『永楽レアものさん ギャラリー』② 永楽宗三郎 三島写 酒呑 [新入荷]
第2弾、はこれまた珍しい・・・宗三郎作品です。
『宗三郎』についてご説明を致します。
弘化4年(1847)、保全が友人であります京都の塗師の巨匠・・・佐野長寛の次男を養子に迎える事に致しました。
それが、宗三郎です。本名を佐野善治郎といいます。
なぜ養子を迎えたかといいますと、和全が当主になった永楽善五郎家と並立して、『善一郎家』というものを創設して、宗三郎に跡を継がせようと考えたのです。
ところが、そのことで保全は和全と不仲になり・・・嘉永3年(1850)以降、あちこちを転々とすることになってしまうのです。
宗三郎は嘉永5年頃に、和全に協力して小規模だった工房体制を、本格的な窯場として転換させることに尽力致しました。これが仁清の窯場跡に設けられた、『御室窯』といわれるものですが・・・その後も和全を助け、永楽家を盛り立てました。
後に、宗三郎はその功績を称えられ、永楽13代回全と称されます。
そんな経歴ですから、宗三郎と特定出来る作品はかなり稀少なのです。
永楽宗三郎 三島写 酒呑
なかなかの出来栄えです。
和全の三島よりも良いかも。。。
これまた珍しい共箱も公開致します。
印は、保全と同じですが筆跡が異なります。
永楽家に翻弄されつつも、実力を備え・・きちんと職人らしく仕事を果たした宗三郎ですが、明治9年(1876)、義兄の和全よりかなり早くに亡くなってしまいました・・・。
『宗三郎』についてご説明を致します。
弘化4年(1847)、保全が友人であります京都の塗師の巨匠・・・佐野長寛の次男を養子に迎える事に致しました。
それが、宗三郎です。本名を佐野善治郎といいます。
なぜ養子を迎えたかといいますと、和全が当主になった永楽善五郎家と並立して、『善一郎家』というものを創設して、宗三郎に跡を継がせようと考えたのです。
ところが、そのことで保全は和全と不仲になり・・・嘉永3年(1850)以降、あちこちを転々とすることになってしまうのです。
宗三郎は嘉永5年頃に、和全に協力して小規模だった工房体制を、本格的な窯場として転換させることに尽力致しました。これが仁清の窯場跡に設けられた、『御室窯』といわれるものですが・・・その後も和全を助け、永楽家を盛り立てました。
後に、宗三郎はその功績を称えられ、永楽13代回全と称されます。
そんな経歴ですから、宗三郎と特定出来る作品はかなり稀少なのです。
永楽宗三郎 三島写 酒呑
なかなかの出来栄えです。
和全の三島よりも良いかも。。。
これまた珍しい共箱も公開致します。
印は、保全と同じですが筆跡が異なります。
永楽家に翻弄されつつも、実力を備え・・きちんと職人らしく仕事を果たした宗三郎ですが、明治9年(1876)、義兄の和全よりかなり早くに亡くなってしまいました・・・。
2018-05-17 21:14
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