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謹賀新年 2020 & 錦光山 松竹梅注連縄図 茶碗 [幕末京焼]

JFKをご覧頂いております皆様、新年あけましておめでとうございます☆

令和も2年目、そして2000年代も20年代に入り、周りを取り巻く状況も日々変わりつつある中・・・変らないモノ、ぶれない芯を持って今年も頑張りたいと思っております。

2020年のテーマは・・・『表現力』

肩書がある、値段が高いから、茶会でみかけるから、書付があるから・・・といった、本質とは関係の無い、むしろ後付けの価値感が崩れつつある昨今。

売れるから、人気があるから、見栄えがいいから、という周りの眼を気にした選択眼を払拭し、モノ本来の価値、それは・・・一部の人は知っていても周知されていないもの含めて、皆様へきちんと『伝える』ことが美術商の使命であり、やりがいであると思います。

そこで大切な自身の感覚や知識を常に磨き、それをいかに伝えるか・・・それを今年のテーマとして据えました。

現在、2つの計画が進行中で、近日中に公開予定です。

今年一年・・・皆様の心に伝わることを祈念しつつ・・・年初のご挨拶をいたします。

本年もどうぞ、宜しくお願い申し上げます!


さて、新年らしい作品の御紹介からスタートです。


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錦光山 松竹梅注連縄図 茶碗

幅 10.6㎝ 高さ 7.8㎝

錦光山焼は、正保2年(1165)に初代小林源(徳)右衛門が京都粟田に開窯。1755年以降、将軍家の御用茶碗をはじめ、高級色絵陶器を製作でしられます。

しかし、「初代」鍵屋徳右衛門は元禄6年(1693)~明和7年(1770)と錦光山家の家系図で記されており、また超勝寺には宝暦5年鍵屋徳右衛門没という石碑が存在し、謎が残っております。
間違いないのは、初代は寛永時代に人気を博した野々村仁清は粟田で修行していたということで、錦光山焼は、仁清の陶工も関与してスタートしたとみられます。

その後、明治終わり頃まで京都有数の大規模窯として続きましたが、時代の流れの中で廃窯となってしまいました。

輸出用へ傾倒する前の、伝統的な古清水の釉調の端正な作品が、こちらです。

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裏側より。

注連縄に松竹梅

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内側のみに、薄いニュウがありますが作品そのものの希少性と美術性が勝っております。

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元来は口縁全周に金があったことがうかがえます。

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高台回りには宝尽くしの意匠も。

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銘です。

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後期~末期の錦光山は、対外的な派手な作品は手の込んだものもありますが、数をこなすためにクオリティの低い作品も多くなってしまいます。

近代の色絵京焼ではなかなか出ない、この形状と意匠のお茶碗は魅力ある出物であると感じ・・・ニュウを承知で手元に入れることになりました。

※売却済みです。
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