神戸雪汀 形物香合茶箱 [WEB BASE]
さて、本日よりベースを開けられない代わりに毎日、新入荷商品情報をお届けしたく思います。
そのスタートを切る珍品ですが・・・。
お譲り頂きました、ご親交頂いております方の熱い文章がありましたので、そっくりそのまま引用させて頂いてしまいます。
普段のJFKとはテイストが異なりますが、どうぞご覧下さいませ。 (^^;
****************************************
大正のころッ 大坂吹田の旧家ッ西尾家の執事さんでありながらッ
パピパピの蒔絵師であったッちゅぅ~ッ
正に前代未聞ッチョォ~異色職人さんの手掛けられた作品さんなんでございますぅ~ッ!!
ではではなにはともあれッ
今宵のそのぴったしやぁ~さんッ
お出ましあれぇ~~~いッ!!!
おおおぉ~~ッとッ!!
確かにこりゃぁ~~ッ 初秋清々しき季節にぴったしやぁ~のッ
(※文章製作は9月だったようです。)
茶箱はんでッかぁ~~~ッ!!
でッ ふむふむッ ・・・
その図柄さんはッ いわゆる形物香合さんを散りばめましたるッ
実に上品なデザインさんでございますなぁ~~~ッ!!
しかもッ
その絵付けのお仕事の丁寧なことッ
なるほどこいつぁ~只者さんじゃぁ~ござんせんでござんすなッ!
でよっしゃッ!
ここらへんでッ 今宵のこの茶箱さんをば手掛けられた御仁をッ
パピッとご紹介いたしますでございますッ!!
でしてッ その御仁とはッ!!
先程も申し上げました通りッ
大坂吹田の旧家ッ 西尾家の執事さんでありながらッ
パピパピの蒔絵師であったッ チョォ~異色の職人ッ
神戸雪汀さんでぇ~~ごッざいまわぁ~~~すッ!!
ででッ その雪汀さんッ
生没年等の基本的詳細は定かではございませんがッ
西尾家ッちゅぅ~うッ 昔から仙洞御料の庄屋を務めておられた旧家にッ
当時の茶道薮内御宗家からのご推奨をいただきッ
執事として活躍されたッちゅぅ~ぐらいッ
なかなか凄いお方なんでございますッ!!
でッ そんな大変なお役を務めながらもこつこつと作り上げたその作品はッ
決して多いものではなかったのではないかとは存じますですがッ
今回ッご縁を戴いたその内のひとつがッ
んでしかもッ 如何にもちゃまにぴったしの茶箱さんだったッちゅぅ~ことはッ
こりゃこりゃむっちゃ夢見るが如しご縁でございましたッ!
まぁ~もぉ~そんなわけでございましてッ
とにもかくにもッ
こぉ~なったらいっちょッ
パピッと立派な茶箱さん一式に仕上げにゃなるまいでございましょぉ~かねッ!!
ただんん~~~ッ ・・・・・
こいつぁちぃ~と手こずりそぉ~なかんじでございますぞぉ~~ッ!!
(TEXT 海老屋 氏 PHOTO 藤井香雲堂)
*****************************************
神戸雪汀(かんべせってい と読みます)作品は、昭和中期位までは見かけることがありましたが、近年すっかり激減してしまいました。
金沢の流れを汲みつつも、京都とは違う・・・浪速 漆・蒔絵とでもいいましょうか。
この作品は1920年の春に制作されたようです。
形物香合の絵を散りばめる・・・という発想は普通なら違和感を覚える方もいらしゃるでしょうが、私には、ちょっと親近感があるのです。
明治26年のシカゴ万博に出品された、香山の超絶技巧作品のおなはしになります。
「二四種の東洋陶磁を、ひとつに焼き込んだ高さ二尺、一対の花瓶。
高麗焼もあれば丹波も備前も瀬戸もあるという、陶芸技法見本市みたいな作品で、香山と長男半之助の合作。
名誉大金牌を受賞した。
当時の万国博の出品物は即売され、この花瓶は稀世の名作として奪い合いになった。」
全ての陶磁器の温度なども異なるため、それは製作には大変な技術が要されたようで・・・
その作品、奪い合いの決着をつける為、現地へ赴いていた二代香山により、万博開館前に叩き壊されてしまいます。
それにより、武士道精神と評され新聞で絶賛され、万博出品作はほぼ完売となったそうです。
そういう作品の存在が、今回の茶箱に惹かれてしまう要因になっておりますです。(^^;
話は長くなりました。
上記の熱い説明文で、最後に語っておられる ”手こずりそう” というのは、写真をご覧頂いてみればお分かりのように、茶筅を固定する穴が無いのです。内蓋に。
でも、小さい茶筅をあつらえるより、まぁ・・・横に寝かせて収納、というので宜しいのではないでしょうか?
