名を付け、楽しみに変えてしまうところがあります。


『時雨(しぐれ)』


初冬の頃に、いっとき・・風が強まる中、急にぱらぱらと降っては止み、わずか数時間で通り過ぎてゆく雨のことを指すコトバです。


時雨紅葉.jpg


冬の季節風が吹き始める頃、寒冷前線がもたらす雨のようですね。

明るい日照りの中に、輝く・・・黄色や赤色も綺麗なのですが、ややうす暗くなる中に雨粒がしたたり輝く状況もまた、乙なものなのです。


見かけた和歌のうち・・・目を引いたものを挙げてみましょう。


(新古今集 兼輔)時雨ふる 音はすれども くれたけの などよとともに 色もかはらぬ


(後撰集 伊勢)涙さへ 時雨にそひて ふるさとは 紅葉の色も こさまさりけり


(顕季)あまつたふ 時雨に袖も 濡れにけり ひかさのうらを さしてきつれど


(俊恵)月をこそ あはれと宵に ながめつれ くもる時雨も 心すみけり


(俊恵)藻塩草 敷津の浦の ねざめには 時雨にのみや 袖は濡れける


(俊成)いつしかと降りそふ今朝のしぐれかな露もまだひぬ秋の名残に


(続後撰集・冬 西行)東屋の あまりにもふる 時雨かな 誰かは知らぬ 神無月とは


(慈円)やよ時雨もの思ふ袖のなかりせば木の葉の後に何を染めまし


(定家)山めぐり 時雨やをちに 移るらむ 雲間待ちあへぬ 袖の月影



和歌に明るくは有りませんもので、素人的なセレクトですが[あせあせ(飛び散る汗)]



さて、本題に入りましょう。


独特の『鶯色』に『鉄絵』が特徴の『虫明焼』・・・


季節のお茶碗のご紹介です。


香宝 紅葉茶碗 (4)-1.JPG


【横山香宝 虫明焼時雨 茶碗】 


幅   11.3cm

高さ  8.5cm

高台径 4.5cm

時代合わせ箱+鵬雲斎玄室 箱



このお茶碗は、有名な『虫明12か月茶碗』のひとつになります。


本歌は、永らく・・・初代眞葛香山作と云われてきましたが、実際は文久時代の別人の手によるものです。


備前・岡山藩池田家の筆頭家老であった『伊木三猿斎』が主催した『御庭窯』である『虫明焼』は元は備前焼との近似が問題となって中断しておりましたのを、裏千家『玄々斎』に傾倒、師事した三猿斎により茶陶窯として再興したものです。


『京焼』にあこがれていた三猿斎は、折に付け・・・上京し、茶道具を求めてきておりました。

その中でも『樂焼』と『眞葛焼』には特別な想いがあったようで。。。

樂焼の12か月茶碗をベースに、自身の感性による絵付けのものを虫明焼にて作られたのです。


それぞれが、旧暦の日本の季節感の中・・なかなかの教養を要する侘びさ加減にて絵付けされております。

鉄絵のもの、象嵌のもの、の2種の技法により表現されております。


あまりに有名なのですが、本歌の存在は1組しか知られず・・明治末期~大正初期頃に、眞葛香山の愛弟子であった『森香州』が、所蔵者より借り出し・・・『写し』を作ったことにより世間に知られることになりました。(その際に桜茶碗はうっかり破損してしまい、香州が自作にて補完します)


その後、歴史の中で様々な虫明陶工により写され続け・・・現代に続く虫明焼の定番となったのです。


しかし、やはり後世のものは味わいがどうしても本歌に及びません。

昭和期に活躍した虫明焼の中興の祖というべき『岡本英山』のものはなかなかで、岡山県立美術館にも所蔵されております。


今回のお茶碗も、なかなかのレベルです。

香宝 紅葉茶碗 (4)-1.JPG


鶯色に鉄絵にてさらっと、描いたこの感じが・・・うす暗くなった天候の中の模様を感じさせ、そして単色だからこそ、色が脳内にて再現され・・より赤色をイメージできるのです。

香宝 紅葉茶碗 (6)-1.JPG

端正な形状です。


香宝 紅葉茶碗 (7)-1.JPG


薄造りです。


香宝 紅葉茶碗 (8)-1.JPG


作者は香山の孫弟子にあたる、『横山香宝』です。

初代香山が虫明に赴き、明治元年~三年の期間に指導と改良をした際に師事し、その後も眞葛窯にも参加した愛弟子である『森香州』が、実質的な近代虫明の現地人の祖ともいえるのですが、蔭で支え続けてのが『横山香宝』なのです。


香宝 紅葉茶碗 (2)-1.JPG

伝世の合わせ塗り箱に、書付の二重箱となっております。

香宝 紅葉茶碗 (3)-1.JPG

鵬雲斎大宗匠時期の箱書です。


12か月茶碗は香山により、さらに強烈な京焼・・・長造のテイストにてリメイクされます。

そちらは長年まぼろしの作品となっており、近年まで知られることが知られることがありませんでした。

有難いことに今では写真にて見ることも出来ますし、10年に1度位は実際に展示もして頂けるようです。

それまで、香山作として伝説化していた、この最初の12か月シリーズもそのシンプルさが、かえって茶味があり、皆に好まれるお茶碗として周知されているのです。





横山 香宝(よこやま こうほう)
1869(明治2)年~1942(昭和17)年
瀬戸内市邑久町虫明生まれ。
1883(明治16)年、森香州に師事する。兄・喜代吉(初代香宝)とともに香州の裏方として支えた。
香州と兄の死後、1932(昭和7)年に地元有志の協力を得て瀬溝に築窯し、独立する。
2代目香宝を名乗り、年5~6回窯をたき、?清風や香山を写した優雅な作品を焼いた。
1934(昭和9)年には弟子であった黒井一楽に窯を譲り、指導と手伝いをした。






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