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永楽保全 蔵六亀香合 白檀地 長寛塗 大綱和尚箱 [新入荷]

今回も、昨日からの流れでのご紹介になります。

こちらも珍しい作品です。

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永楽保全 蔵六亀香合 白檀地 長寛塗 大綱和尚箱

永樂保全さんは、幼名は千太郎といい、一説に京都の織屋・沢井家出身といわれます。

幼少から陶器の釉薬を商う百足屋へ奉公し、大徳寺黄梅院住職大綱和尚のもとで修業致しました。

その後1806年頃、大綱和尚の紹介で永樂了全の養子となります。

1817年に11代を襲名。1827年には紀州藩十代藩主徳川治寶の西浜御殿の御庭焼開窯に招聘され、作品を賞して「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印と「永樂」の銀印を拝領することにより、それから永楽を名乗るようになりました。

さて、大亀香合は本歌は17世紀(明~清時代)に交趾焼で生まれたものです。

元は合子であったものを香合として見立てたともいわれます。

その造形や色彩(本歌は黄色や緑の交趾)から人気があり、さらに希少さも際立っていることから、型物香合では最上位の東の大関として番付されておりました。

生島家伝来品、雲州家伝来品が色絵として著名で、惣萌黄のものも根津美術館蔵ほか数点知られています。

エピソードとして有名なのは、藤田男爵が入手したお話です。

高橋掃庵氏の文献より引用してご紹介いたしましょう。



明治四十五(1912)年の三月末、大阪で行われた、生島家蔵器入札のときのことである。

出品されたものの中に、交趾焼の大亀香合があった。

この香合は、名物香合番付で、昔から大関(注・横綱はなく大関が最高位)の位置を占めているもので、松平直亮伯爵所蔵の、不昧公遺愛の同香合と、天下の双璧として知られているものである。

それに先立つこと、藤田男爵は、道具好きの割には、みずから茶会を催すことがあまりなかったので、適当な名品が揃ったら、生前に一度は会心の茶会を催してみたい、ということで、だんだんに器物を集め始めた。

そして、あとは交趾の大亀香合さえ手に入れたら、思い通りの道具仕立てができるからといって、何度もこれを所望したのだが、生島氏がこれに応じることはなかった。

そんなことで、なすすべもなく月日を送るうちに、藤田男爵は大病にかかってしまった。

 生島家蔵器入札の当日は、まさに、男爵の臨終の日だった。男爵は、前々から欲しくてたまらなかった(原文「兼て執心の」)大亀が、いよいよ入札市場に出たので、是非ともこれを買おうとしたが、その入札金額が、生島氏の希望額に達していなかったために、親引(注・入札者に戻ること)になってしまった。

 そこで藤田家のお出入り道具商であった、戸田弥七【露朝】は、藤田男爵の病床に進み出て、その指示を待った。そしてとうとう、示談で、当時のレコード破りの九万円で、売買の相談がまとまったのであった。

 この吉報のたずさえて戸田が男爵の病床に駆けつけたときは、今や、男爵が最期の息を引き取らんとする時だった。耳元で声高に、「大亀を取りましたから、ご安心なされませ」と伝えたところ、その声がよく心根に徹したとみえて、男爵はニコリとして、安らかに瞑目されたという。



現在の価格に直すと、9億円に相当するそうです。(^^;


作品に戻ります。

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型物香合番付表は、幕末時代に作られたものですから、大亀香合へのあこがれは相当のものだったのでしょう。

当時、京焼でありながらいわゆる京焼陶芸家とは別の軸で活躍しておりました保全は、同年代であり、これまた漆工芸では天才肌であった佐野長寛(寛政6年 1794~文久3年 1863)と合作により大亀香合を生み出しました。

それは、交趾ではなく漆の技法であった白檀塗を陶器に施すことで、別格の風合いを表現した・・・写しというより、リ・イマジネーション作品です。

保全と長寛の信頼関係につきましては、先日のブログでの宗三郎が佐野長寛の次男であることからもお分かりいただけることと思います。

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尻尾の方より。

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内側。

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底も丁寧に造りこまれております。


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両人の共箱がございます。

後述致します、箱書により1848年(もしくは1849年)の作品であることが判ります。

それは、永樂保全が善五郎 ⇒ 善一郎 ⇒ 保全(やすたけ)と変遷していく中で、保全を名乗る年であったということから、おそらく”保全”を名乗る転機にその意気込みを込めて作った作品であったと思います。

それは箱書からも推測されます。

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保全が修業を重ねた、大綱和尚による丁寧な箱書が添えられております。


『松風の 萬代齢よわふ(齢)

 友なれや 六越(むつを) かくして

 しづかなる亀

 七十六翁 大綱』



大綱和尚(1772-1860) 江戸時代後期の僧。
安永元年生。臨済宗。京都大徳寺住持。同寺塔頭黄梅院にすむ。歌をよくし,書画にすぐれ,10代千宗左,11代千宗室ら親交。安政7年2月16日死去。89歳。


亀の長寿、不変の松風から大綱と保全、保全と長寛、の末永い親交を現したかのような歌を詠みあげてるように感じます。

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サイズ 幅11cm×8cm 高さ6.5cm

こちらもまた、歴代展にも同手が出品されておりました。

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その他、世界的な香合コレクターで知られる、第1次世界大戦でのヴェルサイユ講和を主導したフランスの元首相であるクレマンソーもこの香合を所有されておりました。

その後、モントリオール美術館に3000点ものコレクションが寄贈され、1978年と2003年に日本での展示会が実現致しました。

そのどちらにもこの蔵六亀香合も展示されております。




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