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永楽保全 筆洗形茶碗 松画晴川院筆 大綱和尚箱 七十造之三之内 [新入荷]

ベースも今月は明日からの14日・15日を残すのみとなりました。

その次はいよいよ、『第4回大美アートフェア』になります。

そこで、大美AF用に用意しております作品を少しづつご紹介したいと思います。


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永楽保全 筆洗形茶碗 

松画 狩野晴川院 筆

大綱和尚箱  賀余七十 永楽保全造之三之内



大変珍しい作品です。

大徳寺の大綱宗彦(そうげん)和尚の七十歳を祝して、保全が3つ製作した作品のひとつです。



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反対側より。

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高台より。


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大綱和尚(1772-1860) 

安永元年生。臨済(りんざい)宗。京都大徳寺住持。同寺塔頭(たっちゅう)黄梅院にすむ。

歌をよくし,書画にすぐれ,10代千宗左,11代千宗室らと親交。安政7年2月16日死去。89歳。

永楽保全とは特に親しくし、宗旦狐などの書の合作も有名。

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松の画は狩野晴川院による筆です。

狩野 養信(かのう おさのぶ、寛政8年7月26日(1796年8月18日) - 弘化3年5月19日(1846年6月12日))

江戸時代後期の木挽町家狩野派9代目の絵師。

文化10年(1813年)まで、その名「養信」は「たけのぶ」と読む。通称、庄三郎(しょうざぶろう)。父は狩野栄信、子に狩野雅信、弟に『古画備考』を著した朝岡興禎、浜町狩野家の狩野董川中信、中橋狩野家の狩野永悳立信らがいる。号は晴川院、会心斎、玉川。多作で狩野派最後の名手と言われる。


文政2年(1819年)に法眼になり、文政11年(1828年)には父の死を受けて家督を相続し、天保5年(1834年)、法印に叙せられた。天保9年から10年(1838年から1839年)には江戸城西の丸御殿、天保15年から弘化3年(1844年から1846年)には本丸御殿の障壁画再建の総指揮を執った。養信がその後亡くなったのは、生来病弱な上に、相次ぐ激務による疲れであったと推測されている。


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大綱和尚箱の外箱として、十七代永楽の極め箱があります。


1842年頃の作品です。

保全は、この翌年、『善五郎』名を息子である和全に譲ることになります。


永楽保全

江戸後期の陶工。京都生。沢井宗梅の子、土風炉師の姓は西村善五郎(了全)の養子となり十一代を継ぐ。通称善五郎、陶鈎軒と号する、隠居名は善一郎。紀伊和歌山藩主徳川治宝に招かれて偕楽園焼をはじめ、「永楽」のニ字を授かる。嘉永7年(1854)歿、60才。



作品も味わい深く、なかなかの佳品です。

※ご成約済です。

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