本日は、お楽しみ道具をご紹介致しました。
明日は・・・・この流れのお道具を、もう一点ご紹介致します。
※ご成約済です。
そのスタートを切る珍品ですが・・・。
お譲り頂きました、ご親交頂いております方の熱い文章がありましたので、そっくりそのまま引用させて頂いてしまいます。
普段のJFKとはテイストが異なりますが、どうぞご覧下さいませ。 (^^;
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大正のころッ 大坂吹田の旧家ッ西尾家の執事さんでありながらッ
パピパピの蒔絵師であったッちゅぅ~ッ
正に前代未聞ッチョォ~異色職人さんの手掛けられた作品さんなんでございますぅ~ッ!!
ではではなにはともあれッ
今宵のそのぴったしやぁ~さんッ
お出ましあれぇ~~~いッ!!!
おおおぉ~~ッとッ!!
確かにこりゃぁ~~ッ 初秋清々しき季節にぴったしやぁ~のッ
(※文章製作は9月だったようです。)
茶箱はんでッかぁ~~~ッ!!
でッ ふむふむッ ・・・
その図柄さんはッ いわゆる形物香合さんを散りばめましたるッ
実に上品なデザインさんでございますなぁ~~~ッ!!
しかもッ
その絵付けのお仕事の丁寧なことッ
なるほどこいつぁ~只者さんじゃぁ~ござんせんでござんすなッ!
でよっしゃッ!
ここらへんでッ 今宵のこの茶箱さんをば手掛けられた御仁をッ
パピッとご紹介いたしますでございますッ!!
でしてッ その御仁とはッ!!
先程も申し上げました通りッ
大坂吹田の旧家ッ 西尾家の執事さんでありながらッ
パピパピの蒔絵師であったッ チョォ~異色の職人ッ
神戸雪汀さんでぇ~~ごッざいまわぁ~~~すッ!!
ででッ その雪汀さんッ
生没年等の基本的詳細は定かではございませんがッ
西尾家ッちゅぅ~うッ 昔から仙洞御料の庄屋を務めておられた旧家にッ
当時の茶道薮内御宗家からのご推奨をいただきッ
執事として活躍されたッちゅぅ~ぐらいッ
なかなか凄いお方なんでございますッ!!
でッ そんな大変なお役を務めながらもこつこつと作り上げたその作品はッ
決して多いものではなかったのではないかとは存じますですがッ
今回ッご縁を戴いたその内のひとつがッ
んでしかもッ 如何にもちゃまにぴったしの茶箱さんだったッちゅぅ~ことはッ
こりゃこりゃむっちゃ夢見るが如しご縁でございましたッ!
まぁ~もぉ~そんなわけでございましてッ
とにもかくにもッ
こぉ~なったらいっちょッ
パピッと立派な茶箱さん一式に仕上げにゃなるまいでございましょぉ~かねッ!!
ただんん~~~ッ ・・・・・
こいつぁちぃ~と手こずりそぉ~なかんじでございますぞぉ~~ッ!!
(TEXT 海老屋 氏 PHOTO 藤井香雲堂)
*****************************************
神戸雪汀(かんべせってい と読みます)作品は、昭和中期位までは見かけることがありましたが、近年すっかり激減してしまいました。
金沢の流れを汲みつつも、京都とは違う・・・浪速 漆・蒔絵とでもいいましょうか。
この作品は1920年の春に制作されたようです。
形物香合の絵を散りばめる・・・という発想は普通なら違和感を覚える方もいらしゃるでしょうが、私には、ちょっと親近感があるのです。
明治26年のシカゴ万博に出品された、香山の超絶技巧作品のおなはしになります。
「二四種の東洋陶磁を、ひとつに焼き込んだ高さ二尺、一対の花瓶。
高麗焼もあれば丹波も備前も瀬戸もあるという、陶芸技法見本市みたいな作品で、香山と長男半之助の合作。
名誉大金牌を受賞した。
当時の万国博の出品物は即売され、この花瓶は稀世の名作として奪い合いになった。」
全ての陶磁器の温度なども異なるため、それは製作には大変な技術が要されたようで・・・
その作品、奪い合いの決着をつける為、現地へ赴いていた二代香山により、万博開館前に叩き壊されてしまいます。
それにより、武士道精神と評され新聞で絶賛され、万博出品作はほぼ完売となったそうです。
そういう作品の存在が、今回の茶箱に惹かれてしまう要因になっておりますです。(^^;
話は長くなりました。
上記の熱い説明文で、最後に語っておられる ”手こずりそう” というのは、写真をご覧頂いてみればお分かりのように、茶筅を固定する穴が無いのです。内蓋に。
でも、小さい茶筅をあつらえるより、まぁ・・・横に寝かせて収納、というので宜しいのではないでしょうか?
本日は、お楽しみ道具をご紹介致しました。
明日は・・・・この流れのお道具を、もう一点ご紹介致します。
※ご成約済です。
2015-12-08 22:32
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