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九代大樋長左衛門 光悦不二山写茶碗 [新入荷]

大樋焼の中興の祖との誉も高い、先代であります九代大樋長左衛門作品です。

九代は従来の飴釉に加えて産み出した黒楽の幕釉により茶席での主茶碗としての人気が高まりました。
それとは別に中期・後年共に写し物7種作品を製作しており人気がありました。
一時期はよく美術市場に出回っておりましたが、近年めっきり流通が無くなってしまいました。

その出来栄えはどれも味わい深く、当店も単品でよく取り扱いますが不二山は初めてかもしれません。

丁度、富士山にて今年の初冠雪との新聞記事を見ましたのでご紹介致します。

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印:長左衛門印 

シャープなフォルムは光悦の特徴です。

本阿弥光悦は当時では考えられない斬新でマルチなアーティストとして知られます。

お茶碗は伝世品が少ないですが、後世の写し作品が多くあることで世に知られてる、というものです。

白い楽茶碗は抹茶も色が映え、独特の味わいがあります。

これからの季節に数か月楽しめる佳作です。

こちらも、お値頃となっております。 ※ご成約済


では、本歌の方もご紹介致します。

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長野県のサンリツ美術館に収まっている、国宝に認定されている作品です。

国宝になっているお茶碗は、志野の卯の花垣とこれの2点だけですが作者がはっきりしているのはこの不二山だけです。


以下、ウィキペデイアより・・・

本作は楽焼の中でも白釉を用いた白楽(しろらく)と呼ばれるもので、年代は17世紀(江戸時代)、大きさは高さが8.9センチメートル、口径が11.6センチメートル、高台が5.5センチメートルである。素地は荒い砂が混じった白土で、始めに「手捏ね」(てづくね)で成形し、へらを使って側面を縦に削って整形。その後、透明性低火度の白釉を厚く掛けて焼成を行ったが、偶然にも窯の中で茶碗の下半分が内側・外側ともに炭化し、黒色(暗灰色)に変色した。内側の一部には鉛釉が変化を起こしたことによる銀化も見られる。

本作の制作者である本阿弥光悦は、刀剣の鑑定を本業とする傍ら陶芸にも秀で、彼の作る茶碗を欲しがる者も多くいたが、容易に作ることはしなかった。彼の作品は10点ほどが現存し、その中でも本作は一番の作と言われ名高い。光悦が娘を大阪に嫁がせた際、支度の代わりにと本作を精魂込めて制作した。持参する際、振袖に包んだことから振袖茶碗とも呼ばれており、その切れ端も現存している。

箱には「不二山 大虚菴」と記されている。大虚菴とは光悦の号で、『原色陶器大辞典』のように大虚庵と表記している文献もある。この箱書は光悦の自筆によるものであり、光悦の印(角黒印)が押されてある。制作者が自ら箱書をしたものを共箱(ともばこ)というが、これは日本の陶芸史上初の試みである[2]。「不二山」という銘の由来については、その風情を雪の掛かった富士山に見立てたとする説(金森得水)、あるいはこれ以上ない出来映えを自慢したかったとする説(草間和楽)がある。

天保9年(1838年)の日付の譲り状が箱に貼付されており、比喜多権兵衛により高原治兵衛・井上源三郎を経て、姫路藩藩主・酒井忠学の手に渡り、以後近年まで酒井家に伝わった。1952年(昭和27年)11月22日付けで国宝に指定。和物の茶碗で国宝の指定を受けたものは他に志野茶碗 銘卯花墻があるのみである。現在は長野県諏訪市にあるサンリツ服部美術館に収蔵されている。同館では本作を白楽茶碗(しろらくちゃわん)とも称し、常設展示はせず、企画展にて展示を行っている。
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